さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

毎日の面会が日常になっています

2024-08-27 00:14:13 | 面会

さっちゃんが入院している病院はスーパーマーケットが隣りにあります。

僕はそのスーパーで買い物をします。

ですから、面会ついでだか、買い物ついでだか、毎日の面会後には買い物もします。

連日、暑い日が続いていますから、陽が傾き始め、僅かに風も涼しくなる4時台に出かけるわけです。

 

8月8日(木)

▲16:43。さちゃんの手の甲だったと思いますが、点滴の針がセットされていました。暑い日が続いているので、体内の水分を補うためなのでしょうか?

 

▲16:44。この日のさっちゃんは目を覚ましてくれませんでした。無理に起こすことはしません。

 

8月9日(金)

▲16:48。点滴をセットしている手の甲には絆創膏が貼ってあり、セットした日と終了日(多分)が記されています。

 

8月10日(土)

▲16:44。土日で避難小屋泊まりするつもりでしたが、オリンピックのフリークライミングの決勝が気になって出かけませんでした。森秋彩(あい)選手は飛び抜けて小柄な選手で、154cmなのだそうです。さっちゃんは150cmでしたが、僕よりも上手かったです。

 

8月11日(日)

▲16:32。暑い日が続きます。ここのところ毎回歌を唄います。4人部屋ですから、小声でしか唄えませんが、毎回『ふるさと』を唄っています。

 

▲16:33。さっちゃんのカーテンで囲まれた部屋に写真のような表示がありました。僕の面会には影響はないみたいです。帰る際にナースステーションで聞いてみると、尿検査からESBL産生菌が見つかったとのこと。接触感染するようなので、看護師さん等が他の患者さんに感染させないように注意することが必要なようです。僕に対する注意とかは特にはありませんでした。

 

8月12日(月)

▲16:47。暑い日が続いています。寝巻きもパジャマタイプではなくて、浴衣タイプばかりです。下着も着せていません。しかも、胸がはだけていますね。おっぱいの小さな(今はもうない)さっちゃんですから、目のやり場には困りません。病室は冷房はあるのですが、それほど冷えてはいません。外気が30数度だとすると、室温は30度近いのかもしれません。僕の部屋も30度くらいです。クーラーの真下に温度計(時計に付いたやつですから正確かどうかは分かりません)があるのですが、その場所でも28~29度です。それくらいですけれど、部屋に入るとひんやり感じます。

 

▲16:47。さっちゃんはよく声を出してくれます。以前よりは小さな声ですけれど。声を出してくれていると、僕は嬉しいですね。

 

8月13日(火)

▲16:39。面会に訪れると、ちょうどリハビリが終わったところだったようです。PTさんでしょうね。拘縮している両腕と右足中心にそれ以上悪くならないようにしてくれているみたいです。

 

16:47

▲16:47。褥瘡予防のために体位を変える必要があるので、いくつかのクッションを背中付近や足のあたりに置くことはよくなりますが、腕との間にも置くのですね。

 

8月14日(水)

▲16:35。何日か前からそうだったと思いますが、点滴はセットされていません。栄養は勿論ですが、水分補給も胃瘻から十分に採れていると言うことでしょう。まだ痰の吸引はしているようです。面会中も少し痰が喉に絡んでいるような雰囲気の時もあったりします。胸に付着しているのは心電図を採っているのでしょうか? 太めの携帯ほどの機械に繋がっていて、その機械は心電図と呼吸とPsO₂を扱っているようです。

 

8月15日(木)

▲16:56。僕の面会中に看護師さんがひょっこり顔を覗かせました。そして、「ご家族にはこんなに声を出すのね」と言います。嬉しいですね。さっちゃんがどういう意識なのかは分かりませんが、僕と看護師さん達への対応に少しの違いがあると言うことは。どうしても、その違いを僕は好都合・好意的に解釈してしまいます。

 

この日は僕の誕生日です。

さっちゃんが元気な時は二人で山にいるのが通常でした。

ペルセウス座流星群を目にしたりしていました。

僕が男性陣と先行して、剱沢の天場にいたある年の夏、さっちゃん達女性3人は数日遅れで合流しました。

その時、誕生日祝いと言うことでウナギのかば焼きを持って来てくれました。

山での印象的な誕生日祝いと言えば、それくらいでしょうかね。

この日の看護師さんの言葉も嬉しい誕生日祝いになりました。

 

▲16:56。さっちゃんの両腕はいつも胸の前で組まれています。拘縮しているのです。青いコードはPsO₂のセンサーと繋がっています。他のコードは胸に貼られた心電図のですかね?

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病院の相談員さんとお話しをしました

2024-08-14 20:59:50 | 介護医療院

先週の8月5日(月)の正午前、病院の相談員さんから電話がありました。

そして、その日のさっちゃんとの面会後に相談員さんと会うことになりました。

夕方5時を過ぎて、相談員さんとお話をしましたが、内容は予想通りでした。

 

さっちゃんが退院できるようになってから、どこへ行くか?です。

その相談員さんは女性で、わりと物事をはっきりとおっしゃる方でした。

会話の流れの中で、延命措置をどのレベルでとるのかという、お決まりの話が出ます。

心臓マッサージはしません。

相談員さんは「高齢なので肋骨が折れちゃいますしね」と言います。

それは分かっていますけれど、「しなくていいです」と僕は言っているのですから、そこまで具体的に表現しなくてもね。

人工呼吸器は使いません。

それで生きながらえても、植物人間のような状態になり易い、と言うような感じをおっしゃったかな?

これも「使わないで」と僕は言っているのですから、「使ってもこうですよ」とまでは言わなくてもね。

 

心マや人工呼吸器ほどには言っていませんでしたけれど、胃瘻や中心静脈栄養についても、似たような印象を漂わせました。

さっちゃんが咀嚼や嚥下能力をほとんど失った時に、経管栄養に移りました。

最初は経鼻経管でしたが、それでは苦しそうなので、胃瘻を造設しました。

意思疎通はほとんど出来なくなっていましたが、まだ素敵な笑顔を浮かべることもありました。

そんな胃瘻を僕は単なる延命措置だとは思いません。

胃瘻を拒否して、まだ笑顔を浮かべてくれる妻に緩慢な死を与えることなんて出来ません。

それは中心静脈栄養に関しても同様です。

 

中心静脈栄養に関しては、まだ造設しなくて済んでいます。

胃瘻を使えています。

胃瘻を使った方が胃腸機能も活かせますから、いいのです。

もちろん、胃から逆流して誤嚥性肺炎を引き起こす危険性はあるのですが。

 

さてさて、さっちゃんの今後の身の振り方です。

I老健に戻ることが出来れば、それがいちばんいいと僕は今でも思っています。

でも、I老健としては誤嚥性肺炎を繰り返すさっちゃんに対して、自信・確信が持てないようなのです。

医師も一人だけですし、看護師も少数です。

相談員さんは言います。

「点滴にしても、病院なら看護師も多く、上手に点滴をセットできる看護師がいたりするんです」

確かに、I老健では点滴の針を打つ困難ゆえに、中心静脈栄養を提案する雰囲気がありましたからね。

 

相談員さんはI老健さんとは意見交換していることでしょうから、I老健の意向は承知しているはずです。

相談員さんはI老健に戻る選択肢は最初に外しているようです。

 

それで他の選択肢ですが、病院の療養病棟です。

以前はこの病院にも療養病棟があって、さっちゃんもお世話になっていたことがありました。

基本は長くても6ヶ月の入院期間なのですが、今のご時世、長期療養入院が必要な患者さんが多いので、6ヶ月とは言っておれないのだそうです。

同じ市内で2つの病院を教えてくれました。

ただ、病院は病気を治す場所なので、キメ細かな介護はありません。

必要最小限なだけ看護師が訪れ、拘縮などへのケアとしてPTが来てくれる、その程度です。

刺激の乏しい生活になってしまいそうです。

 

介護も充実してもらおうとすれば、介護医療院になります。

介護も医療も充実した施設です。

僕が住む市内にはないみたいです。

隣りの市にあるようですね。

以前、さっちゃんがこの同じ病院に誤嚥性肺炎で長期間入院していた際も、別の相談員さんから紹介されていた介護医療院がありました。

その介護医療院で詳しい話を聞く手前まで来ていたのですが、I老健に再入所が叶って、その話は立ち消えになったのです。

ただ、介護医療院は費用が高くつきます。

 

いろいろと話した結果、病院の療養病棟と介護医療院でお話しを聞く機会を作ってくれることになりました。

1週間以上経ちましたが、相談員さんからは連絡が来ません。

急ぐ必要はないことではありますが、入院してから2週間ほど経ちます。

入院予定日数は10日間だと聞いていましたから、あまりのんびりとは出来ないと思うのですが。

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入院中は直接会えるのが嬉しいですね

2024-08-08 23:52:13 | 面会

前回の肺炎の際も今回入院した病院と同じでした。

と言うことは、面会システムも同じです。

2~5時の間で毎日15分間は病室で会えるのです。

その点は僕にとってはとても嬉しいですね。

もちろん、さっちゃんにとっては病気なわけですから辛いでしょうけれどね。

それに身の回りの世話や人との交流はI老健の方が行き届いていますから、刺激は少なくなります。

たったの15分間ですけれど、僕が刺激を与えてあげようと思います。

 

入院の翌日、8月2日(金)に早速面会に行きました。

▲16:45。バイタルをチェックする器具は付いていましたが、点滴は付いていませんでした。と言うことは、胃瘻から栄養も水分も入っているのでしょう。嬉しいことです。

 

8月3日(土)にも面会へ。

▲16:45。この日はぐっすり寝ているさっちゃんでした。起こしても悪いですし、小声で「さっちゃ~ん」と呼びかけるだけ。さっちゃんは目を覚ましませんでした。

 

8月4日(日)、僕は大菩薩の牛奥ノ雁ヶ腹摺山を歩いて来ました。

 

8月5日(月)、昼前に病院の相談員さんから電話がありました。

面会後、会うことになりました。

▲16:46。この日は目を覚ましてくれていました。僕はさっちゃんの耳元で「ふるさと」を歌います。気のせいか、いつもよりさっちゃんの声出しが多くなるような気がします。リズムもメロディーもありませんが、さっちゃんは唄っているのだと思います。

 

面会後に相談員さんと話しました。

その内容は次のブログで。

 

8月6日(火)も面会に出かけます。

▲16:46。さっちゃんの目の前に誰もいない時にさっちゃんが声を出しているのかどうかは分かりません。でも、僕が面会に行って、さっちゃんと目が会うと、さっちゃんはほぼ必ず声を出し始めます。さっちゃんにとっては人の顔が最大の刺激なのかもしれませんね。赤ん坊と同じです。僕の顔だと認識してくれていれば、最大の喜びですけれど。そこまでは望めないでしょう。

 

8月7日(水)は正午のいちばん暑いころ、自転車で市役所と買い物に回りました。

それで疲れてしまったのでしょうか?

帰宅後、ちょっと横になったら、目覚めると夜の8時でした。

面会に行くつもりだったのに・・・・残念( ;∀;)

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前回と同じ病院に入院しました

2024-08-03 13:27:55 | 中心静脈栄養

7月29日にI老健の医師からさっちゃんの現状と中心静脈栄養について説明を受けました。

その時のブログにも書きましたが、その時点で僕は二者択一で決定をしなければならなくなりました。

つまり、I老健でこのままの対処を継続し、結果的には看取りを行なうか、

入院して中心静脈栄養の点滴を造設するか、どちらかを選ぶことになったのです。

 

医師の説明を受けながら、僕には後者の選択肢しか考えられませんでした。

その後、さっちゃんの部屋へ案内され、直接会うことが出来ました。

部屋ではさっちゃんはマスクを外しています。

マスクをしている時よりも、顔の表情がより分かります。

基本的にさっちゃんは自分の感情を表現できないと思います。

さっちゃんが表わしている表情は喜怒哀楽等の個人的表層の感情を超えた、内面の根底とでも言うべき表情だと思います。

さっちゃんの無意識部分が顕れているような気がします。

僕はそんなさっちゃんの顔の表情を見て、さっちゃんが生きようとしている、心に温かいものが満ちている、そんな風に感じました。

何と表現しても、陳腐にしか聞こえません。

何も疑わず、何も憎まず、何も怒らず、何も悲しまず、生まれたばかりの赤子のような表情に見えたのです。

「さっちゃんは生きたがっている」

僕は勝手にそう感じてしまいました。

それが本当にさっちゃんにとって正しい選択なのかどうかは分かりません。

でも、その選択の方が僕にとっては無理がなく、嬉しい選択なんです。

さっちゃんは自分の意志を表現することは出来ません。

それを想像し、最終的には僕自身の願いのままに決めるしかないのです。

その結果に対する責任は全て僕自身で引き受けるしかありません。

 

医師の説明を受けた29日には僕の気持ちは決まっていました。

ひと晩経ってもその気持ちは揺らぎませんでした。

30日にI老健のS田さんに電話をし、中心静脈栄養をして欲しい旨を伝えました。

31日の午後、S田さんから連絡が入り、翌日入院が決まりました。

 

8月1日(木)、タクシー会社に電話をし、I老健へ向かいました。

10時45分には到着し、出発を待ちます。

介護タクシーが来て、さっちゃんも車椅子で降りて来ます。

さっちゃんの荷物が大きな段ボール箱に入れられています。

 

医師と看護師も見送りでしょうか、玄関ロビーに来てくださいます。

僕は医師に最後の確認をしました。

「中心静脈栄養がセットされた状態ではこの老健では受け入れられないのでしょうか?」

医師の答えは明瞭でした。

「受け入れられません」と。

中心静脈栄養がセットされた状態の入所者に対する医療的対応が困難だと言うことです。

つまり、この日がさっちゃんにとってのI老健との別れの日でもあるのです。

僕は見送りに来てくださっている皆さんに「長い間本当にお世話になりました」と挨拶を繰り返しました。

 

介護タクシーで病院へ向かい、入退院受付で手続きし、看護師さんを待ちます。

しばらくすると、看護師さんたち2人が来て、さっちゃんを車椅子からストレッチャーに移してくれました。

介護タクシーの運転手さんは次の仕事があるので、ここでお別れです。

料金は9000円でした。

酸素ボンベが必要なのでいつもよりも高くなるのです。

 

▲11:29。病院の1階フロアで、ストレッチャーに載ったさっちゃんは長く待ちました。さっちゃんは病院の8階(くらいあるのかな?)までの高い吹抜けの真下にいます。太陽の明るい光も降り注いでいます。そんな珍しい風景を目を見開いて見ているようです。写真左上の黒いものが酸素ボンベ。

 

さっちゃんに話しかけ、さっちゃんと目を合わせて、毛布の上からさっちゃんの手や膝を擦って、時間を過ごしました。

長く感じる時間が経ち、再び看護師さんたちが来てくれました。

今度はストレッチャーからベッドに移されます。

体重の軽いさっちゃんはいとも簡単に移されます。

一見乱暴にも見える移乗作業ですが、さっちゃんはどこか痛く感じたりはしないのでしょうか?

そして、エレベーターに乗って病棟へ行きました。

さっちゃんはそのまま病室へ向かい、僕は雑多な手続き等で多忙になります。

 

途中、さっちゃんの担当医師が来て話をしてくださいました。

前回入院した時と同じ女性のお医者さんです。

先生もそれは覚えてくださっていました。

T岡先生というお医者さんですが、今後の見通しを話してくださいます。

その内容はI老健の医師とは少し異なるものでした。

どうも中心静脈栄養の造設を次善の策と考えているようなのです。

「出来る限り、胃瘻も活用したい」

「それが駄目なら中心静脈栄養も仕方ないけれど、その後も胃瘻の活用が出来るのならば、戻したい」

そのようにおっしゃるのです。

「胃瘻が使えるのなら、I老健へも戻れますしね」

「その辺りのことは相談員さんと連絡を取り合いたいと思っています」

そんな風におっしゃいます。

僕は聞いてみました。

「でも、中心静脈栄養がセットされたままでは老健では対応できないのでは?」

すると、T岡先生はこうおっしゃるのです。

「老健へ戻るとしたら、中心静脈栄養は外します」

どうやら中心静脈栄養も普通の点滴(末梢静脈栄養)同様、容易に外せるみたいですね。

確かに、胃瘻を使用する限り、胃から逆流して誤嚥することで肺炎を引き起こす確率は高まります。

しかし、胃瘻を使用しなくても唾液等が肺に入る心配はありますから、誤嚥性肺炎にはなります。

T岡先生はト-タルに考えて、可能な限り胃瘻を活かした方がいいと考えているようです。

僕はホッと安心する気分です。

 

「入院診療計画書」には以下のように記されていました。

入院期間はとりあえず10日間程度と見ているようです。

「医師の指示の下、適切な栄養補給法を提案します」とありますから、中心静脈栄養は既定路線ではないみたいです。

 

もちろん中心静脈栄養造設の可能性は高いのかもしれません。

でも、それに至らない、これまで通りの姿に戻ることが出来れば、いちばんいいと思います。

血管が硬くなって通常の点滴を打つ場所が無くなって来ているのは確かなようです。

I老健へは戻れず、医療の充実した介護医療院のような施設へ行くようになるのかもしれません。

先のことは分かりませんが、T岡先生の話を聞いて、ほんの僅かな光明に触れた気がしました。

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