さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

天覧山のひとり岩トレは腰痛の影響で10往復ならず、帰宅後小一時間湯船に浸かりました

2020-03-31 23:47:43 | 僕の自由時間
先週の火曜日は酷い腰痛で天覧山の岩トレは中止しました。
今日はまだ腰痛は少し残っているのですが、行けないほどではありませんでした。
本調子ではないので、天覧山最下部の岩場まで43分もかかってしまいました。
体調に問題がなければ、30分くらいで行けるのに。

天覧山の麓の公園にはたくさんのが植えられていますが、見事に満開でした。
天覧山中腹の広場までもツツジが植えられているのですが、ミツバツツジのようなピンクのツツジは満開でした。
山ツツジのような橙色の花もたくさん開いていました。
でも、ほとんどのツツジはまだ咲いておらず、何週間か先なんでしょうね。

いつも通りのメニューをこなします。
右から左へ片道トラバース。
左から右へ片道トラバース。
1往復のトラバース。
2往復のトラバース。
昼食。
いよいよ10往復のトラバースにチャレンジです。
しかし、2往復半で手が滑って落下!
合間合間にはいつも通りのストレッチ&柔軟。
最近NHKで観た「くねくね体操」や「がにがに体操」も加えてみました。


体調良好なら再度チャレンジして10往復を目指したのでしょうが、腰痛の影響がまだ残っているようで、
腰回りの筋肉に疲労が溜まっていくのが感じられます。
今日は無理せずにこれで終了。

終了時、電車の時間まで40分もありませんでした。
次の電車でのんびり帰ってもよかったのですが、速足で駅へ向かい、2分前に到着し、乗ることが出来ました。

帰宅すると、湯船にお湯をため、ゆっくりと浸かりました。
以前の僕は夜寝る前にほぼ毎日のように長湯したものです。
でも、さっちゃんの介護が始まるとそうはいかなくなりました。
僕がお風呂に入っていると、さっちゃんも必ず入って来ようとするんです。
お風呂場に入って来なくても、お風呂場のすぐ外で僕が上がるまで待っているんです。
そんな中で、のんびり長湯とはいきませんよね。
今日、実に久し振りに小一時間の長湯することが出来ました。
何ヶ月ぶりでしょう?

さっちゃんがデイサービスから帰って来てからは、仲良かったり険悪だったり、いつもと同じです。
夕方にはトイレに行くのが間に合わず、おしっこを漏らしてしまいました。
でも、今日は素直にお風呂場のシャワーで下半身を洗わせてくれました。
さっちゃんの気分の巡りあわせが悪かったのか、今晩は薬飲まず、歯も磨かず、寝巻きにも着替えず、散々な夜でした。
明日の朝、目が覚めたらさっちゃんとの仲の良い一日をスタートさせようと思います。
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2016年の忘事録/介護制度の利用をやっと考え始めたようですね

2020-03-30 22:17:34 | 2016年の忘事録
忘事録とは忘れた事の記録です
また思い出すこともあるでしょうが
忘れるよりも もっと
新しい思い出を
作ればいいのです


この忘事録カテゴリー文章はほぼその日付当時メモした文章のままこのブログに載せています)

2016年5月24日

市役所へ介護申請へ。まだ使うことはないだろうが、手続きだけは。それとも、リハビリのようなこともしてくれるのかな。
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間に合わなくて漏らしてしまいましたが、そのあとさっちゃんは何も聞いてくれません

2020-03-29 22:47:22 | トイレ・排泄
先日の木曜日のことですが、この日は何も予定がないのんびりした日。
ゆっくり起きてから僕は洗濯をし、朝食はブランチとなりました。
さっちゃんを朝食の準備が出来てから起こしました。
食事も出したもの全部食べてくれましたし、薬もキチンと飲んでくれました。

食後しばらくして、さっちゃんは布団の中へ。
僕をしきりに一緒に寝ようと誘うのですが、僕はまだやることがありますし、布団に寝転がる気分でもありません。
で、さっちゃんは一人で布団の中に入って休んでいました。
お昼なのでさっちゃんだってそんなに寝れるわけもなく、起き出して来ました。

ちょうど僕は歯磨き中で、さっちゃんはいつものことですが僕のそばにすぐに近寄って来ます。
歯磨きが終わり、さっちゃんの歯磨きもしてあげなくちゃと思っていたそんな時。
急にさっちゃんが下腹部を押さえ始めて慌て出します。
これはもうおしっこですね。
僕は急いでさっちゃんをトイレの便器へと押しやります。
さっちゃんは押されていることに怒ります。
僕は構わずズボン、ズボン下、パンツと脱がせます。
さっちゃんは勝手に脱がされていることを怒ります。
僕はさっちゃんの肩を掴んで押し下げ、さっちゃんを便座に座らせます。
さっちゃん、猛烈に怒ります。

おしっこは少し出ました。
すでに、半分ほどは漏らしていたようです。
さっちゃんのスリッパを脱がし、靴下を脱がし、ズボンを脱がします。
ズボン下とパンツは一緒に脱がして、その二つはお風呂場へ持って行き、バケツに入れ、お湯を入れておきます。
念のため、ズボンも洗濯カゴへ。

トイレのさっちゃんをトレぺで拭いてあげ、お風呂場へ手を引いて行こうとすると、来てくれません。
嫌がって抵抗します。
抵抗とは肉体的物理的なものが主ですが、僕への悪態も当然付随しています。
下半身素っ裸のままダイニングの方へ行こうとします。
僕はさっちゃんを引き留めようとしますが、今度はそれに抵抗します。
僕はやっぱりお風呂場へ連れて行って下半身をシャワーで洗ってあげなければと思うのですが、強烈に抵抗されます。

これまで同じようなことがあった際に、さっちゃんは素直に風呂場へ入りシャワーで洗わせてくれていました。
今日はどうしてこんなに嫌がるんでしょう?
分かりません。
2、3度こんなことを繰り返し、僕はさっちゃんをシャワーで洗うことは諦めました。

ダイニングへ行ってしまったさっちゃんを、僕はお湯で濡らして絞ったタオルを持って追いかけます。
下半身をタオルで拭く作戦です。
丁寧に、タオルの面も替えながら拭いてあげます。
もうすぐ拭き終わるころになって、さっちゃんは「冷たい」と言って拭かれることを拒絶。
あと少しだったので、僕はちょっと強引に拭いてしまいました。
当然、さっちゃんは怒ります。

そのまま布団の方へ。
僕は追いかけて「ちゃんと着替えるよ」と呼び止めようとするのですが、
さっちゃんは下半身裸のまま布団の中へ潜ってしまいました。
まあ、もう綺麗に拭いたし、仕方ない、このままほっとけ! と僕は諦めます。
しばらくすると、さっちゃんは起きて来て僕のそばに来ます。
でも、まだ怒ってるようで、僕がパンツを穿かせようとすると、布団の中に逃げ込みます。
この状況が続いても、とくに困ることもないので、たいして問題ではありません。

だいぶん経って、起きて出て来たさっちゃんは怒りの感情をすでに忘れ去っていました。
そうなると、素直にパンツ、ズボン下、靴下、ズボンと穿いてくれました。
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カレンダーに印をつけていた記録をブログに残しておこうと思います

2020-03-28 17:15:17 | トイレ・排泄
我が家のトイレには便座に座った目の前に月ごとめくりのカレンダーが掛けてあります。
1日ごとのスペースが広めなので、先の予定で忘れそうな件をメモしておきます。
そのカレンダーに2月から印をつけておいたことがあります。
何かというと、さっちゃんの排便記録。

カレンダーは月が終わると捨ててしまうので、この記録をブログだけには残しておこうと思いました。
以前にも記録しておいたことはあるのですが、そのまま捨ててしまっていたので。
それはそれで勿体ないですよね。

僕はほぼ毎日排便があります。
日に2回あることだってあります。
ですから、便秘の人の気持ちやどんな状況になるのかはさっぱり分かりませんし、想像も出来ません。
排便時のさっちゃんは辛そうな時が多いですし、その辛さを僕にぶつけてくることもあります。
ぶつけられた僕はたまったものではありませんが、黙って耐えることしかできません。
さっちゃんを放ってトイレから離れるわけにもいきませんしね。

最後にその記録を載せておきます。
2月5日(水)、2月12日(水)、2月21日(金)、2月28日(金)、
3月6日(金)、3月12日(木)、3月21日(土)、3月28日(土)。

排便間隔は最短で6日、最長で9日、平均で7.43日。
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朝はちょっと諦め、病院ではちょっと呆れて、夕方はぽっぽっと心が温かくなりました

2020-03-25 23:21:10 | 言語リハビリ
今日水曜日は言語リハビリの日。
僕はいつも通りに起床して、朝食を作ります。
朝食を作ってる最中にさっちゃんに起きられても、さっちゃんの予期できない行動に対応しなければなりませんから、
もし何の用事(ほとんどはトイレ)もなしに起きてきても、布団の中に戻ってもらうことにしています。

朝食がほぼ出来上がるころ、僕はさっちゃんを起こしに行きました。
普段なら布団を外し、毛布を外し、タオルケットを外すと、さっちゃんはすぐに起きて来ます。
でも、今朝は違いました。
起き上がらないどころか、まだ寝ようとします。
毛布をかぶります。
僕はその毛布を剥がしますが、さっちゃんは眠たそう、起きる気配はありません。
僕はさっちゃんを起こすことを諦めました。

テーブルの上に二人の朝食を並べました。
もう一度だけ、さっちゃんを起こそうとします。
やはり無理ですね。
僕だけで朝食を食べ、さっちゃんの分にはラップをかけて冷蔵庫に仕舞いました。

今日はプラスチックごみと資源ごみの日、プラスチックとガラス瓶を出しに行きました。
言語リハビリ担当のT田先生に今日は行けない旨を電話連絡しておかなければなりません。
そんなことを考えながら、ごみを出して、部屋に戻ってくると、しばらくしてさっちゃんが起きて来ました。
「どこに行くの?」
とか聞きます。
何となくどこかへ出かけるんだということは伝わっていたようですね。
「T田先生の所へ行くんだよ。朝ご飯食べな」と、冷蔵庫のおかずとパンを出しました。
でも、さっちゃんは食べそうにありません。
小さなヨーグルトパックの蓋を剥がし、スプーンを入れて、さっちゃんの目の前に置きました。
これは食べてくれました。

一時は今日のリハビリは諦めてしまいましたけれど、何とか出発することが出来ました。
いつも乗っている電車の20分後の次の電車に乗ることが出来ました。
これだと予約時間の10分前に病院到着し、いろんなことをする余裕はありません。

今日もさっちゃんはよく喋り続けていました。
楽しそうないい表情で、先生が割り込む隙がないような喋りを続けました。
でも、先生も慣れてきて、こんなさっちゃんへの対抗措置を考えて来たようですね。
まあ、対抗措置と言ってもさっちゃんの喋りにかまわず強引に割り込むだけなんですけどね。
もちろん、いくら強引と言っても、さっちゃんの喋りが一段落した瞬間、それを何となく察知して先生が語りかけるわけですけどね。

そんな感じで、まずは絵と名札のリハビリ訓練を続けました。
この訓練の合間にもさっちゃんはずうっと喋り続けています。
そのさっちゃんの喋ってる内容が、デスクの上にある「絵」と関係あることを喋ってるのかはまったく不明。
先生は好意的に受け取っておられるように感じましたけれど、僕は違います。
おそらくさっちゃんはその絵とは全然違うこと、しかも話の内容もどんどん別の話しに変わって行ってるんだと思いますね。
ところが、さっちゃんの意識は時々テーブル上の絵にも向かうようで、
喋りの中でごくごくたまになんですが、その絵の「カメラ」とか「くつ」とかに受け止められる単語が混ざることがあるんです。
先生は嬉しそうに「そう、カメラだね」などと対応します。
さっちゃんが終始楽しそうな表情なので、これはこれでいいのかな、と思いますね。

先生にはさっちゃんが自分から「バラが咲いた」を口ずさんだことを以前報告したんですが、
先生はその歌を一緒に歌おうとさっちゃんに言ってくれました。
最初はアカペラで、さっちゃんは「ラララ~~」と小声を出す程度。
メロディーもちょっと外れているような感じでしたね。
「バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバラが 淋しかった僕の庭にバラが咲いた バラよバラ ~~~~」
歌詞も後半や2番からはよく知りませんし、メロディーもちょっと複雑になりますよね。
次に二人の女性が唄っている映像を流しました。
これには歌詞の文字も入っていたのですが、曲のスピードが速い!
最後にマイク真木自身が唄っている映像、ゆっくり歌っているのはいいのですが、
「バラが死んだ」だったか「バラが枯れた」だったか、そんな2番だったか3番だったかには驚きました。
(調べてみると、2番で「バラが散った」なんですね)

最後にいつもやってるPCの「ハチドリが声の高低と継続時間で花の蜜を吸う」というゲーム。
さっちゃんはもう声を出すことには疲れたのか、声をまったく発せず。
以上で、今日の言語リハビリは終了しました。
まあ、最後の方はさっちゃんちょっとお疲れ気味な感じでしたけれど、だいたい終始楽しそうだったので良かったと思います。

家への帰路は、いろいろ咲いている花を見ながら帰りました。
最寄り駅では朝食用のパンを買い、いつものようにお弁当ひとつとお惣菜100gを買って、お昼ご飯を食べました。
さっちゃんには食べなかった朝食も出しました。
パンは食べましたが、朝のおかずは半分くらい、残ったのは僕がペロリ。

不思議なことにいつもは疲れきってしまう病院帰りの日なのに、あまり疲労感がありませんでした。
さっちゃんとスーパーに買い物に行き、夕食を作るまでのひととき、僕は布団で少しだけ体を休めようと思いました。
直後にさっちゃんも嬉しそうに布団の中へ入って来ました。
さっちゃんが僕の背中側から僕を抱くような感じで添い寝してくれます。
僕はさっちゃんの右手を僕の胸の前でそっと掴みます。
その間、さっちゃんは歌ともつかず、喋りともつかない、そんな不思議な言葉を僕の背中で発し続けるのです。
僕の気持ち、感じ方ではそれはですね。
楽しそうで、おちゃめで、笑いも誘うような、そんな歌。
ついつい、僕も笑いが込み上げて来ます。
不思議な感覚でした。
言葉の意味はいつものようにまったく分かりません。
いわゆる言葉にはなっていないからです。
でも、気持ちと言うか、雰囲気は伝わって来るんですね。
さっちゃんのそんな歌とも言えないような音声の羅列が二人のこの瞬間の空間を幸福感で満たしてくれていました。
笑いに溢れていました。
こんな経験は初めてのこと、今日が最後なのかもしれません。
それほど不思議で嬉しい体験でした。
さっちゃん、有難う!
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天覧山にひとりで行く予定でしたが、腰痛のため行かないことにしました

2020-03-24 22:22:21 | 僕の自由時間
今日は火曜日、さっちゃんは一日デイサービスに行っています。
今日も天覧山へ行ってトラバースのトレーニングをするつもりでした。
しかし、今朝目が覚めると、腰が痛い、酷く腰が痛かったんです。
トイレで便座に座ろうとしても、手摺りを持たないと途中の中腰の状態が痛くてたまりません。
洗面所で手を洗おうとしても、前屈みがちに手を洗おうとするとこれまた酷く痛い。
朝食を作る際にも、野菜室から取り出そうと腰を屈めるとやっぱり痛い。
いろんな動作が腰に響いて痛いんです。

こんな状態ですから天覧山は中止。

この腰痛は僕の持病みたいなもの。
32、3歳のころ、河原の岩場でボルダリングしていた際に飛び降りて痛めたものです。
それから数年間はとりわけ大変でしたね。
座っている姿勢が僕の腰には一番辛かったので、電車が空いていても立っていることが多かったですね。
デスクワークの際にも、座らずに立ったままで仕事をしたりしていました。
その頃は登山でも実力を伸ばす真っ最中でしたから、痛くても我慢して頑張っていました。
立ったり歩いたりは問題なかったので、行き帰りの電車やテント生活が苦しかったですね。

やがてこの腰痛もほとんど気にならなくなりましたが、無理をしたり疲労が溜まると症状が再発することもありました。
まあ、今回もそうなんでしょうが、当時ほどの大変さはありません。
でも、痛くて辛い。
今日は腰痛の時にいつも行く接骨・鍼灸院に行ってきました。
腰を温め、短い時間ですが腰を中心にマッサージしてもらいました。
本当は明日も明後日も行ってマッサージしてもらいたいんですが、さっちゃんがいるのでそれは無理でしょうね。
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さっちゃんの手の爪切りは指10本中4本しか切ることが出来ませんでした

2020-03-23 23:55:11 | 生活の一場面
さっちゃんは自分では爪切りが出来ませんし、多分しようとも思わないでしょう。
ですから、僕が時々切ってあげます。
年齢とともに爪の伸びが減ったせいでしょうか、2、3週間おきくらいで爪切りしますね。

今日は2週間ぶりくらいだと思いますけれど、爪自体はまだ短かったんですが、爪の奥が少し黒ずんでいたのです。
いつもは、晴れた日の昼に陽光が差し込む窓のそばで切ることが多かったのですが、
今日はさほど明るくありませんでしたから、テーブルで向かい合わせて座って、明るいライトの下で切ることにしました。

切ろうとすると、僕の眼の衰えが進んでいるせいなのか、全然シャープには見えません。
僕は近眼なので、老眼になっても近くはよく見えていたんです。
試しにさっちゃんの使わなくなった老眼鏡を掛けてみました。
さっちゃんは4年ほど前に白内障の手術をしました。
術後の眼に合わせた眼鏡が出来るまでのつなぎとして、既製品の安価な老眼鏡を買っていたのです。
その老眼鏡を掛けるとすべてがボオ~ッと見えます。
でも、さっちゃんの指の爪の10~15cmに顔を近づけると、突然シャープに見えるんです。

で、その老眼鏡を掛けてさっちゃんの指の爪を切ることにしました。
まずは左手の小指から。
「痛かったら、痛いって言ってね」と僕は毎回言います。
たまに「痛い!」って言われちゃうこともありましたが、ごくごくたま~にですね。
もちろん切る前に「痛い!」と言いますから、そのまま切っちゃうことはありませんよ。

そして、今日。
さっちゃんは何度も「痛い!」と小声で叫びます。
「あっ、ご免ね」と言って、僕はいったん爪切りを離します。
でも、何度も「痛い!」と言われると、「本当に痛いのかなぁ?」と疑ってしまいます。
ただでさえ他人の爪を切り慣れていなくて、慎重に少しずつ切っているのに、痛いというのは可笑しいんです。
爪の間の肉にちょっと強く当たっただけで「痛い!」って叫んでるのではと疑ってしまいます。

今日は朝からいつも以上に僕に纏わりついて、ブツブツと独り言も絶えることがありませんでした。
「一緒に布団で横になろうよ」「どこか出かけようよ」そんな風な要求をずうっと僕に投げかけ続けていたのです。
もちろん言葉は意味不明ですから、僕の想像でしかありませんけれど、
そんな今はしたくないこと、今は出来ないこと、を要求されても本当に困るんです。
僕自身ちょっと困って、ストレスも溜まっていた中でのさっちゃんのこんな態度ですから、カチンと来てしまったんですね。

小指から始まって、薬指、中指、人差し指と、爪を切り進みました。
でも、親指の爪を切ろうとしたら、さっちゃんは拒否、テーブルから立ち上がりました。
僕は自分が怒っているのか、悲しんでいるのか、苛ついているのか、よく分からないのですが、
テーブルの上に敷いた新聞紙にバァ~~ンと爪切りを叩きつけたんです。
途端に自分でも「あっ、まずい」と思ったのですが、この程度の感情の爆発(抑制なのかな?)は仕方ありませんよね。
いつもは素直に切らせてくれる爪切りなのに、どうして今日は文句を言ったり、「痛い!」と何度も叫んだりしたんでしょうね。
朝からのさっちゃんの様子もあって、僕は相当腹立たしかったり、苛立ったりしていたのでしょうね。
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本当は山に行きたかったんですが何となく心身ともにだるくて・・・・ でも、それで良い事もありました

2020-03-22 23:41:52 | 気分や思い
この三連休中に一日は山歩きに行こうと思っていました。
と言っても、実際は春分の日の金曜日はデイサービスがありますから無理ですけどね。
金曜日は午後にケアマネさんも来られたので、何かと疲れが抜けませんでした。
それじゃあと、土曜日に一日ゆっくり休んで、日曜日にさっちゃんと二人で山へ行こう、と考えていました。
でも、土曜日の夕食を作る前に、行き先を決め、下山連絡を受けてくださる方も決めなければなりません。
さらに、山行計画書を作成して会に報告、寝るまでには僕とさっちゃんの持ち物の準備も終わらせなければなりません。

行き先の山のことだけ考えればいいのなら楽しいだけで、山行計画書の作成など面倒くさいことも苦になりません。
でも、さっちゃんと一緒ですから、いろいろと心配事ややるべき手間がたくさんあるのです。
あれこれ悩んでいると、肉体の疲れも完全に抜ける時などあろうはずもありませんし、
それ以上に精神的疲労感、体よりも心がだるい、そんな気分に陥ってしまうのです。

そもそも山へ出かける前日は、山へ行きたくてしようがなく、山へ行ける喜びでワクワクしていて、
残業続きで疲労困憊していても、帰宅したのが前日の夜中でそれから準備をして、
翌朝が早くて始発電車に乗らなければならなければ、そのまま徹夜して起きていたりしたものです。
まあもちろん若い頃の話しですけどね。
でも、気持ちは年を喰ってからでも同じでした。

最近、山に行く前日に昨日のような気分に囚われることが多くなってしまったように思います。
当り前のことなんですけど、僕自身のための山行ではなく、さっちゃんのための山行ですからね。
まだまだ僕は「さっちゃんのための山行」を心から楽しめてないんでしょうね。
なんとか気持ちの持って行き様を考えなくてはいけませんね。
義務感や使命感を前面に出すと楽しいはずありませんから、僕なりの楽しさを見つけなければならないでしょう。
自分なりの幾つかの工夫はしていたつもりなんですけどね。

そんなこんなで今日の日曜日は家にいました。
すると、12:50、さっちゃんの妹さんのK子さんから電話が入りました。
今日お墓参りに行って、今その帰りなんだけど、ちょっとだけ寄ってもいいか? という内容でした。
もちろんOK! さっちゃんは喜ぶでしょう。
K子さんからの電話は5ヶ月ぶり、会うのは8ヶ月ぶりになりますからね。
さっちゃんはK子さんに向かって楽しそうに喋っていました。
その内容は分かりませんけどね。
今のさっちゃんにとっても、肉親との出会いや会話は特別なものだと思います。
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3月15日、天覧山の岩トレに参加しましたが、さっちゃんは多峯主山までのハイキングをしました

2020-03-21 23:57:01 | クライミング
K野さんが天覧山での岩登りトレーニングを計画してくれたので、さっちゃんとともに参加することにしました。
しかも、遅れての参加も許可してもらいました。
デイサービスのある日などと同じ時間に起床、朝ご飯も同様に食べて、いつも通り家を出る。
そんな風に家を出発すると、みんなの集合時間より1時間半ほど遅れることになるんです。
さらにこれはいつものことなんですが、さっちゃんはすぐに帰りたがりますから、周辺の山を歩きに行くことも許してもらいます。
そんなこんなで僕とさっちゃんは11時ころに天覧山最下部の岩場に到着。
でも、実際は最下部までは行かずに、そのすぐ上の鏡岩と蛇岩へ行きました。
というのも、最下部の岩場にはプロガイドの講習会らしきグループでいっぱいだったからです。
親切な方たちだったみたいで、スペースを開けてくれて、最下部の岩場でも基礎練習は出来たようですね。


▲11:08。天覧山にはボルダーチックな岩場が多いのですが、その中でも易しい岩がこの鏡岩。写真の女性はホールド、スタンス豊富な部分を登っていますが、本来の鏡岩はその手前(右)で、デシマルグレードで5.7。僕にとっては昔通いこんだ岩場ですから、ちょっとだけでもアドバイスだけは出来ます。


▲11:29。鏡岩の左上にある蛇岩にもトップロープが張られていました。鏡岩が小さなホールド、スタンスを使いこなす課題なのに対して、この蛇岩は全身でのバランスの取り方が要求される垂壁です。グレードは5.8。名前の由来ですが、この岩場に青大将が棲んでいて、よくこの岩場で日向ぼっこをしていたからです。僕もその青大将を見たことがありますが、最近は見かけないですね。

さっちゃんにいきなりこんなグレードの岩を登らせるのは無理ですし、
平らな場所は狭くて、周囲は崖になっていますから、さっちゃんに長居はさせられません。
というわけで、早々に山歩きに行くことにしました。


▲11:36。登山道に戻って、ちょっと歩くと天覧山の山頂です。今日は多峯主山(とうのすやま)まで歩いてくる予定です。


▲11:42。天覧山山頂からは北西面の長い木の階段を降りて行きます。途中、椿の花が足元に多く落ちていました。少し上を見上げると、まだまだ多くの椿が咲いていました。


▲12:01。麓の湿地を越えたあたりで、そのまま多峯主山方向へ進むのですが、時間にも余裕がありますから、右側の高麗峠方面への登山道を歩くことにしました。すると、奇妙なオブジェが。1mほどの高さの切り株を彫ったものです。何を表現しているのかはさっぱり分かりませんね。


▲12:02。まだ3月中旬だというのに、モミジイチゴ(キイチゴ)の花が咲いていました。しかも、あちこちにたくさん。少し早過ぎるような気がします。


▲12:08。高麗峠はもう少し先のようなので(帰って地図を見ると、1時間以上先にあるんですね)、気持ちのいい広場にベンチがたくさん並んでいましたから、お昼をいただきました。ここからは少し戻って多峯主山へ向かいました。


▲12:30。冬枯れの林に春の日差しがたっぷりと入り込んで、最適な暖かさの日和でした。登攀用具は僕のザックの中に置いてきましたから、さっちゃんのザックを僕が背負って、さっちゃんは空身です。


▲12:24。キブシの花が咲き始めていて、花穂がたくさん垂れていました。僕はキブシの花の咲く雰囲気が大好きです。とりわけ、キブシには光が当たって、背景が暗い森とかだと最高に美しいですよね。


▲12:51。多峯主山が近づいてくると、階段の急坂が長く続きます。石の階段が現れると山頂もあと僅か。


▲12:55。多峯主山270.7mです。割と広い山頂にはハイカーがたくさんいました。

ここまでの道すがらもそうなんですが、さっちゃんはすれ違うハイカーによく挨拶をします。
まあ、この時間ですから「こんにちは」なんですけれど、何やら意味不明な外国語のような挨拶を投げかけることが多いですね。
もちろん、1回だけですが正しく「こんにちは」と言えた時もありました。
ちっちゃな子供が歩いていると、そんな子供に語りかけることも多いですね。
おそらく「可愛いねぇ」とか「頑張って歩いてね」とか声をかけてるんでしょう。
声をかけられたハイカーは一瞬「えっ?」と不思議な気分になるんじゃあないでしょうか?

この山頂でも、さっちゃんは一人の女性に話しかけていました。
僕にもさっちゃんがどんな内容のことを話しかけているのか、想像がつきません。
話しかけられたその女性はなおさらでしょうね。
女性がどう対応すればいいのか困っている様子でしたから、僕は彼女に「認知症なんですよ」と告げました。

認知症になる以前のさっちゃんは人見知りで、知らない人に気楽に話しかけることが絶対に出来ないタイプでした。
認知症になってそんな人見知りな性格は変わったようですね。
この変化は良い変化だと僕は思っています。

山頂は人が多いので、休憩せずに早々に立ち退くことにしました。


▲13:30。山頂直下のトイレに寄りましたが、おしっこはせず。さっちゃんは家でして以降、一度もおしっこをしていません。雨乞池のほとりに建つ東屋で休憩しました。


▲13:55。再び天覧山麓の湿地に戻って来ました。


▲14:02。この木の階段を登ると、天覧山山頂です。


▲14:09。天覧山山頂を南側に下ります。獅子岩の天辺が見えて来ました。この仕切られている鎖を潜って右へ入り、下っていくと、鏡岩や蛇岩です。

みんなのところへ戻ると、僕とさっちゃんはハーネスを装着しました。
さっちゃんはうろうろすると崖から落っこちてしまいそうですから、長めのシュリンゲでセルフビレイを取っておきました。
さっちゃんのことをよく理解してくれている山仲間がそばに付いていてもくれます。
そんな中で、僕も鏡岩を1本、蛇岩を2本攀らせてもらいました。
なんとかギリギリ登ることが出来ましたけれど、クライミング能力の低下は目も当てられませんね。


▲15:56。プロガイドの講習会も終了したので、僕たちは空いた最下部岩場へ移動しました。その中央部の小ハングルート4級+にみんなでチャレンジ。


▲最下部岩場のトラバースにもチャレンジ。20代の新人青年はムーヴを教えると、すぐに出来てしまいますね。(K野さんが撮影し、会員に公開した写真をコピーさせていただきました)

この後、一瞬小雨がぱらついたりして(その時だけでしたが)、時間もちょうどいいのでこの日のトレーニングは終了。
さっちゃんにも最下部の岩場を1回くらいは登らせてあげたかったんですが、登らずに終了。


▲17:25。まだ居酒屋さんが開く時間ではなかったので、いつもの蕎麦屋に入りました。そこでみんなの写真をパチリ。Y根君が気を利かして撮ってくれました。左からK野さん、W泉さん、S野さん、S藤さん、S上さん、さっちゃん、僕。

Y根君はここのところ毎回手伝ってくれています。
そこまで熱心に手伝ってくれなくてもいいのですが、これが彼の性格なんでしょうね。
本当にいい奴です。
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2016年の忘事録/カレイの煮付けなど、夕食全部をさっちゃんが作ってくれました

2020-03-20 22:36:17 | 2016年の忘事録
忘事録とは忘れた事の記録です
また思い出すこともあるでしょうが
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新しい思い出を
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この忘事録カテゴリー文章はほぼその日付当時メモした文章のままこのブログに載せています)

2016年5月14日

GW開けたころから1.5錠にしたが、今日は1.5錠でもさほど辛くなかったようだ。
夕食もカレイの煮付けと野菜や竹輪などを煮ての玉子とじを作ってくれた。久し振りに僕が何も手伝わずに(僕がメインの一品を作ることも多かった)全部やってくれた。
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