さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

I老健へ行き、S田さんとの面談がありました

2022-05-31 23:07:05 | 介護老人保健施設(老健)

昨日の月曜日は1ヶ月ぶりの面談がI老健でありました。

3時5分前に着くと、洗濯済の寝巻き等を渡し、新たな洗濯物を受け取りました。

先週の金曜日に入浴して着替えた寝巻きと肌着と靴下でした。

玄関先で待っていると、相談員のS田さんが現われて、面談室で待つように言われます。

 

S田さんが面談室に入って来て、最初にこんなことを言われました。

「ケアマネさんとは連絡は取っていますか?」

「今後もずっとさっちゃんのケアマネさんでいてくれそうですか?」

ケアマネのT口さんとは具体的な用事もないので、確かに連絡回数は減っていて、1ヶ月に1回くらいになっています。

それにT口さんとの関係性も悪くはありませんから、当然ずっとケアマネさんであり続けてくれることに、疑問は抱いていませんでした。

ところが、です。

S田さんがおっしゃるには、さっちゃんが老健等に入所している間はケアマネさんには収入が発生しないと言うのです。

その間、他の方の仕事を入れて、さっちゃんが戻った時にさっちゃんには手が回らなくなることも有りうるのだとか。

そうなんですね、そういうシステムなんですね、知りませんでした。

ケアマネのT口さんはとっても良くしてくださる方ですから、僕としても代わって仕舞われては困ります。

さっちゃんの様子を報告しておこうと思いました。

火曜日の午後3時38分、電話で10分間ほど話し、S田さんとの面談の報告をしました。

 

次に、S田さんはほんの少し嬉しそうな表情で「さっちゃんは立っていますよ」と言うんです。

マスクで表情はあまり読み取れないのですが、嬉しそうな口調でした。

無表情なことが多いS田さんですから、意外に感じられる口調だったんです。

具体的内容を聞くと、端座位がしばらくは可能なこと、長くなると体が傾いてしまう。

補助して立ってもらうと、体に力が入って立った状態を保てている、と言うのです。

でも、これは今月初めにも同様のことを聞いています。

その後、進展した内容はないのでしょうかね?

 

そして、話の内容は今回の面談の核心部分になりました。

それは胃瘻造設手術がいつになるのかということです。

そのために今いちばん問題になっているのが便秘問題、排便状況だと言うのです。

まずは5月排便状況の記録を見せてくれました。

4月に入所した時から便秘の薬は服用しているでしょうから、昔のように1週間とかそれ以上間隔が開くことはありません。

長くとも数日の内には排便があります。

2種類の薬だけではなく、ときおり座薬を使ったり、浣腸をすることもあるようです。

5月中旬からは2日おきとか連日の排便があったりしているようです。

 

S田さんが何故に便秘の改善をすることが大切なのかを説明してくださいました。

腸に宿便やガスが溜まると、腹圧が高まり、胃を圧迫するのだそうです。

圧迫された胃は内容物が逆流し易くなって、吐いてしまい易くなるのだそうです。

喉元に上がって来た胃の内容物が肺へ入ると、誤嚥性肺炎になるとのこと。

唾液や口からの飲み物等が誤嚥されるよりも、胃の内容物は強酸性の胃液が混ざっているので、酷い肺炎になるのだそうです。

 

僕は質問しました。

「さっちゃんは知り合ったころから便秘で、その頃は吐いたりするようなことはありませんでした」

「何故、今は胃の内容物が逆流し易くなってしまったのでしょう?」

S田さんは答えます。

「その頃とは違うんですよ。入院などして体力が弱くなってしまっていますし」

まあ、確かにそうなんでしょうね。

さっちゃんのケースでは便秘が誤嚥性肺炎を繰り返す大きな原因のひとつになっているようです。

S田さんはこうも言いました。

「家へ戻ったとしても、訪問看護師さんに週に2回は来てもらうようにしてください」

「そして、排便状況をしっかりとコントロールしてもらうようにしてください」と。

 

S田さんはさらに厳しい表情でこうも言われました。

「ほったらかしておいては生きられない状況なんですよ。本人も苦しいはず」

「誤嚥性肺炎は繰り返され易い病気ですけれど、なるべく起こさないようにしてあげなければなりません」

「これは胃瘻を造る造らない以前の問題ですよ」

 

この後、S田さんがこの老健におられる医師の先生を呼んで来てくれました。

以下は、その医師のお話です。

「胃瘻造設の手術は全身麻酔になりますから、患者本人の体力が必要です」

「入所して1ヶ月少し経ちますけれど、体調が安定しつつあるようです」

「今の体調を更に安定させることで、この先も見えて来るでしょう」とのことでした。

 

このI老健の主治医(と言うのかな?)の先生は毎週木曜日に診るのだそうです。

そこでその後の方針が決まるそうなんですが、手術だとなれば、S田さんから僕に連絡が来るのだとか。

胃瘻造設が決まると、病院へ1週間ほど入院になるようですね。

 

いつも僕の個人的予想(予感)は外れてばかりなんですが、多分6月上旬には胃瘻造設の手術日が決まると思います。

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さっちゃんに会えないことに慣れてしまう自分がいます

2022-05-27 23:39:17 | 気分や思い

老健に入所してからというもの、さっちゃんの様子がほとんど分からなくなってしまいました。

病院に入院している時の方が医師からの説明があったり、担当看護師さんからちょこちょこと話が聞けたりしていました。

病院の方が入院している患者とその家族との距離が、このコロナ禍にあっても老健よりはずっと近いように感じます。

病院は僕でも簡単にナースステーションまでは近づけました。

さっちゃん担当の看護師さんを呼んでもらって話を聞くことも容易でした。

でも、老健はさっちゃんの居る3階まではもちろん入れませんし、玄関先で用事を済ますしかありません。

相談員のS田さんも常に多忙そうですし、気軽に声を掛けてもいい雰囲気はありません。

老健という施設は、コロナ禍だからかもしれませんが、さっちゃんと僕との間に高くて分厚い壁を置いているようです。

 

11月末からスタートした僕の山体力復活作戦、すでに半年が経過しました。

順調に山体力は復活しつつあると感じます。

もちろん、自分自身の高齢の影響もありますから、完全に元と同じにはなるはずもないことは十分に承知しています。

そのこと自体は喜ぶべきことなんですが、このブログが僕の登山ブログのようになってしまうのがとってもなんです。

さっちゃんのことで、何にも書くことがないなんて、寂しくて仕方ありません。

山歩きも岩登りも沢登りも、さっちゃんと共に実践して来たことの追認行動みたいなものです。

この共通の趣味で、命を託し合うザイルパートナーであることで、ふたりはを強め合って来たんだぞ、と叫びたいのです。

山行が充実して来れば来るほど、そこにさっちゃんの姿がなくて虚しくもなって来ます。

出来るだけ早く、さっちゃんと共に住む中で、僕は山へ行きたい!

山から帰って来たら、家にはさっちゃんが居る(当日はショートステイとかでしょうけれど)、それが僕の幸せです。

 

     *   *   *   *   *   *   *   *   

 

今日の夕方、本当に久し振りに多摩川土手を散歩しました。

ここにはさっちゃんと歩いた記憶が染みついています。

▲18:27。今日は朝から強い雨で、午後には止みましたが、黒い雲はまだ残っていました。

 

▲18:29。スイカズラの花です。写真では消えていますが、白ではなくて黄色味を帯びています。咲いてから日数がたつと、白から薄い黄色に変わるんです。と同時に、香りも消えるようです。写真を撮っていると、同年配の男性が「どう、匂ってる?」と話しかけてきました。「子供のころはよく探したもんだよね」とも。僕は自分の子供のころを振り返りましたけれど、僕が住んでいた地域ではスイカズラを見ませんでしたね。

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奥多摩の長尾谷を遡行しました。20年以上昔のさっちゃんのリハビリを思い出しました

2022-05-26 23:56:53 | ザイルと焚火と焼酎と

3年半のブランクの後、沢登りを再開すると、滝を登ったりする以前に、沢を歩くことが下手になっていることに気付きました。

岩がゴロゴロしている、平坦ではない地面を歩くことが沢登りの基本なんでしょうね。

それで思い出したことがありました。

 

さっちゃんは1998年2月雪の愛鷹連峰で滑落し、右膝を骨折しました。

2回の手術とトータル9ヶ月の入院生活の末、やっと退院できました。

病院でのリハビリの他、普段からよく散歩をするようにしてたのです。

中でもよく歩いた場所があります。

それは多摩川の河原でした。

石っころが敷き詰められたような河原です。

小石ばかりではなく、漬物石くらいの石や、それ以上のサイズの石も転がっています。

そんな河原を歩くと、普通に道路を歩いたりリハビリルームで頑張ったりしても、出来ないリハビリが出来るんです。

微妙な脚の筋肉のいろんな箇所が鍛えられるようなんですね。

 

それと同じことが今の僕にも起きているように思います。

普段の生活や普通の登山では使わないような脚の筋肉が衰えまくっているようなんですね。

それは前回のシダクラ沢でも痛感しましたし、今回の長尾谷でも同様でした。

特に、最後の詰めに関してはショックでしたね。

ブランク前は沢の詰めで後れを取るような経験は僕には一度たりともありませんでした。

それが今回はヒ~ヒ~言いながら最後尾から付いて行ったのです。

シダクラ沢ではY根君もS﨑君も沢登りのブランクが10年以上あったようですから、同じように大変でした。

ですから後れを取ることもなかったんです。

僕は沢の詰めが大好きなんですが、今回は辛かったですね。

 

そんなことは兎も角、詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

久し振りの長尾谷。易しい沢というイメージでしたが、今の僕にとってはタフな沢でした

 

▲12:45。長尾谷にはこんな小滝がたくさんあります。果敢にチャレンジするS上さん。

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つづら岩でマルチピッチを久し振りにちょこっとだけ体験。次に向けてのステップですが、その内容はまだ秘密・・・・

2022-05-21 23:22:05 | ザイルと焚火と焼酎と

僕の山体力がある程度戻って来ると、僕の心の中にやりたいことが波のように次々と押し寄せて来ます。

さっちゃんは7月には老健を退所するでしょうから、とりわけそれまでにしておきたいとの気持ちが強まります。

本当は梅雨入り前に実行しておきたかったんですけれどね。

でも、梅雨に入ってから運よく晴れた週末に実行できればと今は考えています。

それを実現させるためのワンステップとして、つづら岩へ行きました。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

つづら岩も3年半ぶりです。ダブルザイルの練習をしました

▲13:58。つづら岩の南面です。高さ40m、幅60mあります。

 

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   

 

今日の午後、降り続いていた雨がやんでから、I老健へ行きました。

洗濯済の寝巻き3着を届けに行ったのです。

入浴以外で、寝巻きを汚したりして洗濯が必要になると、来週の水曜日までには寝巻きがなくなってしまうこともありうるからです。

新しく洗濯物もありました。

金曜日の入浴時に着替えた寝巻きと靴下、その他はパジャマのズボンだけが洗濯物としてありました。

持って行って良かったです。

持って行かなかったら、火曜日の入浴時に着替えるパジャマのズボンがなかったはずですから。

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とうとう3年半ぶりの沢登りの再開に辿り着きました!

2022-05-19 23:48:44 | ザイルと焚火と焼酎と

まだまだ十分な山体力には遥かに及びませんが、最低限度のレベルにまでは何とか戻れたかなと思っています。

ですから、5月にもなりましたし、3年半もの長きブランクのある沢登りを再開することにしました。

嬉しいです!

やっとここまで来ました!

 

詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

3年半のブランクを越えて、易しいシダクラ沢を遡行しました

 

▲10:59。久し振りの沢にどっぷりと浸かって、心が躍ります。

 

もっと長い沢、もっと登攀的な沢、もっとザックの重い泊りの沢、そんな沢への道筋はまだまだ遠く感じます。

沢を歩く足取りも不安ですし、緑内障の影響でしょうが、足元を確信持って見定めることが出来ません。

本当にここに足を載せても大丈夫か? 滑らないか? 不安感が付き纏います。

以前のように跳ねるように歩き登ることは無理でしょうから、安全に遡行できるようになれば十分だと思います。

さっちゃんと共に、延べ何百本となく沢登りしました。

さっちゃんも好きだった沢登りをこれからも続けて行きたいと思います。

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I老健に洗濯物を取りに行きました。S田さんから聞けたことは・・・・

2022-05-18 22:23:13 | 介護老人保健施設(老健)

久し振りの好天で今日洗濯日和。

日曜日につづら岩へ行った際の僕の衣服中心に洗濯しました。

午後の少し暑さが和らいだころ、洗濯したさっちゃんの寝巻き、肌着、靴下を持って、I老健へ行きました。

先週の水曜日からの1週間分のさっちゃんの洗濯物も受け取りました。

入浴のたびに着替えるのが基本ですから、入浴のある金曜日と火曜日の着替え分がありました。

それぞれ、寝巻き、肌着、靴下です。

他に寝巻きが1着ありました。

湿気った状態でありましたから、入浴時以外で寝巻きが汚れたんでしょうね。

 

ところで、さっちゃんは寝巻きを6着持っているはずです。

いま着ている1着、今日持って行った洗濯済の2着、今日受け取って来た3着、これで6着ですよね。

来週の水曜日に訪れることにしたのですが、火曜と金曜の入浴で着替えたら、それでギリギリですね。

入浴以外で洗濯物が発生したら、足りなくなってしまいます。

明日洗濯をして、土曜日あたりにその洗濯物を届けてこようかな、と思いました。

 

洗濯物の受け渡しの後で、僕はS田さんを呼んでもらいました。

さっちゃんの様子を聞きたかったからです。

先週お会いした時は、S田さんが多忙な最中で、顔を合わせた途端に「明日電話しますから」と言って、立ち去ってしまいました。

ですから、今日お会いした際に「先週の木曜日は一日中ずうっと電話を待ってたんですよ」嫌味を言おうかと考えていました。

でも、言いませんでした、言えませんでした。

S田さんは僕が一番聞きたがっていることをズバリと話し始めたからです。

「さっちゃんはいま便通がなくて大変なんですよ。

それがないとお腹が圧迫されて、・・・・

胃瘻造設手術も施せない状況なんです。

先週の木曜日に医師からそのように聞いています」

さっちゃんの状態が落ち着けば、胃瘻造設の手術も行なえるようになる、ということなんだと思います。

S田さんにそれ以上のことを質問しても、医師ではありませんから返答できないでしょう。

 

S田さんにそれ以上のコメントを求めるのはでしょうね。

ほんの些細なことでいいので、僕がほっこりするような、さっちゃんの何気ない言動でもあれば、言ってくだされば最高ですけどね。

そのネタだけで、しばらくは僕は時々笑みを浮かべられるでしょうし、温かな涙も滲むでしょう。

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GWに秩父の低山徘徊をしました。青空も新緑もまばゆいほどでした

2022-05-16 23:53:54 | ザイルと焚火と焼酎と

GWには2回山へ行きました。

まだまだ重荷を背負って雪の春山へ行ったり、泊りの沢へ行ったりの山体力はありません。

数年前の山体力と比べても、やっと5割くらいに復活しただけだと思います。

GWの5月3日、楽しそうな計画が出ていたので参加することにしました。

計画者はT原さんで、西丹沢の畦ヶ丸で一緒でしたから、今の僕の状態はよくご存知です。

詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』をお読みください。

YYDの仲間と秩父の釜ノ沢五峰と品刕(しなしゅう)を歩きました。何とか迷惑をかけずに歩けるレベルになったかな、と思いました

 

▲11:33。長若天体観測所からの眺め。北側だと思います。

 

さっちゃんとのGW山行の思い出も振り返って見ました。

GWらしい最後の山行は尾瀬だったんですね。

確か、佐々木さんが声をかけてくださって実現したんだと思います。

2018年5月4日から6日、鳩待峠~山ノ鼻~尾瀬ヶ原~見晴~尾瀬沼~三平峠~大清水でした。

今からたった4年前なのに、これだけの山行をする体力も意欲もあったんですね。

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さっちゃんのこといろいろ・・・・

2022-05-10 22:02:19 | 生活の一場面
今日は天気も良かったので、自転車に乗って2ヶ所で支払いをして来ました。

最初の1件はさっちゃんが大腿骨骨折で入院していたA病院です。
GW最中の5月2日、A病院から電話がありました。
「未払い分が1120円あるのでお知らせします」
え? 僕は驚きました。
「支払いは退院する際に精算したんですけれど」と言うと、
「ちょっと待ってください。調べて再度電話しますね」との返答。
数分後、電話が来ました。
「3月1日に発熱外来に来られましたよね。・・・・」
「あっ! そうです、そうです。思い出しました。分かりました」
「では、GW後にでも病院のカードを持って、支払窓口まで来てくださいね」


もう1件はGW前に請求書が郵送されてきました。
I老健に入所した4月11日、関連病院で診察を受けたのですが、その時出された薬の代金です。
その病院の隣りにある薬局からでした。
1140円支払いました。

ついでの情報ですが、今日I老健から請求書も郵送されて来ました。
予想していた額よりは、若干ですが少な目でしたね。
明日、洗濯物のことでI老健へ行きますから、支払いも済ませて来ようと思います。

      *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

ここからは最近あった出来事です。
さっちゃんと僕は食卓に座っていました。
僕はテレビを観ながら夕食を食べています。
僕は時間をかけて食べ終わると、隣りに座っているさっちゃんを見ました。
すると、さっちゃんも夕食を食べ終わったようです。
「あれっ!? さっちゃんは飲み込むことが出来るんだ」
僕はそう思ったのですが、途端に気付いてしまいました。
「そうか、これはなんだ!」


ほんのほんの一瞬だけでしたが、さっちゃんが以前のように自分で普通に食べるほどに回復した姿に接することが出来ました。
すぐにだと、の中で気付きましたけれどね。
でも、気付く前はもちろん驚きと幸せな気持ちになりましたし、気付いてからも幸せな気分はしばらく続きましたね。
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1ヶ月前の西丹沢バリエーション山行です。この山行を転機に山体力復活に光明が射して来たように感じます

2022-05-08 23:54:27 | ザイルと焚火と焼酎と
僕の山行記録もこの4月9日(土)を書き終えましたから、やっと5月の山行に追い付きました。
5月3日(火)と6日(金)の山行記録が残るだけになりました。
山行をしてすぐに書き留めないと、やっぱりどうしても印象は薄らいできます。
上記2つの山行も今週中には書き終わりたいですね。

この西丹沢の山行への参加はけっこう悩みました。
計画したT原さんが健脚だということもありますが、その頃の僕にとっては距離も長く標高差もある山行計画だったからです。
山行を計画したT原さんに参加を申し込む際、次のようなメールを送っています。
僕自身がまだ自分の山体力に自信がないことが如実に表われていますね。

『T原さま
畦ヶ丸の山行ですが、山体力の落ちた僕でも参加できますかね?
山体力が落ちているのは確かなんですが、YYDのメンバーと一緒に歩いて、
自分だけで歩くよりは負荷のかかる山行をして、山体力を向上させたいと思っています。
僕の脚では善六ノタワから一般登山道をそのまま下ることになる可能性もありますが、
そうならないように頑張りたいと思います。
そのような可能性もあると考慮した上で、参加OKでしょうか?』


結局、T原さんと僕の二人だけでの山行になりました。
T原さんのペースよりは随分ゆっくりなペースになったと思います。
でも、予定通りのコースをさほど遅くならずに歩き切ることが出来ました。
僕にとってはハードな山行でしたが、このレベルの山行を歩けたことが僕にとっては大いに自信となりました。
そして、その翌週の六ッ石山山行で標準コースタイムの87%で歩けたことで、さらに自信が深まることになりました。

そんな僕にとっての転機となる山行の記録も読んでみてください。
『ザイルと焚火と焼酎と』の YYDのT原さんと西丹沢の畦ヶ丸のバリエーションを歩きました です。


▲10:48。西丹沢の木の葉が芽吹く前の山は奥多摩などとはかなり印象が異なりますね。カラッと乾いて明るい山ですね。
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I老健へ洗濯物を取りに行くと・・・・

2022-05-05 22:36:14 | 介護老人保健施設(老健)
先週の水曜日に洗濯物を取りに行くと、1週間たったのに洗濯物はありませんでした。
それから1週間、昨日また洗濯物を取りに行きました。
午後に洗濯物を取りに行くことは伝えてありますし、顔も覚えられたのでしょうか?
僕の姿を見ると、事務の方が洗濯物置き場を探し始めました。
洗濯物はありました。
パジャマタイプの寝巻き1着、肌着1着、靴下1足が入っていました。

すると、S田さんが僕の方へ歩み寄って来て、こう言います。
「看護師さんがさっちゃんの様子を話してくれるそうですから、そこ(椅子)に座って待っていてください」
すぐに看護師さん(看護師長だったかな?)が来てくださって、隣りの椅子に座り、話してくださいます。

食事(経管摂取ですけれど)については、
「朝の10時と夕方5時ころに食事をしています」
「400kcalずつ、1日に800kcalですね」
「体も細くて小さいので、医師と相談しながら、とりあえずこの量で試しています」
「車椅子に乗った状態で、ナースステーションのテレビの前に連れて来て、そこで食事をしてもらっています」
「食後もしばらくは車椅子に座ってもらっています」


吸引については、
「朝起きた時に、少し痰が溜まっていることがあるようですね」
「時々咳をすることがありますよ」
「それで上手く痰が上がって来てくれれば吸引もし易くなるんですがね」
「食事の際に口腔ケアもしますから、その時に口腔内の水分の吸引もします」
「その日の状態にもよりますが、入所したころよりも痰の出方は少なくなったと思いますよ」


「いつも何か喋っておられますね」
「体に触れた時に吃驚されたりすると、『ああご免なさいね』と謝まるんですが、その後など何か喋っていますね」

僕の個人的な感想ですが、意味不明の言葉でも何か喋っている方がさっちゃんの状態はいいのだと思います。

リハビリについては看護師さんは直接タッチしている訳ではないので、時折見かけた時の印象です。
「端座位もけっこう出来ているように感じますね。もちろん長くはまだ無理でしょうけれど」
「立っている姿もよく見かけますよ。引っ張って立たせてるわけでもないようですし」

そんな姿がよく見られるということは、さっちゃんが座ったり立ったりすることを嫌がってはいないと言うことでしょうね。
骨折で入院したA病院でも、肺炎で入院した災害医療センターでも、リハビリを嫌がることがあったようです。
体調が悪いわけですから、さっちゃんとしてはリハビリどころではなかったのかもしれませんね。
今は体調も落ち着いているので、リハビリも楽しいのかもしれません。
そうであって欲しいですね。
長く座れるようになって、立ち上がれるようになって、少しでも歩けるようになって欲しいと願っています。

他にも幾つか聞きましたけれど、忘れました。
そのうちS田さんがやって来て、看護師さんに何やら告げています。
雰囲気からすると、看護師さんに急な用件が発生したみたいです。
急いで建物の奥に入って行く看護師さんに向かって、「長い時間、有難うございました」と声を掛けるのがやっとでした。
S田さんもそのまま去って行きました

今回の看護師さんとの話の場をセッティングしてくださったのは、S田さんだと思います。
先週の面談で僕はS田さんに訴えました。
「コロナ禍で面会も出来ませんから、家族にとってはS田さんからのひと言だけでも本当に心安らぐんですよ」
思わずぐんで、そう訴えたんです。
その想いがS田さんに伝わったんだと思います。
彼女は心優しい方なんですね。
でも、いろいろな振る舞い方は本当に下手ですよね。
今回も看護師さんとの話が終了する時にほんのひと言でも言ってくださればいいのにね。
「済みませんね。看護師に急な用件が発生したものですから」
例えば、それだけ言葉をかけてくだされば、相当印象は違いますよね。
何の言葉もなく、S田さんも行ってしまったのですから。
ひとり取り残された僕は、寂しく帰るしかありません。
まあ、でも、いいです。
看護師さんと話が出来たのは、S田さんの優しさの所以ですからね。
感謝です。


この日の夕方、散歩しました。
前日の3日に山を歩いたので、疲労した筋肉を少しでもほぐそうと思ったからでもあります。
いつもの基本周回コースを歩くと、さっちゃんとの想い出ばかりが思い出されます。
車椅子でもいいので、また一緒に散歩したいものです。


▲18:21。いつも見えている奥多摩の大岳山ですね。もう10分ほど早く家を出てくれば良かったと思いました。山の端に夕陽が沈む直前の短い時間が夕景がいちばん輝く瞬間だからです。陽が沈んで、時間も経っているので、夕景から輝きが失われています。


▲18:27。ISOを1600にして撮ってみました。つくづく人間の眼は凄いなと思います。僕の眼にはこの景色はもっと明るく見えていますし、草の緑色もより美しく見えています。さらには、夕空ももっと橙色が濃く見えている部分がありますし、上空はまだ昼の青みを残しています。その全てが人間の目には同時に見えるんですよね。ひとつ前の写真は、夕空の橙色を写そうとしたのですが、そうすると、手前の山や河原は真っ黒になってしまいます。橙色だって、もっと綺麗な橙色なんですけどね。


▲18:29。米軍基地から飛び立ったオスプレイです。僕はオスプレイは大嫌いです。まあ、他の飛行機やヘリコプターも軍事用ですから大嫌いですけどね。世界中から軍事用の物がなくなる日が来て欲しいですね。そんな素朴な感情と安全保障や国防とは別物だということも理解しているつもりですが、嫌いだという感情はどうしようもないですね。


▲18:47。三日月です。この角度ならさっちゃんも見つけられると思います。見つけると「あ、」とか、声を発してくれると思います。


今日、昨日よりも10分ちょっと早めに散歩に出かけました。

▲18:08。夕陽があるのとないのとでは、夕景の美しさやインパクトが違いますね。
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