小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

617 物部氏と出雲 その5

2017年12月22日 02時30分24秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生617 ―物部氏と出雲 その5―


 そうしたところで話を越智氏に戻しますと、今治市の大山祇神社の大祝(おおはふり)には
この越智氏の他に高橋氏がいます。
 『三島宮御鎮座本縁』には、慶雲四年、小千(越智)玉澄の子、高橋冠者安元を大祝に任ずる
勅許があり、この安元が大祝家の始祖である、と記されています。
 越智玉澄は越智国造の系譜で、越智大領であった父の越智玉興の跡を継いで越智大領となり、
後に長男益男に大領を譲り、次男安元を大祝にした、と伝えられています。

 安本が高橋を称したのは、越智郡高橋郷に住み着いたことによるものでしょうが、高橋郷は

 それというのも、『先代旧辞本紀』によれば、ニギハヤヒ十三世孫の物部武彦が高橋連の
始祖で、その甥で十四世孫にあたる物部金が野間連の始祖とあるからです。
 しかも、先述の物部塩古(葛野韓国連の祖)、物部金古(三島韓国連の祖)は、この物部金の
弟なのです。

 同じく矢田についても、『日本書紀』に、武諸隅が「矢田部造の遠祖」と記されていることに
関連してはいないでしょうか。
 矢田部氏は『新撰姓氏録』に5氏あり、次のようになります。

 左京神別 矢田部連(伊香我色乎命の後なり)
 山城国神別 矢田部(鴨県主同祖、建角身命の後なり)
 大和国神別 矢田部(大新河命の後なり)
 摂津国神別 矢田部造(伊香我色雄命の後なり)
 河内国神別 矢田部首(伊香我色雄命の後なり)

 これを見ると、左京の矢田部氏の姓(かばね)は連で、河内国の矢田部氏の姓は首、そして
山城国と大和国の矢田部氏は姓を持っておらず、造の姓を持つのは摂津国の矢田部氏のみと
なります。
 しかしながら、左京、大和国、河内国の矢田部氏はみな摂津国の矢田部造と同族の関係に
あります。
 左京、摂津国、河内国の矢田部氏はイカガシコオの子孫と記され、大和国の矢田部氏は
大新河命(オオニイカワノミコト)の子孫と記されています。
 『先代旧辞本紀』を見ると、イカガシコオの子が大新河命で、大新河命の子が物部武諸隅と
物部大小市(越智直の祖)となっており、つまりは同族ということなのです。

 さて、そのイカガシコオなのですが、大山祇神社が鎮座する愛媛県今治市にはイカガシコオを
祭神とする神社も存在します。
 それが伊加奈志神社(いかなし神社)で、五柱命、五十日足彦命とともに伊迦色許男命
(イカガシコオノミコト)も祀られているのです。
 なお、五柱命とは、『古事記』の天地創生の時に最初に現れた神々、
天之御中主神(アミノミナカヌシの神)
高御産巣日神(タカミムスヒの神)。
 神産巣日神(カミムスヒの神)。
宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂの神)。
 天之常立神(アメノトコタチの神(天之常立神)
のことで、五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)とは垂仁天皇の皇子です。
 だから計七柱の祭神の一柱ではあるのですが、しかし社名の伊加奈志、それに伊加奈志神社
が鎮座する今治市五十嵐の地名は「イカガシコオ」の「イカガシ」が転じたものだと考えら
れています。
 ただ、この五十嵐はかつての新屋郷に比定されています。
 そこで思い浮かぶのが大阪府茨木市穂積の北部に鎮座する新屋坐天照御魂神社です。
 この新屋坐天照御魂神社の祭祀氏族はやはり物部氏と同族の新家氏なのです。

 なお、新屋坐天照御魂神社は西福井、西河原、宿久庄にそれぞれ計三社あるのですが、
その中でももっとも古いとされるのが西福井の新屋坐天照御魂神社です。伝承によれば
イカガシコオが崇神天皇の命により祭祀を行ったといいます。

 なお、茨木市はかつての三島郡に含まれます。 
 「伊予国風土記逸文」には、今治市の大山祇神社の祭神は摂津の三島からやって来た、と
記されていますから、やはり伊予の大山祇園神社の大祝を務める氏族が摂津の三島と関連が
あったとみてよいかと思います。
 しかしながら、これだけでは問題の、大山津見神が外国からやって来た神だと「伊予国
風土記逸文」に記されている理由の解決にはなり得ません。

 ですが、摂津の三島からその答えがおぼろげながらも見えてくるのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿