小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

26 天皇と神託

2012年10月16日 01時55分58秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生25 ―天皇と神託―


 さて、この当時の天皇とはどのような存在だったのでしょう?

 天皇とは、祭祀を行う者の頂点にいる存在です。

 崇神天皇の時代に、疫病が流行し、この時三輪山のオオモノ
ヌシの神が、
「オオタタネコに吾を祀らせれば疫病は治まる」
と、天皇に告げたことは何度かお話ししました。


 『日本書紀』では、この時、まず崇神天皇7年の春2月に、
オオモノヌシがヤマトトビモモソヒメノミコト(倭迹迹日
百襲姫命)に憑依して、
 「国が治まらぬことを憂うる必要はない。吾を祀れば必
ず国は安らかになる」
と、告げ、天皇はオオモノヌシの祭祀を行いますが、疫病は
一向に治らず、そこで天皇が再び神に占うと、その夜、天皇
の夢の中にオオモノヌシが現れ、
 「天皇よ、憂うるではない。国が治まらないのは吾の意思
である。わが子オオタタネコに吾の祭祀を行わせればたちど
ころに国は治まり、また海外の国もおのずと従うであろう」
と、告げます。
 そして、8月に、ヤマトトハヤカムアサヂハラマクワシヒメ
(倭迹速神浅茅原目妙姫)と、穂積臣の始祖オオミクチノス
クネ(大水口宿禰)と、イセノオミの君(伊勢麻績君)の3人
が共に同じ夢を見て、天皇に、
 「昨夜夢の中にひとりの貴人が現れまして、『オオタタネコ
ノミコトをして大物主大神を祀らせ、イチシノナガオチをして
倭大国魂神を祀らせれば必ず天下は治まる』と申しました」
と、報告をしたので、天皇は、これは間違いないとお考えにな
られ、オオタタネコを見つけだして大物主大神を祀らせという
ことでした。

 つまり、崇神天皇は自らの占いで大物主の宣託を受けながら
、ブレーンたちが同じ宣託を受けてから初めて行動に移してい
るのです。

 また14代仲哀天皇のケースを見てみましょう。
 
 仲哀天皇が九州の熊曾を討とうした時のことです。『古事記』
も『日本書紀』もともに、オキナガタラシヒメ神功皇后)が神託
を行ったとあります。
 この時、『古事記』では、タケシウチノスクネが審神者に
なったとあり、『日本書紀』では、タケシウチノスクネが神託の
結果を天皇に報告する役目を担い、中臣烏賊津使主(なかとみの
いかうおみ)が審神者を務めたとあります。
 そして、記紀ともに伝えていますが、この時仲哀天皇は神託を
信じなかったために神に命を奪われてしまうのです。

 崇神、仲哀両天皇のエピソードから見るかぎり、天皇は、ブレー
ンたちの神託を受けてから祭祀を行っていたようです。
 崇神天皇の場合は、国が安らかに治まるように、との祭祀。
 仲哀天皇の場合は、戦争に国土獲得のための祭祀。
 どちらも国家的な事業のための祭祀です。地域のことに関する
祭祀は、土地の豪族や神主でも行えますが、こと国家のことにな
ると天皇の取り行うところだったのでしょう。
 また、ブレーンの受けた神託に対して、祭祀を行う、行わない、
は天皇の決断に委ねられたであろうことも仲哀天皇のケースから
もうかがえます。
 ただし、そのことによって人心が離れることもあったのではな
いでしょうか?仲哀天皇の悲劇や、魏志倭人伝にある、男王では
国が治まらなかったために卑弥呼や壱与が王になったように。

牛だけは「ちゃん」付け

2012年10月16日 01時49分43秒 | 日記
2009年11月14日(土)(1歳7か月)


 夜、なかなか春奈が寝ない。

 あげくに布団から抜け出して牛のおもちゃで遊び始めた。

 「モーモーちゃん、モーモーちゃん」

と、言っている。

 なるほど、牛は「モーモーちゃん」なのか。

 よく幼児が、犬を「ワンワン」、ネコを「にゃんこ」と
言うけど、牛の場合は「モーモーちゃん」か。

 しかし、なぜ「ちゃん」が付くのだ?

 何か理由があるのかもしれない。

 まだ、それが何なのかはわからないけども。