小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

正解なのか判断に迷います

2013年01月28日 01時09分57秒 | 日記
2010年4月19日(月)(2歳0か月)


 春奈が幼児雑誌を見ながら、

 「くま、くま」

と、言っているので、

 「そやなー。熊やなあ」

と、適当な相槌を打ちつつ、ちらっと雑誌に目をやる。

 と、あれ?

 開いたページに熊のイラストも写真もない。

 代わりに自動車のイラストが載っている。

 それでよーく聞いてみると、

 「くぅま」

と、言っている。

 「くるま」と言っていたのか。

 こないだまでは車のことを「ぶっぶー」と言っていた
のになあ。


 みんたが、

 「おつむ替えよか」

と、話しかけると、春奈が、

 「オッケー」

と、言って、仰向けに寝っ転がる。

 オッケーって・・・。

 ビミョーやなあ、それ。

 使い方として合っているのか間違っているのか判断に
悩むところだ。

90 石神と土の伝承

2013年01月28日 01時03分56秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生90 ―石神と土の伝承―


 アメノヒボコや渡来人との紛争に関しては、『播磨国風土記』には次の
ような記事が揖保郡の項に登場します。

 神嶋。伊刀嶋の東なり。神嶋の地名の由来は、この島の西の端に石神が
あり(註:石で作った神像のことかと思われます)、形は仏像に似ていた
が、ここからきたものである。
 この神の顔には5つの色の玉があり、胸には流れる涙があり、この涙も5
つの色をしていた。神が泣くのは、応神天皇の時代、新羅人が来朝した時
に、この神の顔の玉を、貴重な珠だと感心し、神の片方の瞳を削り掘って
盗んでいったためである
 神は大いに怒り、暴風を起こしてこの新羅人の乗った船を打ち壊してし
まった。船に乗っていた人たちは全員死亡し、高嶋の南の浜に漂流した。
人々は受難者をこの浜に埋葬した。それでこの浜を韓浜という。
 今ここを通る者は、韓人という言葉を口にせず、盲目の話題も口にはしな
い。

 この石神が何を指すのかよくわかっていません。石像のことと思われるの
ですが、日本の神に偶像崇拝はありませんから、九州にある石人のようなも
のが播磨にもあったのでしょうか。

 ただ、同じ揖保郡の項には、

 神山。この山に石神坐す。ゆえに神山という。

と、いう記事がありますから、石神と呼ばれる神がいたことをうかがわせま
す。
 石というのは、天の石屋戸(いわやと)や石見(いわみ)という例をみれ
ばわかるように、「いわ」とも読まれました。
 だから、石神が伊和の大神のことだという可能性もあるのです。

 だとすれば、ここでも伊和の大神と新羅人との間に諍いが起きていたこと
になるわけですが、もう1つ、石神が船を転覆させるというのは、『出雲国風
土記』にある佐太大神や、『播磨国風土記』のホアカリ、『古事記』のヒナ
ガヒメと共通したものを持っていることに注意が必要になります。

 また、製鉄に関わる神話や伝承には、同時に土の神話や伝承が残されてい
ます。
 富木のところで、「トキ」が朝鮮語で「日の出」を意味する、というお話を
しましたが、日読みの地には、製鉄に関わる人々が絡んでいたと思われるので
す。たとえば、大和の鏡作坐天照御魂神社や多神社、摂津の新家坐天照御魂
神社など。
 日読みが行われていたとみられるだけに、いずれも古い太陽神を祀っていた
と考えられる場所ばかりです。
 これらの地には製鉄に関わる人々がいたと思われるのです。

 「トキ」が朝鮮語で「日の出」なら、動物の「うさぎ」もまた朝鮮語では
「トキ」といいます。
 『古事記』に登場する稲羽のしろうさぎの神話。
 毛をむしられ赤裸のうさぎは、通りすがったオオナムチによって傷が治り
ます。
 これを、陶器の精製だとする藤村由加(『古事記の暗号』)の説は前にも
紹介しましたが、それによると、うさぎの持つ「跳ねる」のイメージは弾力の
ある赤土をあらわし、うさぎを真水で洗い蒲の花粉を塗るというのは、陶器に
する土は、海水の混じっていないものに限り、不純物を取り除き真水を加えな
がら漉す、という。また、メキシコなどでは陶芸の土に蒲の穂を混ぜることも
ある、というものです。

 私は、うさぎも日の出と同じ「トキ」ならば、この神話はオオナムチによる
太陽の蘇生ではないかと考えました。天の石屋戸に通じるものではないか、
と。
 赤裸のうさぎが白うさぎになるのは、地上、あるいは海上から姿を現した新
しい太陽が赤く、天高く昇ると白くなるのを表しているのではないか、と。

 すると、藤村由加の『古事記の暗号』の中にも、稲羽のしろうさぎが火に通じ
ることが書かれていたのです。
 まず、因幡ではなく稲羽と表記されているのは、稲の字を用いた言葉に「稲妻」、
「稲光」、「稲荷」などがあり、いずれも火に関係すること、羽は、2枚の羽が
付いたり離れたりする「離」そのものであり、羽ばたくことで火気のように上昇
することを思い浮かべると、あたかも易の「離為火」の表象とみることができる、
とするのです。
 また、白うさぎが「素兎」と表記されているのは(素は、「素人(しろうと)」
というように「しろ」とも読めます)、はだかでむき出しの様、素っ裸の様を
「赤裸々」といったり、素手のことを「赤手」と書くこともあり、素は赤にも通じ
るとしています。


・・・つづく