さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

どうやら僕自身のことが心配されているように感じます

2022-03-17 23:36:32 | 肺炎
昨日の退院支援計画担当者の電話の中で、「痰の吸引を実際に病院でやってもらいましょう」との話がありました。
僕は今日にでもその日程の打診があるのではと一日中電話が来るのを待っていました。
しかし、電話は来ませんでした。

待ち人からの電話は入りませんでしたけれど、ケアマネさんから5時に電話が入りました。
その内容は簡潔なもので「28日の月曜日に訪問看護の看護師さんと私とで伺いますね」というもの。
僕とさっちゃんの今後について話し合いの場を持ちたいと言うのです。
昨日のH口さんもそうですし、ケアマネさんも同様ですけれど、言葉の端々から僕単独での自宅介護・看護への心配の気持ちが漏れ出ています。

「やってみないと分からない。頑張ってみないと分からない」との想いだけで、自宅介護・看護に突入する僕を不安に感じるのでしょう。
正しく出来なくてさっちゃんを傷つけたり、容態を悪化させたり、共倒れになったりすることを心配してくださっているのだと思います。
僕も何も知らないことだらけですから、やってみなければ分かりませんし、周辺の人たちの反応を見ながらフィードバックするしかない部分もあります。
親身になって考えてくださる方々の存在がとても有難く感じられます。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

さっちゃんの認知症は加速度的に進行しているように思えます。
意味性認知症の影響で、失語症はますます重いものになっているようです。
さっちゃんの理性や感情がどんな風なのかまったく分かりません。
理性は衰えているでしょうけれど、感情面はどうなのでしょう。
笑顔さえ見ることが出来れば、僕はそれだけで満足なんですけれど。

昨年の11月末骨折で入院し、途中10日間だけ自宅に居ましたけれど、再び肺炎で入院。
さっちゃんは歩けなくなり、立てなくなり、座れなくなりました。

さっちゃんはその精神、感情、肉体すべてにおいて極度に衰えてしまっています。
でも不思議なことに、さっちゃんの精神面・感情面・肉体面での存在感が薄れるのに反比例して、僕の心の中での存在感は強烈になって来ています。
今のさっちゃんの存在が僕の支えとなっており、僕を憐れみ深くし、心豊かにしてくれています。
僕はこれまでの人生の中で最も豊かな心の状態のように思います。
それは今のさっちゃんが僕に与えてくれているものです。
一日の中で、何度も何十度も温かな涙が滲み出ます。
僕は高校時代に味わった悲しい出来事のせいで、自分の涙は涸れ尽したと思っていました。
でも、さっちゃんのお陰で温かく豊かな涙の出る自分になれているようです。
コメント
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