小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

いえイコールお姉ちゃん?

2012年10月29日 01時03分24秒 | 日記
2009年12月14日(月)(1歳8か月)


 春奈がいつもりえに、

 「いえー」

と、話しかけるので、「いえ」はりえのことだと、家族の
みんなは思っている。

 じゃあ、ゆうきのことは?と、言うと、春奈はゆうきに
話しかける時に、ゆうきの名前は言わない。

 それで、ゆうきが半分すねて、それでも自分の名前も言
わせようと、

 「これ誰?」

と、自分の顔を指して春奈に訊くと、

 「いえ」

と、春奈が答えた。

 「えー?じゃあ、こっちは?」

と、りえを指さして訊くと、

 「いえ」

 「両方イエなん?」

と、訊くと、春奈はそのとおりとばかりに頷いた。

 もしかして、「いえ」とは、りえのことじゃなくて、
「おねえちゃん」という意味なのか?

 だけど、「いえ」はあくまでもりえのことで、「お姉
ちゃん」を指す代わりの言葉としても使用しているだけ
のことのように思える。

北野田講演会

2012年10月29日 00時34分52秒 | ヒッポファミリークラブ
2012年10月28日(日)

 今日はヒッポファミリークラブ堺市東区北野田ファミリー
の秋の講演会2コマ目でした。
 
 あいにく朝から雨で講演会の始まる午後から小雨に変わり、
終わったころには完全に上がっていましたが、天気が悪いと
人も来てくれないものですね。
 もっとも晴れなら晴れで行楽シーズンのこの時期どれだけ
の人が来てくれるのかわかりませんが、秋の講演会は、たく
さん来てくれることも多々あるものです。

 結局、今日来て下さったのは2組。
 そして1組が新しい仲間になってくれました!!!
 前に体験会に来て下さったご家族です。すでにヒッポの
活動は体験済みで、今日の講演会で仲間になってくれた
のです。

 講演会にはヒッポのフェロウによる基調講演がつきもので、
今日の講師は、神戸市でファミリーをされているJun2
(じゅんじゅん)。もちろんヒッポネーム(ニックネーム)
です。

 ところで、私自身は昨日の夜から体の調子が悪くて、講演
会直前まで寝ており、終わった後もまた寝て、といった具合
で・・・。講師の講演中にも何度となく記憶が飛んでいた
状態。Jun2には申し訳なかったです。

 講演会の後は体験会も別に用意しましたが、2組とも参加
してくださいました。

 しかし、今回講演を聴き、参加された2組の家族のお母さん
たちのお話も聴き、そしてヒッポのメンバーたちの話も聴いて
いて思ったことは、
 「子供はヒッポを多言語として活動している」
と、いうことです。

 ヒッポファミリークラブは、多言語の自然習得、というこ
とをしています。
 多言語は、日本語も含めた21か国語です。
 だけど、大人は「日本語と20の外国語」としてとらえて
はいないでしょうか? ふと、そう思ったのです。

 ヒッポがしているのは「多言語」であって「他言語」では
ありません。
 世界中のすべての言語は同じ人間の言葉だとするところか
ら始まるのです。

 うちの4歳になる末娘の春奈にとって、ヒッポでやってい
る言葉はまさしく「人間の言葉」そのもので、日本語だ外国語
だといった区別はないに等しい状態です。

 これが大きくなるとどうなるでしょうか?うちの12歳に
なる双子のお姉ちゃんたちは?
 ヒッポの子供たちというのは、うちの子もそうなのですが、
いろんな国の人たちと会う機会があるので、外国の人も日本
人もみな同じ「人間」だと思っています。
 わが家にもたくさんの人がやって来ました。
 だから、スペイン語は、「うちに来たエクちゃんが話して
いた言葉」だし、韓国語は「うちに来たキラちゃんが話して
いた言葉」ととらえているようです。
 すべて、同じ「人間」が話している言葉なのです。

 子供の方が大人よりも多言語の習得が早い、とよく言われ
ますが、歳は関係がない。
 それよりも、「多言語」か「他言語」か、その認識の違い
なのかもしれません。

 外国語ではなく多言語。だからヒッポの多言語活動は誰
でもできる、話せる、そんな活動なのかもしれませんね。

37 大国主と太陽神たち

2012年10月29日 00時28分54秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生37 ―大国主と太陽神たち―


 しばしば日本神話において伊勢は陽で出雲は陰、と言われることが
あります。
 伊勢が太陽神アマテラスの坐す地なのに対して出雲は黄泉の国への
入り口がある地とされていますし、大和から見て伊勢は太陽の昇る方
角で出雲は太陽の沈む方向、というのも陰と陽のイメージを与える理
由の一つになるでしょう。

 たしかに、『古事記』や『風土記』のオオクニヌシは大地に足を付
けて国作りに励んでいる印象を与えます。
 ところが、その一方でオオクニヌシにも太陽神の顔が見られる箇所
があるのです。
 それは、『日本書紀』の中にある、スクナビコナに去られたオオク
ニヌシの前に、海を照らしながら三輪山の神がやって来て「吾は汝の
幸魂奇魂」と名乗る場面です。
 ここでの三輪山の神は太陽神としての形をなしており、さらにオオ
クニヌシの分身であると語っているのです。
 これに対して『古事記』の方では、海を照らしながらやって来た神
は、ただ「自分を祀れば国作りはうまくいく」と、祭祀を要求するだ
けで、オオクニヌシの分身であるとはしていませんが、オオクニヌシ
が太陽神を祀る司祭者となり地上界の王になったわけで、いわば太陽
神の独占に成功したと捉えることができるでしょう。

 また『播磨国風土記』の飾磨郡の項では、オオナムチ(オオクニヌ
シ)はホアカリの父神とされています。
 ホアカリと言えば、これも太陽神と考えられている神です。

 ホアカリは、正しくは天火明命(アメノホアカリノミコト)といい
ます。『古事記』のホアカリは、アメノオシホミミの子とされており、
ホノニニギの命の兄です。そしてアマテラスの孫になります。
 オオクニヌシの国譲りの後、アメノオシホミミが葦原中国に降り立
つはずでしたが、ちょうどホノニニギが生れたので代わりに生まれた
ばかりのホノニニギを葦原中国に降臨させます。
 『日本書紀』も同じ話を載せていますが、異伝として、ホノニニギ
とコノハナノサクヤビメとの間に生まれた神としていたり、アマノキ
セノミコトとアタツヒメとの間に生まれた神としています。
 ホアカリとは「穂赤熟」の意味である、とする考える研究者も多く、
その意味なら農耕神と捉えられますが、『先代旧辞本紀』では、天照
国照彦天火明尊(アマテルクニテルヒコホアカリノミコト)とされた
り、あるいは天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコ
アメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)とされ、天照(アマテ
ル)神と同神としていることから太陽神と考える説もあるのです。
 アマテル神は、をはじめ海人系の氏族たちに祀られる神で、その中
の一氏族海人(あま)氏とホアカリを祖とする尾張氏が関係の深いこ
とから合体した可能性も考えられます。
 もう1つの名の方ではさらにニギハヤヒも加えられていますが、ニ
ギハヤヒもまた太陽神と考えられているのです。
 ニギハヤヒは記紀の中は、天磐船に乗って大和に降り立った天つ神
としていますが、名前の中に「日」があること、アマテラスをはじめ
世界に、太陽神が天翔船に乗るとする神話あることも、この神が太陽
神であったと考えられる理由になっています。

 それから、このニギハヤヒの子孫を称するのが、物部氏や穂積氏た
ちで、このニギハヤヒ系の氏族たちと、穂積氏から出たイカガシコメ
が孝元天皇の后となって生んだヒコフツオシノマコトの命の子孫であ
る氏族たちが陶邑窯跡群の周辺に拠点を持っていたことは前回お話しし
ましたとおりです。
 大和の三輪山に坐すオオモノヌシを祭祀する者として大阪府の陶邑に
いたオオタタネコが連れられてきた理由もあるいはそのあたりにあるの
かもしれません。
 三輪山が御諸山と呼ばれていた時代、この山に坐す神は雷神でした。
それが太陽神に代わった時に、ニギハヤヒを戴く氏族たちのいる大阪府
から新しい司祭者を連れてこなければいけなかった理由なのかもしれま
せん。

 『日本書紀』の「持統紀」6年の記事に、この年の2月29日(もち
ろん旧暦です)に持統天皇が伊勢に行幸しようとしたところ、三輪高市
麻呂が、「田植えの時期に入るので農民が大変になる」という理由か
ら職を辞して諫言したとあります。
 このため出発は3日遅れることになるのですが、天皇が伊勢行幸を決
行したことについて『日本書紀』は、

 天皇、諌めに従いたまわず遂に伊勢に幸す

と、記しており、この表現は、三輪高市麻呂の方に正当性がある、とす
るものになっています。
 つまり『日本書紀』が編纂された時代においても、天照大御神が唯一
無二の太陽神と認められていたわけではなかったことが推測されるので
す。

 そして、『先代旧辞本紀』のアマテルクニテヒコアメノホアカリクシ
タマニギハヤヒノミコトという神名だけでなく、記紀にもまたニギハヤ
ヒを祀る物部氏、ホアカリを祀る尾張氏、オオモノヌシを祀る三輪氏が
結合していることが、記されているのです。
 それが、オオモノヌシの国譲りで活躍したタケミカヅチ神です。

・・・つづく