さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

クリスマスに心温まるメールの交換が出来ました

2021-12-25 17:56:05 | 友達・知人・山仲間と
昨日はクリスマスイヴ、今日はクリスマス、家にはさっちゃんもおらず一人で過ごしていると、
ベツレヘムで誕生したイエス様に想いが引き寄せられてしまいます。
そんな中、さっちゃんのことでとてもお世話になっているSさんから、こんなメールが届きました。
Sさんには無断で掲載してしまって申し訳ありません。

今日は思わぬ病院の配慮で(リモートとはいえ)さっちゃんとご一緒に過ごされるお時間ができて良かったですね。奥様にとっても素敵なクリスマスプレゼントになりましたね。
昨日、ご夫妻の夢を見ました。横断歩道で奥様がなにやらお話しされていて(たぶん、「なんで渡っちゃいけないの?」とかだと思います)、ご主人様が「だって赤でしょ。危ないよ」と諭していらっしゃるシーンでした。
友人と歩いている私が見かけて、声をおかけしたところで目が覚めました。夢でもお会いできて嬉しかったですし、前と同じようにスタスタ歩いていらしていたお姿にホッとしました。
正夢になりますよう心から願っています。夢でお会いしたことをお伝えしたくてメールを差し上げました。明日はクリスマス。神様のご加護がご夫妻の上にありますように。(そういえば、聖フランシスコの平和の祈りは私も大好きです)


まさにこんなメールはクリスマスプレゼントですね。
一気に心がほっこりと温まりました。
最後の文面から、このSさんはクリスチャンなんだなと、理解しました。
そして、感謝の気持ちを込めて返信のメールを送らせてもらいました。

夢に見るまでさっちゃんに心寄せてくださって有難うございます。感謝の思いしかありません。
さっちゃんがいれば、小さなケーキでも買って食べるのでしょうが、男一人ではそれもなしです。静かに、イエス様の誕生を祝いたいと思います。
世間的には無宗教で、親族が集まる場では仏教徒、でも海外で強いて問われたとしたらキリスト教徒と答えたいと思っています。まったく根拠はないんですけどね。
内村鑑三だったか矢内原忠雄だったか、無教会主義の指導者が「大地は祭壇、天空は屋根」みたいなことを言っていました。ごちゃごちゃした教団や教派ごとの違いなどは捨て置いて、イエス様の自分の命を犠牲にして人を救う、という感覚は素晴らしいと感じます。日本人にも共感できる感覚です。
僕にとっては山が教会だと思います。ゴシック様式の教会ですかね。
祈りの場は世界中のすべてです。
声にも出しませんし、心の中で文章にもしませんし、キリストや聖霊の御名も通しませんし、アーメンとも言いません。でも、世界中の人々は祈っています。苦しみの中で、哀しみの中で、絶望の中で、不安の中で、無意識に本心で真摯に自然に、人々は祈っています。
また、子が親の愛情に打たれて、夫が妻の愛情に打たれて、男がその友の友情に打たれて、こみ上げて来る温かな溢れる想いの中で、人は悦びの祈りを捧げています。
それでいいんだと思います。そんな祈りに溢れる世界が来ればいいなと思います。
認知症のさっちゃんが僕にもたらしてくれたプレゼントはそのような祈りの心でした。僕の心の中にそのような祈りの心を多く芽生えさせてくれました。
知り合ってしばらくしてから、さっちゃんのことを尊敬すべき人間だと思うようになりましたが、認知症になってからのさっちゃんはそれ以上に僕に多くの素晴らしい心を与え続けてくれています。
イエス様や仏陀が人の前に乞食や病人や老人の姿で現われることがあります。そのような姿をした人こそが、人々に宝物のような心を育んでくれるんですね。
クリスマスイヴにちょっとセンチで宗教っぽい感慨にひたってしまいました。長々と済みません。


こんな気恥ずかしいメールを送ってしまった僕に、Sさんから返信のメールが届きました。
個人情報が含まれていましたから、かなり伏せて載せます。

クリスマスに心温まるお話をうかがえました。有難うございます。
さっちゃんはお幸せですね。昨年は、2つ並んだケーキのお写真を見せていただきましたね。
私は昔、S国に住んでいた時、S市の教会で洗礼を受けました。
でも、皆で仲良く会食だのバザーだのという日本の教会には馴染めず、殆ど教会には行きません。それでもクリスマスには毎年深夜ミサに行っていました。静かにクリスマスを迎えることができたからです。
それも、コロナのせいで(或いは、コロナにかこつけて)昨年からなくなりました。教会という箱がなくても祈ることはできますよね。○○さんのおっしゃる通り、祈りは自分の心から湧いてくるものですから。おやすみなさい。


Sさん、有難うございます。
思いがけず、心豊かなクリスマスを過ごすことが出来ました。

今日、さっちゃんにとてもよくしてくださった山仲間から悲しく辛い知らせも入りました。
さっちゃんのことを思う時、彼女のことも一緒に思い浮かべることにします。


▲16:00。日没前にひとりで散歩しました。とても気温が下がっていますね。車椅子だったらどうなるかな、とかも思いながら歩いています。
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さっちゃんの小学校時代の同窓生から電話がかかって来ました

2019-09-30 23:57:25 | 友達・知人・山仲間と
さっちゃんの故郷は九州です。
その小学校時代、生徒たちは担任の先生をとっても慕っていたようです。
生徒たちがいい齢になってからのことだったと思いますが、同窓会を作りました。
会報が届いたり、ときどき先生を招いて同窓会を開いて集まったりしていました。
場所はやっぱり九州が多いんですが、たまには関西やら首都圏やらでも開いていましたね。
東京で開いた際には、さっちゃんが幹事役みたいなことをしていて、僕も会場探しを一緒に手伝ったりしました。
その同窓会も、3年前に閉会になったようです。

そんな同窓生の中でも仲が良かった(んじゃないかな?)女性から今日電話がありました。
さっちゃんが認知症だと友達から聞いて、電話を掛けて来たようです。
さっちゃんの電話が鳴って、まずは僕が出て話しました。
その女性(Aさん)が誰だか、名前を聞いただけではさっちゃんには分からないようです。
だからでしょう、僕にしきりに手を振って、電話に出たくない意思を伝えてきます。
そんなことはお構いなく、僕は「じゃあ、さっちゃんに代わりますね」と電話を渡します。

さっちゃんは電話ではいつもと違って、割ときちんと喋ります。
もちろん全体的には意味不明なんですが、当たり障りのない挨拶などはまあまあ無難に口から出て来るんです。
短い時間ですが、挨拶をして、「元気よ~ぉ」とか喋って楽しそうでした。
最後にまた僕と電話を代わってAさんと話しました。
嬉しそうでした。
「お話しが出来て、良かったわ」とおっしゃってくれました。
「山登りも続けてるんですか?」と聞かれ、「一昨日にはさっちゃんと一緒に山へ行ってきましたよ」。
「体だけは元気なんですよ。ただ、側頭葉が委縮してるんで言葉が不自由なんです」と。

そして最後に、Aさんはこんなことを僕に伝えてくれました。
「以前お会いした時に、さっちゃんがこんな風におっしゃってたんですよ」
「私はもう旦那さん無しでは生きていけないの」


あのさっちゃんがこんな歯の浮くような科白を喋るとは思いませんが、
こんな風にも誤解され得るような言葉を語ったんでしょうね。
九州で開かれた同窓会にさっちゃんが最後に参加した際、今から思えば、認知症の症状が出ていて、
新幹線を使ってちゃんと行って、帰って来れるか凄く心配していたんです。
大分県の温泉に泊まったと思いますが、その時に上記の言葉が出たのかもしれませんね。
僕に頼らなければ新幹線にも乗れない、と自分に対して不安に感じ始めたころだったんでしょうね。

Aさんから「さっちゃんのことよろしくお願いしますね」と言われました。
僕もAさんから伝えられた言葉を胸に秘め、さっちゃんを愛し、支えて行こうと想いを新たにしました。
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看護師のA野さんが下山後に会いに来てくれました。さっちゃん、名前は忘れていましたが、会うと記憶が蘇ったようですね

2019-05-09 11:35:35 | 友達・知人・山仲間と
昨日は神経内科とリハビリテーション科の先生の診察といつもの言語リハビリがありました。
朝6時に起床すると、onになった僕の携帯にメールが。
どうやら昨夜遅く、A野さんからメールが届いたようです。
「今日、棒ノ折山を登るので、その帰りに会いたい」という内容です。
嬉しいことです。
即座に大歓迎!

A野さんとは2008年3月8日に丹沢広沢寺での岩トレ終了後に
居酒屋さんでお会いしたことが僕の記録に残されていました。
よほど印象深かったんでしょうね。
彼女とはその後2年間ほどは他の山仲間ともども密度の濃い楽しい山行を積み重ねました。
泊りの沢では焚火を囲み、クライミングでは越沢バットレス一般ルートをリードしました。
それなりの沢屋かつアルパインクライマーになれる直前で、仕事が多忙となり山へ行けなくなりました。

僕の歯の点検が16:45から入っていましたから、その終了後駅の改札口で合流することに。
さっちゃんも歯医者さんに一緒に来ています。
歯石を取ったり、歯のお手入れをしている僕の横で椅子に座って待っています。
まあ、今日のような日は一緒にいてくれた方がいいですね。

終了後、さっちゃんと駅へ歩きます。
「A野さんって知ってる? 覚えてる?」とさっちゃんに聞きますが、分からないよう。
「会えば分かるよ」と僕はさっちゃんに言いました。
さっちゃんは意外と人の記憶は残っていますから。

駅に着くと、A野さんの姿が見えました。
昔と変わっていませんね。
昔よりも少し細くなっているようにも感じます。
A野さん、思いっきりの笑顔でさっちゃんに挨拶してくれます。
さっちゃんも当然のようにA野さんだということが理解できていますね。
本当に嬉しいことです。

その後は再びの『ネパールキッチン』。
話しも弾みます。
今日はどうやら職場関係の皆さん6人くらいと飯能側から棒ノ折山に登ったそうです。
バスで川井駅に出て、A野さんは他の皆さんとはどこかで別れたんですね。
せっかくのお仲間と別れてまで会いに来てくれて、本当に感謝です。
さっちゃんのことを気にかけてくださってるんですね。

A野さんにとっても久し振りの山歩きだったそうです。
これからはさっちゃんとも歩く機会をぜひ作っていただきたいと、お願いしました。
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