さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

8月27日のことです。S介護医療院を見学・面談させていただきました

2024-10-06 22:35:16 | 介護医療院

8月27日(火)14時S介護医療院へ行きました。

I老健の医療レベルではさっちゃんに責任を持ち続けることが出来ないと言われています。

軽度の誤嚥性肺炎を患っていましたから、今の病院へ入院した訳です。

その誤嚥性肺炎もすでに快復していますから、病院には長く入院し続けることは出来ません。

相談員さんとの話し合いで、紹介していただいた介護医療院を見に行くことになったのです。

老健ょりは医療レベルの高い介護医療院を紹介してもらったのです。

 

遠い場所だと面会するのに時間がかかってしまいます。

僕は車を持っていませんから、自転車で行くことになります。

紹介していただいたS介護医療院は我が家からの直線距離がI老健よりも少し遠いだけです。

I老健へは苦なく自転車で行けていましたし、最悪、歩きでも何とか行けていました。

ですから、この日も僕は自転車で行ったのです。

地図を見て分かっていたことではありますが、途中でを2回渡らなくてはなりません。

更には、ひと山越える必要もあります。

 

川は橋で渡りますから、橋まで遠回りになります。

まあ、それは大して大回りでもなかったのですが、山越えが大変でした。

その山越えの坂道は自転車に乗り続けるには急で、降りて押して行く始末。

車の通行量も多く、一番の急坂には歩道もありませんでした。

車の通過に注意を払いながら押して歩くのです。

当然、予想よりもずっと時間がかかりました。

 

S介護医療院の施設自体はとっても充実していて、良さそうでした。

ただ、あくまでも介護施設ですから、医療的対応が充実しているといっても限界はあります。

いろいろとここでは出来ない医療行為を具体的に教えてくださいました。

まあ、その点は構わないのですが、どれほど介護が充実していても、さっちゃんとは関係のない事項も多いのです。

さっちゃんは四六時中寝たきりですし、食事も胃瘻経由です。

意志の疎通も出来ません。

S介護医療院の充実した介護態勢もさっちゃんにとっては「宝の持ち腐れ」のような気もします。

 

毎月のさっちゃんの入所(入院)費用はほとんどがさっちゃんの年金で支払っています。

厚生年金なのですが、これまではトントンでした。

男性社員と同じ(以上でも)仕事をしていても女性の給与は男性よりも驚くほど安い時代でした。

その厚生年金よりも大幅に多くを支払うことは出来ません。

介護医療院はそれなりに高額となるのです。

僕は国民年金ですしね。

 

「ちょっと無理そうだな。施設はいいんだけどな」と思いながら、帰路に付きました。

雨が本降りになっていました。

車道を走るにはちょっと危なっかしいので、ガードレールの内側を走るのですが、それが狭い!

山越えの坂道に来ると尚更で、歩道はなく、車道に大きくはみ出している木の枝や草に行く手を阻まれます。

そんな幾つもの障害物を避けるには道路の中心部に近づかなければなりません。

障害物の草や木の手前で車の通過を待ち、次の車が来るまでの短時間で障害物を越さなければならないのです。

 

当初の予測では余裕でさっちゃんの面会に間に合うはずだったのですが、帰宅した時間は予想より1時間も遅くなりました。

なので、その日はさっちゃんと面会できませんでした。

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毎日の面会が日常になっています

2024-08-27 00:14:13 | 面会

さっちゃんが入院している病院はスーパーマーケットが隣りにあります。

僕はそのスーパーで買い物をします。

ですから、面会ついでだか、買い物ついでだか、毎日の面会後には買い物もします。

連日、暑い日が続いていますから、陽が傾き始め、僅かに風も涼しくなる4時台に出かけるわけです。

 

8月8日(木)

▲16:43。さちゃんの手の甲だったと思いますが、点滴の針がセットされていました。暑い日が続いているので、体内の水分を補うためなのでしょうか?

 

▲16:44。この日のさっちゃんは目を覚ましてくれませんでした。無理に起こすことはしません。

 

8月9日(金)

▲16:48。点滴をセットしている手の甲には絆創膏が貼ってあり、セットした日と終了日(多分)が記されています。

 

8月10日(土)

▲16:44。土日で避難小屋泊まりするつもりでしたが、オリンピックのフリークライミングの決勝が気になって出かけませんでした。森秋彩(あい)選手は飛び抜けて小柄な選手で、154cmなのだそうです。さっちゃんは150cmでしたが、僕よりも上手かったです。

 

8月11日(日)

▲16:32。暑い日が続きます。ここのところ毎回歌を唄います。4人部屋ですから、小声でしか唄えませんが、毎回『ふるさと』を唄っています。

 

▲16:33。さっちゃんのカーテンで囲まれた部屋に写真のような表示がありました。僕の面会には影響はないみたいです。帰る際にナースステーションで聞いてみると、尿検査からESBL産生菌が見つかったとのこと。接触感染するようなので、看護師さん等が他の患者さんに感染させないように注意することが必要なようです。僕に対する注意とかは特にはありませんでした。

 

8月12日(月)

▲16:47。暑い日が続いています。寝巻きもパジャマタイプではなくて、浴衣タイプばかりです。下着も着せていません。しかも、胸がはだけていますね。おっぱいの小さな(今はもうない)さっちゃんですから、目のやり場には困りません。病室は冷房はあるのですが、それほど冷えてはいません。外気が30数度だとすると、室温は30度近いのかもしれません。僕の部屋も30度くらいです。クーラーの真下に温度計(時計に付いたやつですから正確かどうかは分かりません)があるのですが、その場所でも28~29度です。それくらいですけれど、部屋に入るとひんやり感じます。

 

▲16:47。さっちゃんはよく声を出してくれます。以前よりは小さな声ですけれど。声を出してくれていると、僕は嬉しいですね。

 

8月13日(火)

▲16:39。面会に訪れると、ちょうどリハビリが終わったところだったようです。PTさんでしょうね。拘縮している両腕と右足中心にそれ以上悪くならないようにしてくれているみたいです。

 

16:47

▲16:47。褥瘡予防のために体位を変える必要があるので、いくつかのクッションを背中付近や足のあたりに置くことはよくなりますが、腕との間にも置くのですね。

 

8月14日(水)

▲16:35。何日か前からそうだったと思いますが、点滴はセットされていません。栄養は勿論ですが、水分補給も胃瘻から十分に採れていると言うことでしょう。まだ痰の吸引はしているようです。面会中も少し痰が喉に絡んでいるような雰囲気の時もあったりします。胸に付着しているのは心電図を採っているのでしょうか? 太めの携帯ほどの機械に繋がっていて、その機械は心電図と呼吸とPsO₂を扱っているようです。

 

8月15日(木)

▲16:56。僕の面会中に看護師さんがひょっこり顔を覗かせました。そして、「ご家族にはこんなに声を出すのね」と言います。嬉しいですね。さっちゃんがどういう意識なのかは分かりませんが、僕と看護師さん達への対応に少しの違いがあると言うことは。どうしても、その違いを僕は好都合・好意的に解釈してしまいます。

 

この日は僕の誕生日です。

さっちゃんが元気な時は二人で山にいるのが通常でした。

ペルセウス座流星群を目にしたりしていました。

僕が男性陣と先行して、剱沢の天場にいたある年の夏、さっちゃん達女性3人は数日遅れで合流しました。

その時、誕生日祝いと言うことでウナギのかば焼きを持って来てくれました。

山での印象的な誕生日祝いと言えば、それくらいでしょうかね。

この日の看護師さんの言葉も嬉しい誕生日祝いになりました。

 

▲16:56。さっちゃんの両腕はいつも胸の前で組まれています。拘縮しているのです。青いコードはPsO₂のセンサーと繋がっています。他のコードは胸に貼られた心電図のですかね?

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病院の相談員さんとお話しをしました

2024-08-14 20:59:50 | 介護医療院

先週の8月5日(月)の正午前、病院の相談員さんから電話がありました。

そして、その日のさっちゃんとの面会後に相談員さんと会うことになりました。

夕方5時を過ぎて、相談員さんとお話をしましたが、内容は予想通りでした。

 

さっちゃんが退院できるようになってから、どこへ行くか?です。

その相談員さんは女性で、わりと物事をはっきりとおっしゃる方でした。

会話の流れの中で、延命措置をどのレベルでとるのかという、お決まりの話が出ます。

心臓マッサージはしません。

相談員さんは「高齢なので肋骨が折れちゃいますしね」と言います。

それは分かっていますけれど、「しなくていいです」と僕は言っているのですから、そこまで具体的に表現しなくてもね。

人工呼吸器は使いません。

それで生きながらえても、植物人間のような状態になり易い、と言うような感じをおっしゃったかな?

これも「使わないで」と僕は言っているのですから、「使ってもこうですよ」とまでは言わなくてもね。

 

心マや人工呼吸器ほどには言っていませんでしたけれど、胃瘻や中心静脈栄養についても、似たような印象を漂わせました。

さっちゃんが咀嚼や嚥下能力をほとんど失った時に、経管栄養に移りました。

最初は経鼻経管でしたが、それでは苦しそうなので、胃瘻を造設しました。

意思疎通はほとんど出来なくなっていましたが、まだ素敵な笑顔を浮かべることもありました。

そんな胃瘻を僕は単なる延命措置だとは思いません。

胃瘻を拒否して、まだ笑顔を浮かべてくれる妻に緩慢な死を与えることなんて出来ません。

それは中心静脈栄養に関しても同様です。

 

中心静脈栄養に関しては、まだ造設しなくて済んでいます。

胃瘻を使えています。

胃瘻を使った方が胃腸機能も活かせますから、いいのです。

もちろん、胃から逆流して誤嚥性肺炎を引き起こす危険性はあるのですが。

 

さてさて、さっちゃんの今後の身の振り方です。

I老健に戻ることが出来れば、それがいちばんいいと僕は今でも思っています。

でも、I老健としては誤嚥性肺炎を繰り返すさっちゃんに対して、自信・確信が持てないようなのです。

医師も一人だけですし、看護師も少数です。

相談員さんは言います。

「点滴にしても、病院なら看護師も多く、上手に点滴をセットできる看護師がいたりするんです」

確かに、I老健では点滴の針を打つ困難ゆえに、中心静脈栄養を提案する雰囲気がありましたからね。

 

相談員さんはI老健さんとは意見交換していることでしょうから、I老健の意向は承知しているはずです。

相談員さんはI老健に戻る選択肢は最初に外しているようです。

 

それで他の選択肢ですが、病院の療養病棟です。

以前はこの病院にも療養病棟があって、さっちゃんもお世話になっていたことがありました。

基本は長くても6ヶ月の入院期間なのですが、今のご時世、長期療養入院が必要な患者さんが多いので、6ヶ月とは言っておれないのだそうです。

同じ市内で2つの病院を教えてくれました。

ただ、病院は病気を治す場所なので、キメ細かな介護はありません。

必要最小限なだけ看護師が訪れ、拘縮などへのケアとしてPTが来てくれる、その程度です。

刺激の乏しい生活になってしまいそうです。

 

介護も充実してもらおうとすれば、介護医療院になります。

介護も医療も充実した施設です。

僕が住む市内にはないみたいです。

隣りの市にあるようですね。

以前、さっちゃんがこの同じ病院に誤嚥性肺炎で長期間入院していた際も、別の相談員さんから紹介されていた介護医療院がありました。

その介護医療院で詳しい話を聞く手前まで来ていたのですが、I老健に再入所が叶って、その話は立ち消えになったのです。

ただ、介護医療院は費用が高くつきます。

 

いろいろと話した結果、病院の療養病棟と介護医療院でお話しを聞く機会を作ってくれることになりました。

1週間以上経ちましたが、相談員さんからは連絡が来ません。

急ぐ必要はないことではありますが、入院してから2週間ほど経ちます。

入院予定日数は10日間だと聞いていましたから、あまりのんびりとは出来ないと思うのですが。

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入院中は直接会えるのが嬉しいですね

2024-08-08 23:52:13 | 面会

前回の肺炎の際も今回入院した病院と同じでした。

と言うことは、面会システムも同じです。

2~5時の間で毎日15分間は病室で会えるのです。

その点は僕にとってはとても嬉しいですね。

もちろん、さっちゃんにとっては病気なわけですから辛いでしょうけれどね。

それに身の回りの世話や人との交流はI老健の方が行き届いていますから、刺激は少なくなります。

たったの15分間ですけれど、僕が刺激を与えてあげようと思います。

 

入院の翌日、8月2日(金)に早速面会に行きました。

▲16:45。バイタルをチェックする器具は付いていましたが、点滴は付いていませんでした。と言うことは、胃瘻から栄養も水分も入っているのでしょう。嬉しいことです。

 

8月3日(土)にも面会へ。

▲16:45。この日はぐっすり寝ているさっちゃんでした。起こしても悪いですし、小声で「さっちゃ~ん」と呼びかけるだけ。さっちゃんは目を覚ましませんでした。

 

8月4日(日)、僕は大菩薩の牛奥ノ雁ヶ腹摺山を歩いて来ました。

 

8月5日(月)、昼前に病院の相談員さんから電話がありました。

面会後、会うことになりました。

▲16:46。この日は目を覚ましてくれていました。僕はさっちゃんの耳元で「ふるさと」を歌います。気のせいか、いつもよりさっちゃんの声出しが多くなるような気がします。リズムもメロディーもありませんが、さっちゃんは唄っているのだと思います。

 

面会後に相談員さんと話しました。

その内容は次のブログで。

 

8月6日(火)も面会に出かけます。

▲16:46。さっちゃんの目の前に誰もいない時にさっちゃんが声を出しているのかどうかは分かりません。でも、僕が面会に行って、さっちゃんと目が会うと、さっちゃんはほぼ必ず声を出し始めます。さっちゃんにとっては人の顔が最大の刺激なのかもしれませんね。赤ん坊と同じです。僕の顔だと認識してくれていれば、最大の喜びですけれど。そこまでは望めないでしょう。

 

8月7日(水)は正午のいちばん暑いころ、自転車で市役所と買い物に回りました。

それで疲れてしまったのでしょうか?

帰宅後、ちょっと横になったら、目覚めると夜の8時でした。

面会に行くつもりだったのに・・・・残念( ;∀;)

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前回と同じ病院に入院しました

2024-08-03 13:27:55 | 中心静脈栄養

7月29日にI老健の医師からさっちゃんの現状と中心静脈栄養について説明を受けました。

その時のブログにも書きましたが、その時点で僕は二者択一で決定をしなければならなくなりました。

つまり、I老健でこのままの対処を継続し、結果的には看取りを行なうか、

入院して中心静脈栄養の点滴を造設するか、どちらかを選ぶことになったのです。

 

医師の説明を受けながら、僕には後者の選択肢しか考えられませんでした。

その後、さっちゃんの部屋へ案内され、直接会うことが出来ました。

部屋ではさっちゃんはマスクを外しています。

マスクをしている時よりも、顔の表情がより分かります。

基本的にさっちゃんは自分の感情を表現できないと思います。

さっちゃんが表わしている表情は喜怒哀楽等の個人的表層の感情を超えた、内面の根底とでも言うべき表情だと思います。

さっちゃんの無意識部分が顕れているような気がします。

僕はそんなさっちゃんの顔の表情を見て、さっちゃんが生きようとしている、心に温かいものが満ちている、そんな風に感じました。

何と表現しても、陳腐にしか聞こえません。

何も疑わず、何も憎まず、何も怒らず、何も悲しまず、生まれたばかりの赤子のような表情に見えたのです。

「さっちゃんは生きたがっている」

僕は勝手にそう感じてしまいました。

それが本当にさっちゃんにとって正しい選択なのかどうかは分かりません。

でも、その選択の方が僕にとっては無理がなく、嬉しい選択なんです。

さっちゃんは自分の意志を表現することは出来ません。

それを想像し、最終的には僕自身の願いのままに決めるしかないのです。

その結果に対する責任は全て僕自身で引き受けるしかありません。

 

医師の説明を受けた29日には僕の気持ちは決まっていました。

ひと晩経ってもその気持ちは揺らぎませんでした。

30日にI老健のS田さんに電話をし、中心静脈栄養をして欲しい旨を伝えました。

31日の午後、S田さんから連絡が入り、翌日入院が決まりました。

 

8月1日(木)、タクシー会社に電話をし、I老健へ向かいました。

10時45分には到着し、出発を待ちます。

介護タクシーが来て、さっちゃんも車椅子で降りて来ます。

さっちゃんの荷物が大きな段ボール箱に入れられています。

 

医師と看護師も見送りでしょうか、玄関ロビーに来てくださいます。

僕は医師に最後の確認をしました。

「中心静脈栄養がセットされた状態ではこの老健では受け入れられないのでしょうか?」

医師の答えは明瞭でした。

「受け入れられません」と。

中心静脈栄養がセットされた状態の入所者に対する医療的対応が困難だと言うことです。

つまり、この日がさっちゃんにとってのI老健との別れの日でもあるのです。

僕は見送りに来てくださっている皆さんに「長い間本当にお世話になりました」と挨拶を繰り返しました。

 

介護タクシーで病院へ向かい、入退院受付で手続きし、看護師さんを待ちます。

しばらくすると、看護師さんたち2人が来て、さっちゃんを車椅子からストレッチャーに移してくれました。

介護タクシーの運転手さんは次の仕事があるので、ここでお別れです。

料金は9000円でした。

酸素ボンベが必要なのでいつもよりも高くなるのです。

 

▲11:29。病院の1階フロアで、ストレッチャーに載ったさっちゃんは長く待ちました。さっちゃんは病院の8階(くらいあるのかな?)までの高い吹抜けの真下にいます。太陽の明るい光も降り注いでいます。そんな珍しい風景を目を見開いて見ているようです。写真左上の黒いものが酸素ボンベ。

 

さっちゃんに話しかけ、さっちゃんと目を合わせて、毛布の上からさっちゃんの手や膝を擦って、時間を過ごしました。

長く感じる時間が経ち、再び看護師さんたちが来てくれました。

今度はストレッチャーからベッドに移されます。

体重の軽いさっちゃんはいとも簡単に移されます。

一見乱暴にも見える移乗作業ですが、さっちゃんはどこか痛く感じたりはしないのでしょうか?

そして、エレベーターに乗って病棟へ行きました。

さっちゃんはそのまま病室へ向かい、僕は雑多な手続き等で多忙になります。

 

途中、さっちゃんの担当医師が来て話をしてくださいました。

前回入院した時と同じ女性のお医者さんです。

先生もそれは覚えてくださっていました。

T岡先生というお医者さんですが、今後の見通しを話してくださいます。

その内容はI老健の医師とは少し異なるものでした。

どうも中心静脈栄養の造設を次善の策と考えているようなのです。

「出来る限り、胃瘻も活用したい」

「それが駄目なら中心静脈栄養も仕方ないけれど、その後も胃瘻の活用が出来るのならば、戻したい」

そのようにおっしゃるのです。

「胃瘻が使えるのなら、I老健へも戻れますしね」

「その辺りのことは相談員さんと連絡を取り合いたいと思っています」

そんな風におっしゃいます。

僕は聞いてみました。

「でも、中心静脈栄養がセットされたままでは老健では対応できないのでは?」

すると、T岡先生はこうおっしゃるのです。

「老健へ戻るとしたら、中心静脈栄養は外します」

どうやら中心静脈栄養も普通の点滴(末梢静脈栄養)同様、容易に外せるみたいですね。

確かに、胃瘻を使用する限り、胃から逆流して誤嚥することで肺炎を引き起こす確率は高まります。

しかし、胃瘻を使用しなくても唾液等が肺に入る心配はありますから、誤嚥性肺炎にはなります。

T岡先生はト-タルに考えて、可能な限り胃瘻を活かした方がいいと考えているようです。

僕はホッと安心する気分です。

 

「入院診療計画書」には以下のように記されていました。

入院期間はとりあえず10日間程度と見ているようです。

「医師の指示の下、適切な栄養補給法を提案します」とありますから、中心静脈栄養は既定路線ではないみたいです。

 

もちろん中心静脈栄養造設の可能性は高いのかもしれません。

でも、それに至らない、これまで通りの姿に戻ることが出来れば、いちばんいいと思います。

血管が硬くなって通常の点滴を打つ場所が無くなって来ているのは確かなようです。

I老健へは戻れず、医療の充実した介護医療院のような施設へ行くようになるのかもしれません。

先のことは分かりませんが、T岡先生の話を聞いて、ほんの僅かな光明に触れた気がしました。

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7月下旬、2回の面会が出来ました

2024-07-31 22:38:37 | 面会

この直前のブログ記事とは前後関係が逆になりますが、記録しておきます。

 

7月17日(水)面会日でした。

同じ日にさっちゃんの洗濯物も受け取る予定です。

▲16:02。両足が車椅子の足置きに揃っているのを見て、驚きました。右足は拘縮して140度ほどに曲がったままのはずなのです。でも、この日は右足がよく伸びていました。嬉しいですね。

 

▲16:03。腕も極端にクロスした状態ではありません。目もよく開けてくれています。この日も「ふるさと」を歌ったと思います。

 

先々週のことなので、記憶はあやふやになっています。

水曜日に受け取ったさっちゃんの洗濯物を木曜日に洗濯し、金曜日にI老健へ持っていったと思います。

その7月19日(金)、S田さんから声を掛けられ、医師からの話を聞くことになりました。

医師の話の内容は、さっちゃんの軽度な肺炎についての報告でした。

38度台の熱があるのだそうです。

詳細は分かりませんが、通常の治療を行なっているようです。

これまでの肺炎と比較すると、軽い症状のようなので、僕はさほど心配はしませんでした。

 

医師からの話が終わり、帰ろうとしていると、S田さんが僕を呼び止めます。

次の25日の面会をさっちゃんのいる部屋で行なえそうだ、と言うのです。

2時半からという早い時間帯、いちばん暑い時間帯での面会ですが、そんなことは問題ありません。

どうやらその時間帯には同室の方々が皆さん部屋にいないから可能かもと言うことです。

 

久し振りに直接さっちゃんと面会できそうだと期待した7月25日(木)。

ところが、さっちゃんとの直接の面会は実現しませんでした。

コロナ感染拡大が理由のようですが、それは前の週から分かっていることですよね。

せっかくそれを期待して来てくださった妹のK子さんには申し訳ない気持ちです。

 

▲14:32。K子さんがさっちゃんに話しかけ続けてくれます。肺炎の症状は続いているようですが、とりわけやつれた印象も見受けられず、少し安心しました。

 

▲14:33。点滴は水分だと思います。写真では見えていませんが、マスクの下には鼻へのチューブがあります。車椅子の後ろには50cmほどの長さのボンベがありました。

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さっちゃんに再び転機が訪れたようです

2024-07-30 01:09:31 | 中心静脈栄養

7月29日13時50分、I老健の相談員のS田さんから電話がありました。

さっちゃんの簡単な現状報告の後、「今日4時ころに来れませんか?」と言います。

医師からの説明があるようです。

もちろん、行くことにしました。

 

I老健へ行き、面談室で待つ間、いろんなことを考えます。

最悪の事態も考えるのですが、詳細な情報がまだありませんから、漠然としか考えられません。

しばらくして、いつもの高齢のお医者さんと少し遅れて看護師さんが来ます。

お医者さんはもごもごとした喋り方で、あまりよく聞き取れないことも多くあります。

女性の看護師さんが明瞭に話してくださって、あまり耳の良くない僕にとっては助かりました。

 

医師と看護師の話の要点はこうです。

・先々週からの肺炎治療は継続中。

・薬、水分、栄養の投与は点滴(末梢静脈栄養)で行なっている。

・しかし、点滴ではせいぜい100kcal/日ほどしか与えられない。

・その状態がずっと続いている。

・しかも、点滴の注射針を刺せる場所があまりない。(硬くなってしまうし、さっちゃんは血管が凄く細い)

・胃瘻からの栄養補給再開も考えられるが、誤嚥する可能性は高い。

・胃瘻から投与し、胃液と反応して少し固まるタイプのものを試す選択肢もある。(それでも誤嚥が心配なようです)

 

この状況の解決策として中心静脈栄養という方法をお医者さんは言うのです。

通常の点滴のことは末梢静脈栄養と言うそうです。

腕や足など、心臓から離れた末梢から投与するからです。

それに対して、中心静脈栄養は心臓に近いより太い血管から投与するのです。

血管も太く血流も速いので高カロリーを投与できるのだそうです。

もちろん直接血液中に投与するわけですから、24時間かけてといった感じでゆっくりと投与するみたいですね。

現況のすぐには肺炎が完治しそうにないさっちゃんの低栄養状態を解決する有効な手段が中心静脈栄養だと言うのです。

 

ところが、これには以下のようなことが付随します。

・老健ではこの医療処置は施せない。

・老健を退所して病院に入院する必要がある。

 

このような理由もあって、医師から僕への説明の場が持たれたわけなのですね。

さらに、ここから生じる僕が決めなければならない事柄があるのです。

そうです、二者択一になるのです。

ひとつは、病院へ入院して中心静脈栄養のための装置を造設すること。

もうひとつは、入院せずこのままI老健に残り、今のままを続けること。

 

I老健に残ると言うことは、ほぼ確実にこのまま看取りへと繋がっていくことでしょう。

看取りの状態に入ると、個室に入り、毎日直接の面会も可能になります。

コロナ禍であることは変わりませんから、15分間だけのようですが。

 

お医者さんと看護師さんからの話の大筋は以上のようなものでした。

さっちゃんが自分の状況を理解でき、どうしたいか意思表示できれば最善なのでしょうが、望むべくもありません。

僕が決定しなければなりません。

最初に肺炎になって救急隊員から決断を迫られたのが最初でした。

その後、1回か2回あったでしょうか、僕はさっちゃんの生殺与奪の権行使を強要されました。

これまでは常に涙と共にを選びました。

今回は涙が自然に流れるような緊急突発的な事態ではありません。

ゆっくりと考えることが出来ます。

とは言え、2、3日中に決定しなければならないのですが。

ただ、お話を伺いながら、僕の心の中では選ぶべき道は決まっていました。

 

最後に嬉しい申し出がありました。

さっちゃんに会えるというのです。

この老健内のさっちゃんのいる部屋で、さっちゃんの横になっているベッドで会えるというのです。

その時僕は、「カメラを持ってくればよかったなぁ」などと考えていました。

もっとまともな感想を持てないものでしょうかね。

 

さっちゃんの部屋は3階にあります。

エレベーターで3階に行くと、「広いフロアだな~」といった印象でした。

中央に広く病院のナースステーションのような場所があります。

それを取り囲むように部屋があります。

病院の入院病棟とよく似た雰囲気ですが、それよりもすべての部屋と中央にあるスタッフさん達がいるエリアが近いのですね。

さっちゃんのいる部屋に通されました。

ベッドが5つくらいあったかな、詳しくは観察していません。

他のベッドにはどなたもいませんでした。

夕食時間だったのでしょうか?

 

さっちゃんのベッドに来ました。

さっちゃんが目を開けて僕を見てくれます。

何やら声も出してくれます。

僕は久し振りにさっちゃんの手を握りました。

最初は左手、そして右手とも。

けっこう汗をかいている掌でした。

部屋ではさっちゃんはマスクはしていません。

鼻にチューブが入っていて、酸素が入っています。

ガラス越しの面会時はマスクをしていますから、さっちゃんの口の表情が分かりません。

でも、今は目と口とでさっちゃんの表情が伝わって来ます。

そんなさっちゃんの表情は僕の決断を後押ししてくれました。

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2度の面会と、7月の面談がありました

2024-07-11 23:06:49 | 面会

7月2日(火)、さっちゃんとの面会をしました。

妹のK子さんも来てくださいました。

暑い中、電車とバスを乗り継いで、僅か15分の面会時間のために来てくださいます。

有難いことですね。

 

▲14:30。K子さんが声を掛けてくれます。も唄ってくれました。写真では目を瞑っているさっちゃんですが、よく目を見開いて、こちらを見つめてくれていました。

 

この写真で注目して欲しいのは、さっちゃんの腕と脚です。

まずですが、さっちゃんは両腕が拘縮していて、胸の前でXに組んだ状態になっていました。

でも、この日の腕は組まれていません。

そして、は右足が拘縮していて、140度くらいに曲がったままなんです。

でも、この日はそれほどは曲がっていなかったように見えます。

何故なら、右足の靴の位置が左足とさほど大きくは変わらないからです。

 

▲14:31。先日の胃瘻交換をする前に、髪の毛を整えたようですね。上の方は髪はピンピン立っていますけれど、下の方は短くなっていますね。時々、声も出してくれました。

 

7月5日(金)、15時半から相談員のS田さんとの面談が行なわれました。

部屋に入って来られて真っ先に、「あんなに素敵な表情をするんですね」と嬉しそうに語ります。

一体、さっちゃんはどんな表情を浮かべたんでしょうかね?

恐らくは笑顔なんだと思います。

I老健で手厚い介護を受け、多くの見慣れたスタッフと接し、落ち着いた生活が送れているからでしょうね。

僕もこの老健でスタッフとしてさっちゃんに毎日会いたい気分です。

 

先日の面会で感じたさっちゃんの腕と脚の拘縮について聞いてみました。

S田さんはこんな風に話してくれます。

「緊張すると、腕をグッと組んで身構えるようにするんですよね」

「だから、まずは緊張感をほぐしてあげることが大切なんですよ」

なるほど、そうなのかもしれないな、と思いました。

 

体温や血圧等はここのところ安定しているようです。

便秘なのは相変わらずですが、排便はそれなりにあるようですね。

栄養補給も毎日10時16時に合わせて800kcalですが、嘔吐もなく順調なようですね。

ただ、液体状の栄養物ですから常に嘔吐の可能性はあるのでしょう。

ゼリー状の栄養物を与えることも検討しているようです。

ゼリー状なので胃から食道へ、さらに口の方へと逆流して行きにくいことは、何となく理解は出来ます。

ただ、液体と比較して、胃の中に一挙に入りますから、胃がびっくりして負担も増すのではないでしょうか?

詳細については聞かされていませんし、始めるとしたらいつからなのかも聞いていません。

まずは可能性について、僕に知らせてくださったのでしょうね。

 

7月9日(火)、14時半からさっちゃんと面会を行ないました。

▲14:37。最初は目を瞑っていたさっちゃんでしたが、面会時間の間中、ほとんど目を開けてくれていました。面会が終わると、また目を瞑っていたようです。僕のことを見てくれているんだと、思いたいですね。

 

▲14:43。前回同様、腕を強く組むことはありません。右ひじを車椅子の肘のせにのせています。写真では写っていませんが、右足もそれほど曲がっていないように見えました。

 

この日、僕は「ふるさと」の歌詞をメモして唄いました。

3番まで唄い、1番を再度唄いました。

「ウサギ追いし かの山  こぶな釣りし かの川

     夢は今も めぐりて  忘れがたき ふるさと」

「いかにいます 父母  つつがなきや 友がき

     雨に風に つけても  思いいづる ふるさと」

「志を はたして  いつの日にか 帰らん

     山は青き ふるさと  水は清き ふるさと」

さっちゃんもこの歌を口ずさもうとしたからかどうかは分かりませんが、時々「あ~」とか声を出してくれました。

 

この日はさっちゃんの洗濯物も受け取りました。

浴衣タイプの寝巻き3着とガウンタイプのが1着、他にも下着とズボンがありました。

これまでで一度の洗濯物としては一番多かったですね。

水曜日に洗濯して、木曜日にI老健へ持って行きました。

梅雨時で雨も時々降ったり湿度も高いので、木曜日の昼まで干していました。

浴衣タイプの2着は脇の下あたりが破れていました。

破れ終わりの箇所をそれ以上破れが進まないように止めの結びをしておきました。

もと通りに直すには、縫い方が複雑で、僕には出来そうにありません。

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胃瘻の交換をしました。6ヶ月おきくらいに行ないます

2024-07-03 11:38:06 | 胃瘻

6月29日(土)、この日はさっちゃんの胃瘻の交換日です。

前回、12月16日に交換しましたから、もう6ヶ月が経ったのですね。

 

僕は付き添いをするためにI老健へ8時10分までに行かなければなりません。

自転車で30分ほどかかりますから、7時半には家を出ます。

ゆっくりと朝ご飯(パンですけれど)を食べる時間がありませんから、バナナ1本食べました。

I老健に到着すると、介護タクシーがすでにスタンバイしていました。

 

▲8:19。さっちゃんも予定通り1階に降りて来て、介護タクシーに乗りました。退院した時以来の直接対面です。ほぼ1ヶ月ぶりですね。I老健に戻ってから、車椅子の角度が少しずつ立って来ていますね。車ですから、左右に揺れたりガタガタしたりしますから、さっちゃんは不安なのではないでしょうか?

 

▲8:33。病院に着きました。受付を済ませ、呼ばれるまで待ちます。視線は上向きになっていますが、しっかりと目を見開いていますね。「何事なんだろう?」と思っているのかもしれません。すぐ近くでさっちゃんと居ることが出来て、僕は嬉しいですけれどね。

 

しばらくすると、看護師さんが来て、処置をする部屋まで連れて行ってくれました。

処置室に入り、看護師さん2人で車椅子から処置台の上に移します。

「旦那さんも足を持ってくださいね」と言われましたから、移す際に僕も協力しました。

30kgないほどの体重ですから、僕の協力もたいして影響しないのでしょうけれどね。

 

▲9:15。胃瘻の交換自体はすぐに終了します。終了後、最初に出て来た医師が僕に説明してくれます。腹厚が少し広がったみたいで、今は2.0cmなのですが、「次回は2.5cmにしたいと思います」と言われました。次回は来年の1月になるようです。

 

▲9:34。介護タクシーに再び乗車して、I老健へ帰ります。さっちゃんは何を思っているのでしょうね? さっちゃんの手を握って、僕はいろいろと話しかけます。

 

病院での費用は1100円、介護タクシー往復料金が6960円でした。

早朝からバタバタして大変ですけれど、さっちゃんと直接会える喜びもありますし、時間もさしてかかりません。

帰宅後、ゆっくりとコーヒーを淹れて、いつもの朝食を作りました。

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I老健での面会は最頻でも週1回です

2024-06-21 14:43:07 | 面会

5月6日から26日間の誤嚥性肺炎による入院でした。

肺炎自体はなって欲しくない事ですけれど、悪いことばかりではありませんでした。

病院では毎日15分間は病室で直接面会できたのです。

19回の面会が出来ました。

入院と退院の日にも会えていますから、それも入れると21回ですね。

さっちゃんと会うのが日課のようになっていました。

ある意味、嬉しい日々でした。

コロナやインフルエンザなどへの対応がしっかりしている病院ならではなのでしょうね。

 

ところが、老健へ復帰するとそうはいきません。

病院ほどの強固な対応力はないでしょうから、致し方ありません。

最頻でも、週1回のペースでしか面会できません。

しかも、直接ではなく窓越しです。

I老健へ再入所してからは2回の面会が実現しています。

 

6月14日(金)14:33。顔が少し上向きの姿勢でした。僕もガラスの前で立ち上がってさっちゃんと目を合わせます。

 

6月19日(水)14:35。テレビで認知症患者の音楽記憶について放送がありました。普通の言葉を含めての記憶のあり方と音楽記憶が異なっているそうです。音楽記憶は残り易いそうです。ですから、この日は何曲かを口ずさんでみました。「夏が来れば思い出す~♫(曲名は忘れました)」「故郷」「海は広いな~♫(これも曲名は忘れました)」を歌いました。でも、歌詞を準備していませんでしたから、ちゃんとは唄えてません。さっちゃんにとっては歌詞は関係ないのかもしれませんが、やっぱりちゃんと唄いたいですよね。さっちゃんも僕の歌に少し反応したように感じます。僕の勝手な思い込みかもしれませんけれどね。

 

次回の面会申込みを電話で行ないました。

電話でするのがルールなんです。

でも、何と何と! 翌週は予約で全部埋まっていました。

次回は7月になってしまいます。

これからは次週分を予約するのではなく、翌々週分を予約しなければなりませんね。

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無事退院し、I老健に戻りました

2024-06-03 22:47:26 | 肺炎

病院と老健の対応力の違いなんでしょうが、病院では毎日さっちゃんに直接面会できるのが嬉しかったですね。

老健に戻ると、さっちゃんに対してのキメ細かな介護があって、僕もより安心ですし、さっちゃんも心地よいのではと思います。

ただ、老健に戻ると、直接面会は出来なくなります。

窓越しの通話機を使った面会です。

 

5月30日16:21。病院での最後の面会です。いつも通り、僕がさっちゃんの目の前に顔を出すと、「あ~う~」と何やら小声で少し喋ります。僕の顔の印象、記憶が少しでも残っているのなら嬉しいですね。

 

この日はその後で『オッペンハイマー』を観るので、面会は15分で切り上げました。

さっちゃん、ご免ね。

『オッペンハイマー』は3時間もの大作で、アカデミー賞も受賞しています。

しかし、感動作とは思えませんでした。

扱っているテーマが重いばかりで、映画としては失敗作ではないかと感じてしまいました。

映画として観せるのではなくて、書籍として読ませるべき作品だと思いました。

 

5月31日6時半にアラームで目を覚ましました。

この日はです。

バタバタと準備をし、前日の食器を洗い、朝食を作りました。

自転車でなく、歩いて病院まで行くので、早めに家を出ます。

病院に着くと、入退院受付で入院費を精算しました。

そして病室へ行き、さっちゃんの荷物を背負って来たザックに詰めます。

介護タクシーの会社が用意してくれたストレッチャーにさっちゃんは移されています。

で、介護タクシーの運転手さんと病院を出ました。

病院の玄関を出ると、いきなりの強風でさっちゃんに掛けられていた薄手の羽毛布団が飛ばされてしまいました。

地面に落ちて少し濡れた面を上にして、さっちゃんに掛け戻します。

そのストレッチャーは介護タクシーにしっかりと固定できるようになっていますね。

 

5月31日9:43。介護タクシーの中です。僕はさっちゃんの横の席に座ることが出来ました。さっちゃんは真上の天井を見つめ続けていました。よく揺れますし、右や左に移動しますから、さっちゃんはどんな気分なんでしょうね?

 

I老健に到着すると、さっちゃんはしばらく玄関ロビーで待たされます。

ストレッチャーから老健のリクライニング車椅子に移されました。

羽毛布団もなくなったので、さっちゃんの荷物からミニ毛布2枚と肩掛けを掛けてあげました。

コロナの抗体検査(だったかな?)の陰性結果待ちです。

陰性が分かると、僕もさっちゃんも面談室へ。

さっちゃんは体重を計ると、3階へ行ってしまいました。

これで、しばらくは姿を見ることが出来なくなります。

 

その後、さっちゃんの荷物を老健の人に渡し、医師の説明を受けます。

再入所になりますから、入所手続きの幾つかの書類にサインしました。

次回面談予定が決まり、この日やることの全てが終了しました。

 

雨は止んでいて、買い物をしてからシティバスで帰宅しました。

疲れました。

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月末の退院が決まりました。嬉しくもあり、寂しくもあり

2024-05-29 23:13:00 | 肺炎

痰の吸引は4時間おきくらいになってきていますから、I老健へ戻れる条件は整いつつあります。

病院はI老健よりも近く、15分間だけですけれど、毎日面会もできます。

しかも、直接面会できますから、手で撫ぜたり、鼻を擦り付けたり、唇を当てたりだって出来ました。

I老健では窓越しの面会週1回だと思います。

寂しい限りです。

退院の日が近づいていることを肌で感じ始めていました。

 

5月27日16:57。うたた寝してしまって、目が覚めて、慌てて時計を見たら、16時半でした。一瞬、「これは無理だ、今日は面会できない」と思いましたが、すぐに気を取り直して急いで準備。自転車で病院へ。面会が許される時間は17時までです。それまでにNSに到着すればいいと思い、ぎりぎりセーフ! いったん病室に入れば、許された15分間いたって構いません。あまり長くなると、事務の方が声掛けに来ますけれどね。僕の手も写っていますね。さっちゃんの手、額、顎、頬、鼻、肩、・・・・。あらゆるところを僕は触り、撫ぜます。

 

病室に入って、僕はさっちゃんが目を開けているかどうかをまず見ます。

五分五分くらいの確率で目は開けていますね。

目が開けられていたら、何か喋っていないかなと聞き耳を立てます。

極々たまには喋っていることもありましたが、普通は無口です。

それから、さっちゃんの顔の前に現われて、「さっちゃ~ん、こんにちわ!」と挨拶するんです。

さっちゃんは表情は変わらないのですが、「あ~、う~」などと喋り始めるんです。

そういうことなどを確認するのが、嬉しいですよね。

 

5月28日16:00。この日は一日中雨予報の日でした。歩いて病院へ行こうと外へ出ると、雨は降っていません。道路も乾いています。すぐに戻って、自転車で行くことにしました。そろそろ洗濯物があるころと思っていたのですが、ありません。この3日間の排便記録は全部「-」です。寝巻きが汚れることはありませんしね。

 

写真では撮れませんでしたけれど、さっちゃんの表情が一瞬笑ったように感じられました。

大笑いを10、無表情を0とすれば、どれくらいの笑いのレベルかと言えば、1か2でしょうか。

「僕の気のせいだよ」と言われれば、そうかもしれませんね、反論できません。

でも、ちょっとでしかありませんが、笑ったように見えたんです。

それだけで、僕は幸せを感じることが出来ました。

 

5月29日15:49。この日はちょっと大人しいさっちゃんでした。目を開けている時間がいつもの半分くらいでした。開け方もあまりパッチリではなかったですね。眠たかったのでしょうか?

 

NSで事務の方に呼び止められました。

相談室と連絡を取ってくださったようです。

「ここで会いますか? それとも後ほど電話で話されますか?」

僕はここでしばらく待つことにしました。

相談室に連絡を取ろうとしてくださいますが、なかなか繋がりません。

しばらくすると、電話(院内用?)を持って来て、「これで話します?」と。

で、相談室の方と話をしました。

「痰の吸引が1日5回くらいまでになっているんですよ」

「I老健さんでもこれくらいの状態なら受け入れは可能だということです」

「退院が可能な状況ですが、どうされますか?」

もちろん、僕としても退院には賛成です。

老健では介護面が病院よりも充実しますから、さっちゃんもより心地よく過ごせることでしょう。

「では、月末の退院にしましょうね」

と言うことで、5月31日(金)の退院が決定しました。

 

この後で、入退院手続き窓口で入院費用のおおよその額を教えてもらいました。

退院の日に支払う必要があるからです。

退院は嬉しいことですが、毎日直接面会できなくなると思うと、寂しくもありますね。

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さっちゃんの退院は嘔吐があって延期になりました。今月中に退院できるかな?

2024-05-26 23:09:29 | 肺炎

いろいろとやらないといけないことがあったりして、バタバタと暮らしています。

僕自身も遊ぶところはしっかりと遊び、それが自らのリハビリにも繋がっていますし。

さっちゃんとの面会も日常のルーティン化しています。

もう退院している予定でしたが、嘔吐があって延期されました。

 

5月16日。この日は天覧山での岩トレをしました。自分自身のリハビリを兼ねて、岩にも少し触っておきたかったのです。平日なので独りで行なうことになるだろうと思っていたら、2人も一緒にやってくれることになりました。嬉しいことですね。天覧山に向かう時、病院から電話がありました。退院についての話でした。

 

この日までは、さっちゃんは20日退院することに決まっていたのです。

 

5月17日15:05。この日はさっちゃんの妹さん二人が面会することになっていました。僕も妹さんにお願いすることがあったので、病院には行っていました。ところが、さっちゃんはこの日、嘔吐して熱も少し出たようです。薬の投与もあったでしょうから、この日のさっちゃんは目を閉じて眠り続けていました。妹さん達には不運な日でした。

 

NSの事務の方が、僕に「ちょっとだけなら面会していいですよ」と言ってくださいます。

面会ルールでは2人までですから、もう僕は面会できないはずなのです。

嬉しいことですね。

それで写真も撮れました。

目は閉じたままです。

嘔吐したとのことですから、洗濯物もあります。

家でチェックすると、右袖に嘔吐物が付着していました。

胃液のようなものなのでしょうか?

それほど大量ではありませんから、洗濯はそんなに大変ではありません。

 

5月18日16:50。嘔吐の影響が心配されましたが、大丈夫でした。熱も下がったようです。少しは誤嚥があったかもしれませんが、肺炎を悪化させるほどではなかったようです。

 

5月19日11:39。僕のリハビリ山行に付き合ってくれているT橋さんと二人で奥多摩を歩いて来ました。倉沢見通し尾根ですが、途中、廃村にも寄ったりしました。この日のゴールだった一杯水避難小屋では10数年ぶりの出会いもありました。20年ほど前、よく一緒に岩、沢、雪山へ行っていた若者です。結婚後、危険な山行は止めて、今は50代になりましたが、フリークライマーとして5.14クライマーになっています。凄い! 僕同様、シロヤシオを見に来たそうですが、どうやら今年は裏年のようですね。写真は倉沢見通し尾根上部の落葉広葉樹林です。この辺りがとても綺麗です。

 

5月20日16:26。この頃からの正確な記憶が無くなっていますね。さっちゃんの体調にも変化はないようでしたし。

 

どの日だったかは覚えていなかったのですが、洗濯物が便で汚れていたことがもう1回ありました。

前回と比べると、微々たる汚れでしたから、洗濯も楽でしたね。

 

5月21日15:47。19日の山行の筋肉痛が残っていたのですが、天覧山に誘われました。体を動かした方が筋肉痛にも好影響かと思います。写真は、ちょっと変化のあるルートにチャレンジしてもらった時のものです。

 

5月22日15:30。体調も安定しているので、退院の話も再び持ち上がって来ました。

 

5月23日16:28。いつものことですが、僕が目の前に現われると、何やら声を発してくれます。看護師さんやPTさんが来た際も何やら喋るみたいですね。この日だったか、点滴の針を看護師さんが足の血管に入れようとしていました。さっちゃんはその瞬間、痛いですから足を動かし、痛がる声を発します。

 

5月24日16:41。体調は安定しているようですね。痰の吸引も最初のころは2時間おきとのことでしたが、もう4時間おきくらいになっているようです。

 

5月25日16:15。この日、僕は沢登りする予定でしたが、前日からの腰痛が回復せずに行かないことになりました。で、さっちゃんの元へ。そろそろI老健へ戻る話も具体化するのではないでしょうか。

 

5月26日成木の森トレイルランに参加したS上さんと夕方T川で会いました。

お仲間のランナー二人とも一緒です。

約20kmの山道を3人とも3時間とちょっとで走り抜けたそうです。

凄いですね!

さっちゃんには明日会いに行きます。

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さっちゃんの退院が近いかもしれません

2024-05-17 22:13:07 | 肺炎

5月14日の朝9時41分、前日にひき続き病院から電話がありました。

前日のこともありますから、さほど心臓には負担がかかりませんでした。

前日に「相談員の方からも電話が行くと思います」と言われていましたし。

とは言え、やっぱり病院からの電話は嫌なものです。

 

やはり相談員さんからでした。

さっちゃんの転院先や療養病棟への移動についてだろうと思いました。

ところが、そうではありませんでした。

なんと! なんと! いきなり退院についてでした。

 

5月14日15:23。この日のさっちゃんはどんな風だったのでしょう? この日の面会から数日後に書いていますから忘れてしまいました。僕だって数日後にはいろいろ忘れてしまうことがあるのですから、さっちゃんは僕が連日面会に来ていることを覚えていないのかもしれませんね。それでも、僕は会えることが嬉しいです。

 

この日も朝に、退院についての電話が掛かって来ました。

内容は前日のと同じですね。

 

5月15日16:40。この日もさっちゃんはよく目を開けてくれています。それに何やら喋ってもくれます。意味は感じられませんが、僕に語りかけてくれてるように感じます。僕がいない時、一人でいる時は、こんな風に声を発しているのでしょうか? 目の前に人がいるから喋っているのだとすると、やっぱり僕に語りかけているんだと思います。

 

僕の勝手な思い込みなのかもしれませんが、さっちゃんは僕を見つめてくれていると思います。

もちろん、赤ん坊がそうであるように人の顔をとりわけ強く認識しているだけなのかもしれませんが。

 

この日は洗濯物も箪笥の棚の中に入っていました。

メモ用紙が貼ってあって、どうやら汚れているようです。

汚れているということは、便か尿か、ですね。

帰宅してから、洗濯物をチェックしてみました。

浴衣の寝巻きのお尻より下に便がたっぷり付いていました。

オムツから漏れて出て来たんですね。

お風呂場で便で汚れた部分にお湯を掛けて便を落とします。

バケツで受けているので、バケツの中のお湯をトイレの便器に運んで流します。

お湯を掛けるだけでは落としきれませんから、結局最後は素手で落としました。

ヌルッとした感触が手に感じられます。

自宅で介護していた頃にも便との格闘はよくありましたから、久し振りで懐かしくさえありますね。

浴衣の寝巻きに付着したヌルッとした手触りがほぼ無くなって、その寝巻きを洗濯機にかけました。

洗い終えて見てみると、便で汚れた部分が黄色っぽくなっています。

どうすればいいんだろう?

あっ、そうだ! 漂白剤を使おう!

これまでの人生で僕は漂白剤なるものを使ったことがありません。

探してみると、ありました。

さっちゃんが買っておいたのですね。

細かな文字で書かれた使用方法を何とか読み解いて、バケツにお湯と漂白剤を入れました。

そして、そこに寝巻きの黄色く色の付いた部分を浸しました。

書いてあった時間浸して、ビニール手袋をはめた手で絞って確認すると、黄色みが消えています。

さらにお湯で何度かすすいで、2度目の洗濯機にかけました。

洗濯終了し、薄暮の中、ベランダにひとつ寝巻きを干しました。

その日の晩はそれから雨なんです。

でも、翌日(16日)は山の仲間と天覧山で岩トレしますから、朝はバタバタしています。

とりあえず、夜から干しておくことにしました。

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連日、さっちゃんと面会できるのが嬉しいですね

2024-05-14 13:17:40 | 肺炎

5月7日(火)は、本来ならばI老健でS田さんと面談を行なう日でした。

入院すると、いったん退所扱いになるようで、入所者ではありませんから面談もありません。

そればかりか、さっちゃんの持ち物を全部持って帰らなければならないんです。

まあでも、持ち物のほとんどは入院生活で必要なものでしょうから、どうせ運ばなくてはならないのですけれどね。

 

この日は午後から雨が降りやすくなる予報でしたから、雨の予報と睨めっこしながら、自転車で出かけました。

100リットルの登山用ザックを持って行きます。

I老健に着くと、さっちゃんの荷物が手押しの荷台に載せられて大きな段ボール箱に入っていました。

たいした量はなくて、70か80リットルくらいの量で収まりました。

そして、病院へ自転車を走らせます。

さっちゃんの居る病棟のNSへ行くと、面会の手続きをします。

荷物は適当に備え付けの箪笥に入れればいいとのこと。

5月7日14:39。さっちゃんは窓際のベッドにいました。マスクはしてなくて、酸素チューブは鼻に入っています。頭の下にはアイスノンのようなものがあります。勿論いろんなセンサーや点滴も。

 

写真の右端にちょっとだけ見えているのが箪笥です。

細長くて、容量はほんの少しです。

そこに衣類や口腔ケア用のもの、入院中に必要そうなものを入れました。

寒い時用の膝掛のようなもの等は持って帰ることにします。

 

荷物整理が終わると、さっちゃんのそばへ。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」

「大変だったね~」

「目を開けてごらん」

と語りかけます。

老健での面会と違うのは、さっちゃんが目の前に居ること。

さっちゃんの手を持ち、時々顔を撫でたり出来ることです。

さっちゃんはどう思い、感じているんでしょう?

解熱剤も投与しているでしょうから、この時はさほど熱は高くありませんでした。

そして、ほんの時にですけれど、目を見開いてくれます。

うっすらと半分ほど見開くだけですけれど、僕を見てくれます。

僕のことを分かってくれているかどうかは分かりません。

でも、その一瞬だけでも見てくれれば、ほんのちょっとは幸せな気分になれます。

 

5月8日14:53。酸素チューブが鼻から外れましたね。それだけ容態は良くなっているのだと思います。この日はあまり目を開けてくれませんでした。でも、この写真では左目が少しだけ空いてますね。

 

ティッシュがなかったので、家から持って来ました。

前日は病院の用意した寝巻きを着ていましたが、この日はさっちゃん自身の寝巻きでした。

看護師さんは浴衣タイプの方がいいと言っていましたが、着ているのはパジャマタイプのでした。

看護師さんが来たので、「今日は熱が下がって来たようですね」と僕が言うと、

「でも、朝は40度ちかくあったんですよ」とのこと。

痰の吸引も2時間おきに行なっているそうです。

 

5月9日15:59。ほんの時々、うっすらと目を開けてくれるさっちゃんです。この日は左目だけでなくて、右目も一緒に開けてくれることがありました。この写真も、右目が本当にうっすらと開いてるように見えますね。

 

この日はなかなか目を開けてくれませんでした。

と言うか、完全に寝ている様子でした。

それでも、「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん、目を開けてごらん」と呼びかけ続けました。

だいぶん経って、声を発するようになり、目をうっすらと開けてくれました。

しかも、両目を。

まあ、すぐに目は閉じるんですけどね。

さっちゃんの両手はかなり拘縮していて、胸の前で組んだ状態になっています。

指も握った状態になっています。

その握られた左手の指の中に、僕の指を差し込みます。

僕はさっちゃんの指を擦り、手の平を擦ります。

さっちゃんは赤ん坊のように僕の指をちょっと強く握るように持つんです。

赤ん坊と同様の反射反応なのでしょうかね?

 

箪笥に紙が貼られていて、オムツチェックの記録(多分)が記されていました。

尿と便の記録が+と-で記されています。

尿は常に+、便は全部-でした。

看護師さんが来たので、さっちゃんが便秘気味だと話すと、

「まだ食事をしていませんからね」と言います。

胃瘻からの食事をしていないので、排便が無いのが普通だと言うことでしょう。

栄養も水分も今は点滴を通じて摂っているんですね。

看護師さんに、家からタオルとバスタオルを持って来たことを告げました。

 

5月10日、病棟のNSへ行くと、

「今、1階で検査してますから、しばらくデイルームで待っていてください」と言われました。

で、待っていると、事務の女性が

「4時半くらいに検査が終了するそうです」

「エレベーターで上がって来ますから、来たら一緒に病室に向かってください」

と伝えに来てくれました。

5月10日16:46。検査帰りなのでマスクをしていますね。出かけていたので、意識がはっきりしているようです。目もしっかり開けてくれています。声も出ていました。

 

洗濯は僕がすることにしています。

「分かり易い所に置いておきます」とのことだったのですが、探しても見つかりません。

帰り際、事務の女性にそのことを話すと、病室に行って探してくれました。

見つかりました。

そして、僕を病室に連れて行って、置いてあった場所を教えてくれます。

箪笥の中に、ビニール袋を固く縛って「洗濯物」と書いて置いてあったそうです。

ちょっと分かりにくい場所でしたが、こんな所に置くことがあると分かったので、次からは大丈夫でしょう。

 

5月11日は手術して退院後、初めて沢登りに行きました。会の仲間3人が僕をサポートしてくれました。小さな易しい沢を登ることが出来ました。本当に嬉しいことです。山仲間の優しさに感謝! 写真はこの沢の核心部の滝を登っている僕です。ザイルで確保してもらっています。

 

この日は面会は出来ませんでした。

夕方5時までしか面会できません。

 

5月12日16:19。入院してから、この日が一番パッチリと目を開けてくれていました。声もよく出ていて、高音の声を発してくれていました。

 

金曜日に受け取った洗濯物を12日の日曜日に洗濯しました。

まず、さっちゃんの服を洗濯し、干します。

続いて、僕が沢登りで汗まみれになった服を洗濯しました。

この日は陽はあまり照りませんでしたけれど、風があって、洗濯物はよく乾きました。

ですから、面会の時に持って行くことが出来ました。

 

5月13日(月)の9時24分、さっちゃんが入院している病院から電話が入りました。

さっちゃんが急変でもしたのかと、ドッキリします。

すぐに、そんな Bad News でないことが分かってホッとします。

さっちゃんの容態が安定しているので、この先転院するか同じ病院の療養病棟に移るかの可能性があるとの話でした。

以前もそうでしたが、肺炎自体が収まって来ていても、痰の吸引がまだ必要なんです。

夜も2度3度、痰の吸引をしなければなりませんから、I老健ではまだ受け入れられないのです。

I老健には看護師さんがいますが、せいぜい夜に1度の痰の吸引が出来る程度の体制なんだそうです。

 

この日はでした。

僕は病院まで歩いて向かいます。

5月13日16:25。前日ほどはパッチリとは目が開いていませんが、よく僕の方を見てくれています。時々、視線もよく動いていました。

 

看護師さんが来て、痰の吸引をしてくれました。

からだけしていました。

カテーテルを鼻から入れると、さっちゃんは嫌だと言う声を発します。

嫌に決まってますよね。

僕も自分でカテーテルを鼻から入れてみたことがありますが、実に不快です。

口から喉へは、いったん入れると少し慣れて、あまり不快には感じなくなります。

でも、鼻は違います。

慣れません。

不快極まる感じが続きます。

痰の吸引も2時間おきだったのが、今では2~3時間おきになったそうです。

そして、この日から胃瘻を使い始めたそうです。

もちろん、まだだけだそうですけれどね。

すぐに栄養を入れると、胃がビックリしてしまうので、最初は慣らすことから始めるようです。

箪笥に貼ってある、さっちゃんの排尿と排便の記録を見ると、前々日から排便の欄に「+」が記されています。

栄養はほとんど摂っていないそうですから、宿便か何かなんでしょうかね?

少しずつ胃腸も活動し始めているということなんでしょうね。

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