小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

268 三重村の伝承が語るもの

2014年10月27日 00時53分44秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生268 ―三重村の伝承が伝えるもの―


 さて、話を当麻品遅部君前玉が賜ったという品遅部村に話を戻したいと思います。
 品遅部が、11代垂仁天皇の時代に、口のきけない王子ホムチワケが出雲大神の宮を
訪れたことで口がきけるようになったことにより設置された部民のことだと前回にお話し
しましたが、『播磨国風土記』は、遅部村の条に続いて三重村の記事を載せいているの
です。
 実は、このことは以前にもお話ししたことがあるのです。
 その時は2回にわたって採り上げたのですが、重要なことなので、それでも2度目
だから少し簡潔にお話しさせていただきます。

 そもそも、この三重村の伝承とは、

 「昔、ひとりの女がいた。たけのこを抜き、布に包んで持って帰って食したところ、
足が三重に曲がり起き上がることもかなわず。それが三重の名の由来である」

 と、いうものですが、『古事記』には三重県の三重村が登場します。
 伊吹山で神との戦いに敗れたヤマトタケルは大和への帰路に着きますが、途中、三重村
にたどり着いた時には、ヤマトタケルの足は三重に折れ曲がってしまっていて、それが
三重村の名前の由来、と『古事記』にはあります。
 どちらも、「三重に折れ曲がったため」という理由で三重村の名がきた、というのです。
 三重村が現在のどこに当たるのかについては諸説ありますが、その比定地のひとつに
三重県四日市市水沢町があります。

 この水沢(すいさわ)という地名が問題なのです。
 水沢は「みさわ」とも読めますが、『出雲国風土記』には仁多郡三澤(みさわ)の伝承が
載せられています。

 大神オオナモチノミコト(大穴持命)の御子アジスキタカヒコが大人になっても夜昼泣いて
ばかりで言葉を話すことはなかったのでオオナモチが、夢占いでその原因をさぐったところ、
翌朝、アジスキタカヒコが、
 「御津(みつ)」
と、言ったのでこの地を御津という、そして今は三澤という、という内容です。

 それで、どうして三重村やミサワが播磨の他にそれぞれ三重県や出雲に同じ地名があると
いうことが重要なのか、と言うと、これらがホムチワケ伝承に関わるからです。
 大人になっても言葉を発することがなかった、というのはホムチワケとアヂスキタカヒコネに
共通した伝承ですし、そのホムチワケは出雲大神の宮を訪問することで口がきけるようになり
ますが、その時のお供をした 曙立王と菟上王を祀る神社が、三重県多気郡多気町の佐那神社、
三重県いなべ市の莵上神社、三重県四日市市の菟上神社(現在は、耳利神社が合祀されて莵上
耳利神社)と、三重県にあるからです。

 この共通性ですが、これについて、「水銀中毒」とする説があるのです。
 播磨の三重村の女とヤマトタケルの足が三重に折れ曲がった、というのは水銀中毒による歩行
困難であり、アヂスキタカヒコネやホムチワケが言葉を発しなかった、というのも水銀中毒による
言語障害だったというのです。

 一口に水銀中毒と言っても、その症状は軽度と重度によって異なりますし、無機水銀とメチル
水銀(有機水銀)の違いによっても症状が異なります。
メチル水銀の場合では中枢神経系に影響を与えます。
中毒の初期症状は、四肢末端や口唇周辺のしびれ感で始まり、進行すると手指のふるえ、歩行障害、
求心性視野狭窄などが現れます。
 水俣病もその原因はメチル水銀によるものですが、その症状のひとつとして言語障害が挙げられる
といいます。

三重県三重郡の鎌ヶ岳には良質の水銀が採れるところがあるといい、事実、昔は採掘場があった
そうです。

 水銀のことを古くは「丹(に)」と言い、水銀の採れるところを丹生と呼びますが、曙立王を
祀る佐那神社の鎮座する三重県多気郡多気町には丹生という地名が存在し、ここには丹生鉱山が
あって、1973年(昭和48年)まで採掘がおこなわれていました。
 佐那神社の鎮座するのは多気町仁田ですが、『出雲国風土記』がアジスキタカヒコの神話を
伝えるのも仁多郡です。
仁田も仁多も、「丹田」のことなのかもしれません。

それから、佐那神社が鎮座する多気町仁田のあたりにはJR佐奈駅や佐奈小学校など佐奈の名が
残されていますが、この佐奈は、「鐸(さなき)」から来ているものと考えられます。と、言う
のも、古代の製鉄などに関わっている地には「さなき」につながる地名が残されていることが
少なくないからです。
水銀の採掘される地では鉄などの鉱物も採取されるのです。

『出雲国風土記』の仁多郡の条には、

 「以上の諸郷より出る鉄は堅くして、もっとも雑具(くさぐさのもの)を造るに堪ふ」

と、あり、この地から良質の鉄が採れたことを伝えています。

 さて、品遅部村や三重村の伝承を載せる『播磨国風土記』の賀毛郡の条には、雲潤の里(うる
みの里)の伝承も載せています。
 この雲潤の里の丹津日子神(ニツヒコの神)いう神が登場しますが、「津(つ)」は「~の」
という上代の言葉だと解釈すれば、この神の名は「丹の神」という意味になるのです。

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