小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

今夜の春奈は・・・

2013年02月10日 02時38分29秒 | 日記
2010年5月4日(火)(2歳1か月)


 春奈は夜就寝する時に、すんなりと眠りにつく時と
ふとんの中ではしゃいでなかなか寝付かない時とに
分かれる。

 それがいつしか静かになったから、

 「春奈、寝た?」

と、さぐりを入れると、目をパッチリと開けてキャア
キャアと大喜びで騒ぐ。


 今夜もなかなか寝付かない春奈。

 それがまた静かになった。

 そこで、

 「春奈、寝た?」

と、いつものようにさぐりを入れてみると、目をつぶっ
たまま、

 「おきてる」

と、春奈が返事した。

 これは初めてのパターンだ。

 そっけない返事というのは今回が初めてだと思う。

 いわゆるパターンの多様化ってヤツである。

97 開化天皇の系譜

2013年02月10日 02時34分36秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生97 ―開化天皇の系譜―


 竹野神社近くの神明山古墳は全長が190メートルを誇る巨大古墳
ですが、銚子塚古墳や蛭子山古墳などの巨大古墳が4世紀から5世紀
のはじめにかけて丹後に造られました。
 このことは、この地方に強い勢力を持った豪族がいたことを意味し、
それが『古事記』が伝えるミチノウシ王の一族だったのかもしれませ
ん。
 『古事記』には、ミチノウシ王の父ヒコイマス王が崇神天皇によっ
て丹波に派遣され、クガミミノミカサ(玖賀耳之御笠)を殺した、と
記しています。
 ミチノウシ王の同母兄弟にはカムオオネノミコ(神大根王)がいま
す。

 このヒコイマス王とその父開化天皇の系譜には、葛城、南山城、
丹波、それに春日が関係しています。
 『古事記』を読んでいても、ついそのまま読み過ごしてしまいがち
な箇所なのですが、これが意外に重要なことが書かれていたりもする
のです。
 なお、春日という地名は、奈良市の春日神社や興福寺の周辺が有名
ですが、元は奈良県天理市にある地名で、丸邇(わに)氏の奈良市進
出によって春日の地名も運ばれたと考えられています。
 古代豪族の春日氏と丸邇氏は同族ですが、春日氏は丸邇氏から分か
れたとする説と、それとは反対に、丸邇氏から春日氏が分かれたとす
る説があります。

 さて、『古事記』の「開化記」には次のようにあります。

 この天皇(註:開化天皇)、旦波(丹波)の大縣主、名はユゴリ
(由碁理)の娘タカノヒメ(竹野比売)を娶られてお生まれになられ
たのがヒコユムスミノミコト(比古由牟須美命)。

 また庶母イカガシコメノミコト(伊迦賀色許売命)を娶られてお生
まれになられたのが、ミマキイリヒコイニエノミコト(御真木入日子
印恵命)と
ミマツヒメノミコト(後真津比売)の2名。

また、丸邇臣(わにのおみ)の始祖ヒコクニオケツノミコト(日子国
意祁都命)の妹オケツヒメ(意祁都比売)を娶られてお生まれになっ
たのが、
ヒコイマスノミコ(日子坐王)。

 また、葛城のタルミノスクネ(垂見宿禰)の娘ワシヒメ(鸇比売)
を娶られてお生まれになったのが、
タケトヨハヅラワケ(建豊波豆羅和気)。


 以上のことによれば、開化天皇は、丹波氏(丹波縣主)の娘との間
にヒコユムスミを、穂積氏の娘との間にミマキイリヒコ(崇神天皇)
を、丸邇氏の娘との間にヒコイマス王を、
葛城氏の娘との間にタケトヤハヅラ(竹野別の祖)をもうけたことに
なります。


 それから、ヒコイマス王の系譜ですが、やはり「開化記」には次の
ようにあります。

 次にヒコイマス王は、山代(山城)のエナツヒメ(荏名津比売)また
の名をカリハタトベ(苅幡戸辨)を娶られてお生まれになったのが、
オオマタノミコ(大俣王)、
次にオマタノミコ(小俣王)、
次にシブミノスクネノミコ(志夫美宿禰王)の3名。

 また、春日のタケクニカツトメ(建国勝戸売)の娘サホノオオクラ
ミトメ(沙本之大闇見戸売)を娶られてお生まれになったのが、
サホビコノミコ(沙本毘古王)、
次にヲザホノミコ(袁邪本王)、
次にサホビメノミコト(沙本毘売命)、またの名はサハヂヒメ(佐波
遅比売)。この方は第11代垂仁天皇のお后になられました。
次にムロビコノミコ(室毘古王)
の4名。

 また近淡海(近江)の御上(みかみ)に祀られておりましたアメノ
ミカゲの神(天之御影神)の娘オキナガミズヨリヒメ(息長水依比売)
を娶られてお生まれになったのが、
タニワノヒコタタスミノウシノミコ(丹波比古多多須美知能宇斯王)、
次にミズノホノマワカノミコ(水之穂真若王)、
次にカムオオネノミコ(神大根王)またの名をヤツリノイリヒコノミ
コ(八瓜入日子王)、
次にミズホノイホヨリヒメ(水穂五百依比売)、
次にミイツヒメ(御井津比売)
の5名。

 また、母オケツヒメ(意祁都比売)の妹ヲケツヒメ(袁祁都比売)
を娶られてお生まれになったのが、
ヤマシロノオオツツキマワカノミコ(山代之大筒木真若王)、
次にヒコオスノミコ(比古意須王)、
次にイリネノミコ(伊理泥王)
の3名。

 ヒコイマス王の御子は合わせて11名です。


・・・つづく