小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

207 能登に残る出雲の信仰

2014年06月19日 01時07分41秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生207 ―能登に残る出雲の信仰―


 『古事記』には、タケミナカタは大国主の御子神と記されてはいますが、不思議な
ことに大国主の系譜には登場しない神です。
 ただし、その他の伝承では、大国主と高志の沼河比売(ヌナカワヒメ)の間に生ま
れた神だと伝えられています。

 大国主と高志のヌナカワヒメについては、『古事記』では。八千矛神の歌物語として
登場します。
 だいぶ前に、八千矛神の歌物語に物部氏やその同族の婇氏が関係しているとお話し
しましたが、それに、男神が大国主ではなく八千矛神として描かれていることからも、
どうやら出雲の伝承ではないのではないか、とよく言われます。

しかし、大国主の妻神のひとりに高志のヌナカワヒメという女神がいたことは、『出雲
国風土記』にも書かれてはいるのです。
 嶋根郡美保の郷に、

 「天の下造りしし大神(註:大国主のこと)が、高志の国に坐す神意支都久辰為命
(オキツクシイノミコト)の御子俾都久辰為命(ヘツクシイノミコト)の御子奴名宜波
比売命(ヌナガワヒメノミコト)を妻問いして生まれた御穂須須美命(ミホススミノミ
コト)が坐すので美保という」

という記事があり、御子神はタケミナカタではないけど高志のヌナカワヒメの名が記さ
れています。

 また、『播磨国風土記』の、大国主とホアカリの伝承には、大国主の妻として弩都比売
(ノトヒメ)という女神の名が登場します。ノトというのは能登のことでしょう。
 高志(こし)とは越のことですが、当時の大和周辺の人々にとって、高志も能登も、
北陸地方を指す地名だったとも考えられます

 その北陸地方に目を向けると、石川県に出雲系の信仰が伝えられているのです。

 石川県羽咋市にある気多大社(けた大社)は能登国一の宮なのですが、大国主を祭神
としているのです。
 この気多ですが、『古事記』に登場する稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)の神話の
舞台も因幡の気多の崎に共通します。

 他にも、オオナモチ(大国主)を祀る大穴持像石神社(おおなもちかたいし神社)や
スクナビコナを祀る宿那彦神像石神社(すくなひこのかみがたいし神社)が存在します
し、スサノオの妻クシナダヒメを祀る久志伊奈太伎比神社もこの地方には存在するの
です。

 そして、羽咋市の北に位置するところに、羽咋郡志賀町安津見という地名が存在する
ことに、安曇氏の足跡を認めずにおれません。
 志賀町という地名は安曇氏の本貫である志賀島と同名ですし、安津見という地名は安曇
そのものです。

 こうなると、安曇氏が出雲系の神々に関係しているとしか思えません。

 そういったところで、ふたたび信濃とタケミナカタと安曇氏に話を戻します。

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