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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

いき苦しい時代

2014-09-06 | 女だから思ったこと
「スマホを人に向けるだけで条例違反にあたるかも」のニュースを見て、生きにくい時代になったなという思いをまた強くした。撮る写真が風景写真ばかりになってしまったら見る方も飽きてしまう。人が動いているのが現実、今ここにある世界なのだから、写真と言う世界には自然に人が映りこむものがあってもいいように思う。でもそこのボーダーラインってよく分からない。

最近特にこういう四角四面な、規則や権利みたいなものが我が物顔をして歩いていて、正直食傷ぎみ。
いやそれだけだったらまだ良いのだけど、それに乗っかって憂さ晴らししているような人もいっぱいいる。今や世の中クレーマーだらけ。そんな風にも見える。
あなたは間違っているでしょう、とケチをつける。そこで自分を押し上げる。そういう人達がいっぱいいるし、もしかしたら私もそういう面を持っているのかもしれない。

分からないではない。
みんなストレスを抱えていて、何となくむしゃくしゃして面白くないから、せめて正しさぐらい証明したいんだよね。だからそういうものを盾にして非難することで、ちょっとだけ優位に立てたような気になる。

でもあまりこだわりすぎると、だんだん楽しめる世界が狭くなって息苦しくなる。

恋愛もそうでしょう。
例えば良い恋愛と悪い恋愛があったとして、四角四面に良い恋愛しか認めないと言う人は自分がそうするのは良いんじゃない?パートナーが浮気をするのも認められない。別れる、別れられないなら家庭内別居です。それで良いんじゃない?

でもそういう人生って楽しいのかな?ってどこかで思う自分もいる。思ってしまうのは、そういう人に限ってフリンとかそういうのを叩く。それを悪いものと叩かないと気がすまない。
自分も昔はそうだったから、それが間違いとは言わない。でもそれで楽しいのかな?とは思う。楽しくないから正しさをむき出すのが快感でもあるようにも見える。

「自分はそういうことはしないと思う、でもそういう事情もあるかもしれない」それぐらいに納めておけばいいような気がするな。
弁護してしまうことになるかもだけど家庭状況も性格もボーダーラインも人それぞれ。これは悪い恋愛だと四角四面に全て悪いとしてしまうと、人生的な視野はどうしても狭くなる。厳密に言えば奥様が韓流スターを追いかけるのも家族をないがしろにしていると言えなくも無い。でもそれはそれで人生の楽しみにつながるとも言えるだろうし。


この前、幼馴染のKくんのご両親がスーパーで揃って買い物をしているのを見た。夜の8時であった。ピアノの先生ご夫婦も二人で散歩してるし、あの年代は仲良く行動しているご夫婦が多い。両親も元気だったら二人でこんな風に買い物をしていたのだろう。

でも結婚生活が50年以上になって(私の年から逆算すると)今まで何も無かったとも思わない。やはり見えないところでいろんなことを乗り越えてきて、今があるのだろう。
自分はずっと結婚するなら、その人だけとまっすぐに何事も無くうまくいくことが幸せだし、正しい事だと思ってきた。でもそれだとああいう円熟な味が出る夫婦になっていなかったかもしれない。

夫婦は、最後に片方が死んでから意味を出すのではないだろうか。
死んでしまえば、その先から移り変わりの不安も何も無く、そこから永遠に思い出だけと共に歩いていけるから。
それはどんなに心強いことか。

最期を見届けられるのも焼き場に行けるのは身内だけ。
それが何よりもの誇りにできるでしょう。

今はそんな風に考えているので、浮気されようがその先はその人の考え方次第だと思っている。
自分が一緒に居たいなら居る、顔も見たくないなら別れる。
どちらを選んでも、その選択に責任を持つことだ。
居たいならそんな相手でも認める、別れるなら相手のせいではなく自分の選択。そうすると人のせいにできることはなくなるから誰も悪く言わなくて済む。

もちろんすぐにはこんなサバサバと判断はできないだろう。
時間は何年も掛かるだろうけど、自分を甘やかさない。
こうなったことも、これからの人生も全て自分で責任を持つ、そういう気持に向かうようにしていきたい。