大国主の誕生105 ―大物主と出石―
オオタタネコは『古事記』に河内の美努村(みぬ村、みの村)の
人、『日本書紀』には茅渟の陶邑の人とありますが、これは大阪府
の泉北エリアに広がる陶邑窯跡群に比定されています。
ただ、この陶邑から銅鐸が発見されていることから、陶邑が単な
る陶器の製造地帯ではないことがうかがわれます。
アメノヒボコの本拠は兵庫県豊岡市の出石町とされていますが、
ここには、アメノヒボコを祀る出石神社とともに伊福部神社があり
ます。伊福部氏は製鉄に関わる氏族とされていますので、伊福部神
社も伊福部氏と関係があるのかもしれません。しかもここには鍛冶
屋という地名もあるのです。
この地域の西には円山川が流れますが(ちなみに、出石神社と伊
福部神社の間を流れる出石川は円山川の支流です)、円山川の川口
近くの気比からは4個の銅鐸が出土しています。
しかも、そのうちの1個は陶邑から出土した銅鐸と同笵であり、
1個は東奈良遺跡で見つかった銅鐸の鋳型から作られたものなので
す。
さて、『古事記』に記されたオオモノヌシの2つの神婚譚とはま
た別に、『日本書紀』には、モモソヒメとの神婚譚が記されていま
す。
『古事記』のイクタマヨリビメとの神婚譚では、オオモノヌシが
正体を明かさないまま訪れるので、両親は娘のもとを訪れる貴人の
正体を知ろうと、
「今度その男性が来たなら、赤土(はに)を床の前にまき、閇蘇紡
麻(へそお=紡いだ麻糸を環状に幾重にも巻いたもの)を針に通し、
相手の服の裾に刺しておきなさい」
と、言います。
そこで姫は男性が来た時に、親に言われた通りに、相手の服に針
を刺し、次の朝早く見てみると、針に通してあった麻糸は戸の鍵穴
を通って出て行っており、部屋に残っていた閇蘇紡麻はたった三勾
(三輪)だけだった、とあります。そして、糸の先を追いかけてみ
ると、三輪山の神の社へと続いていたので、貴人の正体がオオモノ
ヌシだとわかった、というものです。
モモソヒメの場合では、
「あなたは昼間にはいらっしゃらないので、そのお顔をみることが
できません。どうか今夜はここにお泊まりくださいませ。そうして
朝が来て明るくなった時に、そのうるわしいお姿をお見せください」
と、訴えるモモソヒメに対し、オオモノヌシは、
「そなたの言うことももっともだ。それならば吾は明日の朝、そ
なたの櫛笥(くしげ=櫛を入れておく箱のこと)の中に入っていよ
う。ただし、私の姿を見ても決して驚いてはいけないよ」
と、答えます。
ところが、翌朝モモソヒメが櫛笥を開けてみると、1匹のきれいな
蛇がいたので驚いて悲鳴を上げると、蛇は人の姿に変わり、
「約束にたがえて驚いてしまったね。そなたは吾に恥をかかせた。
だから吾もそなたに恥を与えよう」
と、言うと、空に翔けあがり、御諸山(三輪山)に帰っていってしま
います。
そして、モモソヒメは神が去っていくのを仰ぎ見ながら、過ちを
悔い、その場にへたり込んだが、その時に箸で下腹部を突いてしま
い亡くなってしまうのです。
これらと似た話が「常陸国風土記逸文」に記されています。
昔、兄と妹が同じ日に田植えをした。「遅い時間に植えた者は伊福
部(いぶきべ)の神の崇りにあって殺されるぞ」と、言われていたの
に、妹は遅い時間から田植えを行った。
その時、雷が落ちて妹を殺してしまった。
兄は嘆き、かつ恨んで仇を討とうと思ったが雷神の居場所を知らな
い。
その時一羽の雌雉がやって来て兄の肩にとまった。績麻(へそ=紡
いだ麻糸を環状に幾重にも巻いたもの)を雉の尾羽根にかけると、雉
は伊福部の岳に飛んで行った。
兄が績麻の糸をたどっていくと、とある岩屋にたどり着き、中をの
ぞくと雷神が寝ていたから、刀を抜き、雷神を斬ろうとしたところ、
雷神は、あわてて起き上がって命乞いをした。
「そなたに従い、100年の後もそなたの子孫には雷を落とすこと
はしません」
兄は雷神を許し、また雉に対しては、
「生涯この恩を忘れはしない」
と、誓ったので、以来、この地に住む者は雉を食べない。
績麻を用いて神の住む場所を知る点はイクタマヨリビメのケースと
同じです。
それに、タブーを破ったために神に殺されるところはモモソヒメの
ケースと同じです。
しかし、ここで注意すべきは「伊福部の神」と呼ばれていることで
す。
『播磨国風土記』の揖保郡の項には、出石の出石君(いずしのきみ)
が登場しますが、この話にもタブーが含まれています。
麻打山(あさうち山)。昔、但馬の国の人、伊頭志君麻良比(いず
しのきみまらひ)、この山に居を構えた。
ふたりの女が夜に麻を打つと、やがて麻を胸に置いて死んでいた。
ゆえに麻打山という。
今、この辺りの住む者は夜に麻を打たない。
すると、オオモノヌシの神婚譚には、出石や伊福部の伝承が入って
いることになるのです。
・・・つづく