小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

電話でもいっぱい喋れるよ

2013年01月22日 01時07分33秒 | 日記
2010年4月12日(月)(2歳0か月)


 実家に用があって電話していると、春奈が横から、

 「おじいちゃん?春奈もでんわ」

と、せがむので、電話を代わってやった。

 すると、けっこう喋る。

 以前は電話に出たがっても、いざ受話器を渡されと、
固まったように何も喋らなかったのに、今日はやたら
に饒舌だ。

 しかもちゃんと会話が成り立っている様子だ。

 また進化した。


 ヒッポファミリークラブにはホームステイプログラム
がある。

 これは希望制なので、会員ならみな海外にステイに
行かないといけないわけではないけど、出発前になると、
ホストの調査票が届く。

 そこにホストの電話番号が書いてあるから、みんな
出発するまでに1度はホストに電話をするのだけど、
対面とちがって電話というものは、なかなか言葉が出て
こないものである。

 しかし、ホームステイを終えて帰国してからホストに
電話すると、話せるのである。
 相手の話している言葉もわかる。

 それと同じで、春奈もおじいちゃんおばあちゃんと
何度もお話しているうちに電話でもいっぱい喋れるよう
になったのかな?

87 万葉集の中の天の香久山

2013年01月22日 00時53分43秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生87 ―万葉集の中の天の香久山―


 ところで、『万葉集』にある中大兄皇子の、

香久山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争いき 神代より かくにあらにし 
古(いにしえ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻を 争うらし
き (巻1-13)

と、いう大和三山の歌ですが、原文では香久山のことを「高山」と書いて
いるのです。

 ちなみに、『万葉集』の、香久山を歌った他の歌には、舒明天皇の歌と
して、

 天皇、香具山に登りて望国(くにみ)したまう時の御製歌

 大和には郡山(むらやま)あれど とりよろう 天の香久山 登り立ち 
国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 
蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は (巻1-2)

があり、それから、持統天皇の歌として、

 天皇の御製歌

 春過ぎて 夏来るらし 白栲(しろたえ)の 衣乾したり 天の香久山
 (巻1-28)

というものがあります。
 この香久山の表記として、舒明天皇の歌は「香具山」と書かれており、
持統天皇の歌は「香来山」と書かれています。
 つまりは、香久山の表記文字は一貫されていないわけですが、舒明天
皇の歌と持統天皇の歌は「かぐやま」と読めるのに対し、中大兄皇子の
「高山」はどういうわけなのでしょうか。
 それは、「香山」と書いて「かぐやま」と読むことに共通していると
考えてよいでしょう。「香」の「高」も同じ「コウ」で、古代において
は「カグ(コグ)」と読まれていたと考察されるからなのです。
 そして、この「カグ」が意味するところは「鉱」だと考えられるわけ
です。

 また、『播磨国風土記』によると、播磨の揖保郡にも香山(かぐやま)
があったことが記されています。

香山。伊和大神が国占めをした時に、鹿が来て山の峯に立った。その山の
形が墓に似ていたので、鹿来墓(かぐはか)と名付けた。
 後、道守臣(ちもりのおみ)が国守として赴任してきた時に、これを
香山と改めた。

 『播磨国風土記』には、製鉄に関わる氏族の伝承が数多く残されてい
ます。


・・・つづく