さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんに再び転機が訪れたようです

2024-07-30 01:09:31 | 中心静脈栄養

7月29日13時50分、I老健の相談員のS田さんから電話がありました。

さっちゃんの簡単な現状報告の後、「今日4時ころに来れませんか?」と言います。

医師からの説明があるようです。

もちろん、行くことにしました。

 

I老健へ行き、面談室で待つ間、いろんなことを考えます。

最悪の事態も考えるのですが、詳細な情報がまだありませんから、漠然としか考えられません。

しばらくして、いつもの高齢のお医者さんと少し遅れて看護師さんが来ます。

お医者さんはもごもごとした喋り方で、あまりよく聞き取れないことも多くあります。

女性の看護師さんが明瞭に話してくださって、あまり耳の良くない僕にとっては助かりました。

 

医師と看護師の話の要点はこうです。

・先々週からの肺炎治療は継続中。

・薬、水分、栄養の投与は点滴(末梢静脈栄養)で行なっている。

・しかし、点滴ではせいぜい100kcal/日ほどしか与えられない。

・その状態がずっと続いている。

・しかも、点滴の注射針を刺せる場所があまりない。(硬くなってしまうし、さっちゃんは血管が凄く細い)

・胃瘻からの栄養補給再開も考えられるが、誤嚥する可能性は高い。

・胃瘻から投与し、胃液と反応して少し固まるタイプのものを試す選択肢もある。(それでも誤嚥が心配なようです)

 

この状況の解決策として中心静脈栄養という方法をお医者さんは言うのです。

通常の点滴のことは末梢静脈栄養と言うそうです。

腕や足など、心臓から離れた末梢から投与するからです。

それに対して、中心静脈栄養は心臓に近いより太い血管から投与するのです。

血管も太く血流も速いので高カロリーを投与できるのだそうです。

もちろん直接血液中に投与するわけですから、24時間かけてといった感じでゆっくりと投与するみたいですね。

現況のすぐには肺炎が完治しそうにないさっちゃんの低栄養状態を解決する有効な手段が中心静脈栄養だと言うのです。

 

ところが、これには以下のようなことが付随します。

・老健ではこの医療処置は施せない。

・老健を退所して病院に入院する必要がある。

 

このような理由もあって、医師から僕への説明の場が持たれたわけなのですね。

さらに、ここから生じる僕が決めなければならない事柄があるのです。

そうです、二者択一になるのです。

ひとつは、病院へ入院して中心静脈栄養のための装置を増設すること。

もうひとつは、入院せずこのままI老健に残り、今のままを続けること。

 

I老健に残ると言うことは、ほぼ確実にこのまま看取りへと繋がっていくことでしょう。

看取りの状態に入ると、個室に入り、毎日直接の面会も可能になります。

コロナ禍であることは変わりませんから、15分間だけのようですが。

 

お医者さんと看護師さんからの話の大筋は以上のようなものでした。

さっちゃんが自分の状況を理解でき、どうしたいか意思表示できれば最善なのでしょうが、望むべくもありません。

僕が決定しなければなりません。

最初に肺炎になって救急隊員から決断を迫られたのが最初でした。

その後、1回か2回あったでしょうか、僕はさっちゃんの生殺与奪の権行使を強要されました。

これまでは常に涙と共にを選びました。

今回は涙が自然に流れるような緊急突発的な事態ではありません。

ゆっくりと考えることが出来ます。

とは言え、2、3日中に決定しなければならないのですが。

ただ、お話を伺いながら、僕の心の中では選ぶべき道は決まっていました。

 

最後に嬉しい申し出がありました。

さっちゃんに会えるというのです。

この老健内のさっちゃんのいる部屋で、さっちゃんの横になっているベッドで会えるというのです。

その時僕は、「カメラを持ってくればよかったなぁ」などと考えていました。

もっとまともな感想を持てないものでしょうかね。

 

さっちゃんの部屋は3階にあります。

エレベーターで3階に行くと、「広いフロアだな~」といった印象でした。

中央に広く病院のナースステーションのような場所があります。

それを取り囲むように部屋があります。

病院の入院病棟とよく似た雰囲気ですが、それよりもすべての部屋と中央にあるスタッフさん達がいるエリアが近いのですね。

さっちゃんのいる部屋に通されました。

ベッドが5つくらいあったかな、詳しくは観察していません。

他のベッドにはどなたもいませんでした。

夕食時間だったのでしょうか?

 

さっちゃんのベッドに来ました。

さっちゃんが目を開けて僕を見てくれます。

何やら声も出してくれます。

僕は久し振りにさっちゃんの手を握りました。

最初は左手、そして右手とも。

けっこう汗をかいている掌でした。

部屋ではさっちゃんはマスクはしていません。

鼻にチューブが入っていて、酸素が入っています。

ガラス越しの面会時はマスクをしていますから、さっちゃんの口の表情が分かりません。

でも、今は目と口とでさっちゃんの表情が伝わって来ます。

そんなさっちゃんの表情は僕の決断を後押ししてくれました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2度の面会と、7月の面談がありました

2024-07-11 23:06:49 | 面会

7月2日(火)、さっちゃんとの面会をしました。

妹のK子さんも来てくださいました。

暑い中、電車とバスを乗り継いで、僅か15分の面会時間のために来てくださいます。

有難いことですね。

 

▲14:30。K子さんが声を掛けてくれます。も唄ってくれました。写真では目を瞑っているさっちゃんですが、よく目を見開いて、こちらを見つめてくれていました。

 

この写真で注目して欲しいのは、さっちゃんの腕と脚です。

まずですが、さっちゃんは両腕が拘縮していて、胸の前でXに組んだ状態になっていました。

でも、この日の腕は組まれていません。

そして、は右足が拘縮していて、140度くらいに曲がったままなんです。

でも、この日はそれほどは曲がっていなかったように見えます。

何故なら、右足の靴の位置が左足とさほど大きくは変わらないからです。

 

▲14:31。先日の胃瘻交換をする前に、髪の毛を整えたようですね。上の方は髪はピンピン立っていますけれど、下の方は短くなっていますね。時々、声も出してくれました。

 

7月5日(金)、15時半から相談員のS田さんとの面談が行なわれました。

部屋に入って来られて真っ先に、「あんなに素敵な表情をするんですね」と嬉しそうに語ります。

一体、さっちゃんはどんな表情を浮かべたんでしょうかね?

恐らくは笑顔なんだと思います。

I老健で手厚い介護を受け、多くの見慣れたスタッフと接し、落ち着いた生活が送れているからでしょうね。

僕もこの老健でスタッフとしてさっちゃんに毎日会いたい気分です。

 

先日の面会で感じたさっちゃんの腕と脚の拘縮について聞いてみました。

S田さんはこんな風に話してくれます。

「緊張すると、腕をグッと組んで身構えるようにするんですよね」

「だから、まずは緊張感をほぐしてあげることが大切なんですよ」

なるほど、そうなのかもしれないな、と思いました。

 

体温や血圧等はここのところ安定しているようです。

便秘なのは相変わらずですが、排便はそれなりにあるようですね。

栄養補給も毎日10時16時に合わせて800kcalですが、嘔吐もなく順調なようですね。

ただ、液体状の栄養物ですから常に嘔吐の可能性はあるのでしょう。

ゼリー状の栄養物を与えることも検討しているようです。

ゼリー状なので胃から食道へ、さらに口の方へと逆流して行きにくいことは、何となく理解は出来ます。

ただ、液体と比較して、胃の中に一挙に入りますから、胃がびっくりして負担も増すのではないでしょうか?

詳細については聞かされていませんし、始めるとしたらいつからなのかも聞いていません。

まずは可能性について、僕に知らせてくださったのでしょうね。

 

7月9日(火)、14時半からさっちゃんと面会を行ないました。

▲14:37。最初は目を瞑っていたさっちゃんでしたが、面会時間の間中、ほとんど目を開けてくれていました。面会が終わると、また目を瞑っていたようです。僕のことを見てくれているんだと、思いたいですね。

 

▲14:43。前回同様、腕を強く組むことはありません。右ひじを車椅子の肘のせにのせています。写真では写っていませんが、右足もそれほど曲がっていないように見えました。

 

この日、僕は「ふるさと」の歌詞をメモして唄いました。

3番まで唄い、1番を再度唄いました。

「ウサギ追いし かの山  こぶな釣りし かの川

     夢は今も めぐりて  忘れがたき ふるさと」

「いかにいます 父母  つつがなきや 友がき

     雨に風に つけても  思いいづる ふるさと」

「志を はたして  いつの日にか 帰らん

     山は青き ふるさと  水は清き ふるさと」

さっちゃんもこの歌を口ずさもうとしたからかどうかは分かりませんが、時々「あ~」とか声を出してくれました。

 

この日はさっちゃんの洗濯物も受け取りました。

浴衣タイプの寝巻き3着とガウンタイプのが1着、他にも下着とズボンがありました。

これまでで一度の洗濯物としては一番多かったですね。

水曜日に洗濯して、木曜日にI老健へ持って行きました。

梅雨時で雨も時々降ったり湿度も高いので、木曜日の昼まで干していました。

浴衣タイプの2着は脇の下あたりが破れていました。

破れ終わりの箇所をそれ以上破れが進まないように止めの結びをしておきました。

もと通りに直すには、縫い方が複雑で、僕には出来そうにありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

胃瘻の交換をしました。6ヶ月おきくらいに行ないます

2024-07-03 11:38:06 | 胃瘻

6月29日(土)、この日はさっちゃんの胃瘻の交換日です。

前回、12月16日に交換しましたから、もう6ヶ月が経ったのですね。

 

僕は付き添いをするためにI老健へ8時10分までに行かなければなりません。

自転車で30分ほどかかりますから、7時半には家を出ます。

ゆっくりと朝ご飯(パンですけれど)を食べる時間がありませんから、バナナ1本食べました。

I老健に到着すると、介護タクシーがすでにスタンバイしていました。

 

▲8:19。さっちゃんも予定通り1階に降りて来て、介護タクシーに乗りました。退院した時以来の直接対面です。ほぼ1ヶ月ぶりですね。I老健に戻ってから、車椅子の角度が少しずつ立って来ていますね。車ですから、左右に揺れたりガタガタしたりしますから、さっちゃんは不安なのではないでしょうか?

 

▲8:33。病院に着きました。受付を済ませ、呼ばれるまで待ちます。視線は上向きになっていますが、しっかりと目を見開いていますね。「何事なんだろう?」と思っているのかもしれません。すぐ近くでさっちゃんと居ることが出来て、僕は嬉しいですけれどね。

 

しばらくすると、看護師さんが来て、処置をする部屋まで連れて行ってくれました。

処置室に入り、看護師さん2人で車椅子から処置台の上に移します。

「旦那さんも足を持ってくださいね」と言われましたから、移す際に僕も協力しました。

30kgないほどの体重ですから、僕の協力もたいして影響しないのでしょうけれどね。

 

▲9:15。胃瘻の交換自体はすぐに終了します。終了後、最初に出て来た医師が僕に説明してくれます。腹厚が少し広がったみたいで、今は2.0cmなのですが、「次回は2.5cmにしたいと思います」と言われました。次回は来年の1月になるようです。

 

▲9:34。介護タクシーに再び乗車して、I老健へ帰ります。さっちゃんは何を思っているのでしょうね? さっちゃんの手を握って、僕はいろいろと話しかけます。

 

病院での費用は1100円、介護タクシー往復料金が6960円でした。

早朝からバタバタして大変ですけれど、さっちゃんと直接会える喜びもありますし、時間もさしてかかりません。

帰宅後、ゆっくりとコーヒーを淹れて、いつもの朝食を作りました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

I老健での面会は最頻でも週1回です

2024-06-21 14:43:07 | 面会

5月6日から26日間の誤嚥性肺炎による入院でした。

肺炎自体はなって欲しくない事ですけれど、悪いことばかりではありませんでした。

病院では毎日15分間は病室で直接面会できたのです。

19回の面会が出来ました。

入院と退院の日にも会えていますから、それも入れると21回ですね。

さっちゃんと会うのが日課のようになっていました。

ある意味、嬉しい日々でした。

コロナやインフルエンザなどへの対応がしっかりしている病院ならではなのでしょうね。

 

ところが、老健へ復帰するとそうはいきません。

病院ほどの強固な対応力はないでしょうから、致し方ありません。

最頻でも、週1回のペースでしか面会できません。

しかも、直接ではなく窓越しです。

I老健へ再入所してからは2回の面会が実現しています。

 

6月14日(金)14:33。顔が少し上向きの姿勢でした。僕もガラスの前で立ち上がってさっちゃんと目を合わせます。

 

6月19日(水)14:35。テレビで認知症患者の音楽記憶について放送がありました。普通の言葉を含めての記憶のあり方と音楽記憶が異なっているそうです。音楽記憶は残り易いそうです。ですから、この日は何曲かを口ずさんでみました。「夏が来れば思い出す~♫(曲名は忘れました)」「故郷」「海は広いな~♫(これも曲名は忘れました)」を歌いました。でも、歌詞を準備していませんでしたから、ちゃんとは唄えてません。さっちゃんにとっては歌詞は関係ないのかもしれませんが、やっぱりちゃんと唄いたいですよね。さっちゃんも僕の歌に少し反応したように感じます。僕の勝手な思い込みかもしれませんけれどね。

 

次回の面会申込みを電話で行ないました。

電話でするのがルールなんです。

でも、何と何と! 翌週は予約で全部埋まっていました。

次回は7月になってしまいます。

これからは次週分を予約するのではなく、翌々週分を予約しなければなりませんね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無事退院し、I老健に戻りました

2024-06-03 22:47:26 | 肺炎

病院と老健の対応力の違いなんでしょうが、病院では毎日さっちゃんに直接面会できるのが嬉しかったですね。

老健に戻ると、さっちゃんに対してのキメ細かな介護があって、僕もより安心ですし、さっちゃんも心地よいのではと思います。

ただ、老健に戻ると、直接面会は出来なくなります。

窓越しの通話機を使った面会です。

 

5月30日16:21。病院での最後の面会です。いつも通り、僕がさっちゃんの目の前に顔を出すと、「あ~う~」と何やら小声で少し喋ります。僕の顔の印象、記憶が少しでも残っているのなら嬉しいですね。

 

この日はその後で『オッペンハイマー』を観るので、面会は15分で切り上げました。

さっちゃん、ご免ね。

『オッペンハイマー』は3時間もの大作で、アカデミー賞も受賞しています。

しかし、感動作とは思えませんでした。

扱っているテーマが重いばかりで、映画としては失敗作ではないかと感じてしまいました。

映画として観せるのではなくて、書籍として読ませるべき作品だと思いました。

 

5月31日6時半にアラームで目を覚ましました。

この日はです。

バタバタと準備をし、前日の食器を洗い、朝食を作りました。

自転車でなく、歩いて病院まで行くので、早めに家を出ます。

病院に着くと、入退院受付で入院費を精算しました。

そして病室へ行き、さっちゃんの荷物を背負って来たザックに詰めます。

介護タクシーの会社が用意してくれたストレッチャーにさっちゃんは移されています。

で、介護タクシーの運転手さんと病院を出ました。

病院の玄関を出ると、いきなりの強風でさっちゃんに掛けられていた薄手の羽毛布団が飛ばされてしまいました。

地面に落ちて少し濡れた面を上にして、さっちゃんに掛け戻します。

そのストレッチャーは介護タクシーにしっかりと固定できるようになっていますね。

 

5月31日9:43。介護タクシーの中です。僕はさっちゃんの横の席に座ることが出来ました。さっちゃんは真上の天井を見つめ続けていました。よく揺れますし、右や左に移動しますから、さっちゃんはどんな気分なんでしょうね?

 

I老健に到着すると、さっちゃんはしばらく玄関ロビーで待たされます。

ストレッチャーから老健のリクライニング車椅子に移されました。

羽毛布団もなくなったので、さっちゃんの荷物からミニ毛布2枚と肩掛けを掛けてあげました。

コロナの抗体検査(だったかな?)の陰性結果待ちです。

陰性が分かると、僕もさっちゃんも面談室へ。

さっちゃんは体重を計ると、3階へ行ってしまいました。

これで、しばらくは姿を見ることが出来なくなります。

 

その後、さっちゃんの荷物を老健の人に渡し、医師の説明を受けます。

再入所になりますから、入所手続きの幾つかの書類にサインしました。

次回面談予定が決まり、この日やることの全てが終了しました。

 

雨は止んでいて、買い物をしてからシティバスで帰宅しました。

疲れました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月末の退院が決まりました。嬉しくもあり、寂しくもあり

2024-05-29 23:13:00 | 肺炎

痰の吸引は4時間おきくらいになってきていますから、I老健へ戻れる条件は整いつつあります。

病院はI老健よりも近く、15分間だけですけれど、毎日面会もできます。

しかも、直接面会できますから、手で撫ぜたり、鼻を擦り付けたり、唇を当てたりだって出来ました。

I老健では窓越しの面会週1回だと思います。

寂しい限りです。

退院の日が近づいていることを肌で感じ始めていました。

 

5月27日16:57。うたた寝してしまって、目が覚めて、慌てて時計を見たら、16時半でした。一瞬、「これは無理だ、今日は面会できない」と思いましたが、すぐに気を取り直して急いで準備。自転車で病院へ。面会が許される時間は17時までです。それまでにNSに到着すればいいと思い、ぎりぎりセーフ! いったん病室に入れば、許された15分間いたって構いません。あまり長くなると、事務の方が声掛けに来ますけれどね。僕の手も写っていますね。さっちゃんの手、額、顎、頬、鼻、肩、・・・・。あらゆるところを僕は触り、撫ぜます。

 

病室に入って、僕はさっちゃんが目を開けているかどうかをまず見ます。

五分五分くらいの確率で目は開けていますね。

目が開けられていたら、何か喋っていないかなと聞き耳を立てます。

極々たまには喋っていることもありましたが、普通は無口です。

それから、さっちゃんの顔の前に現われて、「さっちゃ~ん、こんにちわ!」と挨拶するんです。

さっちゃんは表情は変わらないのですが、「あ~、う~」などと喋り始めるんです。

そういうことなどを確認するのが、嬉しいですよね。

 

5月28日16:00。この日は一日中雨予報の日でした。歩いて病院へ行こうと外へ出ると、雨は降っていません。道路も乾いています。すぐに戻って、自転車で行くことにしました。そろそろ洗濯物があるころと思っていたのですが、ありません。この3日間の排便記録は全部「-」です。寝巻きが汚れることはありませんしね。

 

写真では撮れませんでしたけれど、さっちゃんの表情が一瞬笑ったように感じられました。

大笑いを10、無表情を0とすれば、どれくらいの笑いのレベルかと言えば、1か2でしょうか。

「僕の気のせいだよ」と言われれば、そうかもしれませんね、反論できません。

でも、ちょっとでしかありませんが、笑ったように見えたんです。

それだけで、僕は幸せを感じることが出来ました。

 

5月29日15:49。この日はちょっと大人しいさっちゃんでした。目を開けている時間がいつもの半分くらいでした。開け方もあまりパッチリではなかったですね。眠たかったのでしょうか?

 

NSで事務の方に呼び止められました。

相談室と連絡を取ってくださったようです。

「ここで会いますか? それとも後ほど電話で話されますか?」

僕はここでしばらく待つことにしました。

相談室に連絡を取ろうとしてくださいますが、なかなか繋がりません。

しばらくすると、電話(院内用?)を持って来て、「これで話します?」と。

で、相談室の方と話をしました。

「痰の吸引が1日5回くらいまでになっているんですよ」

「I老健さんでもこれくらいの状態なら受け入れは可能だということです」

「退院が可能な状況ですが、どうされますか?」

もちろん、僕としても退院には賛成です。

老健では介護面が病院よりも充実しますから、さっちゃんもより心地よく過ごせることでしょう。

「では、月末の退院にしましょうね」

と言うことで、5月31日(金)の退院が決定しました。

 

この後で、入退院手続き窓口で入院費用のおおよその額を教えてもらいました。

退院の日に支払う必要があるからです。

退院は嬉しいことですが、毎日直接面会できなくなると思うと、寂しくもありますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さっちゃんの退院は嘔吐があって延期になりました。今月中に退院できるかな?

2024-05-26 23:09:29 | 肺炎

いろいろとやらないといけないことがあったりして、バタバタと暮らしています。

僕自身も遊ぶところはしっかりと遊び、それが自らのリハビリにも繋がっていますし。

さっちゃんとの面会も日常のルーティン化しています。

もう退院している予定でしたが、嘔吐があって延期されました。

 

5月16日。この日は天覧山での岩トレをしました。自分自身のリハビリを兼ねて、岩にも少し触っておきたかったのです。平日なので独りで行なうことになるだろうと思っていたら、2人も一緒にやってくれることになりました。嬉しいことですね。天覧山に向かう時、病院から電話がありました。退院についての話でした。

 

この日までは、さっちゃんは20日退院することに決まっていたのです。

 

5月17日15:05。この日はさっちゃんの妹さん二人が面会することになっていました。僕も妹さんにお願いすることがあったので、病院には行っていました。ところが、さっちゃんはこの日、嘔吐して熱も少し出たようです。薬の投与もあったでしょうから、この日のさっちゃんは目を閉じて眠り続けていました。妹さん達には不運な日でした。

 

NSの事務の方が、僕に「ちょっとだけなら面会していいですよ」と言ってくださいます。

面会ルールでは2人までですから、もう僕は面会できないはずなのです。

嬉しいことですね。

それで写真も撮れました。

目は閉じたままです。

嘔吐したとのことですから、洗濯物もあります。

家でチェックすると、右袖に嘔吐物が付着していました。

胃液のようなものなのでしょうか?

それほど大量ではありませんから、洗濯はそんなに大変ではありません。

 

5月18日16:50。嘔吐の影響が心配されましたが、大丈夫でした。熱も下がったようです。少しは誤嚥があったかもしれませんが、肺炎を悪化させるほどではなかったようです。

 

5月19日11:39。僕のリハビリ山行に付き合ってくれているT橋さんと二人で奥多摩を歩いて来ました。倉沢見通し尾根ですが、途中、廃村にも寄ったりしました。この日のゴールだった一杯水避難小屋では10数年ぶりの出会いもありました。20年ほど前、よく一緒に岩、沢、雪山へ行っていた若者です。結婚後、危険な山行は止めて、今は50代になりましたが、フリークライマーとして5.14クライマーになっています。凄い! 僕同様、シロヤシオを見に来たそうですが、どうやら今年は裏年のようですね。写真は倉沢見通し尾根上部の落葉広葉樹林です。この辺りがとても綺麗です。

 

5月20日16:26。この頃からの正確な記憶が無くなっていますね。さっちゃんの体調にも変化はないようでしたし。

 

どの日だったかは覚えていなかったのですが、洗濯物が便で汚れていたことがもう1回ありました。

前回と比べると、微々たる汚れでしたから、洗濯も楽でしたね。

 

5月21日15:47。19日の山行の筋肉痛が残っていたのですが、天覧山に誘われました。体を動かした方が筋肉痛にも好影響かと思います。写真は、ちょっと変化のあるルートにチャレンジしてもらった時のものです。

 

5月22日15:30。体調も安定しているので、退院の話も再び持ち上がって来ました。

 

5月23日16:28。いつものことですが、僕が目の前に現われると、何やら声を発してくれます。看護師さんやPTさんが来た際も何やら喋るみたいですね。この日だったか、点滴の針を看護師さんが足の血管に入れようとしていました。さっちゃんはその瞬間、痛いですから足を動かし、痛がる声を発します。

 

5月24日16:41。体調は安定しているようですね。痰の吸引も最初のころは2時間おきとのことでしたが、もう4時間おきくらいになっているようです。

 

5月25日16:15。この日、僕は沢登りする予定でしたが、前日からの腰痛が回復せずに行かないことになりました。で、さっちゃんの元へ。そろそろI老健へ戻る話も具体化するのではないでしょうか。

 

5月26日成木の森トレイルランに参加したS上さんと夕方T川で会いました。

お仲間のランナー二人とも一緒です。

約20kmの山道を3人とも3時間とちょっとで走り抜けたそうです。

凄いですね!

さっちゃんには明日会いに行きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さっちゃんの退院が近いかもしれません

2024-05-17 22:13:07 | 肺炎

5月14日の朝9時41分、前日にひき続き病院から電話がありました。

前日のこともありますから、さほど心臓には負担がかかりませんでした。

前日に「相談員の方からも電話が行くと思います」と言われていましたし。

とは言え、やっぱり病院からの電話は嫌なものです。

 

やはり相談員さんからでした。

さっちゃんの転院先や療養病棟への移動についてだろうと思いました。

ところが、そうではありませんでした。

なんと! なんと! いきなり退院についてでした。

 

5月14日15:23。この日のさっちゃんはどんな風だったのでしょう? この日の面会から数日後に書いていますから忘れてしまいました。僕だって数日後にはいろいろ忘れてしまうことがあるのですから、さっちゃんは僕が連日面会に来ていることを覚えていないのかもしれませんね。それでも、僕は会えることが嬉しいです。

 

この日も朝に、退院についての電話が掛かって来ました。

内容は前日のと同じですね。

 

5月15日16:40。この日もさっちゃんはよく目を開けてくれています。それに何やら喋ってもくれます。意味は感じられませんが、僕に語りかけてくれてるように感じます。僕がいない時、一人でいる時は、こんな風に声を発しているのでしょうか? 目の前に人がいるから喋っているのだとすると、やっぱり僕に語りかけているんだと思います。

 

僕の勝手な思い込みなのかもしれませんが、さっちゃんは僕を見つめてくれていると思います。

もちろん、赤ん坊がそうであるように人の顔をとりわけ強く認識しているだけなのかもしれませんが。

 

この日は洗濯物も箪笥の棚の中に入っていました。

メモ用紙が貼ってあって、どうやら汚れているようです。

汚れているということは、便か尿か、ですね。

帰宅してから、洗濯物をチェックしてみました。

浴衣の寝巻きのお尻より下に便がたっぷり付いていました。

オムツから漏れて出て来たんですね。

お風呂場で便で汚れた部分にお湯を掛けて便を落とします。

バケツで受けているので、バケツの中のお湯をトイレの便器に運んで流します。

お湯を掛けるだけでは落としきれませんから、結局最後は素手で落としました。

ヌルッとした感触が手に感じられます。

自宅で介護していた頃にも便との格闘はよくありましたから、久し振りで懐かしくさえありますね。

浴衣の寝巻きに付着したヌルッとした手触りがほぼ無くなって、その寝巻きを洗濯機にかけました。

洗い終えて見てみると、便で汚れた部分が黄色っぽくなっています。

どうすればいいんだろう?

あっ、そうだ! 漂白剤を使おう!

これまでの人生で僕は漂白剤なるものを使ったことがありません。

探してみると、ありました。

さっちゃんが買っておいたのですね。

細かな文字で書かれた使用方法を何とか読み解いて、バケツにお湯と漂白剤を入れました。

そして、そこに寝巻きの黄色く色の付いた部分を浸しました。

書いてあった時間浸して、ビニール手袋をはめた手で絞って確認すると、黄色みが消えています。

さらにお湯で何度かすすいで、2度目の洗濯機にかけました。

洗濯終了し、薄暮の中、ベランダにひとつ寝巻きを干しました。

その日の晩はそれから雨なんです。

でも、翌日(16日)は山の仲間と天覧山で岩トレしますから、朝はバタバタしています。

とりあえず、夜から干しておくことにしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連日、さっちゃんと面会できるのが嬉しいですね

2024-05-14 13:17:40 | 肺炎

5月7日(火)は、本来ならばI老健でS田さんと面談を行なう日でした。

入院すると、いったん退所扱いになるようで、入所者ではありませんから面談もありません。

そればかりか、さっちゃんの持ち物を全部持って帰らなければならないんです。

まあでも、持ち物のほとんどは入院生活で必要なものでしょうから、どうせ運ばなくてはならないのですけれどね。

 

この日は午後から雨が降りやすくなる予報でしたから、雨の予報と睨めっこしながら、自転車で出かけました。

100リットルの登山用ザックを持って行きます。

I老健に着くと、さっちゃんの荷物が手押しの荷台に載せられて大きな段ボール箱に入っていました。

たいした量はなくて、70か80リットルくらいの量で収まりました。

そして、病院へ自転車を走らせます。

さっちゃんの居る病棟のNSへ行くと、面会の手続きをします。

荷物は適当に備え付けの箪笥に入れればいいとのこと。

5月7日14:39。さっちゃんは窓際のベッドにいました。マスクはしてなくて、酸素チューブは鼻に入っています。頭の下にはアイスノンのようなものがあります。勿論いろんなセンサーや点滴も。

 

写真の右端にちょっとだけ見えているのが箪笥です。

細長くて、容量はほんの少しです。

そこに衣類や口腔ケア用のもの、入院中に必要そうなものを入れました。

寒い時用の膝掛のようなもの等は持って帰ることにします。

 

荷物整理が終わると、さっちゃんのそばへ。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」

「大変だったね~」

「目を開けてごらん」

と語りかけます。

老健での面会と違うのは、さっちゃんが目の前に居ること。

さっちゃんの手を持ち、時々顔を撫でたり出来ることです。

さっちゃんはどう思い、感じているんでしょう?

解熱剤も投与しているでしょうから、この時はさほど熱は高くありませんでした。

そして、ほんの時にですけれど、目を見開いてくれます。

うっすらと半分ほど見開くだけですけれど、僕を見てくれます。

僕のことを分かってくれているかどうかは分かりません。

でも、その一瞬だけでも見てくれれば、ほんのちょっとは幸せな気分になれます。

 

5月8日14:53。酸素チューブが鼻から外れましたね。それだけ容態は良くなっているのだと思います。この日はあまり目を開けてくれませんでした。でも、この写真では左目が少しだけ空いてますね。

 

ティッシュがなかったので、家から持って来ました。

前日は病院の用意した寝巻きを着ていましたが、この日はさっちゃん自身の寝巻きでした。

看護師さんは浴衣タイプの方がいいと言っていましたが、着ているのはパジャマタイプのでした。

看護師さんが来たので、「今日は熱が下がって来たようですね」と僕が言うと、

「でも、朝は40度ちかくあったんですよ」とのこと。

痰の吸引も2時間おきに行なっているそうです。

 

5月9日15:59。ほんの時々、うっすらと目を開けてくれるさっちゃんです。この日は左目だけでなくて、右目も一緒に開けてくれることがありました。この写真も、右目が本当にうっすらと開いてるように見えますね。

 

この日はなかなか目を開けてくれませんでした。

と言うか、完全に寝ている様子でした。

それでも、「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん、目を開けてごらん」と呼びかけ続けました。

だいぶん経って、声を発するようになり、目をうっすらと開けてくれました。

しかも、両目を。

まあ、すぐに目は閉じるんですけどね。

さっちゃんの両手はかなり拘縮していて、胸の前で組んだ状態になっています。

指も握った状態になっています。

その握られた左手の指の中に、僕の指を差し込みます。

僕はさっちゃんの指を擦り、手の平を擦ります。

さっちゃんは赤ん坊のように僕の指をちょっと強く握るように持つんです。

赤ん坊と同様の反射反応なのでしょうかね?

 

箪笥に紙が貼られていて、オムツチェックの記録(多分)が記されていました。

尿と便の記録が+と-で記されています。

尿は常に+、便は全部-でした。

看護師さんが来たので、さっちゃんが便秘気味だと話すと、

「まだ食事をしていませんからね」と言います。

胃瘻からの食事をしていないので、排便が無いのが普通だと言うことでしょう。

栄養も水分も今は点滴を通じて摂っているんですね。

看護師さんに、家からタオルとバスタオルを持って来たことを告げました。

 

5月10日、病棟のNSへ行くと、

「今、1階で検査してますから、しばらくデイルームで待っていてください」と言われました。

で、待っていると、事務の女性が

「4時半くらいに検査が終了するそうです」

「エレベーターで上がって来ますから、来たら一緒に病室に向かってください」

と伝えに来てくれました。

5月10日16:46。検査帰りなのでマスクをしていますね。出かけていたので、意識がはっきりしているようです。目もしっかり開けてくれています。声も出ていました。

 

洗濯は僕がすることにしています。

「分かり易い所に置いておきます」とのことだったのですが、探しても見つかりません。

帰り際、事務の女性にそのことを話すと、病室に行って探してくれました。

見つかりました。

そして、僕を病室に連れて行って、置いてあった場所を教えてくれます。

箪笥の中に、ビニール袋を固く縛って「洗濯物」と書いて置いてあったそうです。

ちょっと分かりにくい場所でしたが、こんな所に置くことがあると分かったので、次からは大丈夫でしょう。

 

5月11日は手術して退院後、初めて沢登りに行きました。会の仲間3人が僕をサポートしてくれました。小さな易しい沢を登ることが出来ました。本当に嬉しいことです。山仲間の優しさに感謝! 写真はこの沢の核心部の滝を登っている僕です。ザイルで確保してもらっています。

 

この日は面会は出来ませんでした。

夕方5時までしか面会できません。

 

5月12日16:19。入院してから、この日が一番パッチリと目を開けてくれていました。声もよく出ていて、高音の声を発してくれていました。

 

金曜日に受け取った洗濯物を12日の日曜日に洗濯しました。

まず、さっちゃんの服を洗濯し、干します。

続いて、僕が沢登りで汗まみれになった服を洗濯しました。

この日は陽はあまり照りませんでしたけれど、風があって、洗濯物はよく乾きました。

ですから、面会の時に持って行くことが出来ました。

 

5月13日(月)の9時24分、さっちゃんが入院している病院から電話が入りました。

さっちゃんが急変でもしたのかと、ドッキリします。

すぐに、そんな Bad News でないことが分かってホッとします。

さっちゃんの容態が安定しているので、この先転院するか同じ病院の療養病棟に移るかの可能性があるとの話でした。

以前もそうでしたが、肺炎自体が収まって来ていても、痰の吸引がまだ必要なんです。

夜も2度3度、痰の吸引をしなければなりませんから、I老健ではまだ受け入れられないのです。

I老健には看護師さんがいますが、せいぜい夜に1度の痰の吸引が出来る程度の体制なんだそうです。

 

この日はでした。

僕は病院まで歩いて向かいます。

5月13日16:25。前日ほどはパッチリとは目が開いていませんが、よく僕の方を見てくれています。時々、視線もよく動いていました。

 

看護師さんが来て、痰の吸引をしてくれました。

からだけしていました。

カテーテルを鼻から入れると、さっちゃんは嫌だと言う声を発します。

嫌に決まってますよね。

僕も自分でカテーテルを鼻から入れてみたことがありますが、実に不快です。

口から喉へは、いったん入れると少し慣れて、あまり不快には感じなくなります。

でも、鼻は違います。

慣れません。

不快極まる感じが続きます。

痰の吸引も2時間おきだったのが、今では2~3時間おきになったそうです。

そして、この日から胃瘻を使い始めたそうです。

もちろん、まだだけだそうですけれどね。

すぐに栄養を入れると、胃がビックリしてしまうので、最初は慣らすことから始めるようです。

箪笥に貼ってある、さっちゃんの排尿と排便の記録を見ると、前々日から排便の欄に「+」が記されています。

栄養はほとんど摂っていないそうですから、宿便か何かなんでしょうかね?

少しずつ胃腸も活動し始めているということなんでしょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嘔吐からの誤嚥性肺炎で、さっちゃんは救急搬送されました

2024-05-07 22:17:41 | 肺炎

5月6日(月)の朝、I老健から電話が入りました。

「さっちゃんが昨晩嘔吐して、発熱があります。酸素も使っています」

その後、I老健の看護師さんとも話し、

「今日は連絡が行くかもしれませんから、電話を気にしておいてください」と言われました。

僕はそれを了解し、次のように伝えました。

「今日は用があってこれから埼玉県の方へ出かけます。戻るとしても少し時間が掛かります」

その時点では、さっちゃんの詳しい容態は僕には分かっていませんでしたから、最悪のことまで予想していました。

このまま危篤状態になって、最期を看取れなかったらどうしよう?! と。

そんなことを想像すると、が滲み出て来そうです。

 

この日は僕が所属している山岳会YYDのI橋さんから誘われて、天覧山で岩トレをする予定でした。

もう一人参加者はいるのですが、岩登り初心者なので、I橋さんのためにも僕は参加してあげたいと思っていたのです。

電車に乗っていると、I老健から電話が掛かって来ます。

座席を離れ、車両の隅へ行き、小声で話をしました。

「これから救急搬送することにしたので、急ぎその病院まで来てください」と告げられました。

僕はすぐ戻ることにし、同じ電車に乗っているはずのI橋さんを探します。

彼はすぐに見つかり、事情を告げて次の駅で僕は下車しました。

隣りのホームに電車はすぐに来て、僕はそれに乗って戻りました。

駅からはタクシーでまず自宅に戻り、自宅からI老健に電話を入れました。

救急車がもうすぐ来て、病院へ搬送される直前のようです。

病院は以前にも肺炎で入院していた近くの病院です。

 

さっちゃんの保険証などを持って、自転車で病院へ急ぎました。

休日ですから、正面玄関は閉まっています。

夜間通用口から入り、受付で聞くと、さっちゃんが待機している部屋に連れて行ってくれました

 

▲11:13。さっちゃんがいました。見た感じでは、苦しんでいる様子はありません。体温が38.9度あったことを聞いていたのですが、熱っぽい感じもありません。ただ、目を開けることはなく、声掛けしても反応してくれません。血圧、心拍数、呼吸等をカウントするセンサーが体に付けられています。マスクで隠されていますが、鼻には酸素を送るチューブが入っています。

 

スタッフの一人にちょっと離れた場所に連れていかれ、延命措置について確認されました。

僕もこれまで何度も確認されたことなので、感情的になることなく淡々と答えました。

強制的な延命措置は採らないということの確認です。

心臓への電気ショックとか、人工呼吸器とか、を使用しないことの確認ですね。

 

他にも幾つもの書類の説明を受け、サインをしました。

 

時間が空くと、僕はさっちゃんに声掛けします。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」

目は開けてくれません。

点滴などの影響なんだと思います。

 

しばらくすると、病棟へ移動することになりました。

僕も一緒にエレベーターで病棟へ。

さっちゃんは自分の病室へ向かいましたが、僕はデイルームで待つことになりました。

入院に関するより具体的な説明を看護師さんから受けました。

担当医師からも説明を受けました。

この病院では現在、直接面会することが出来ます。

15分間だけですけれど、病室で会うことが出来るのです。

医師に「明日にも面会は可能でしょうか?」と聞くと、

「もちろんですよ。患者さんにとって良いことなので、是非に来てください」と言ってくれます。

「よしっ、明日は病院へ来る用事があるので、面会しよう!」と決めました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

K子さんが面会に来てくださいました

2024-05-01 21:26:19 | 面会

僕が入院する直前、2月8日にK子さんが面会に来てくださいました。

その後、コロナ感染等の影響もあって面会の出来ない状況が続きました。

ですから、ほぼ3ヶ月ぶりにK子さんはさっちゃんとの面会が出来たことになります。

有難いことです。

 

さっちゃんの意識は確認のしようもありません。

しかし、認知症は新しい記憶よりは古い記憶の方が残っている可能性が高い病気です。

僕との濃密な生活や刺激的な登山や旅の記憶よりは、子供の頃の姉妹の生活記憶の方が残っているのかもしれません。

僕からすると、悲しいことです。

でも、絶対にさっちゃんの意識の底に僕の記憶も生きていると信じているのです。

 

電車とバスでI老健まで来てくれるK子さんはすでに到着していました。

▲15:01。さっちゃんは最初は割と目を開けてくれていました。妹のK子さんが来てくれていると分かったからのような気がします。声も最近の中では数多く大きく発していました。何か喋りたいことがあるのだと思います。この日はずっとK子さんに通話機を持ち続けてもらいました。

 

▲15:03。いちばん目を見開いてもこの写真程度でした。目を開けるのには力が要るのでしょうかね? 

 

時間は無情にもすぐに過ぎていきます。

K子さんも言っていましたが、早く直接会えるようになって欲しいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さっちゃんの服を洗濯するのは楽しいですね

2024-04-29 17:50:14 | 洗濯

さっちゃんの洗濯物の外注を止めて、半月以上は経ちました。

自力で生活する体力が戻って来て、さっちゃんの服の洗濯をする余裕も生まれたわけです。

ただ、さっちゃんのものを洗濯すると嬉しいですし、力も湧く気分です。

離れて住んでいるさっちゃんと一緒に暮らしているような錯覚を一瞬ですが感じられるのです。

錯覚だと分かっていても幸せな気分ですね。

4月26日(金)15:02。雨が続いていましたから、23日に受け取った洗濯物を24日夕方に洗濯して外干し。25日は晴れの日だったのですが、朝から天覧山の予定だったのです。結局、26日も外干ししていました。この写真を撮ってすぐに回収し、I老健へ届けに行きました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先週の面会の報告です。今週は面会の予約が取れませんでした

2024-04-23 23:14:56 | 面会

4月17日(水)にさっちゃんとの面会に出かけました。

さっちゃんからは声がほとんど発せられなかったので、何となく寂しいですね。

目を開けてくれるのも少なかったです。

▲15:05。時々、さっちゃんは目を開けてくれます。この写真を撮った時は、何故だか少し顔が斜めに向きました。何か気になることでもあったのでしょうかね。

 

この日は洗濯物も届け、受け取りもしました。

4月21日(日)にも洗濯物を授受しました。

その後は天気が悪くて、洗濯できていません。

23日(火)は洗濯物を受取るだけでした。

今、家には2回分のさっちゃんのまだ洗濯してないのが溜まっています。

 

23日は玄関ロビーに顔馴染みの看護師さんがいました。

なので、聞いてみました。

「直接会って面会できるのは何時頃になりそうですかね?」

「インフルエンザも収まって来ましたよね。コロナはどうでしょう?」

看護師さんは期待を込めて言ってくれました。

「来月中にでも、そうなるかもしれませんがね」

「そうなればいいですね」との思いがこもった発言だと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の日の面会、さっちゃんは前の週より目も瞑ることが多く、声もあまり発しませんでした

2024-04-12 12:07:09 | 面会

4月9日(火)、さっちゃんとの面会です。

朝から雨が本降りでしたが、予報では午後3時くらいから雨が上がることになっています。

いつも通り自転車で行けるか、歩いて行くか、それともタクシーか、ギリギリの時点で判断が必要になりそうです。

気象庁のHPで「今後の雨」を見ていると、午後2時くらいには雨が上がりそうです。

ですから、僕はひとまず自転車で行くことにしました。

出発前になって、雨具を着ていくか、それとも雨の時だけ自転車を押して行くか、決めることにしました。

 

2時前からは、気象庁の「雨雲の動き」をチェックします。

これは5分おきの雨雲の動きを1時間後まで予測するもの。

ただ、それほど正確に5分おきの雨雲の位置が予測できるわけもなく、信頼し過ぎてはいけません。

自転車で大丈夫そうな予報になったので、2時半前に家を出ました。

「雨雲の動き」では雨が降っていないはずなのに、ほんの少しですが雨が降り続いています。

霧雨程度ですから、薄っすらと濡れる程度で、びしょ濡れにはなりません。

充分に傘無しの自転車で行ける程度の降りです。

 

▲15:07。この日のさっちゃんは先週よりも目を瞑っていることが多かったですね。ほんの時々しか目を開けてくれませんでした。この写真ほど目を開けたのは一瞬でした。声を発することも少なくて、僕としては寂しかったですね。

 

「さっちゃ~ん」

「今日は雨だよ~。サクラの花が散っちゃうよ~」

「さっちゃんはサクラ見たのかな~」

桜の話題が多かったですね。

時間はすぐに過ぎてしまいます。

 

終了後、窓口で洗濯物外注の中止をお願いしました。

僕もそろそろ体力的にも自分で出来そうな気がしています。

2日後の11日には、次の面会日の予約をしました。

それと、洗濯物を受取りに行く日も告げました。

さっちゃんの服を再び洗濯できるようになって、嬉しいですね。

 

ちなみにI老健からの帰路ですが、往きよりは雨は弱まっていました。

ところが、気象庁の「雨雲の動き」では本降り状態が続いていました。

この予報はあくまでも「雨雲の動き」であって、雨の予報ではないようですね。

上空に雨雲があっても、地上にまで雨が必ず届くわけではありませんからね。

どちらにせよ、自転車でほとんど濡れることなく往復できて良かったです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さっちゃんと一緒に歩いている気分でお花見散歩しました

2024-04-09 11:22:03 | 散歩

多摩川土手はあちらこちらに桜並木が植えられていて、花見スポットが豊富です。

こちらへ引っ越してきて以来、ほぼ毎年さっちゃんと二人でお花見をして来ました。

お花見と言っても、散歩をしたり、レジャーシートを敷いてお昼ご飯を食べたりするだけですけれどね。

 

2021年3月29日14:35。この年がさっちゃんと二人での最後の花見散歩の年になってしまいました。この年の暮れに家の中で転倒し、大腿骨転子部骨折。歩けなくなったり、誤嚥性肺炎を繰り返したりするようになったのです。この写真の前の年くらいからさっちゃんから笑顔が消えていました。自分の意志を伝えられなくなっていましたから、何か苦しさを抱えていたのかもしれませんね。でも、その後一時期笑顔が復活しました。今はまた消えてしまっていますけれど。

 

4月7日の日曜日、僕は独りで花見の散歩に出かけました。

独りですけれど、さっちゃんと二人で歩いている気分で、さっちゃんと語らいながら歩きました。

 

▲13:25。散歩に出かける前に、我が家の桜を観賞。ベランダからこんな感じで見えますから、我が家の桜と呼んでいます。

 

▲13:43。散歩の途中の草っ原の広場にタンポポが何百と咲き誇っていました。さっちゃんとも絶対に一緒に見ていますね。

 

▲13:51。青空バックにソメイヨシノが輝いています。

 

▲13:57。さっちゃんがいれば、菜の花と桜の間に立ってもらうのですけれどね。

 

▲14:08。コロナの影響でしょうか、「桜祭り」は行なわれていませんが、人々は例年と同様に楽しんでいます。最初のさっちゃんの写真と同じ場所です。

 

▲14:28。団地の11階まで上って写真を撮りました。さっちゃんと二人でよくここに来たものです。川はもちろん多摩川です。

 

さっちゃんとの散歩コース、いつもの基本周回コースにも花見スポットがあります。

翌日の4月8日(月)、雨の一日でしたが、夕方に雨の止む時間があったので、散歩して来ました。

 

2021年4月1日17:05。「基本周回コース」が多摩川土手から離れるところにある桜並木。

 

▲16:30。雲に覆われた空に桜の花びらの白が溶け込んでしまっています。上のさっちゃんの写真と同じ場所の桜です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする