小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

594 大国主に秘められた製鉄の性格 その15

2017年06月03日 01時28分42秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生594 ―大国主に秘められた製鉄の性格 その15―
 
 
 このように見てみると、倭氏は製鉄と関わりを持っていたと見られるわけですが、その倭氏の
祭祀する倭大国魂神が大国主と結びつくようになったのです。
 これと同じことと言えるのが先に採り上げた播磨の伊和大神です。伊和大神も元は大国主とは
別神だったと思われるのが、いつ頃か大国主と同神とされるようになったのです。
 伊和大神はアシハラシコオと同様、『播磨国風土記』にアメノヒボコとの土地争いが描かれて
いますが、アメノヒボコの本拠である但馬国出石郡(現在の兵庫県豊岡市出石町)には伊福部
神社が鎮座します。
 主祭神は素戔嗚命(スサノオノミコト)で、配祀が天香山命と伊福部宿禰命となっていますが、
社伝によれば、元は天香山命が主祭神で伊福部連が創建したものといいます。
 つまり、出石にも伊福部氏がいたということにもなるのですが、伊福部神社は式内社の大生部
兵主神社の論社のひとつでもあり、兵主神社、伊福部氏、天香山命、と、製鉄に関わる名前が
重なり合っています。
 
 そして、播磨に目を向けると、こちらにも伊福部氏が祭祀を司る神社が存在します。
 揖保郡の粒坐天照神社(いいぼにますあまてらす神社)です。
 
 揖保郡の地名は、『播磨国風土記』にある、アシハラシコとアメノヒボコが土地の占有争いをした
時にアシハラシコオが、先に国占め(くにしめ)を行おうと、粒丘に登って食事をしましたが、口から
飯粒がこぼれ落ちた、という神話から来ているといわれています。
 なお、鎮座地の現在の地名は兵庫県たつの市龍野町で、祭神は天照国照彦火明命(アマテル
クニテルヒコホアカリノミコト)です。すなわち天香語山命(天香山命)の父神ですが、その社伝には、
推古天皇2年(594年)、現たつの市の関村に、伊福部連駁田彦(いふくべのむらじふじたひこ)の
家の裏に異様に輝くものが出現し、それは、容姿端麗な童子に姿を変えると、自分は天照国照彦
火明命の使いである、と言い、駁田彦に稲種を授けた、とあります。
 
 祭祀氏族の伊福部氏は、『先代旧辞本紀』では、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニ
テルヒコアマノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)の子で、天香語山命とは異母兄弟の宇摩志麻治命
(ウマシマヂノミコト)を始祖とすることが書かれているので、火明命を祭祀していても不思議はない
のですが、『因幡国伊福部臣古志』では、大己貴命(大国主)を始祖とする、と記されているのです。
 
 もっとも、『播磨国風土記』には大己貴命の御子神として火明命という神が登場しますし、『因幡国
伊福部臣古志』には、大己貴命の8世の孫として、櫛玉神饒速日命の名が記されているので、ここ
でも大国主と結びつくようになっていったようです。
 
 さて、話が前後して申し訳ないのですが、奈良県橿原市の竹田神社に話を戻したいと思います。
 竹田神社の祭祀氏族が竹田川辺連ということはすでにお話ししたことですが、平安時代のはじめに
編まれた医学書『大同類聚方』には竹田川辺連に伝わる「たけた薬(太計太薬)」が載っています。
 
 「太計太薬、大和国十市郡竹田神社祝、竹田川辺連秀雄之家之方なり」
 
 それと同時に、『大同類聚方』は、「たけた薬」が竹田連にも伝わることを記しています。
 
 「太計多薬、対馬国下県郡阿麻氐留神社の宮人箘田連(竹田連)重宗の家伝流所方」
 
 竹田川辺連が火明命五世の孫、建刀米命を始祖とするのに対して竹田連は神魂命(カミムスヒノミコト)
十三世の孫、八束脛命を始祖としていることが『新撰姓氏録』にあります。
 
 上記の『大同類聚方』に記された内容では、竹田川辺連が大和国十市郡の竹田神社の祝、竹田連が
対馬国下県郡の式内社の阿麻氐留神社(あまてる神社)の宮人となっています。
 葛木国造を賜った剣根命は高魂命(高御産霊神)の五世の孫ですが、対馬国下県郡の式内社には
高御魂神社があります。
 
 『日本書紀』には、顕宗天皇三年に、阿閉臣事代(あへのおみことしろ)に日神から、
 「磐余の田をわが祖、高皇産霊に献上せよ」
と、神託があったので磐余の田を十四町献上し、対馬下県直(つしまのしもつあがたのあたい)に日神を
祀らせた、とする記事があります。
 対馬下県直に祭祀させたということは、中央が神託をした日神を対馬に坐す神と見ていたものと思わ
れるのですが、ここに不思議な一致があるのです。
 それというのは、対馬国下県郡には、竹田連が祭祀する阿麻氐留神社と、高皇産霊神を祀る高御魂
神社があることと同様に、大和国十市郡には、竹田川辺連が祭祀する竹田神社と高皇産霊神を祀る
目原坐高御魂神社(めはらにいますたかみむすび神社)が存在するのからなのです。
 
 竹田神社は多神社の若宮であると伝えられていますが、目原坐高御魂神社は多神社の外宮であると
『多神宮注進状』にはあります。

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