小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

632物部氏と出雲 その20

2018年08月24日 01時04分37秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生632 ―物部氏と出雲 その20―


 この歌の意味そのものは、

 「吉備産の鉄の鍬で耕すように手拍子を打ちなさい。私が舞いましょう」

といった他愛もないものなのですが、「吉備の鉄」という部分に引っかかるものがあるのです。

 ちなみに「たらちし」とは後の「吉備の鉄」にかかる枕詞です。
 吉備にかかる枕詞としては他にも「まがね吹く」があり、『古今和歌集』に、

 まがね吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 音のさやけさ

という歌が選ばれています。

 それでは、古代の吉備は製鉄が盛んだったのか、という疑問が当然出てくるわけですが、これに
ついては岡山県古代吉備文化財センターの『古代吉備を探る2』の、第11回「限りある資源を
大切に」(上栫武著)にある吉備の製鉄遺跡に関する部分を引用させていただこうと思います。

 「吉備で、製鉄遺跡は約30遺跡、製鉄炉は100基以上が発掘されており、他地域とは格段の
差があります。
 特に備中の総社市地域に集中しており、西団地内遺跡群・奥坂遺跡群の11遺跡で82基の
製鉄炉が見つかりました。多数の製鉄遺跡からみても、やはり奈良時代までは「まがね吹く吉備」
という状況だったようです。
 このような吉備の鉄生産を支えた背景には、原料の豊富な存在が不可欠です。奈良時代以前には、
製鉄原料として鉄鉱石と砂鉄を使用していたことが、出土遺物の分析から明らかです。

 備中の総社市の両遺跡群や新見市上神代狐穴(かみこうじろきつねあな)製鉄遺跡、備前の
岡山市白壁奥(しらかべおく)製鉄遺跡・みそのお遺跡、赤磐市猿喰池(さるはみいけ)製鉄遺跡
などは鉄鉱石を原料としていました。
 一方、砂鉄を原料とした鉄生産は、美作の津山市大蔵池南(おおくらいけみなみ)製鉄遺跡、
緑山遺跡など、中国山沿いの遺跡で確認していますが、遺跡数は前者に及びません。
 奈良時代以前の製鉄原料は鉄鉱石が主流で、その豊富な埋蔵量が「まがね吹く吉備」たらしめた
と言えるでしょう」

 さて、これらを踏まえた上であらためて出雲と吉備を製鉄でつながりがないかと探してみると、
ひとつの伝承が浮かび上がってきます。
 それはヤマタノオロチ伝承です。

 岡山県赤磐市の石上布都魂神社(いそのかみふつみたま神社)に伝わる話では、当社の本来の
祭神はスサノオがヤマタノオロチを斬った剣、布都御魂(フツノミタマ)だといいます。
 これらは前にもお話したことですが、大和の石上神宮にも吉備の石上布都魂神社の布都御魂が
大和の石上神宮に遷されたとする伝承があり、『日本書紀』の別書にも、

 「オロチを斬った剣は、今は吉備の神部の許にあり」

 あるいは、

 「オロチを斬った剣は、名付けて蛇の麁正(オロチノアラマサ)という。今は石上にある」

と、記されています。

 そして、スサノオがヤマタノオロチを斬った時に、その尾の中から取り出したのが草薙剣で、
この剣は天照大御神から倭姫命に、それがヤマトタケルに渡り、その後は尾張氏に渡されて熱田
神宮にて祀られるようになります。

 さらに言えば尾張氏は大和国葛城の高尾張邑に拠点を持ち、その葛城にはアヂシキタカヒコネを
祭神とする高鴨神社が鎮座します。『出雲国風土記』にもアヂシキタカヒコネは登場するので、
出雲でもアヂシキタカヒコネは信仰されていた、少なくともその存在は知られていたことになり
ます。
 『出雲国風土記』に載るアヂシキタカヒコネの伝承は「もの言わぬ御子」の伝承ですが、すでに
考察したとおり、これは水銀中毒、つまりは製鉄にたずさわる人々の職業病が下敷きとなっている
ようなのです。
 『出雲国風土記』のアヂシキタカヒコネの伝承は三重県四日市市水沢町に鎮座する足見田神社の
伝承と重なりますが、水沢町はヤマトタケル伝承の、三重村の比定地のひとつでもあります。
他にも四日市市には、船木氏ゆかりの太神社や、ホムチワケのお供をつとめて出雲に赴き、その後に
出雲大社の造営を任されたという菟上王を祀る莵上耳利神社が鎮座します。
 菟上王を祀る神社では、同じ三重県のいなべ市に菟上神社があり、菟上王の兄でともに出雲訪問に
大きくかかわった曙立王を祀る佐那神社も同じ三重県の多気郡多気町仁田(にた)に鎮座して
います。しかも『出雲国風土記』のアヂシキタカヒコネの伝承も出雲国仁多郡(にた郡)のもの
です。ともに「にた」という地名であることは偶然で片づけてはいけないように思えます。
 ホムチワケもまた「もの言わぬ御子」であり、その伝承が『出雲国風土記』のアヂシキタカヒコネの
伝承と似通っていることはこれまで何度となく指摘してきたことなのでここでは割愛させていた
だきますが、これらを眺めてれば、出雲と伊勢、葛城、そして吉備が製鉄でつながることがはっきりと
見えてくるのです。

 後は、武渟川別が出雲振根討伐の伝承に登場するのはなぜなのか、という問題です。

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