さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

モミソ沢で滝のリードをさせてもらいました。初心に帰ってこれからも成長しなければと思いました

2022-08-22 23:40:06 | ザイルと焚火と焼酎と

僕のお師匠さん還暦を迎えたころにほぼアルパインクライミングの第一線を退きました。

当時は50代で一ノ倉沢や滝谷を登攀しているクライマーは珍しくて、お師匠さんは目立つ存在でした。

日常的にジョギングや腹筋・背筋のトレーニングをしていると、聞いていました。

冬が近づくと、アイスクライミングのために木刀の素振りも加えていたそうです。

そんなお師匠さんでしたが、還暦が近づくにつれクライミング能力がみるみる低下してしまったのです。

 

その一因は僕を弟子にしたことに理由があると、僕は感じています。

何故かと言うと、僕がお師匠さんから岩場をリードする機会を奪ってしまったから。

お師匠さんに指導してもらうようになって1年後くらいから、僕は毎週一緒に山へ行くようになりました。

必ず木曜日に電話を入れて、週末の計画を聞き、山行を共にするのです。

丹沢での登攀的な沢登り、谷川の一ノ倉沢や幽ノ沢、赤岳西壁での冬の岩稜登攀、アイスクライミング等々でした。

岩トレも、越沢バットレス、三つ峠、氷川屏風岩、日和田などへよく通いました。

雪山も谷川の西黒尾根、富士山などをよく登りました。

GWには岳沢から奥穂南稜やコブ尾根を登ったりしました。

夏休みには滝谷へ行き、クラック尾根でさっちゃんと初めてザイルを組んだりもしました。

 

それほど密着してお師匠さんと山行を繰り返した期間はそんなに長くはありません。

2年間ほどだったと思います。

僕はさっちゃんとザイルパートナーになり、お師匠さんからは自立していきました。

でも、お師匠さんにとっては、その2年間の影響は甚大だったようです。

途中から岩場でのリードはすべて僕が行なうようになりました。

僕自身がリードしたくてしたくてたまらなかったからです。

リードする機会を僕に譲り、僕の成長を喜んでくれたお師匠さん自身は急激に登攀能力が衰えて行きました。

そんなこともあって、お師匠さんは還暦を機にアルパインクライマーを止めたんだと思います。

いろいろなトレーニングもしなくなりました。

 

いま僕は、そのお師匠さんを反面教師としています。

僕自身が同様にリードすることが極端に少なくなってしまっているからです。

後輩の成長を願い喜ぶ気持ちが強くて、岩のゲレンデでも滝の登攀でもリードを譲ってしまうのです。

気が付くと、リードをしない自分がそこにいます。

長くリードをしない期間が続くと、リードすること自体に不安感を覚えるようにすらなってしまいます。

前々から「それじゃあ駄目だ」とは薄々感じてはいたのですが、ようやく明瞭に意識するようになってきました。

「お師匠さんの二の舞いはしてはいけない」

「同じ失敗を繰り返すと、お師匠さんだって悲しむだろう」

僕は初心に立ち返ることにしたのです。

このモミソ沢で久し振りに滝のリードをしました。

 

詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

モミソ沢で久し振りに滝のリードをさせてもらいました

▲10:59。ザイルを出して僕がリードした滝やチムニー滝の記憶はありましたけれど、その他の小滝の記憶は一切消えてしまっていました。モミソ沢はそんな小滝も含めてなかなか佳い沢ですね。

 

僕のリード能力はかなり低下してしまっています。

回復する部分もあるでしょうが、眼の影響もありますから、低下が仕方ない部分もあります。

ただ、それらすべてをひっくるめて、現状よりも成長したいと思っています。

そう思うと、今後が自分でも楽しみですね。

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さっちゃんの老健再入所後初めての面談がありました

2022-08-16 23:06:00 | 介護老人保健施設(老健)

15日の月曜日、I老健での面談がありました。

胃瘻造設手術を終え、老健再入所後初めての面談です。

 

僕は10日夜に出発して、14日まで北アルプスに入っていました。

10日にさっちゃんの洗濯物を受け取っていたので、15日早朝から洗濯。

面談は13時からでしたから、なんとかギリギリ乾いたさっちゃんの寝巻きも持って行くことが出来ました。

同時に7月分の支払いも。

 

相談員のS田さんとの面談が始まり、彼女が最初に言ったのは「よく喋りますよ」ということ。

さっちゃんはI老健での生活のことやスタッフさんのこと等を覚えているんだと思います。

明確な記憶としてはないんだとしても、馴染みを感じているんだと思います。

抵抗なく、拒否感なく暮らしているそうです。

 

ただ、胃瘻からの栄養摂取が入院中同様、400kcalしか摂れていないんだそうです。

以前と同じ800kcalにすると、吐いてしまったんだそうです。

とにかく、800kcalの栄養摂取が出来るようになって、それが安定するようにならないと、僕に対する介護指導も出来ません。

僕は「500とか600kcalからというように、段階的には増やせないんでしょうかね?」と聞いてみました。

S田さんは「お医者さんに聞いてみますね」と言ってくれます。

 

また、病院からI老健に移って来た日に少し発熱があったとのことでした。

おそらく、移動することの負担でかなりストレスや疲労があったのだと思います。

 

S田さんはこんなことも報告してくれました。

「口から食べないので、口腔内が汚れやすいんですよね」

「ですから口腔ケアはしっかりやらなければなりません」

「歯ブラシを持って見せると、薄っすらと口を開けてくれるんですよ」

スタッフさんとの信頼関係が出来てるんですね。

嬉しいことです。

 

他にも以下のような報告をしてくださいました。

「胃瘻周囲の皮膚状態もトラブルなく経過しています。引き続き観察していきます」

「座位を保つことがある程度できるので、リクライニングから普通の車椅子になる可能性もあるかも」

 

そして、S田さんはこんなことも言ってくださいました。

「さっちゃんは時折、とっても可愛らしい笑顔を浮かべるんですよね」

「あんな笑顔を見ちゃうとね・・・・」

僕の贔屓目、僕の主観だとは思いますが、S田さんがこんなふうに言った後、を浮かべておられるように感じました。

 

面談が終了して、自転車で帰る道すがら、S田さんがさっちゃんの笑顔についておっしゃった言葉を僕は心の中で繰り返しました。

そして、自転車を漕ぎながら何度も何度もが滲んで来ました。

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『標準コースタイムで歩く』シリーズ№7で奥多摩の水根山を登りました。登りでは安定的にコースタイムより早く歩けるようです

2022-08-09 15:10:41 | ザイルと焚火と焼酎と

東京都の奥座敷、山の中にある奥多摩町でさえ、真夏日が続くほどの酷暑の今年。

これほどに暑い中、普通にハイキングするなど考えもしなかったんですが、ひょんな理由で歩くことにしました。

実際に歩いてみると、森の木陰の山道を歩きますから、思いのほか暑くはなく、心地よく歩くことが出来ました。

そのうち寒気も入って来たようで、涼しさも感じるようになりました。

この寒気は案の定、雷雲を生み出したようで、雷鳴が遠方から聞こえるようになって来ました。

 

この山行のテーマにもなっている標準コースタイムで歩くことに関しては、まあ問題はありません。

標準コースタイムの89%で歩けていますから、合格ですね。

ただ、僕は下りが遅くて苦手ですから、下りだけに関しては106%かかっています。

目が悪くて、足元も見えにくいですから、個人的には下りに時間がかかっていることをあまり問題視したくはありません。

 

詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

『標準コースタイムで歩く』シリーズ№7 ――― 89% 真夏の奥多摩で雷轟く中、水根山に登りました

▲12:47。水根山山頂は石尾根の中にあっては不遇な山頂です。古い板切れの山名標識があるだけで、展望もまったくありません。少し下を巻いている石尾根縦走路を歩く人の方が多いのではないでしょうか? が鳴り続けていましたから、写真を撮ると、すぐに引き返しました。

 

今回の山行での詳細な時間を記載しておきます。

               僕がかかった時間    コースタイム

倉戸口バス停~倉戸山        88分         90分

倉戸山~水根山           109分         154分

  (倉戸口バス停~水根山の登り     197分      244分)   

水根山~木橋            94分         90分

木橋~水根バス停          76分         70分 

  (水根山~水根バス停の下り      170分      160分)

登りは81%で歩けていますが、下りは106%ですね。

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さっちゃんは胃瘻造設手術をしたT病院から退院して、再びI老健へ戻りました

2022-08-04 14:55:48 | 胃瘻

8月3日はさっちゃんがT病院から退院する日でした。

朝8時40分過ぎに自転車で家を出て、病院近くのスーパーに停めておきました。

入退院窓口へ行き、病棟へ入る手続きを済ませ、入院費用の精算も終えました。

〇万4560円でしたが、前もって概算を多めに教えてもらっていたので、5000円以上余裕がありました。

その分、介護タクシー代に回せるので、ちょっとだけですが得した感覚ですね。

そんな風に感じるなんて、人の気分は可笑しなものですね。

 

病棟へ行くと、看護師さんが僕のことを待っていてくれたようです。

「さっちゃんのご家族の方ですか?」と聞かれます。

何枚かの書類にサインをし、寝巻き等の持ち物を渡され、飲んでいた薬も渡されました。

その上で、I老健へ渡す数通の書類も渡されました。

介護タクシーのスタッフさんも来られて、さっちゃんを待ちました。

さっちゃんが車椅子に乗って連れて来られます。

第一印象は、「少し頬がこけたかな?」というもの。

何故だかマスクを付けていなかったのも、そう感じた一因だったのかもしれません。

これまではマスクをしていたので、頬は見えていなかったですからね。

ただ、後で得た情報によると、病院では400kcalだけの栄養摂取だったそうですから、そのせいもあるでしょうね。

胃瘻の状態が安定するまでは仕方がないのかもしれません。

 

他の面ではさっちゃんの様子はさほど変化はないようですね。

病院の車椅子から介護タクシーの車椅子に移し、階下に降り、介護タクシーにさっちゃんを乗せました。

▲9:45。介護タクシーの中です。さっちゃんは目を開けていることが多く、何やら喋っています。入れ歯を入れてないので、口元が年寄りっぽく(実際、年寄りですが)見えてしまいますね。肌着は着てなくて、寝巻きだけです。経鼻経管が外れましたから、そこはすっきりしました。傷は残っていますが、赤みは消えていますね。僕は時々マスクを外して、顔を見せるんですが、僕が誰だか分かってくれているのかな?

 

予定通りI老健に到着。

でも、すぐには入れず、玄関で待たされました。

さっちゃんがコロナ感染していないことが入所条件だからです。

病院からの書類をチェックして、コロナ感染していないことが確認出来たようで、やっと入所できました。

介護タクシーの車椅子からI老健の車椅子に移します。

 

介護タクシーですが、僕は初めて料金明細を知りました。

(前回のを見直してみましたが、ちゃんと記載されているんですね)

普通のタクシー同様にメーター料金があるのですね。

それにプラスして、乗降作業基本料金、介助料金、リクライニング式車椅子料金がかかったようです。

前回は2名でしたから補助員料金もかかったのでしょうね。

(これも前回のを確認しましたが、補助員料金の項目はありませんでした)

看護師さんが同行すると、もちろん料金は加算されます。

 

介護タクシーと別れ、僕は老健内の面談室に通されました。

そこにはまださっちゃんもいて、I老健のスタッフさん達も「お帰りなさい」と呼びかけてくれています。

さっちゃんはその後、部屋に連れて行かれましたが、僕は面談室で待機していました。

 

相談員のS田さんからの形式的な説明があり、サインもしました。

しばらく待って、今度は医師からの説明もありました。

これも形式的事項の説明です。

医師の説明の中に僕へのトレーニングの件も出て来ました。

さっちゃんの容態が落ち着いて来たら、頃合いを見計らって僕へのトレーニングが始まるのです。

栄養補給、痰等の吸引、その他の介助、いろいろあると思いますが、安心できるレベルにまでなれば、さっちゃんが自宅に戻れるわけです。

それで、僕は医師にひとつだけ質問しました。

今、コロナ感染第7波真っ最中ですから、その影響が僕へのトレーニングに及ばないのか心配だったからです。

医師からの返答は、抗原検査等を行なうのは当然として、大きな感染の波の起き始めなら影響があるかもしれません。

でも、ピークを過ぎた状況なら、慎重に行なえば出来ると思っています、とのことでした。

第7波も8月中にピークアウトして欲しいですね。

 

S田さんから今後のスケジュール等を知らされ、I老健から帰ることになりました。

猛暑の中、建物の陰や木陰を渡り歩きながら、自転車を置いているスーパーまで、40分ほど歩きました。

電車を使ったとしても、結局同じくらい歩かなければならないのです。

本当に暑いですね!

スーパーで買い物もして、自転車で家に帰りました。

朝、家を出てから4時間ほど経過していました。

 

昼食をとると、疲れが出て来ます。

ちょっとだけのつもりで布団で横になりました。

目が覚めると、窓の外が薄暗くなっています。

ずいぶん長く寝てしまったようですね。

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ツルネ東稜を登ることになった背景には、僕の山人生での初出来事がいろいろとありました

2022-08-02 12:29:23 | ザイルと焚火と焼酎と

全ての人は平等に1年で1歳の年を取ります。

その事実に抗うことは出来ますが、結果は大きくは違って来ません。

でも、人はそんな小さな違いを大切に感じて、一喜一憂するのです。

僕とて同様で、高齢者である現在、1年でも長く自分の山人生を引き延ばそうと足掻いているのです。

足掻くことは素晴らしいことだと思いますし、楽しいことでもあります。

足掻けることは幸せです。

 

さっちゃんが入院、入所を続け、一緒に暮らせない期間、僕は自分の山体力を復活させる努力を楽しみました。

山のパートナーでもあったさっちゃんなら僕のそのような努力を喜んでくれると信じています。

でも、そんな努力は僕自身に惨めな現実も見せつけることになりました。

標準コースタイムを大幅に超えた時間でしか歩けない。

長い距離を歩き続ける体力がない。

そんな問題点も時間をかけて徐々にですが、解決の方向へ向かいつつあります。

 

そして、さらに一段階レベルアップした山行も実践しつつあります。

それが八ヶ岳の小同心クラックであり、今回計画した赤岳天狗尾根です。

小同心クラックは無事実現できました。

でも、下山後の疲労感が半端なく長く続きました。

赤岳天狗尾根は訳あってツルネ東稜に変更となりましたけれど、別の問題点が浮き彫りになって来ました。

高齢者になると、様々な問題が発生するようになり、その解決法を模索しなければならなくなります。

そんなことをただ嫌がるのではなく、問題の解決を楽しもうと思っています。

そして何より、僕にとっては一段階レベルアップした山行に付き合ってくれる山仲間がいることに本当に感謝です。

今の所属している山岳会YYDに入って良かったと思います。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』をお読みください。

赤岳天狗尾根を登る予定でしたが、増水で渡渉困難となり、ツルネ東稜に変更して登りました

▲7:12。ツルネ東稜から、本来登るはずだったお隣りの赤岳天狗尾根を眺めました。中央に大天狗が聳えています。その左奥の山は赤岳でしょうね。

 

小同心クラックの時と比べて、下山後の疲労感は長くは続きませんでした。

ツルネ東稜が7月16~17日で、22日に新型コロナワクチンの4回目接種でしたから、山はお休みしたのです。

それも良かったのかもしれませんね。

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