さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

言語リハビリ中、さっちゃんは最初から最後まで椅子に座って寝続けました

2021-08-30 23:10:22 | 言語リハビリ
今日月曜日、2時にSTのY田先生が来られました。
2回お休みでしたから3週間ぶりです。
Y田先生が週に1回行っている施設があるのだそうですが、そこで新型コロナウイルス感染者が出たのだそうです。
Y田先生は濃厚接触者ではないのですが、念のためにPCR検査をして、陰性。
大事を取って仕事は数日間休むことにしました。
それで来れなくなったのが、先々週の月曜日。

ただその後、高熱に見舞われ、本当に具合が悪くなってしまったんだそう。
最初は唾液でのPCR検査だったそうですが、高熱が出た際には鼻奥の粘膜を採ってのPCR検査だったそうです。
その方が検査の精度が高いそうなんですね。
結果は陰性。
どうも単なる夏風邪だったようです。


Y田先生の夏風邪が回復したのは悦ばしいのですが、今日の主役のさっちゃんは椅子には座っていますが、眼をつむったままです。
Y田先生が「お早うございま~す」などと、さっちゃんに呼びかけるんですが、さっちゃんに変化はありません。
体温を計り(ちょっと高めの37.1度)、血圧を測り(110~48)ましたが、その間も眠ったまま。
椅子の背中に寄りかからないようにさせても、椅子から立ってもらっても、さっちゃんは寝たままです。

さっちゃんがこんな様子ですから、今日の言語リハビリは口腔ケアの実技講習会のような感じになりました。
正直なところ、僕はさっちゃんの口腔ケアはまったく出来ていません。
さっちゃんは水で口をなかなか漱いでくれませんし、スポンジブラシでこすらせてもくれません。
水を含んでくれても、漱ぐことはせずに飲み込んでしまうことがほとんどなんです。
スポンジブラシの際も口を開けてくれません。
さっちゃんが寝ている時に入れ歯を外してみようかとも思うんですが、それにもトライしていませんでした。

今日の実技講習は口腔ケア用ウェットティッシュの使い方です。
前回、我が家にそれがあることをY田先生には伝えていましたから、考えてくださったのだと思います。
そのウェットティッシュを人差し指にしっかりと巻き付けて、歯茎や舌や口蓋をこするようにして汚れを拭き取るんです。
入れ歯はしたままの状態でしたが、Y田先生がしてくださいました。
思いの外、汚れてはいないとおっしゃってくださいました。
本当はそんなことないと思うんですけどね。
人差し指への巻き付け方、口の中への指の侵入させ方など、言葉で教えてくださったり、実技で見せてくださったりしました。
眠っているということもあるんでしょうが、さっちゃんはほとんど抵抗しません。

僕が「眠ってる時にした方がいいんですかね?」と聞くと、
「起きてる時の方がいいと思いますよ」と、Y田先生。
さっちゃんが穏やかそうなときに、やってみようかなと思いました。
「来週もやってみましょうね」と、Y田先生が言ってくださいます。

さっちゃんは最後まで眠りっぱなしでした。
椅子に座ったまま、眠り続けています。

まあ、こんな日があってもいいかな、と僕は思いました
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8ヶ月ぶりの一人での岩トレでした

2021-08-28 23:53:17 | 僕の自由時間
8月26日の木曜日たった一人での岩登りトレーニングでした。
F沢さんに所用があって参加できなかったからです。
ですから、日和田でのザイルを使用したトレーニングは出来ません。
天覧山に戻って、一人でトラバースのトレーニングです。
トラバースは地面すれすれを右に左にと移動するだけですから、ザイルは必要ありません。

天覧山で初めて岩トレをこんな感じで行なったのはおよそ1年7ヶ月前のこと。
その時のことをブログにはこんな風に書いています。
さっちゃんの1日デイサービスの時間を今日初めて僕の自由な活動に使いました

それが今年に入ってからF沢さんが参加するようになりました。
緊急事態宣言下での自粛があったりもしましたが、一人での岩トレは8ヶ月ぶりのことです。
所属する山岳会への山行計画のタイトルは「天覧山ひとり岩トレ№*」としています。
F沢さんが参加する時は「天覧山ひとり(+1)岩トレ№*」です。
K田さんも参加してくださった時は「天覧山ひとり(+2)岩トレ№*」です。
「天覧山ひとり岩トレ№18」までは本当に一人だけでした。
今回の「天覧山ひとり岩トレ№28」も一人でした。
その間の、一人でなかった際も「ひとり岩トレ」というネーミングに拘ったのには訳があります。

今回、久し振りに一人で岩トレすると、寂しくもありますし、何となく馬鹿らしくも感じます。
それに、猛暑日でしたから、こんな暑い日に嫌だな~ぁと、F沢さんと二人なら思わないようなことまで思ってしまいます。
そんな弱い自分の気持ちを「たった一人でもやるぞ! やり続けるぞ~!」
励まし、叱咤し、応援する意味での「ひとり岩トレ」なんです。
「天覧山ふたり岩トレ№*」とかにすると、一人になった際に「じゃあ、お休みにしようかな」となり易い気がするんです。
だから、F沢さんと二人の時も「天覧山ひとり(+1)岩トレ№*」とし続けたんですね。
まあ、完全に僕の個人的な主観の問題なんですが・・・・
意外と主観やらイメージやらは現実世界では大切ですよね。

そもそも天覧山で岩トレするようになった経緯をこの際、振り返ってみたいと思います。
2019年11月までは週に火、金と2回、午前中だけの運動中心のデイサービスへ通っていました。
マシンを使った運動なんですが、足腰の筋力を維持して、さっちゃんの大好きな山登りを長く続けられるようにしたかったんです。
でも、さっちゃんはだんだんマシンを使えなくなって来ました。
そのたびに使い方を教えても、理解できなくなってきたり、運動そのもののやる気を失ってきたりしたんです。
そんなタイプのデイサービスの利用価値が小さくなって来たことで、2019年12月からは火曜日を別のデイサービスに変更したのです。
そこは1日タイプのデイサービスでしたから、さっちゃんが出かける9時前から帰宅する4時過ぎまで、7時間の自由時間が発生しました。
これには僕に心身ともに休める時間を持ってもらいたいという、ケアマネさんの意向も強く働いていました。

とは言え、なかなか外出する気持ちにはなれませんでした。
さっちゃんに何かがあって、デイサービスから電話がかかって来たりしないかと心配だったんです。
でも、そんな心配も大丈夫そうだとだんだん分かって来て、2020年2月から「天覧山ひとり岩トレ№1」がスタートしたんです。

2020年10月下旬からは火、金ともに1日タイプとなり、2021年3月からは火、木、金週3日になりました。
その結果、木曜日が実質的に休み(正確には休みではないらしいのですが)のF沢さんが必ず参加できるようにもなったんです。
緊急事態宣言下での山行自粛もあったりしたので、今回8月26日8ヶ月ぶりに本当の一人だったんです。


▲11:00。天覧山の最下部岩場です。「天覧山ひとり岩トレ」はここから始まりました。右端から左端(この写真には写っていません)まで往復で何回もトラバースするんです。初めは5往復からスタートだったと思います。半往復ずつ増やして、最終目標が10往復でした。今回はその10往復にチャレンジしました。長雨の影響で苔のようなものもびっしりと生えていて、湿っていました。トラバース中に3回足を滑らせ、そのうち1回は地面に着いてしまいました。10往復は出来ましたけれど、地面に着いたペナルティーを1往復課して、11往復トラバースしました。


▲12:36。最下部岩場の10往復が出来たので、上のトラバース岩に上がって来ました。ここはハイキングコース沿いなんですが、平日の真昼間、猛暑日とあって、僕がここにいる間、ハイカーは一人も通りませんでした。ここでのこの日の目標は2往復半。3ヶ月前、まだ天覧山でトレーニングしていた時に2往復半を成功させていましたから、とりあえずはそこを目標にしたんです。でも、3ヶ月のブランクがありますから、無理だろうな~と思っていました。でも、出来ちゃいました! ただ、途中で1回落下しましたけどね。それは両手で掴むべきホールドをちょっと格好つけて片手だけで次のムーブに繋げようとしてバランスを崩してしまったんです。半往復のペナルティーを課したんですが、筋肉疲労のせいでしょうか? 半往復の半分も行かずに落下してしまいました。


▲12:40。前の写真はトラバース岩の全景が写っていますね。右端の杭から左端までをトラバースするんです。この写真は左半分しか写っていませんね。右端も左端も日陰なので、そこでゆっくりと休むことが出来ます。僕が30代の頃、天覧山によく来ていました。いつも来ると、まずトラバース岩での10往復がウォーミングアップでした。その頃の筋力、筋持久力に戻ることが僕の目標なんですね。


▲13:07。トラバース岩の右端に赤っぽいキノコが生えていました。


▲3:08。傘の裏側が網目状なので、イグチの仲間です。家のきのこ図鑑で調べてみましたが、はっきりと断言できるまでは分かりませんでした。1本だけしか生えていなかったのも珍しいですね。

帰りは予定していた電車よりも30分早いのに乗ることが出来ました。
途中のお団子屋さんでみたらし団子1本買って食べました。
帰宅しても、ゆっくりとシャワーを浴びることが出来ました。

この日は最下部岩場の10往復とトラバース岩の2往復半、ともに比較的楽に達成できました。
3ヶ月間トラバースからは離れていたのに、その頃よりも上手く出来たような感じすらしました。
トラバースはしていなくても、日和田でF沢さんの頑張りに巻き込まれていますから、僕も相当に鍛えられてるんだと思います。


さっちゃんが帰って来て、一緒に布団の中で横になっていました。
早々と筋肉痛が襲って来ていました。
岩登りでは全身の筋肉を使いますから、全身が筋肉痛になります。
特に足全体の筋肉痛が酷いです。
ですが、先週からは胴回りの筋肉痛も酷いですね。
腰回りはもちろんですが、それより少し上の部分も万遍なく筋肉痛になるんです。
胸や背中、腕ももちろんなんですが、それ以上に胴回りなんですね。

日没前に散歩に行きました。


▲17:55。最適の時刻に家を出ましたから、夕陽の位置も抜群です。川面にも写り込んでいます。


▲17:58。堰の周辺の水の色合いが綺麗でした。いつもここで写真を撮っている女性がいましたけれど、この淡い色合いに惹かれていたのでしょうか?


では、ついでに今日8月28日散歩での写真も載せておきます。


▲18:10。今日も暑い日でした。散歩の時間帯もまだ30度近い気温でしたが、風が吹いていました。ただし、多摩川土手を離れると、風がないので蒸し暑いですね。
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今朝のさっちゃんの目覚めは2往復の会話から始まりました

2021-08-27 23:58:07 | 言葉
今日金曜日はデイサービスの日。
さっちゃんを8時ころに起こさなければなりません。
7時45分ころからは、カーテンを開け、テレビの音量はいつも通りにします。
でもやっぱり、さっちゃんに直接声を掛けなければ、さっちゃんは起き出しては来ません。
「さっちゃ~ん、朝だよ、起きようね」と声を掛けると、さっちゃんの目が開きました。

続いて、上半身を起こしてもらわなければなりません。
自分で上半身を起こすことも以前はありましたけれど、今はまずありません。
起こそうという気持ちがなくなったのか、それとも上半身を起こすための運動機能が低下してしまったのか。
運動機能の低下は事実だと思いますが、上半身を起こせないほどにはなっていません。
恐らく、気持ちでしょうね。
でも、目覚めてすぐに上半身を起こそうと、そんなには早く気持ちが動かないだけなのかもしれませんね。

とにかく、さっちゃんの手を引いたり、背中に手を回して起こしたり、僕がして、初めてさっちゃんは上半身を起こすことが出来るんです。
今朝もそうでした。
そんな風に上半身を起こしたさっちゃんに、僕はこんな風に語りかけました。
それに対するさっちゃんの返答も一挙に記録しておきます。

僕「今日も出かけようね」
さっちゃん「どこに?」
僕「昨日行ったところと同じだよ」
さっちゃん「ふ~ん」


朝、目覚めてすぐに2往復の会話が飛び出しました。
心なしか、さっちゃんの表情もいいような気がします。
朝食もしっかりと食べました。
でも、まだ眠たそうですけどね。
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洗面所での手洗いは随分以前から出来なくなっていますが・・・・

2021-08-25 23:03:39 | 出来なくなったこと
今日はさっちゃんの手洗いについて書いておこうと思います。
今更ながら思いますが、こういう些細なことをきちんと記録しておけばよかったなぁと後悔しています。
洗面所の蛇口を捻って水を出し、手を洗って、タオルで手を拭く。
そんな当たり前のことが、その時その時、何は出来ていて、何が出来なくなってしまったのか、記録しておくことの大切さをいま感じています。
それを記録しておくことが何の役に立つの? と聞かれても、僕は明確な返事を持ち合わせている訳ではありません。
とりたてて今後に向けて役立つ目算などこれっぽっちもありません。

でも、もの凄く個人的レベルで語らせてもらうと、こんな感じでしょうか?
例えば、僕もそうでしたが、思春期や青年時代、あまり継続性はありませんでしたが、日記を書いていたことがあります。
あるいは、友人や好意を抱いていた女性などに書いたけれども投函しなかった長文の手紙が残っていることがあります。
そんな文章を発見し読み返した時の感じに似ているんだと思います。
そんなことを書いた頃の、ほろ苦くも甘い記憶が蘇って来るのです。
その記憶は長い時を経て、悦ばしい記憶や情感だけが蒸留されたアルコールのように心地よいものとして昇華されているのです。

手洗いの記録も同じだと思います。
生活の中のひとこまが詳細に記述されていることで、将来この記録を再読した僕の心の中に、ありありとその情景が蘇ると思うんです。
それはさっちゃんの姿、さっちゃんへの想いが蘇ることです。
手洗い、というそんな些細なことを記録しておくことが、
僕のさっちゃんとの日々の生活の中の心温まったり心締め付けられるような宝物の存在を教えてくれるのです。

一方で、このブログを読んでくださっている方々にとってを考えると、こんなことも言えるのでしょうか?
とりわけ、身近な方が認知症になったり、介護をされていたりする方々にとっては、進行していく症状の具体的な一例を知ることになります。
さっちゃんが蛇口を全開に近く捻って水道水を大量にほとばしらせたり、水の入ったコップを倒して水を床にこぼしたり、
手拭き用のタオルを引き抜いて放り捨てたり、歯磨きの載った歯ブラシをポ~ンと投げ捨てたり、・・・・、

そんなことどもも記録しておけば良かったと今になって思います。
そんな仕打ちを受けて、僕は怒ったり切れたりすることも多くありました。
でも、今ではこんな風に思います。
そんなことをされて怒るのではなく、まだそんなことが出来るんだと喜ぶ方が楽しいと。



▲我が家の洗面所。今のさっちゃんは蛇口を自分で捻ることはしません。僕が水を出しても、その水で自分の手を洗おうとはしません。僕がさっちゃんの右手を掴んで水をかけ洗ってあげます。続いて左手を。さっちゃんは自分で拭こうとはしません。僕がさっちゃんの手にタオルを握らせます。でも、大抵さっちゃんは何をしていいのか分からずにタオルを離してしまいます。タオルを両手で挟むように持たせても結果は同じ。結局、僕が拭いてあげることになります。

でも、ほ~んのたまにですが、自分で両手を水道水の流れに出すことがあります。
ほ~んのたまにですが、タオルを持たせると、自分で手を拭こうとすることがあります。
そんな些細なことが僕にとっての喜びになる生活、それも悪くはないなと最近思うようになりました。

そして、この洗面所でもうひとつ嬉しいことが。
前からいつか書こう書こうとは思っていたのですが、どのように記述すればいいのだか分からなかったのです。
今でも分からないのですが、現象だけを洗面所ついでに書いておきますね。
この写真に鏡が映っていますが、その鏡に関係したことです。
さっちゃんは鏡に映った自分の姿に向かって、嬉しそうに話しかけるんです。
自分の姿とは分かっていないように、僕には思えるんですが、確証はありません。

これは鏡像自己認知の問題ですから、僕にはまったく専門的知識はありません。
ヒトの子供は大体2歳ころから鏡に映った姿が自分自身だと認識できるようになるんだそうです。
脳のどの部位が自己認知に関わっているのかも研究中のようですね。
さっちゃんも認知症の核心である海馬以外に、前頭葉や側頭葉にも委縮している部分がありますから、その影響もあると思います。
鏡像自己認知が出来ていない可能性もありますね。

そんな理屈は兎も角として、鏡の中の自分に対して、さっちゃんは好感を抱いているようで、常に朗らかに話しかけるんです。
そんなさっちゃんを見て、僕も幸せになります。


いつものように、今日の散歩です。


▲18:05。17時50分までには家を出たかったのですが、やっぱり18時になってしまいました。今日は昼間は蒸し暑く、それが夕方になっても続いていました。こんなに蒸し暑い中、散歩に出かけるのは嫌だなぁ、などと渋ってる間に時が過ぎてしまったのです。さっちゃんにとっての貴重な運動タイムですから、出かけることにしました。それにしても、風もなく、蒸し暑い! 棟を出て、道路を歩いている時は夕陽全体が見えていましたが、多摩川土手に下りて行くと、見えなくなってしまいました。雲の色あいはまずまずですね。写真の右に写っている山並は奥多摩の馬頭刈(まずかり)尾根です。


▲18:09。またしても、夕景とさっちゃん。夕景の明るい箇所にフォーカスして、さっちゃんにはフラッシュを当てる。そんな手法にも慣れて来ました。
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「僕も人間が出来てきたねぇ」と自分で自分を誉めちゃいました

2021-08-23 23:59:59 | 生活の一場面
今日の3時ころでした。
いつものように布団の中にいたさっちゃんが起き出して来ました。
僕はちょうど台所で洗い物をしていて、手は洗剤で泡だらけです。
さっちゃんはスヌーピーのライナスよろしく、毛布を引きずっています。
僕は急いで手に付いた泡を洗い流しますが、さっちゃんは台所まで来てしまいました。
毛布も引きずって来ました。

僕は優しく、「ここまで持って来なくていいよ」と、さっちゃんに言います。
さっちゃんは「はい」と言って、僕に渡してくれようとします。
どうやらその毛布は僕のために持って来てくれたもののようですね。
僕はさっちゃんに「ありがと」と返事しました。

そして、毛布を抱えて、さっちゃんを寝室の布団まで連れて行きます。
僕は布団に座り、左手でさっちゃんが寝る場所を指差して、「ここよ」と言います。
さっちゃんは自分の寝る位置まで来て、腰を下ろそうとします。
僕はさっちゃんのお尻を支えながら、さっちゃんの寝る位置に座らせ、体を倒しました。

そんないつもの決まりきった動作をしながら、僕は思わずこんな独り言を発してしまいました。
「僕も人間が出来てきたねぇ」
独り言を言いながら、自分でも苦笑してしまいますよね。
まあ、いつもこんな調子なら僕だってさっちゃんだって幸せなんでしょうけれどね。
いつもこんな具合にはいくはずもありません。
毛布、タオルケット、枕、寝巻き、・・・・いろんな物を繰り返し持って来られると、ついには僕も切れてしまうことがよくあります。

その後も洗い物をしている間にもう一度タオルケットを引きずって来ました。
水洗い中だったので、すぐに手を拭き、さっちゃんの元へ行きます。
やっぱり「はい」と言って渡してくれました。
(渡すと言っても、手を離すだけで、タオルケットは床に落ちます)
僕は同じく「ありがと」と言って、タオルケットを拾い上げます。

その後も何度も起き出して来ました。
洗い物は終わっていたので、問題ありません。
昼間なんだから、起きていてもらった方がいいんじゃないの? と思われるでしょう。
僕もその方がいいと思っています。
それで、食卓の椅子に座ってもらったりすると、そのうちすぐにテーブルに突っ伏して寝てしまうんです。
そんなことなら、ちゃんと体の休まる布団で、ということになってしまうんですよね。

さっちゃんはどうしてこんなに寝るんだろうと不思議です。
夜9時に寝たとして、翌日何もせずに放っておくと何時まででも眠り続けます。
僕が先に12時とかになるとさっちゃんを起こしますから、本当に何時まで寝続けるのか分かりません。
たまにそんな記録を計りたい誘惑に駆られることもありますが、何となく怖いのでやっぱり起こしてしまいます。


夕方、散歩に行きました。
いま東京地方の日没は18時20分。
以前にも書きましたが、ちょうど綺麗な夕陽を見るには家を30分前に出るといいのです。
そのつもりでしたが、準備に手間取って、家を出たのはジャスト18時。


▲18:06。多摩川土手に着くと、夕陽が山の端に沈む直前でした。久し振りに雲に隠れず、山に沈む夕陽を見ました。太陽は手前の黒い山に沈んでいるのではなくて、遠くの薄墨色の奥多摩の山に沈んでいるのです。以前はもっと右の山に沈んでいましたが、夏至からは2ヶ月も経ち、立秋も過ぎましたから、随分南寄りに沈むようになりましたね。とはいえ、秋分はまだ先ですから、真西よりは北側(右)に沈むんですけどね。ほぼ毎日と言っていいほど、散歩で夕陽を眺めていると、沈んでいく位置で暦の移ろいを感じます。


▲18:11。この前、月とさっちゃんを撮りましたから、同じ手法で夕陽とさっちゃんを撮ってみました。夕陽に自動フォーカスして、フラッシュを焚きます。


このブログもほぼ完了間際だった夜中11時50分ころ、さっちゃんが布団から起きて出て来ました。
こんな時間に目覚めることも時にはあるんです。
僕はさっちゃんに「いま夜中だよ。寝ようね」と言って、布団に戻そうとしました。
さっちゃんが布団に腰を下ろす際、僕はさっちゃんのお尻を右手で支えるんですが、その右手の感触が僅かに変です。
何でもないと言ったら何でもないんですが、昨日からそろそろ排便があってもいい頃だとは思っていましたから、
念のために、腰が半分落ちかけていましたが、さっちゃんを立ち上がらせて、トイレへと連れて行きました。
リハパンを下ろすと、少量の便が・・・・
注意深く便座に座ってもらい(それでも寝巻きのズボンが少し汚れてしまいました)、すぐに出たようです!
お腹をマッサージしても昼や夕方には張っていたお腹がまったく張っていません。
お尻を拭き終わり、立ち上がってもらって、中を見ると、しっかりと出ていました。
良かった、良かった。
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予想外に人が大勢いて、希望通りのトレーニングは出来ませんでしたが、トップロープで2本のルートにチャレンジしました

2021-08-22 23:21:16 | 僕の自由時間
今年の関東地方は本格的に雨が降り続く梅雨でした。
それは夏になっても変わらず、雨が降らなかった日の方が少ないくらいです。
そんな雨続きも、「今度日和田へ行く8月19日で終了だ!」と意気ごんで日和田へ向かいました。
天気予報では19日から晴れマークがずう~っと続いているからです。

とは言え、日和田のある埼玉県日高市では当日の早朝にほんの少しの雨が降ったことを気象庁のHPで確認できていました。
でも、霧雨みたいなものでしょうし、もう晴れ間が広がっていますから、影響はないはずです。

そんな風に心配したり、楽観したりする中で、日和田山の麓に到着。
予想外なことに、道路がけっこう濡れています。
山道を歩き始めると、地面もかなり濡れていて、粘土質の山道は滑り易くて歩きづらい。
「思いの外、降ったのかな~?」とか「これまで降った雨のせいかな~?」とか考えながら岩場に到着。

するとすると、予想外のがっかりな現実が・・・・
男岩南面ですら黒光りしてびしょ濡れ!
そんな状態なのに男岩西面にはすでに数本のトップロープがセットされています!
男岩西面の下にいる人数よりもセットしてあるザイルの方が多いような・・・・?
いくら平日で、来るクライマーが少ないといっても、もう少し遠慮というもんがあってもいいんじゃないかな、と思ったりしました。
実際に登っているのは1ヶ所だけでしたしね。

まあ、そんなことは兎も角、岩場がいつごろになったら乾くかとか、僕たちが最初に登るルートをどうするか、が問題です。
リードするなら、濡れて滑り易い状態ですから、易しい3級ルートでなければ危険です。
という訳で、男岩南面左側を登ることにしました。


▲10:48。F沢さんにリードしてもらいます。男岩南面下部はまだびしょ濡れです。F沢さんも緊張しながら登って行きました。


▲10:50。岩場の中間部にかかると、岩場は少し乾き始めているようです。空は真っ青で気温も高い(猛暑日予想)ですから、すぐに乾くでしょう!


▲10:56。陽が当たってすでにほぼ乾いている上部の岩場は問題ありません。F沢さんも快適に登って行きました。

二人とも上に登り着いたら、どこかへトップロープをセットするつもりでした。
僕は前もって男岩東面(狭いので南面に含めることが多いようです)を見ておきました。
見た感じではその前傾壁はあまり濡れているようには見えません。


▲11:21。男岩東面の前傾壁5.9にトップロープをセットするF沢さん。


▲11:28。セットし終わって、懸垂下降で降りて行くF沢さん。セットしたザイルの支点がそれまで立っていた場所よりも下方にあるので、降り始めはちょっと緊張します。F沢さんには初めての経験かな? この写真にあるように、セルフビレイを取った状態で、まずはザイルにぶら下がってみて、大丈夫だということを確認します。それからセルフビレイを外し、懸垂下降します。懸垂下降絡みの事故は大怪我や死に直結します。ですから、慎重にも慎重を心掛けなければなりません。僕は今でも懸垂下降には緊張しますし、慣れることはありませんね。


▲11:45。男岩東面の前傾壁5.9の基部に立つF沢さん。このルートには名前はないようです。


▲11:47。この前傾壁の中間部までは問題なく来ました。スタンス(足場)も大きく、ホールド(手がかり)もガバっぽいのがたくさんあります。でも、前傾しているので、腕に疲労がすぐ蓄積します。F沢さんもこの写真の少し上の部分で2回、ザイルにぶら下がりました。2テン(テンション=トップロープで落下してザイルにぶら下がること)で、ゴールにまで到達しました。

僕が続いてトライします。
筋持久力が要求されるルートですから、最近の自分自身の筋力低下を考えると、2テンどころではなく数テンはするだろうな、と思いました。
ところが不思議なことに、ノーテンで登れてしまいました!
(ただ、最上部でほんの少しザイルに体重を預けてしまった感覚があったので、0.5テンくらいではないでしょうか)


▲12:42。ちょっとの休憩後、同じルートを再トライ! 途中の小テラスで十分筋肉を休ませて、F沢さんは気合の登攀をしました。


▲12:44。凄いですね~! F沢さん、ノーテンで登ってしまいました! すぐに成長してしまいますね!


▲13:06。続いて、僕の2度目のトライ。最初のは内心では0.5テンだと思っていますから、完全なるノーテンを目指していたんですが、岩場に取り付いてみると、先ほどの登攀による筋肉疲労が残っています。しかも、細かなルートどりも間違えたりしたんで、さらに筋肉の疲れが溜まりました。あえなく数テン。ガックシです。下ろしてもらう途中で、僕の陰がありましたから、またしてもこの日唯一のポートレートです。写真の左下に僕の右足が写っていますね。

この前傾壁ですが、ガイドブックにはグレードが5.9となっています。
松の木ハングも5.9、でも松の木ハングの方がずっと難しいんです。
多分、正確にはこの前傾壁は5.9-、松の木ハングは5.9+なのではないでしょうか。
(同じグレードの中で、さらに3分割することがあります。
例えば、4級を〈4級-、4級、4級+〉5.9を〈5.9-、5.9、5.9+〉のように)


次にどこをトップロープで登ろうかと、思案。
F沢さんが男岩西面を見に行きますが、松の木ハングは空いてなかったとのこと。
今日は松の木ハングは無理ですね。
で、今登ったルートのそばに、確か「残業ルート」とかいう名前のルートがあったはずです。
僕は登ったことはないのですが、名前が印象的で覚えていたんです。
今登った前傾壁の左にボルトが続いているラインがあります。
おそらくそれでしょう。


▲13:32。ザイルの位置が少し左になるように移動させました。残業ルートは写真右の陰になった黒い前傾壁と明るい南向きの壁との境のようです。最初はもう少し左を登ろうとかしていたのですが、F沢さんが実際に取り付いてみて、自然なルートが確定しました。


▲13:32。さっきのルートが前傾壁5.9-、今度のルートが残業ルート。F沢さんがもう50cmほど登った場所からが核心部になります。足を置く場所が引っ込んでいるので、いきなり凄いハングなんです。F沢さんも僕もそのハングに手も足も出ませんでした。

帰宅してから調べてみると、この残業ルートのグレード5.10dなんですね。
難しくて当然です。
この岩場の基部で、F沢さんと僕はこんな風にお互い頑張ろうと誓い合いました。
「トップロープで5.10台は登れるようになろうね!」
多分その誓いの内容はF沢さんにとっては通過点だと思います。
でも、僕にとっては至難の目標でしょうね。
頑張らなくっちゃ!
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日没のころ、多摩川土手を散歩していると、さっちゃんと2往復の会話が成立しました。半年ぶりかな?

2021-08-21 22:41:28 | 言葉
今日の夕方、僕は何となくだるくて、布団に横になっていました。
さっちゃんと一緒です。
さっちゃんも僕と一緒に布団の中にいるんですが、何故か機嫌が悪く、寝ている僕を叩いたり押し出そうとしたりもしていました。
そんな風でしたから、今日の散歩はしなくてもいいかな、と思ったりもしていました。
夕食も作らないといけませんしね。

でも、やっぱり散歩に出ることにしました。
5時50分でした。
そこからお米を研いでおいたり、さっちゃんに靴下を穿いてもらったり、出かける準備をいろいろとして、棟の玄関から歩き始めたのが6時8分。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

と、ここまでが昨日金曜日の夜に書いた文章です。
夕食後、すぐに寝たさっちゃんなんですが、何時ころからだったか起き出て来ることを繰り返すようになりました。
何度かはさっちゃんを布団に戻していたのですが、そのうち僕も布団で横になることにしました。
というのも、さっちゃんは僕が一緒に布団にいると落ち着いて、眠りに就くことが多いからなんです。
ところが、大誤算だったのは僕までもが寝てしまったこと。
目が覚めた時にはカーテン越しの窓の外が明るくなっていました。
7時でした!

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

という訳ですから、今日は土曜日です。
昨日の散歩がスタートした場面から再スタート。

外はちょうどいい加減の風が吹いていて、心地よい日暮れ時となっています。
多摩川土手に出ると、なおさら心地よく、昼間の暑さがどこかに消えてしまったような涼しさです。
さっちゃんはいつものように何やら一人でブツブツと喋りながら歩いています。

とっても気持ちいいので、僕はさっちゃんに言いました。
僕「涼しいね」
さっちゃん「うん」
僕「風が気持ちいいね」
さっちゃん「そうね」

半年ぶり2往復の会話が成立した瞬間でした。

さっちゃんの発した言葉も非常に短くて単純な言葉ですが、僕の会話を理解して、その理解も繋がっていることが分かりますよね。
さっちゃんが意味ある言葉で返事できなくても、ちゃんと理解は出来ているに違いないと、信じられるんです。
赤ん坊が「まんま」などと、生まれて初めての言葉発声に親が感動するみたいに、僕はさっちゃんとの2往復の会話に感動します。

半年前の2往復の会話はこちら。
今日の言語リハビリでさっちゃんはSTのT田先生と2往復の会話をしました


▲18:19。2往復の会話成立後も、散歩は続きます。今日は僕が写真を撮っていると、さっちゃんは10mくらい先まで行って、そこで振り返って僕を待ってくれていました。この日の夕陽は普通です。雨がたくさん奥多摩の山で降りましたから、途中のを越えて流れる水量がずいぶんと多いです。


▲18:21。薄雲に覆われていた月が雲間に現われました。十二夜くらいの月でしょうか? 月齢が13日目から20日目までは様々な想いが込められた名前が付けられているようですが、12日目の月にはそれがないようですね。とはいえ、風情があることだけは確かです。


▲18:22。月とさっちゃんを一緒に撮ろうと、さっちゃんに「ここに居てね」と言って、シャッターを押そうとするんですが、なかなかじっとしていてくれません。でも、この写真は上手く撮れたと思います。コンデジですから、月にフォウカスして、フラッシュも焚きました。


▲18:27。場所を変えて、同じく月とさっちゃんを写そうとしました。でも、今度はさっちゃんは全然立ち止まってはくれませんでした。フラッシュの届かない距離まで離れてしまいましたから、近景は真っ黒になってしまいました。

棟の玄関に戻って来て、時間を見ると6時51分でした。
撮影にかかった時間のことを考えると、基本の周回コースを今でも40分間で歩けているようですね。
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上級クライマーのY根君が来てくれました。でも、日和田の岩場は雨でびしょ濡れ。せっかく久し振りに会えましたから、クライミングジムへ行きました

2021-08-19 23:57:59 | 僕の自由時間
今日は8月19日、木曜日ですから日和田へ行って来ました。
でも、これから書き記すブログは先週の8月12日のものです。

先週は日和田での岩トレは出来ませんでした。
日和田のある日高市では夜明け前にもかなりの雨量で、岩場はびしょ濡れのはず。
日和田へ向かう途中の車の中でも9時台小雨が降り続いていました。
日和田山の麓へ着いた時には雨は止んでいましたが、山には雲も垂れ込めていて、
陽も差しそうにありませんし、風も弱いですから、岩場が乾く可能性はありませんでした。

という訳で、急遽行先を変更して、入間市のクライミングジムへ。
ジムの名前は『BaseCamp』、あのフリークライミング界のレジェンド平山ユージが経営するジムでした。
平山ユージをご存知ない方も多いことでしょうが、今の日本フリークライミング界の強さを築きあげた人物と言ってよいと思います。
彼が世界で活躍することで、日本のフリークライマーたちがどれだけ刺激を受けたことか!
昔、日本でフリークライミング(当時はリード部門のみ)のワールドカップが開催されて、僕とさっちゃんも観戦しに行きました。
やはりレジェンドになっているアメリカの女性クライマー、リン・ヒルも来日していました。
平山ユージのクライミングは柔軟性を活かした柔らかで優雅なクライミングでした。
リン・ヒルは対照的に力強いクライミングです。
肉眼で間近に見ると、世界トップクラスのクライマーが登攀する姿は感動的です。
心が熱くなります。
自分自身もどんな岩場でも登れてしまうようなを抱かせてくれます。

その平山ユージですが、オリンピックのフリークライミングのテレビ放送で解説者として出ていましたね。
僕なんか、彼が解説しているだけで、感動してしまいました。

ところで、先週は僕の山仲間の一人、Y根君が来てくれました。
僕の若い山仲間の内の一人です。
彼は実力あるアルパインクライマーで、GWの剱岳八ッ峰を最下部から登攀しています。
最近は普段はもっぱらフリークライミング。
5.13ルートをリードしている上級者!
(彼は岩登りを最初に始めた時から上手かったですけど、最初に教えたのは僕なのです。エッヘン!
まあ、冗談はさておき、Y根君のクライミングをF沢さんに見せてあげたかったんですね。
本当は日和田の男岩西面、松の木ハング5.9をリードする様子を見せてあげたかったんですが、叶いませんでした。
でも、ジムで見せてあげることが出来て良かったです。

写真は、室内なのにISO100のままで撮ったので、ぶれてたり暗かったりですが、雰囲気は何となく伝わると思います。
Y根君にとっては初めてのジム、初めてのルートなんですが、5.10台、5.11台はオンサイト!
最後に5.12aをトライしましたが、さすがに天井まで行って、ゴールまで少し残して落下しました。
オンサイトは出来ませんでしたが、2度3度繰り返しトライすれば完登できていたと思います。
残念なことに、僕が確保していましたから、写真はありませんが。
(さすがの難ルートの確保ですから、僕も緊張していました)



▲11:11。BaseCampはとても広いクライミングジムでした。リードできる高い壁と、1階と2階に分かれた低い壁のボルダリングエリアがあります。リードの高い壁だけでも写真に写っている広さの4、5倍はあると思います。写真中央にF沢さんとY根君が。

トップロープ用のザイルが何本も置いてあります。
僕たちは易しいルートからトップロープでトライし始めました。
5.9からスタートしたんですが、5.5とかくらいにしか感じませんでしたね。
だいたいクライミングジムのグレーディングは甘めのことが多いんです。
5.10aも登ってみましたが、5.8あたりの感じでしょうか?
グレード付けをする人は上級者の上手い人たちでしょうから、5.10a以下のルートは皆同じように易しく感じて、違いが分からないのだと思います。
Y根君によると、5.10cとかdあたりからはほぼ正確なグレーディングのようですね。
ちなみに、5.10台からはその中をさらに4つに細分化して、5.10a、5.10b、5.10c、5.10dとするんです。


▲11:25。5.10dのルート名アザレアを登ってみました。F沢さんが登り、Y根君が確保しています。F沢さんはここから2mほど右上に登ったところで落下しました。ちなみに、僕も同じあたりで落下。


▲11:29。続いて、Y根君が登ります。よどみなく、無駄な力も入らずに、す~す~と体が上がって行きます。もちろん、簡単に完登!


▲11:56。Y根君が5.10cのルートをトップロープで登りました。見ていても、どこが難しい核心部なのか分かりません。簡単に登ってしまうので。


▲11:58。5.10cの同じルートのゴール直前。


▲12:08。5.12aのルート名カチカチ山。トップロープですから余裕で登って行くY根君です。僕もF沢さんも下の方で落下してしまいました。


▲12:40。5.10cのルート名ジャック・木・ランタンリードするY根君。いつも日和田で使っている僕のシングルザイルを使っています。もちろん、余裕で完登!


▲12:45。F沢さんもその5.10cのルートにリードチャレンジ! 勇敢ですよね。Y根君も確保慣れしている雰囲気ですね。


▲12:45。まずは最初のヌンチャク(クイックドロー)にザイルを通します。


▲12:46。Y根君からF沢さんに延びているザイルは揺れているからでしょう、写真には写っていませんね。ここら辺までは僕も行けました。


▲12:47。上の写真の辺りから落下。再チャレンジしましたが、やっぱり同じあたりで落下。


写真に写っていないルートもたくさん登りました。
最後に、Y根君にリクエストして、5.12aのルートをリードしてもらいました。
このブログの前書きの中で書いたように、天井そばまでザイルを伸ばしました。
まだまだ行けそうな感じだったのですが、ちょっと何かのミスをしたんでしょうね? 突然の落下でした。
ゴールまで天井をトラバースするような感じで後残り数手でした。
2度3度トライすれば、完登していたでしょうね。


▲13:28。F沢さんが写真を撮って送ってくれました。Y根君は本当に人に優しくて、律儀な奴です。この日も、もし来てくれれば有難いな楽しいなと思って声を掛けたんですが、遠くから車で駆けつけてくれました。有難う!


▲13:58。Y根君も写真を撮ってくれました。平山ユージの名前が見えますね。
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8月から訪問言語リハビリをしてもらうことにしました

2021-08-18 23:32:05 | 言語リハビリ
これまでお世話になっていた言語リハビリは大きな総合病院のリハビリテーション科の中で行なっていました。
さっちゃんの掛かり付けのお医者さんが紹介状を書いてくださって、行くようになったのがその病院の脳神経外科。
そこの先生が神経内科の先生にも診てもらうようにしてくださり、神経内科の先生がリハビリ科に繋げてくれたのです。
言語リハビリがスタートしたのは3年前の2018年11月のこと。

リハビリと言っても、認知症は進行性の病気ですから、言語状況が改善されるわけではありませんし、期待もしていません。
ただ、何時頃からだったでしょうか、コロナ禍の前からだったようなあやふやな記憶ですが、
STの先生から、「今後どのようにしたいのか?」などと聞かれることが時々ありました。
1年だか半年だか、それくらい前になると、「この病院は急性期の患者さんが主な対象」との言も僕の耳に入るようになりました。
STのT田先生は優しい方ですから、文字にして書くとシビアな内容なんですが、どこか他人事に聞こえる柔らかな言い方でおっしゃっていました。

とは言え、毎週水曜日に行なわれていた言語リハビリも、今年の4月には2回、5月以降は月に1回になっています。
8月は1回もありません。

もちろん、STのT田先生が勝手に減らしていった訳ではなくて、僕との相談の中でそのようになっていったのです。
病院側の急性期の患者さん優先という理由もあるわけですが、それ以上にそうせざるを得ない理由がさっちゃん側にもあったのです。
それはさっちゃんの不穏で言語リハビリ自体が出来なくなっていることなんです。

去年のいつ頃くらいまでだったか、さっちゃんはギリギリ間に合う電車ではなく、その1本前の電車で病院に行っていました。
リハビリの待合室で20分ほど待つことになるのですが、万が一その電車に乗れなかったとしても、次の電車でもギリギリ間に合う訳なんです。
ところが、さっちゃんは待合室で待っている間に次第に不穏気味になってしまうようになりました。
さっちゃんは同じ場所で待ち続けることが凄く苦痛なようで、「帰る」と言って聞かなくなったりするんです。
この問題はいつもギリギリ間に合う電車で来ることで解決は見ました。
しかし、その電車に乗り遅れた場合は言語リハビリをお休みすることになります。
と言うのも、次の電車まで30分近く駅やホームで待つことが困難だからです。

別の理由は、さっちゃんの歩く力が弱くなったことが影響しているようです。
自宅から駅まで徒歩25分、電車に乗って降りた駅から病院まで20分歩かなくてはいけません。
さっちゃんは健脚でそれくらいは何ともなかったんですが、最近はどうやら疲れるようなんですね。
肉体的疲労は精神的疲労に直結しているのでしょう、さっちゃんの場合も。
言語リハビリの時間に集中できないようにだんだんなって来ました。

幾つもの原因があるんだとは思いますが、現実問題として言語リハビリがまともに出来なくなっていたのです。
病院まで通うストレスが問題なのなら、そのストレスを排除すればいいのではと僕が考えるのは自然な成り行き。
そんなこんなで、訪問リハビリについてケアマネさんに相談をし始めたのが、何時のことだったでしょうかね。
昨年末だったか、今年に入ってからだったか。

訪問言語リハビリをしてくださるSTさん(言語聴覚士)はあまり数多くおられないようなんですね。
僕の住んでいる市には1人しか居ないんだそうです。
もしそのSTさん(女性)にリハビリをしてもらうのなら、月曜日の朝9時半からなら空いている状況なのだとか。
僕はその時間でも構わないと思いました。
その後、他の時間枠が空いたなら替えてもらえばいいことですし。

その前提で、手続きを進めることにしたんです。
手続きで必要なことは医師に指示書を書いてもらうことです。
その指示書をどのお医者さんに書いてもらうのか?
さほど急ぐ訳でもありませんから(STさんの空き時間が埋まってしまうかもしれませんが)、
じきに掛かり付けのお医者さんに会う予定でしたから、その時に頼んでみようかと思いました。
指示書というのはどんな内容を書いてもらうのか?
お医者さんに頼む際にちゃんと説明したかったからなんですが、医師ならご存知なんでしょうけどね。

掛かり付けのお医者さんには断わられました。
内科の先生ですから、より相応しい医師がいるとの判断だったのでしょう。
STのT田先生は医師ではありませんから出来ないのですが、リハビリ科のさっちゃん担当の先生は指示書を書かないと思うとT田先生に言われました。
そう思う理由は僕には分かりません。

7月7日神経内科の診療がありました。
3ヶ月おきくらいに定期的に診てもらっています。
専門分野からみても、この先生に指示書をお願いするのが最も相応しいとは最初から思っていました。
ですから、指示書の件もお願いしようと考えていました。
すると、先生の方から指示書の話を持ち出され、「私が書きますよ」といきなりおっしゃってくださったのです。
リハビリ科からの報告もご覧になられて、こちらの状況はご存知だったのでしょうね。

という訳で、訪問言語リハビリの件は実現に向けて動き始めました。
ところが、あの女性のSTさんはすべての枠が埋まってしまったんだそうです。
そこでケアマネさんが探してくれたのは東京都で大規模に事業展開している会社の訪問看護部門の支所。
支所の所在地は隣りの市なんですが、所属するSTさん(男性)は杉並区の支所所属なんです。
STさんというのはまだまだ数が少ないようですね。

男性だと言うことがちょっとひっかかりましたが、T田先生も男性でしたけれど、さっちゃんとの関係性は良好でした。
万が一、さっちゃんがそのSTさんに馴染まないようなら、止めればいいだけのことですから、ケアマネさんにはこの線で進めてもらうことにしました。
時間帯は毎週月曜日の2時~2時40分です。

7月28日にSTさんと看護師さんが来られて、正式契約を結びました。
その看護師さん(女性)は今後、3ヶ月に1回来てくださって、さっちゃんの体調等を診てくださることになっています。
看護師さんに自宅で定期的に診ていただけるのも、何となく心強いというか、安心感がありますね。

という訳で、8月に入って訪問言語リハビリが2回行なわれました。
2回? と思われたでしょうが、3回目のはずの今週16日は急遽中止になったんです。
その理由ですが、男性STのY田先生の関係の人物(どんな関係かまでは知りませんが)新型コロナウイルスに感染したんだそうです。
Y田先生は濃厚接触者ではないのですが、念のためにPCR検査をして陰性でした。
ただ、念には念を入れて、数日間は仕事を休むことにしたんだそうです。
こんなご時世ですから、仕方がないというか、当然の対処でしょうね。

その訪問言語リハビリの様子は追々ご報告したいと思います。


ついでと言ってはなんですが、今日の散歩の様子をちょっとだけ。


▲18:14。今日は久し振りに青空が広がりました。と言っても、朝と夕方だけでしたけどね。東京都の23区方面は晴れていて、気温も上がったようですが、西部は雨が降ったり止んだりで、気温もさほど上がりませんでした。午前中洗濯をしたんですが、午後になっても乾いていませんでした。でも、夕方の日差しでやっと乾いたんです。ですから、この写真のような夕陽の光景も久し振りです。


▲18:17。雨続きで、散歩の出来ない日も多くありました。昨日も雨の合間を縫って散歩したんですが、雲間から1ヶ月近くぶりのを見ました。今日の月は隠れる雲を持っていません。さっちゃんの頭の左上に10日目くらいの月が浮かんでるのが見えるでしょうか?
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さっちゃんは子猫みたいに箱にスッポリはまって、眠っていました

2021-08-15 23:04:51 | 面白いこと
昨日の土曜日のこと、夕食の準備でさっちゃんに構ってあげられない僕と構って欲しいさっちゃんとの関係は少し険悪になりかけていました。
でも、この日のさっちゃんは僕に対してあまりしつこく纏わり付いては来ませんでした。
早々に僕から離れて行きました。
普通なら寝室に行き、布団に横たわるのですが、昨日は違いました。

しばらくして、僕の手が少し空いた時に、寝室を見てみるとさっちゃんが居ません。
ブログにはほとんど出て来ないもうひとつの部屋、旧・僕の書斎兼仕事部屋があるのです。
今では半分は物置部屋のようになってしまっています。
その部屋を見に行きました。
すると、こんな光景が・・・・


▲19:01。まるで子猫のようですね。大きな段ボール箱にスッポリはまって寝てました。さっちゃんのお尻の下にはパッドとリハパンの大きな袋が3つ入っているので、柔らかくて寝心地はいいのでしょうね。

さっちゃんに聞いてみました。
「ここがいいの?」
さっちゃんは「いいの」と返答しているようでした。
確かに、膝裏がちょっと痛いような気もしますが、それ以外は心地よさそうな様子ですよね。

さっちゃんはこれまでも意外な場所に座ったりすることがよくありました。
置かれている物の上に座ることが多いのですが、その物が潰れたり壊れたりする可能性もあります。
ただ、さっちゃんは体重が軽いのでこれまでは物は無事でした。
これからも多分大丈夫でしょうね。

8時前からさっちゃんの夕食がスタートしました。
さっちゃんを起こしに行きました。
気持ち良さそうに箱の中で寝てました。
1時間ほど箱の中で寝ていたんですね。

さっちゃんを箱からどうやって出そうかと考えていました。
膝裏に力がかかると痛いでしょうから、その点を第一に考えました。
結局、箱全体をさっちゃんの前の方に倒して、さっちゃんの足を床に付けるようにしました。
足が床に付いてから、両脇を抱えて立ってもらいました。

夕食時に機嫌が悪いのは4日間連続で続いていました。
昨日は僕の食事介助を嫌がりました。
ですから、さっちゃんが自分で食べることの出来るおかずだけを食べました。
まあ、これはこれで構わないと思います。
喧嘩して、夕食を食べないよりはましですからね。
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