きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

昭和だったら

2011-06-10 | 資格の勉強
昼休み、精算表をコツコツ解いてみる。

機械装置の減価償却や退職金の引当金、貸倒引当金辺りは毎年出題されるので、解けるようになってきた。
が、新しいパターンの出題になると、答えを見ないとお手上げである。

もう6月も半ば・・あと3ヶ月か。。。><
まだ手つかずな原価計算も明日からテキストを読み始めようと思う。

今となっては2科目申し込んでしてしまったのが悔やまれるが、片方0点と言う訳にはいかない。受験料がもったいない。

課長が昼休みに「sakeさんのうちは新聞を取ってるの?」と言うので取ってません、と答えた。

「ほんとは読みたいんですけど、月に4,000円は高いですからね。」
「要らないよなぁ。」
「うちなんて7月からTVもどうするか?って話ですよ。NHK料金だってバカにならないので、見れなくなったら解約しようかとさえ思ってます。新聞どころの話ではありませんよ。」
「カツカツだよなぁ。」
「そうですよ。」

         ↑
これが今の時代の普通の一社員の会話なのだ。
昭和時代だったら、新聞もTVも当たり前にそこにあったのに。

いくらネオンが輝いてもブランド物が発展しても、おいしいものばかりが1人歩きしても、昭和時代に比べると、心は貧しくなったものだ。
私に言わせれば、自分1人だけ金を消費すればいいと言うお偉いさんが何人も居るからだろう。

ほんとにバカめ。
周りがみんな貧しいのを知っているのか知らないのか、自分1人だけなんて、やがて崩れる前兆なのに。


さて、今の私は勉強の次には放射能だが、こちらは相変わらず、少数派の悲観的な人は相変わらず「極めて危険だ」と言い、そうでない人は何でもないように日常を過ごしている。
しかし、最近気づいたのは、横断歩道で子供達を渡らせるのに旗を振っている児童のお母様方達の中にマスクをしている人が居る。(いつも同じ人とは限らない。)

放射能の話をすると、目くそ鼻くそみたいなバカにされそうな世の中だが、それでも、やっぱりマスクをしている人はいる、ごくごく少数派だけれども。
隠れながら、キリシタン信仰をしているのである。

私もこっそりコンビニでお茶を買って、会社に持ち込んでいる。味噌汁やラーメンスープは水道水を使っているが、何となくお茶はコンビニや自販で買ってみたりする。

「なるようにしかならない」と言う気持もそうなのだが、それでも「kekeがいるから」とか何となく理由をつけてお茶を買っている。健康でありたいと言う生理的欲求がそうさせているのだろうか。

これから日本は、関東周辺はどうなるのだろう。
心配性な私は、このブログが「アンネの日記」のようになってしまったらどうしよう?と思うのである。
アンネさんも、それを書いている時にまさか自分達の行く末がそのようになるとは思ってなかっただろう。

時間は刻々と進み、しかしそこに乗っている我々は何も気づかないまま、流れて行く。
そして、やがて着くべき所に着くのである。
もう立ち止まる事も、戻る事もできないから。
その時にどう思うかと言えば、やはりその日まで何も気づかず考えずにいた方が勝ちなのかもしれない。

不謹慎かもしれないが、戦争中も悲観的なことなんて大きな声では言えなかったんだろう。
こうして日常は案外淡々としていたのだろうか。
それも両親も祖母もいないから、もう分からないや。