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さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

7月11日、中心静脈栄養について

2025-07-25 13:49:33 | 中心静脈栄養

7月11日(金)

この日も2時に面会しました。

さっちゃんは前日とさほど変わりはありません。

痰(唾かも)は溜まっていないようで、喉からはゴロゴロとの音は聞こえません。

寝ているのか、寝息のような音は聞こえています。

そんな様子ですから、この日は目を開けてはくれませんでした。

 

看護師さんが病室に来てくれて、僕に話しかけてきます。

どうやら深刻な相談のようです。

かいつまんで言うと、

・抹消静脈栄養(通常の点滴)をセットする血管が無くなって来たので、中心静脈栄養を考える必要が出て来た。

・中心静脈栄養の造設はここ(K川病院)では出来ない。

と言うことです。

 

中心静脈栄養とは心臓に近い太い静脈にカテーテルをセットして、そこから水分や栄養や薬等を注入する方法です。

口からの摂取が出来ない場合の方法のひとつです。

他にも経鼻径管や胃瘻があります。

(さっちゃんは両方とも経験していますね)

個人的な印象ですが、栄養摂取の方法としては最終手段のような気がします。

 

以前のI老健に在籍し続けるのが困難になった最大の理由の1つが、点滴の針を打つ場所がない(打てない)ことでした。

今の療養型病院に移ると、看護師さんも多く、ベテランの方も多いせいなのでしょうか、点滴が必要なことも多かったですが、問題は起こりませんでした。

しかし、さすがに大変になって来たようです。

さっちゃんは血管も細く、点滴の針を刺すことが次第に困難になってきているようなのです。

点滴ですから、水分中心で栄養はほとんど入っていないとか。

点滴の針が入る場所が無くなると、水分も栄養も摂れなくなり、‥‥

その行き着く先は明瞭です。

 

で、看護師さんとしてはこうです。

点滴が不可能になる前に、中心静脈栄養を造設するか、それとも造設せずに看取るか考えてください、ということです。

今決めろ、と言う訳ではありませんが、あまり余裕はなさそうです。

 

これで3回目でしょうか?

僕にさっちゃんの生殺与奪の権を与えられたのは。

1回目はさっちゃんが初めて肺炎になって救急車が来た時。

2回目は胃瘻造設を決めた時。

この2回ともそのまま看取りに至る選択肢もあったのですが、僕はさっちゃんが生きていてくれる道を選択しました。

涙とともにその決定をしたことを記憶しています。

 

そして、この3回目。

1回目は肺炎さえ治れば、と期待していましたし、

2回目は自宅介護の希望もまだ抱いていましたから。

しかし、この3回目‥‥

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前回と同じ病院に入院しました

2024-08-03 13:27:55 | 中心静脈栄養

7月29日にI老健の医師からさっちゃんの現状と中心静脈栄養について説明を受けました。

その時のブログにも書きましたが、その時点で僕は二者択一で決定をしなければならなくなりました。

つまり、I老健でこのままの対処を継続し、結果的には看取りを行なうか、

入院して中心静脈栄養の点滴を造設するか、どちらかを選ぶことになったのです。

 

医師の説明を受けながら、僕には後者の選択肢しか考えられませんでした。

その後、さっちゃんの部屋へ案内され、直接会うことが出来ました。

部屋ではさっちゃんはマスクを外しています。

マスクをしている時よりも、顔の表情がより分かります。

基本的にさっちゃんは自分の感情を表現できないと思います。

さっちゃんが表わしている表情は喜怒哀楽等の個人的表層の感情を超えた、内面の根底とでも言うべき表情だと思います。

さっちゃんの無意識部分が顕れているような気がします。

僕はそんなさっちゃんの顔の表情を見て、さっちゃんが生きようとしている、心に温かいものが満ちている、そんな風に感じました。

何と表現しても、陳腐にしか聞こえません。

何も疑わず、何も憎まず、何も怒らず、何も悲しまず、生まれたばかりの赤子のような表情に見えたのです。

「さっちゃんは生きたがっている」

僕は勝手にそう感じてしまいました。

それが本当にさっちゃんにとって正しい選択なのかどうかは分かりません。

でも、その選択の方が僕にとっては無理がなく、嬉しい選択なんです。

さっちゃんは自分の意志を表現することは出来ません。

それを想像し、最終的には僕自身の願いのままに決めるしかないのです。

その結果に対する責任は全て僕自身で引き受けるしかありません。

 

医師の説明を受けた29日には僕の気持ちは決まっていました。

ひと晩経ってもその気持ちは揺らぎませんでした。

30日にI老健のS田さんに電話をし、中心静脈栄養をして欲しい旨を伝えました。

31日の午後、S田さんから連絡が入り、翌日入院が決まりました。

 

8月1日(木)、タクシー会社に電話をし、I老健へ向かいました。

10時45分には到着し、出発を待ちます。

介護タクシーが来て、さっちゃんも車椅子で降りて来ます。

さっちゃんの荷物が大きな段ボール箱に入れられています。

 

医師と看護師も見送りでしょうか、玄関ロビーに来てくださいます。

僕は医師に最後の確認をしました。

「中心静脈栄養がセットされた状態ではこの老健では受け入れられないのでしょうか?」

医師の答えは明瞭でした。

「受け入れられません」と。

中心静脈栄養がセットされた状態の入所者に対する医療的対応が困難だと言うことです。

つまり、この日がさっちゃんにとってのI老健との別れの日でもあるのです。

僕は見送りに来てくださっている皆さんに「長い間本当にお世話になりました」と挨拶を繰り返しました。

 

介護タクシーで病院へ向かい、入退院受付で手続きし、看護師さんを待ちます。

しばらくすると、看護師さんたち2人が来て、さっちゃんを車椅子からストレッチャーに移してくれました。

介護タクシーの運転手さんは次の仕事があるので、ここでお別れです。

料金は9000円でした。

酸素ボンベが必要なのでいつもよりも高くなるのです。

 

▲11:29。病院の1階フロアで、ストレッチャーに載ったさっちゃんは長く待ちました。さっちゃんは病院の8階(くらいあるのかな?)までの高い吹抜けの真下にいます。太陽の明るい光も降り注いでいます。そんな珍しい風景を目を見開いて見ているようです。写真左上の黒いものが酸素ボンベ。

 

さっちゃんに話しかけ、さっちゃんと目を合わせて、毛布の上からさっちゃんの手や膝を擦って、時間を過ごしました。

長く感じる時間が経ち、再び看護師さんたちが来てくれました。

今度はストレッチャーからベッドに移されます。

体重の軽いさっちゃんはいとも簡単に移されます。

一見乱暴にも見える移乗作業ですが、さっちゃんはどこか痛く感じたりはしないのでしょうか?

そして、エレベーターに乗って病棟へ行きました。

さっちゃんはそのまま病室へ向かい、僕は雑多な手続き等で多忙になります。

 

途中、さっちゃんの担当医師が来て話をしてくださいました。

前回入院した時と同じ女性のお医者さんです。

先生もそれは覚えてくださっていました。

T岡先生というお医者さんですが、今後の見通しを話してくださいます。

その内容はI老健の医師とは少し異なるものでした。

どうも中心静脈栄養の造設を次善の策と考えているようなのです。

「出来る限り、胃瘻も活用したい」

「それが駄目なら中心静脈栄養も仕方ないけれど、その後も胃瘻の活用が出来るのならば、戻したい」

そのようにおっしゃるのです。

「胃瘻が使えるのなら、I老健へも戻れますしね」

「その辺りのことは相談員さんと連絡を取り合いたいと思っています」

そんな風におっしゃいます。

僕は聞いてみました。

「でも、中心静脈栄養がセットされたままでは老健では対応できないのでは?」

すると、T岡先生はこうおっしゃるのです。

「老健へ戻るとしたら、中心静脈栄養は外します」

どうやら中心静脈栄養も普通の点滴(末梢静脈栄養)同様、容易に外せるみたいですね。

確かに、胃瘻を使用する限り、胃から逆流して誤嚥することで肺炎を引き起こす確率は高まります。

しかし、胃瘻を使用しなくても唾液等が肺に入る心配はありますから、誤嚥性肺炎にはなります。

T岡先生はト-タルに考えて、可能な限り胃瘻を活かした方がいいと考えているようです。

僕はホッと安心する気分です。

 

「入院診療計画書」には以下のように記されていました。

入院期間はとりあえず10日間程度と見ているようです。

「医師の指示の下、適切な栄養補給法を提案します」とありますから、中心静脈栄養は既定路線ではないみたいです。

 

もちろん中心静脈栄養造設の可能性は高いのかもしれません。

でも、それに至らない、これまで通りの姿に戻ることが出来れば、いちばんいいと思います。

血管が硬くなって通常の点滴を打つ場所が無くなって来ているのは確かなようです。

I老健へは戻れず、医療の充実した介護医療院のような施設へ行くようになるのかもしれません。

先のことは分かりませんが、T岡先生の話を聞いて、ほんの僅かな光明に触れた気がしました。

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さっちゃんに再び転機が訪れたようです

2024-07-30 01:09:31 | 中心静脈栄養

7月29日13時50分、I老健の相談員のS田さんから電話がありました。

さっちゃんの簡単な現状報告の後、「今日4時ころに来れませんか?」と言います。

医師からの説明があるようです。

もちろん、行くことにしました。

 

I老健へ行き、面談室で待つ間、いろんなことを考えます。

最悪の事態も考えるのですが、詳細な情報がまだありませんから、漠然としか考えられません。

しばらくして、いつもの高齢のお医者さんと少し遅れて看護師さんが来ます。

お医者さんはもごもごとした喋り方で、あまりよく聞き取れないことも多くあります。

女性の看護師さんが明瞭に話してくださって、あまり耳の良くない僕にとっては助かりました。

 

医師と看護師の話の要点はこうです。

・先々週からの肺炎治療は継続中。

・薬、水分、栄養の投与は点滴(末梢静脈栄養)で行なっている。

・しかし、点滴ではせいぜい100kcal/日ほどしか与えられない。

・その状態がずっと続いている。

・しかも、点滴の注射針を刺せる場所があまりない。(硬くなってしまうし、さっちゃんは血管が凄く細い)

・胃瘻からの栄養補給再開も考えられるが、誤嚥する可能性は高い。

・胃瘻から投与し、胃液と反応して少し固まるタイプのものを試す選択肢もある。(それでも誤嚥が心配なようです)

 

この状況の解決策として中心静脈栄養という方法をお医者さんは言うのです。

通常の点滴のことは末梢静脈栄養と言うそうです。

腕や足など、心臓から離れた末梢から投与するからです。

それに対して、中心静脈栄養は心臓に近いより太い血管から投与するのです。

血管も太く血流も速いので高カロリーを投与できるのだそうです。

もちろん直接血液中に投与するわけですから、24時間かけてといった感じでゆっくりと投与するみたいですね。

現況のすぐには肺炎が完治しそうにないさっちゃんの低栄養状態を解決する有効な手段が中心静脈栄養だと言うのです。

 

ところが、これには以下のようなことが付随します。

・老健ではこの医療処置は施せない。

・老健を退所して病院に入院する必要がある。

 

このような理由もあって、医師から僕への説明の場が持たれたわけなのですね。

さらに、ここから生じる僕が決めなければならない事柄があるのです。

そうです、二者択一になるのです。

ひとつは、病院へ入院して中心静脈栄養のための装置を造設すること。

もうひとつは、入院せずこのままI老健に残り、今のままを続けること。

 

I老健に残ると言うことは、ほぼ確実にこのまま看取りへと繋がっていくことでしょう。

看取りの状態に入ると、個室に入り、毎日直接の面会も可能になります。

コロナ禍であることは変わりませんから、15分間だけのようですが。

 

お医者さんと看護師さんからの話の大筋は以上のようなものでした。

さっちゃんが自分の状況を理解でき、どうしたいか意思表示できれば最善なのでしょうが、望むべくもありません。

僕が決定しなければなりません。

最初に肺炎になって救急隊員から決断を迫られたのが最初でした。

その後、1回か2回あったでしょうか、僕はさっちゃんの生殺与奪の権行使を強要されました。

これまでは常に涙と共にを選びました。

今回は涙が自然に流れるような緊急突発的な事態ではありません。

ゆっくりと考えることが出来ます。

とは言え、2、3日中に決定しなければならないのですが。

ただ、お話を伺いながら、僕の心の中では選ぶべき道は決まっていました。

 

最後に嬉しい申し出がありました。

さっちゃんに会えるというのです。

この老健内のさっちゃんのいる部屋で、さっちゃんの横になっているベッドで会えるというのです。

その時僕は、「カメラを持ってくればよかったなぁ」などと考えていました。

もっとまともな感想を持てないものでしょうかね。

 

さっちゃんの部屋は3階にあります。

エレベーターで3階に行くと、「広いフロアだな~」といった印象でした。

中央に広く病院のナースステーションのような場所があります。

それを取り囲むように部屋があります。

病院の入院病棟とよく似た雰囲気ですが、それよりもすべての部屋と中央にあるスタッフさん達がいるエリアが近いのですね。

さっちゃんのいる部屋に通されました。

ベッドが5つくらいあったかな、詳しくは観察していません。

他のベッドにはどなたもいませんでした。

夕食時間だったのでしょうか?

 

さっちゃんのベッドに来ました。

さっちゃんが目を開けて僕を見てくれます。

何やら声も出してくれます。

僕は久し振りにさっちゃんの手を握りました。

最初は左手、そして右手とも。

けっこう汗をかいている掌でした。

部屋ではさっちゃんはマスクはしていません。

鼻にチューブが入っていて、酸素が入っています。

ガラス越しの面会時はマスクをしていますから、さっちゃんの口の表情が分かりません。

でも、今は目と口とでさっちゃんの表情が伝わって来ます。

そんなさっちゃんの表情は僕の決断を後押ししてくれました。

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