小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

パンダもネコのうち

2012年10月27日 00時53分02秒 | 日記
2009年12月8日(火)(1歳8か月)


 春奈が、

 「ハロー」

と、言った。

 これは最初の頃は、

 「はる」

だった。だから、最初のうちは、自分の名前を言っている
と思っていた。それが、

 「はりょー」

に変わって、それがとうとう「ハロー」になった。

 進化が完成したか。乳幼児の言葉というのはすべてがこ
んな調子で作られていくものなんでしょうな。


12月12日(土)(1歳8か月)


 みんたから、春奈がパンダを「ニャンニャン」と呼んでい
たという話を聞かされた。

 「でも中国語でパンダは熊猫やから間違いではないのかな?」

と、みんた。

 そう言われて、ふと気づいたことがある。

 春奈がいつもバナナのことを「あまな」というけど、バナナは
漢字で書けば甘蕉で「あまい」という字が入ってる。

 じゃあ「あまな」も間違いではないのかも。

35 『日本霊異記』の役小角

2012年10月27日 00時43分54秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生35 ―『日本霊異記』の役小角―


 この韓国氏の一族からは、韓国連広足という医師で呪術者が出ました
が、
広足の師が役小角(えんのおづぬ)でした。役の行者ともいわれます。
 『日本霊異記』では、役小角は高鴨朝臣(鴨君の子孫)の家の人間で
あった、と伝えられますが、この『日本霊異記』の中で、役小角はすぐ
れた呪術者で、神をも使役したため一語主の神が天皇に讒言をし、小角
は伊豆に流されます。流刑先で小角は海の上を歩いたり、空を飛んで富
士山で修業をする、という生活を送っていた、と書かれています。

 さて、伊豆半島の根元に三島市があり、三嶋大社があるわけですが、
伊豆半島の賀茂郡にはなんと、実に12社もの三島神社があるのです。
ただし、12の三島神社のすべてがコトシロヌシを祀っているわけでは
ないようです。

とりわけ大いに興味をひかれるのが、同じ静岡県の伊東市にある比波
預神社の祭神です。
ここに祀られている主祭神はカリハヨスタキヒハヨノミコト(加理波夜
須多祁比波預命)という神で、伝承によれば、ミシマノミゾクイの長男
で、海上よりやって来てこの地を開拓した神で宇佐美の氏神として祀ら
れた、とされています。

 『日本霊異記』に登場する一語主の神は、葛城の一言主のことと言わ
れていますが、コトシロヌシもまた葛城の神で、葛城の鴨君の子孫であ
る役小角の伝承も加えて、摂津の三島郡と葛城には妙に縁があります。
 三島と葛城のつながりはそればかりではありません。
  『日本書紀』の「皇極紀」三年の項に、中臣鎌子連が、神祇伯(か
むつかさのかみ)に任命されたのに、再三にわたってこれを固辞し、三
嶋に隠遁した、とあります。
 中臣鎌子とは、後の藤原鎌足なのですが、隠遁の地が三島(三嶋)と
いうのは、この地が中臣連に縁があったと考えるべきでしょう。
 『新撰姓氏録』には、この三島を治めた氏族として中臣大田連の名が
登場しています。
 また、茨木市と高槻市の境にある阿武山に築かれた阿武山古墳に埋葬
されていた人物は藤原鎌足ではないかと考えられていますし、鎌足が、
大化の改新における乙巳のクーデターを計画した際に、仲間として中大
兄皇子に推挙したメンバーのひとりに葛城稚犬養連網田(かつらぎのわ
かいぬかいのむらじあみた)という人物の名前が見えます。
 それに、三島郡 ところで、先の島本町にある武内神社は別名を春日
神社ともいいますが、茨木市には春日神社の名を持つ神社がいくつも存
在しているのです。
 春日神社は、奈良の春日大社がその代表格ですが、これは中臣連の祀
るアマノコヤネを祀っている神社です。
 それと、この島本町の武内神社では武内宿禰を祭神にしています。
 武内宿禰(タケシウチノスクネ、タケウチノスクネ、タケノウチノス
クネなど呼び名は多数あり)は、『古事記』の「孝元記」に、

 またウツシシコオノミコトの娘イカガシコメノミコト(伊迦賀色許売
命)を娶られて、お生まれになったのが、
(比古布都押之信命)。
(中略)
ヒコフツオシノマコトノミコト、尾張連などの祖意富那毘(オオナビ)
の妹葛城之高千那毘売を娶って生まれたのが味師内宿禰(ウマシウチノ
スクネ)、また木国造の祖宇豆比古(ウヅヒコ)の妹山下影日売を娶っ
て生まれたのが武内宿禰。

とあり、穂積氏、尾張氏、紀氏などが絡む伝承になっています。
 そればかりではありません。「孝元記」には、さらに、

 この武内宿禰のお子は合わせて9名。男子7名女子2名。
ハタヤシロノスクネ(波多八代宿禰)は、波多臣、林臣、波美臣、星川
臣、長谷部君の始祖。
次にコセオカラノスクネ(許勢小柄宿禰)は、許勢臣、雀部臣、軽部臣
等の始祖。
次にソガノイシカワノスクネ(蘇賀石河宿禰)は、蘇我臣、川辺臣、
田中臣、高向臣、小治田臣、桜井臣、岸田臣等の始祖。
次にヘグリノツクノスクネ(平群都久宿禰)は、平群臣、佐和良臣、
馬御樴連臣等の始祖。
次にキノツヌノスクネ(木角宿禰)は、木臣、都奴臣、坂本臣の始祖。
次にクメノマイトヒメ(久米能摩伊刀比売)。
次にノノイロヒメ(能能伊呂比売)。
次にカツラギノナガエノソツビコ(葛城長江曾都毘古)は、玉手臣、
的臣、生江臣、阿芸那臣等の始祖。
次にワクゴノスクネ(若子宿禰)は、江野財臣の始祖。

と、記されており、紀氏もこの武内宿禰系とされていますし、蘇我氏や、
飛鳥周辺に拠点を持つ氏族たちの名前が並びます。
 それと、見逃してはいけないのが、蘇我氏や坂本氏、玉手氏、的氏と
いった、大阪府に拠点を持つ氏族たちの名も並んでいることです。
 その中でも、坂本氏は、現在の和泉市に拠点を持っていた氏族で、和
泉市阪本町、東阪本町周辺にいたと考えられているのですが、ここはオ
オタタネコと須恵器集団がいたとされる陶邑窯跡群遺跡に隣接したとこ
ろなのです。
 坂本氏は、和泉市の他にも河内国高安郡(現在の大阪府八尾市)にも
拠点を持っていましたが、ここは渡来人系の春日戸氏がいたところで、
天照大神高座神社(あまてらすおおみかみたかみくら神社)もあります。
天照大神高座神社は、元は春日戸氏の神を祭祀していたものと考えられ
ていますが、いつしかアマテラスを祀るようになったようです。天照
(アマテル)の名を冠した神社は、これまでに紹介した鏡作坐天照御魂
神社や新屋坐天照御魂神社のようにいくつかありますが、天照大神の名
を冠する神社はここだけです。
しかも、社伝などによると、この神社は、元は伊勢の山田原に鎮座して
いたものを雄略天皇の時代にこの地に遷したといいます。山田原といえ
ば、ここに屯倉を設置したと伝えられているのが、物部氏と同族の新家
連阿久多で、雄略天皇と伊勢と物部氏、それに物部氏と同族関係にある
婇氏の関係は、八千矛神のところで述べたとおりです(第11回「八千
矛の神の天語歌」~第14回「天語歌と采女の伝承」)。

・・・つづく