さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

丹沢の葛葉川本谷で沢登りトレーニングの会山行を行ないました

2023-08-22 13:23:10 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年4月24日(日) 葛葉川本谷

 

葛葉川本谷        

(会山行参加者)L○○(僕の姓)、SLさっちゃん、M田、A立、K島、Y口

今回は初級者の実践トレーニングと銘打っての山行であった。我々のトレーニング的山行にずっと参加してきたK島、A立をメインに、いたるところでザイルを出させ、自然物を利用してのセット、ビレーを行なう。沢の入門コースとしては最適といわれるこの沢での実践トレーニングはやはり時間を要すが仕方がないであろう。

朝方、曇り空だったが、天気も快復し、あたたかい午後となる。雨のO原さん会山行のときのことを思い出す。

K島、A立の両者はそれなりに充実した山行であったことと思う。それにしても、こういうのを見てると、自分は本当にサブリーダーとしての任にあまんじてよいのだろうかと考えさせられる。彼女達と同じ、いや以下かもしれないのでは・・・・。岩を登れる、歩けるだけではどうにもならない。総合的な面で、他人の上(サブリーダーとして)に立つというのは早いのではないだろうか。そのうえ、自分の性格としては向いていない。

何はともあれ、無事に沢終了し、三ノ塔尾根を下る。車道に出て、どこをどう間違えたのか、大秦野ゴルフクラブを通り抜け、横野というバス停に出た(戸川バス停の1つ前)。うまい具合にバスにとびのることができた。

下りはやはりヒザが痛い。

ベテラン参加者のM田、Y口の両者は勝手にやってもらう。

富士型の滝でザイルたらして遊んでたようだ。

T瀬5:27~池袋5:59~新宿6:31

以下、会の月報報告ですが、K島さんの文章です。日記に貼り付けてありました。

 

‟実践トレーニング”レポート        葛葉川本谷 沢登り初級

 参加メンバーは二つに分かれる。ベテラン組は自主トレーニングをエンジョイしながら遡行を先行する。訓練生組は真面目に実践トレーニング、訓練生のA立さんと私がリードとセカンドの役割を交代でとりながら、SL扮する初心者を連れて行くという具合である。横向きの滝、板立の滝、富士型の滝、その他、通常ノーザイルで登るところでもザイルをセットし、実践トレーニングで体験できたいくつかの事柄を報告したいと思う。

セカンドが行なう確保 太い灌木・大きな石等、墜落の衝撃に充分耐えられそうな自然物を捜す。ザイルをセットする。万が一トップが墜落した場合に備えて正しい体勢をとる。なるべくザイルは濡らさない。

中間確保の取り方 トップがルートを読みアンザイレンして登り始める。途中自然物を利用して中間ビレーをとる。細い灌木を五、六本まとめて根元でシュリンゲをダブルプルージックで結ぶとかなり効く。下から上までザイルが一直線に伸びるように左右の中間ビレーをとっていくこと。自然物がない場合、ロックハンマーを使って適当なクラックにハーケンを打込む。クラックが堅く、ハーケンのあごが岩壁につくまでピタリと打ち込めるとは限らない。その場合は、ハーケンのあごの付け根にシュリンゲをタイオフしてビレーとすることもできる。セカンドがそのハーケンを回収する。

トップが行なう確保 太い灌木、ボルト等のビレイポイントを捜す。セルフビレーをとる。ザイルをセットして確保体勢をとり、声で又は身振りでセカンドに合図を送る。声が届かなくてしかも相手の姿が見えない場合、お互いの作業工程をタイミングで、又はザイルを引いた時の指先の感覚で推測する。

 他にも収穫はたくさんあった。

 一連の作業を二度三度と繰り返して行くうちに、すべての作業が安全の為であること、信頼のおけるパートナーの大切さなど改めて痛感した。Lの終始妥協を許さない厳しい指導姿勢が大変有難く思われる。    (K島)

(コースタイム)葛葉川遡行開始地点8:05~8:40ー林道12:15-昼食12:45~13:15-富士型の滝13:35~14:25-遡行終了点14:45~15:20-林道16:10~16:25-横野バス停17:30

※ザイルワークは実際に自分で使ってみないとなかなか身につかない。今後とも参加者には本番でのリードを経験して欲しいし、どしどしやってもらう予定でいる。重いザイルを背負って沢を歩いたり、ツメの急登を登ったりも当然やってもらうつもりだ。その際、基本的には男も女もない。平等である。そして、みんなの力を合わせて、大きな沢にも入りたいものだ。(L)

 

2023.08.22 追記

2ヶ月前の捻挫もまだ完治してなくて、さっちゃんには影響が残っているようですね。そんなこともあってか、さっちゃんが珍しく弱音を吐いている日記です。自分がサブリーダーとしての確かな技量があるかどうか不安な気持ちを書いていますね。

さっちゃんは性格的にリーダータイプではありません。リーダーにはどっしりと構えてもらうだけで、現場を取り仕切るようなタイプのサブリーダーでもありません。僕とさっちゃんのL・SL関係の中では、現場を取り仕切るのは僕で、さっちゃんは補佐的な役割に限定されていたと思います。さっちゃんのSLとしての最重要な役割はLである僕が間違った判断をした際に、それを僕に直言し、修正を促すことでした。

その間違いが単純な間違いであれば指摘することは簡単です。複雑深刻なのは、その間違いがリーダーの情熱というか意気込みのようなところから発生している場合ですね。リーダーは自らが計画した山行を成功させたいと強く願っていますから、場合によっては少なからず無理な判断をするケースがあるのです。そのような状況でリーダーである僕の頭を冷やすような進言をするのがさっちゃんの役割でした。すご~く困難な役割だと思います。比較的慎重な僕ですから、ほとんどそのようなことはないのですが、数年間に一度くらいはあるんですね。さっちゃんはそんなレアケースでしっかり確実に僕へ語り掛けてくれていました。しかも、他メンバーに聞こえないように、僕と二人だけの空間で。僕にとっては最高のサブリーダーでした。

 

月報最後のリーダーの弁の中に「基本的には男も女もない。平等である」と僕が書いています。当時は岩や沢の世界にも男女差別の風潮が残っていたんです。僕と出会う前のさっちゃんは岩登りでリードをしたことが無かったと言います。女性にはリードをさせない、という間違った女性保護意識を持った先輩男性に指導を受けていたからのようです。

さっちゃんとザイルを組むようになって、僕はさっちゃんに言いました。「ザイルパートナーになるのだから、当然リードもしてもらう。僕と同じことが出来ないと困る」と言ったのです。初めて滝谷の登攀に行った時は、まだ僕が全ピッチリードしましたけれど、その後はすべての岩登り本番ではつるべ(交替)で登攀しています。

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N子さんが面会に来てくれました

2023-08-10 22:52:32 | 面会

先日、相談員さんと話した時に、さっちゃんが帯状疱疹を患っていることを知りました。

少し面会を遅らせた方がいいのかなと思っていましたから、今日になってしまいました。

ベッドごとデイルームに運ばれてきたさっちゃんはこれまでと変わりない様子に見えます。

ちょっとホッとしますね。

さっちゃんは目をしっかりと見開いて、こちらを見つめているようです。

N子さんに何かを言いたいのでしょうか、もぞもぞと何やら喋っています。

でも、その声はか細くてほとんど聴き取れません。

N子さんはさっちゃんのすぐ下の妹さんで、年もいちばん近いですから、さっちゃんの中では最も記憶に残っているのかもしれません。

妹さん、弟さんの中ではさっちゃんの心が一番動いているように感じるのは僕の思い込みでしょうか?

 

▲15:41。さっちゃんはN子さんをしっかりと見つめています。N子さんはさっちゃんが大好きだったスヌーピーを持って来てくれました。本当はベッド脇のさっちゃんの目に留まる場所にぶら下げておきたかったのですが、それは出来ませんでした。

 

▲15:48。さっちゃんの頭の上からパチリ。今日のさっちゃんはずっと目を開けていてくれました。

 

看護師さんにさっちゃんの帯状疱疹のことを聞きたかったのですが、N子さんの帰りのバスがすぐ出るので、聞けませんでした。

見た感じ、大丈夫そうでしたから、心配はなさそうですね。

僕はさっちゃんの頭側にいて、さっちゃんの頭をずっと撫でていました。

さっちゃんは何を思い、何を感じ、何を考えながら、この療養病棟での日々を過ごしているのだろうと想像すると、哀しく辛くなりますね。

2週間に1度でなくて、毎日でも会えないものでしょうか?

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グループリハビリのS田先生からメールがありました ――― さっちゃんを愛してくださって有難うございます

2023-08-06 22:36:42 | 言語リハビリ

2年ほど前まで、さっちゃんは言語リハビリに通っていました。

担当してくださったST(言語聴覚士)のT田先生が紹介してくださった失語症のグループリハビリにも通うようになりました。

このグループリハビリは病院ではありませんし、デイサービスなどの介護施設でもありません。

さっちゃんが一個人として参加しているグループ活動のようなものなんです。

もちろんそんな意識はさっちゃんにあろうはずもなく、何故そこにいるのか理解できていなかったと思います。

僕だけの想いだったでしょう。

それでも貴重な社会との接点のひとつとして、大切な場だと感じていました。

 

その失語症グループリハビリでは毎月の月報が発行されていました。

手元には2019年5月の月報から残っていました。

その月報はさっちゃんの入院中も毎月送られて来ていました。

もうグループリハビリに参加することは無理だなと思うようになって、その月報送付をお断りしなければと、ずっと気にしていたんです。

そんな中、グループリハビリの責任者であるS田さんから送付を中止しますとのメールが来ました。

以下はそのメールに対する僕の返信です。

 

 *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

このようなメールをS田さんの方から出させてしまって、心苦しい想いです。

幾年も前から、月報送付を遠慮しなければ、とは思っていたのです。

でも、さっちゃんにとっての数少ない社会との接点のような気がしていて、送付遠慮をお伝えすることが出来ませんでした。

単純に、僕自身の怠惰だったのかもしれませんが。

S田さんから言っていただいて、ホッとしております。

有難うございます。

失語症のリハビリに訪れることは、2021年11月あたりが最後だったと思います。

その月末に大腿骨転子部骨折で入院、いったんは自宅に戻れましたが、すぐに誤嚥性肺炎で入院。

老健を経て、今年のバレンタインデーに自宅へ帰って来てくれました。

その頃は、冷静な思いの中ではグループリハビリに行くのはもう無理だと考えていました。

でも、一縷の希望的観測としてはあの場に訪れることくらいは実現できるようにならないかな、と願っていました。

ほぼ不可能なことだとは知っていながら。

再びの誤嚥性肺炎で再入院し、身体も弱りに弱ってしまい、その微かな希望も確実に無理なものとなっています。

今は自宅介護も難しそうだと、自分では考えるようになりました。

車椅子に乗れそうにありませんし、デイケアやショートステイも利用困難だと思われるからです。

病院の相談員さんから介護医療院のことを教えていただけました。

施設によっては面会もかなり自由になっているようですし、看取りも希望に沿って出来るみたいです。

もはやさっちゃんに必要なのは終末期医療だと思われます。

コロナ禍でなければ、特養などももっと早く利用したと思っています。

自由に面会が出来るでしょうから。

今、少しずつその辺りの壁が薄く低くなりつつありますから、介護医療院のことも検討する価値があると思われます。

S田さん、いろいろとさっちゃんに想いをはせてくださって有難うございました。

もし暇なお時間がありましたら、ほんの時々で構いませんので、さっちゃんのブログにも訪れてください。

さっちゃんがすぐそばに居なくなって2年近くが経ちますけれど、さっちゃんと一緒に居て体験した様々な苦労が懐かしくてたまりません。

今では思い出すたびにその頃の苦労が幸せなこととして思い出せます。

この文章を書きながら、涙が止まりません。

人の幸せとは不思議なものですね。

さっちゃん不在の今の時期も、いつの日か幸せな思い出として懐かしく振り返れる日が来るのかもしれません。

そうなって欲しいです。

 *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 

僕の返信に対して、S田さんから再度メールが送られて来ました。

さっちゃんがグループリハビリに行き始めたころの感想が綴られていました。

さっちゃんへの愛おしさが蘇って来ますね。

以下にS田さんからのメールを残しておきます。

 

最初にいらした日には、お二人のお姿から、山登りの帰りかしら? と本気で思いました。

いつもご主人を目で探され、そばにいてくださると安心したお顔をされていましたね。

時々聞き取れる言葉を発してくださることがあり、私の質問に対して「あっち(ご主人)に聞いて」と言われて、思わず皆で笑ったこともありました。

イライラがご主人に向くこともありましたが、ご主人はいつも優しく受け止めていらして、素敵だなと思っていました。

ブログは頻繁に拝見していますよ。

今のご様子もですが、お元気だったころの奥様のお姿を垣間見ることができて、発見が多いです。

あのかわいらしいおさげのお写真も含め。

これからも楽しみに開こうと思っています。

ご回復への希望を捨てることなく、ご夫妻で穏やかな日々を過ごされますようお祈りしております。

 

▲S田さんからさっちゃんの写真も添付されて来ました。メンバー表に掲載するために撮ってくださった写真だと思います。この頃はまだ自然に笑顔を浮かべることが出来たんですね。

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