小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

85 神話の世界の香久山

2013年01月14日 00時56分56秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生85 ―神話の世界の香久山―


 少しこちらの方の更新をさぼってしまいました。
 前回は、大和三山の争いについて、少しふれたところまで書きましたっけ。
 その続きから行きます。


 大和三山のひとつ天の香久山は「香具山」とも書きますが「香山」と書かれる
こともあります。
 朝鮮語で鉱山をさす「クヮグ・サン」の「グ」は、鼻音で、英語の「ing」
の発音に近いといいます。「鉱(クヮグ)」の「グ」につく母音がAなら「カガ」、
Uなら「カグ」、Оなら「カゴ」になり、「鉱」も「香」も同音なのです。
(大和岩雄『神社と古代王権祭祀』より参照)

 『出雲国風土記』の、加賀の神埼の神話も、キサカヒメが流れてきた金の弓を
拾い、
 「暗い窟だな」
と、言って射通したとあり、このカガも「香」と考えてもよいでしょう。


 イザナミは、火の神カグツチを生んだ時に負ったヤケドが原因となって神去っ
て(亡くなって)しまいますが、このカグツチのことを『古事記』では、

火之夜芸速男神(ヒノヤギハヤオの神)。またの名は火之毘古神(ヒノカガ
ビコの神)といい、さらにまたの名を火之迦具土神(ヒノカグツチの神)といい
ます。

と、記しており、カグツチ(カグ)、カガビコ(カガ)の名を持つ神が火の神で
あることには、この神もまた「香」の神であることを意味すると考えられるので
す。

 さらに、『古事記』はこう記します。

 イザナギは、
 「愛しい妻の命をこどもひとりの命と引き換えにしてしまった」
と、嘆き、イザナミの顔にすがりついては泣き、足にすがりついては泣きました。
 この時、流れた涙から1柱の神が生まれました。香山(天の香久山)の畝尾の
木本に坐すナキサワメの神(泣沢女神)です。

 『万葉集』に、

 哭沢の神社(もり)に神酒(みわ)すえ祷祈(いの)れども わが王(おおきみ)
は高日知らしぬ (巻2-202)

という歌が登場しますが、この哭沢の神社は、奈良県橿原市木之本町の畝尾都多本
神社(うねおつたもと神社)に比定されていますが、この神社の祭神が啼澤女命で
す。

 次に、『古事記』の天の石屋戸のくだりに出て来る描写です。

天金山の鉄を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて、伊斯許理度売命に科せて鏡を作らし
め。玉祖命に科せて八尺の勾玉の五百津の御須麻流の珠を作らしめて、天兒屋命。
布刀玉命を召して、天香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天香山の天の波波迦を
取りて、占合い麻迦那波しめて、天香山の五百津真賢木を根許士爾許士て、上枝に
八尺の勾玉の五百津の御須麻流の玉を取り着け、中枝に八尺鏡を取り懸け、下枝に
白丹寸手、青丹寸手を取り垂でて、この種種の物は、布刀玉命、布刀御幣を取り持
ちて、天兒屋命、布刀詔戸言寿き白して、天手力男神、戸の脇に隠れ立ちて、天宇
受売命、天香山の天の日影を手次に懸けて、天の真析をかずらとして、天香山の小
竹葉を手草に結って・・・

このように何度も天香山が登場します。これは「天の香久山」を読まれていますが、
大和三山の香久山そのものよりは、香久山を神話の世界に持ってきたもの、と一般
には解釈されています。
そもそも、大和三山の中で香久山だけが「天の」という語が頭についていますから
特別扱いです。

 なお、最初に登場する天金山のことを、岩波古典文学大系『古事記』(倉野憲司
校注)では、「天のカナヤマ」と読み、鉱山のこととしていますが、西郷信綱
(『古事記注釈 第一巻』)は、
「音の上でカナヤマがカグヤマに転化したのだろう」とします。

 『日本書紀』の一書には、

 石凝姥(イシコリドメ)をして冶匠とし、天香山の金を採って日矛を作らしむ

と、あり、ここでの金は鉄のことと解釈されますが、こちらは天金山ではなく香山
です。

 『古語拾遺』では、

 石凝姥神をして天香山の銅を取らしめて、日像の鏡を鋳さしむ

と、あり、やはり香山になっています。

 『古事記』が天金山と書くのは、写し間違いの可能性もありますが、『日本書紀』
が金を採らせ、『古語拾遺』が「銅を取らせ」とあることから、天の金山と天の香
久山は同じものと考えられています。

 とは言え、天の香久山が神話の世界に登場するのはどういう理由があったからな
のでしょう。

 ここで注意したいのは天香山命(アメノカグヤマノミコト)という神です。


・・・つづく

言い方は順序などないのだよ

2013年01月14日 00時56分56秒 | 日記
2010年4月5日(月)(2歳0か月)


 いつもゆうきとりえはリビングというかキッチンの
テーブルで学校の宿題をする。

 それでよく春奈がゆうきやりえの鉛筆を勝手に使って
落書きをしたりするもんだから、お姉ちゃんが取り上げ
ては春奈を泣かせている。

 今日もまたゆうきと鉛筆の取り合いで紛争している。

 僕が、春奈に、

 「これはお姉ちゃんが学校に持って行く大事なもの
やからな。あかんで」

と、諭すと、

 「これ,うき(ゆうき)の?うきの?・・・うきのかぁ」

と、仕方なさそうに諦めた。

 にしても、「ゆうきのかぁ」と、いかにも仕方ないとい
うカンジがありありと表現されている。

 何だかそう言うことで自分を納得させているみたいにも
見えるけど、「○○かぁ」という言い方は勉強などでは
後の方で覚えるものだと思う。

 だけど自然に習得した言葉にはカリキュラムの順序など
は存在しない。

 春奈の言葉の獲得は自然そのものだ。