小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

646蘇我氏の登場 その12

2019年05月13日 01時40分38秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生646 ―蘇我氏の登場 その12―


 妙な、と言うと少し語弊がありますが、しかしながら不思議なほどの関係性が丹生川上
神社から広がるのです。その関係性とは水銀を軸とした倭氏と出雲です。
 ですが、そのことに触れる前に丹生川上神社について語っていきたいと思います。と、
言っても以前にも採り上げた内容ですので、ざっくりとおさらいです。

 丹生川上神社は、実は倭氏が祭祀を司る、奈良県天理市の大和神社(おおやまと神社)の
別社です。このことは大和神社の『大倭神社註進状』に「別社丹生川上神社」と記されて
いますし、『類聚三代格』のでも、大和神社神主の大和人成が、別社丹生川上雨師神について
解状を出したことが記されています。また『延喜式』の中にも丹生川上神社の祈雨神祭は
大和神社の神主が赴いて行う、とあるのです。

 別社とは言え丹生川上神社の社格は高く明神大社です。
 丹生川上神社が鎮座するのはかつての大和国吉野郡ですが、延喜式』の神名帳には、吉野郡に
神社は十座と記され、うち大社が五座、小社が五座となっています。つまり丹生川上神社は
五社ある大社のうちの一社となるわけですが、他の四社のうちの一社に金峯神社があります。
 社名にすでに金という言葉が含まれている金峯神社の祭神は製鉄の神とされている金山彦命
(カナヤマビコノミコト)なのです。

 吉野郡は丹(水銀)の採取地でもありました。『日本書紀』に登場する水無も吉野郡にあった、
と言われています。
 神武天皇は八十梟帥を攻略する際に、倭氏の祖シイネツヒコと宇陀のオトウカシに天の香具山の
社の土を採取させて上で、その土を使って天の平瓫(あめのひらか)八十枚を作らせますが、
次に神武天皇はこの八十平瓫を使って飴(たがね)を造らせます。
 飴(たがね)とは水銀と他の金属との合金と解釈されていますが、その飴を造った場所が水無
である、と『日本書紀』に記されているのです。
 興味深いのはシイネツヒコと行動を共にしたのがオトウカシであったことです。
 オトウカシは宇陀で神武天皇に従った土着の人物なのですが、宇陀には大和水銀鉱山が存在
するのです。

 『古事記』、『日本書紀』がともに記しますが、紀伊から大和に向けて出立した神武天皇の軍は、
吉野でイヒカ(『古事記』では井氷鹿、『日本書紀』では井光)という神に出会います。この神は、
光る井という名前が示すように、水銀の採坑を表わしていると考えられています。
 このイヒカが吉野首(よしののおびと)の祖である、と言うことも『古事記』、『日本書紀』
ともに記しています。つまりイヒカは吉野と非常につながりの深い神と考えられるわけですが、
このイヒカが葛城でも祀られているのです。
 葛城市の長尾神社では、水光姫命(ミヒカヒメノミコト)と白雲別命が一緒に祀られているのです。
 水光姫命はイヒカのことで、この名は神武天皇から与えられたものだといいます。
 ところが、この「葛城市の神社」というところに注意を向ける必要があります。
 実は長尾神社からさほど距離が離れていない所に当麻(たいま)のちがあるのです。
 当麻と言えば、『日本書紀』の垂仁天皇七年の記事に、野見宿禰が当麻蹴速(たいまのけはや)の
所有していた当麻の土地を賜ったとあります。
 この記事によれば、野見宿禰は出雲の人で、垂仁天皇の命を受けた市磯長尾市によって大和に
連れてこられた、とされます。

 土師氏は野見宿禰(のみのすくね)を始祖としますが、『日本書紀』の垂仁天皇七年の記事には、
野見宿禰が当麻蹴速(たいまのけはや)の所有していた当麻の土地を賜ったとあります。
 そのいきさつは、豪勇を誇った当麻蹴速と対等に闘える者をつれてまいれ、という垂仁天皇の
言葉により、倭氏の祖である市磯長尾市(いちしのながおち)が出雲から野見宿禰をつれてくるの
です。そして野見宿禰と当麻蹴速が闘い、結果野見宿禰が蹴速を打ち殺したので蹴速の所領を賜った
というものです。
 なお、野見宿禰は出雲の人と記されていますが、実際には因幡の人であったと考えられています。

 さて、吉野郡と丹生川上神社に話を戻しますが、『延喜式』にある吉野郡の大社五座のうち、
丹生川上神社の格は三番目になります。 
 と、言うのも貞観元年(859年)に丹生川上神社はそれまでの正四位下から従三位を賜って
いるのですが、同じ大社であるに吉野水分神は従五位下から正五位上に、吉野山口神は同じ従五位下から
従五位上に、金峯神は従三位勲八等から正三位に、そして残る一社が従一位から正一位を賜っている
からです。この中では従三位の丹生川上神社が三番目に高いことになるわけです。
 それでは最高位となる正三位を授かった「残る一社」ですが、それは大名持神社です。
 大名持神社の祭神は、大名持御魂神(オオナモチミタマ神)が主祭神で、須勢理比咩命(スセリヒメノ
ミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が配祀されています。
 オオナモチとは言うまでもなく大国主の別名のひとつで、スセリヒメはスサノオの娘であり大国主の妻
です。そして、スクナヒコナは大国主とともに国作りを行った神です。つまりは出雲の神を祀っているの
です。

 それでは、なぜ吉野郡で出雲系の神々が祭祀され、その神社が吉野郡の神社の中で最高位を授かったのか、
残念ながらその理由は分からないのですが、ひとつの仮説として水銀採取を挙げることができるのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿