小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

2歳になると悪くなると言うけども

2013年01月29日 01時20分55秒 | 日記
2010年4月20日(火)(2歳0か月)


 赤ん坊も成長して2歳にもなると悪くなるという。

 お母さんたちの間では「魔の2歳」なんて言葉も
あるらしい。

 春奈も2歳。女の子だから男の子みたいに行動で
悪さすることは少ないけど、言葉がたつだけに、言動
が悪くなってきているかもしれない。

 さて、今日は毎週火曜日の北野田ファミリー。

 ファミリー中、春奈が甘えて僕の左足に抱きついて
きた。

 それを見たゆうきがふざけて僕の右足に抱きついて
きて、

 「ゆうきのパパ」

と、春奈に向かって言った。

 春奈も負けていない。

 「はるなのパパ」

と、言い返すものだから、ゆうきが面白がって、

 「ゆうきのパパ」

と、また言うと、

 「うるたい(うるさい)!!」

と、春奈が吠えた。

 全然負けてない。

 けど・・・

 やっぱり2歳になって少し悪くなった。


 その夜は春奈がなかなか寝ようとしない。

 ふとんの上を転がったり、寝っころがったまま歌を歌っ
たり。

 それで僕が、

 「春奈ねんねしいや」

と、言うと、

 「今ねんねしてる」

 ・・・口ごたえか?

 ホンマに悪くなったな。

 あと、現在進行形なんかで口ごたえするなよ。

91 ハニヤスビコとオオナムチ

2013年01月29日 01時15分05秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生91 ―ハニヤスビコとオオナムチ―


 それから製鉄と土の関連として、天の香久山の伝承があります。
 香久山は「香山」とも表記され、これが「かぐやま」で「香」は「鉱」と
同じなのですが、香久山が神話化されて天の石屋戸のエピソードに登場しま
す。

 『日本書紀』では、八十建(やそたける。八十梟帥と表記)を討伐しよう
とした神武天皇の夢の中に天つ神が現れて、
 「天の香久山の社の土を取りて天の平瓫(あめのひらか)80枚を作り、
同時に厳瓫(いつくへ=神酒を入れる瓶)を神に供えよ。その上で厳呪詛
(いつのかしり=呪術のひとつ)を行えば敵はおのずから伏する」
と、お告げをくだし、同時に、神武天皇に帰順したオトウカシも
 「天の香久山の社の土で天の平瓫を作り神々にお供えすれば必ず敵を打ち
破ることができることでしょう」
と、夢のお告げと同じことを進言したので、天皇は、これは間違いない、オ
トウカシとサオネツヒコ(倭国魂神を祭祀する大倭氏の始祖)のふたりに香
久山の土を採りに行かせます。

 また、10代崇神天皇の時代におけるタケハニヤスビコの反乱の時には、
タケハニヤスビコの妻吾田媛(アタヒメ)が、香久山の土を取って、
 「これは倭の国の物代(ものしろ)」
と、呪言をした、とあります。
 鉄のイメージを持つ香久山には、同時に土の儀礼が伝えられているのです。
 この反乱を鎮定したのが丸邇臣(わにのおみ)の祖ヒククニブクなのです
が、ヒコクニブクは敵地である南山城に向かう途中で、忌瓦(いわいべ)を
据える儀式をおこなっています。
 この丸邇氏も製鉄に関わっていたとする説があるのですが、ここでも土器
を用いた儀礼の伝承が残されているわけなのです。

 ところで、タケハニヤスビコという名前ですが、これと似た名前の神が
『古事記』に登場するのです。
 
 イザナミはこの火の神カグツチを生んだ時にお股を焼かれてしまい、それ
が原因で病に臥せってしまいました。
 イザナミがお腹の中のものを吐いてしまった、その中から、
 金山毘古神(カナヤマビコの神)と、
 金山毘売神(カナヤマビメの神)
の、2神が生まれました。
 また、大便からは、
 波邇夜毘古神(ハニヤスビコの神)と、
 波邇夜毘売神(ハニヤスビメの神)
の、2神が生まれました。

と、あり、ハニヤスビコの神なる神が登場します。土(はに)というから土
の神とされています。
 しかも、製鉄の神であるカナヤマビコ、カナヤマビメと同じく、カグツチ
誕生に関連して生まれる神です。
 カグツチは火の神であり、「カグ」は香久山の「香」に通じますが、土の
神と考えられているハニヤスビコとハニヤスビメが火神と関係しているのは
無視できません。

 大阪府堺市から和泉市にかけて広がる陶邑窯跡群。この陶邑で作られた陶
器が大和の大神神社の祭祀に用いられていたのですが、陶器は朝鮮半島から
伝わったものであり、陶邑の工人たちも渡来人ではなかったかと言われていま
す。
 ところが、この陶邑周辺からも銅鐸が出土しているのです。

 『播磨国風土記』にも、多くの伊和の大神やアシハラシコオとアメノヒボ
コの国占め争いに関する記事に混じるかのようにして、神前郡の項に次の
ような神話が記されています。

 埴岡(はにおか)の里。土は下の下なり。埴岡の地名の由来は、昔、大汝
命(オオナムチノミコト)と小比古尼命(スクナヒコネノミコト)が、
 「土の入った荷を担いで遠くまで行くのと、大便をガマンして遠くまで行く
のと、どちらが可能か」
と、言い争って、
 「それでは、吾は大便をガマンして行こう」
と、オオナムチが言った。
 「それでは、吾は土の入った荷をかついで行こう」
とスクナヒコネが言った。
 こうして2神は争って歩き始めたが、数日後、オオナムチは、
 「もうこれ以上はムリだ」
と、言ってしゃがみこみ大便をした。
 それを見てスクナヒコネは笑い、
 「吾ももうムリだ」
と、言って土の入った荷をこの岡の上に投げ捨てた。
 それが埴岡の地名の由来である。
 また、大便をした時に、便が小竹に弾かれて衣に付いた。それで波自賀
(はじか)の岡という。
 この時の大便と土は石となって今も残っている。
 また、いわく。応神天皇がこの地を訪れた時、宮をこの岡に作り、
 「ここの土は埴として用いることができるだけだ(農業には向いていない)」
と、おっしゃられたのが埴岡の地名の由来と言う。


・・・つづく