さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんの小学校時代の同窓生から電話がかかって来ました

2019-09-30 23:57:25 | 友達・知人・山仲間と
さっちゃんの故郷は九州です。
その小学校時代、生徒たちは担任の先生をとっても慕っていたようです。
生徒たちがいい齢になってからのことだったと思いますが、同窓会を作りました。
会報が届いたり、ときどき先生を招いて同窓会を開いて集まったりしていました。
場所はやっぱり九州が多いんですが、たまには関西やら首都圏やらでも開いていましたね。
東京で開いた際には、さっちゃんが幹事役みたいなことをしていて、僕も会場探しを一緒に手伝ったりしました。
その同窓会も、3年前に閉会になったようです。

そんな同窓生の中でも仲が良かった(んじゃないかな?)女性から今日電話がありました。
さっちゃんが認知症だと友達から聞いて、電話を掛けて来たようです。
さっちゃんの電話が鳴って、まずは僕が出て話しました。
その女性(Aさん)が誰だか、名前を聞いただけではさっちゃんには分からないようです。
だからでしょう、僕にしきりに手を振って、電話に出たくない意思を伝えてきます。
そんなことはお構いなく、僕は「じゃあ、さっちゃんに代わりますね」と電話を渡します。

さっちゃんは電話ではいつもと違って、割ときちんと喋ります。
もちろん全体的には意味不明なんですが、当たり障りのない挨拶などはまあまあ無難に口から出て来るんです。
短い時間ですが、挨拶をして、「元気よ~ぉ」とか喋って楽しそうでした。
最後にまた僕と電話を代わってAさんと話しました。
嬉しそうでした。
「お話しが出来て、良かったわ」とおっしゃってくれました。
「山登りも続けてるんですか?」と聞かれ、「一昨日にはさっちゃんと一緒に山へ行ってきましたよ」。
「体だけは元気なんですよ。ただ、側頭葉が委縮してるんで言葉が不自由なんです」と。

そして最後に、Aさんはこんなことを僕に伝えてくれました。
「以前お会いした時に、さっちゃんがこんな風におっしゃってたんですよ」
「私はもう旦那さん無しでは生きていけないの」


あのさっちゃんがこんな歯の浮くような科白を喋るとは思いませんが、
こんな風にも誤解され得るような言葉を語ったんでしょうね。
九州で開かれた同窓会にさっちゃんが最後に参加した際、今から思えば、認知症の症状が出ていて、
新幹線を使ってちゃんと行って、帰って来れるか凄く心配していたんです。
大分県の温泉に泊まったと思いますが、その時に上記の言葉が出たのかもしれませんね。
僕に頼らなければ新幹線にも乗れない、と自分に対して不安に感じ始めたころだったんでしょうね。

Aさんから「さっちゃんのことよろしくお願いしますね」と言われました。
僕もAさんから伝えられた言葉を胸に秘め、さっちゃんを愛し、支えて行こうと想いを新たにしました。
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2015年の忘事録/当たり前に出来ていたお風呂の給湯が不確かであやふやになってきました

2019-09-28 22:25:13 | 2015年の忘事録
忘事録とは忘れた事の記録です
また思い出すこともあるでしょうが
忘れるよりも もっと
新しい思い出を
作ればいいのです


(この忘事録カテゴリーの文章はほぼその日付当時メモした文章のままこのブログに載せています)

2015年10月27日

お風呂に自動的にお湯をためるには、どこを押せばいいのか? どうすればいいのかを忘れる。正しいボタンを押したようだが、それでは心配だったようで、蛇口からもお湯を入れる。すると、自動給湯はストップするらしく、僕にどうすればいいのか聞きに来る。蛇口からのお湯を止めたら、自動給湯になった。
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病院で検査、診察、リハビリが重なってあったので、僕は疲れ切ってしまいました

2019-09-27 23:39:55 | 病院
これも今週水曜日のこと。
僕自身、日頃の疲れが溜まっていたのかもしれませんが、病院から帰って来て、本当に疲れました。

朝はひとつ前のブログに書いたように、さっちゃんとのトイレに関する行き違いがあって、大変でした。
頸動脈の超音波検査をするので、9時半には病院に到着したかったのですが、
電車1本遅れたとはいえ、9:37に到着しました。

脳外の先生の診察前に超音波検査をするのですが、幾つかある検査室の前の廊下は大勢の人で溢れています。
さっちゃんと僕が並んで座れる長椅子の空きすらありません。
廊下を奥まで行って、左に曲がったところにやっと空いている長椅子を見つけました。
持ってきた新聞を読みながら、さっちゃんの名前が呼ばれるのを待ちます。

もともと、この検査の予約は取っていません。
前回6月の脳外の先生の診察時に「この日に検査を入れましょう」と言われているだけ。
予約ではありません。
それでも、3ヶ月前から予定に入っている検査ですし、
受付の方も予約の方の合間を見計らって検査してもらえます」と言ってくれてますから、
優先順位もほんの少しは高いはずと、勝手に思い込んで、期待していました。

でも、40分たち、50分たち、さっちゃんが椅子から立ち上がって、周りを歩くようになりました。
1時間たつと、僕に何やら喋り始め、あたってくる雰囲気。
僕もさっちゃんと同じ気持ちですから、何を言いたいのか、感じているのかは同じはず。
でも、僕は腹を括って、「待つしかない」と我慢しますが、さっちゃんにはそれは出来ません。
1時間10分たち、1時間20分たつと、さっちゃんの僕に対する苛立ちがますます強くなります。

とうとう僕も名前を呼びに現れた一人の女性の先生(おそらく検査技師)を呼び止め、質問をします。
「もう1時間半も待っているんですが、後どのくらいかかりますかね?」
「予約されている方の合間に検査してくださるはずと言われてるんですけれど」と僕。
するとその先生は「ここにおられる皆さんはみんな普通に1時間半から2時間は待っておられますよ」
ですって!!!
「リハビリも11時から1時間受けなければならないんですけれど、そちらを先にしてというのも考えられるのですが」
僕がそう言うと、女の先生が調べて来てくれました。
「後30分くらいしたら、あなたの順番になるようですね」

ここで僕は決断します。
11~12時は言語リハビリをして、その後超音波検査、続いて脳外の先生の診察。
これで行きましょう!
念のためにリハビリ病棟へ走り、11時からのリハを確定し、検査の受付には一時外出としてもらいます。

今朝病院に着いた頃には、早朝のトイレ騒動を乗り越えて、さっちゃんと僕は普通の状態に戻っていたのに、
長時間何もすることなく、ただ待たされたことに腹を立てたさっちゃんは、
僕と再び手をつないでくれませんし、自分のザックだって持ちません。
そんな状態で言語リハビリへ。

STの先生には愛想よくするさっちゃん。
先週と同じように、さっちゃんペースで何やら喋りまくっています。
トレーニングにならないような気がしますが、STの先生は忍耐強くさっちゃんの喋りを聞いてあげています。
そのうち、いつもの絵と名札を使ったトレーニングに入れましたが、
ここでもさっちゃんは時折、絵のカードを手にしては何やら喋りまくります。
僕にも先生にも、さっちゃんが何を喋ってるのかは分かりませんが、多分その絵についてでしょうね。
ネコならネコのこと、リンゴならリンゴのこと、傘なら傘のことを。

言語リハビリは楽しそうに終了し、すぐに超音波検査に戻ります。
お昼も先生たちは交代で休んで、検査は続けるそうなんです。
まだたくさん待っていましたが、ほとんど待ったと感じないくらいで、検査に入りました。
本当は一人で入るのですが、さっちゃんには僕も付き添いで入ります。
左右の頸動脈を超音波検査して、終了。

最後に脳外の先生の診察です。
普通ならお昼休みの時間なので、1時までは何もすることなく待つだけかな? と思ってましたが、
1時の10~15分前に最初に呼ばれて診察してもらえました。
検査の結果は前回よりも少し改善されていたようです。
「薬の効果が出てるようだから、しっかり飲ませてくださいよ」と言われてしまいました。
今回も、1ヶ月分くらい余ってしまってるからです。
朝食後と夕食後の1日2回なんですが、朝はともかく、夜はすぐ寝てしまったりするのでね。

さっちゃんも物事が順調に進んでいると、機嫌はいいようですね。
手もつないでくれます。
駅前の食堂でこの日初めての食事を食べました。
さっちゃんは小さめのラーメン、僕は焼さば定食。
電車の時間までゆっくりして、電車に乗って、帰宅しました。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

僕が直接病院に用事があったわけではないのに、病院へ行った日はやたら疲れます。
この日も例外ではありませんでした。
むしろ、いつも以上に疲れ切ってしまいました。

家に辿り着くと、部屋着に着替えた僕はそのまま布団にバタンキュウ!
しばらくぐっすり寝ようとしますが、さっちゃんが僕をつつきます。
僕に話したいこと、心配になって聞きたいこと、なんで〇〇をしないのか? などいろいろ、さまざま。
僕の腕を引っ張ったり、腰を押して横向きにしたり、仕舞いには横になったままの僕を怒り始める始末。

僕は内心、イライラ、ただ寝たいだけなんだから放っといてくれよ、もお腹が立つ!
ついには大きな声で叫んでしまいました。
「さっちゃんさぁ、僕はただ寝たいだけなんだから静かにしてくれないかなぁ! だんだん頭だって痛くなって・・・・」
実際、眼の奥の芯が疼くように痛くなってきてたのです。

それでもしばらくは僕に攻撃(僕にとっては)を仕掛け続けたさっちゃんでしたが、
いつごろからだったか、それも収まり、僕にもほんのひと時の休息が与えられました。
陽が沈んで暗くなってきたころ、目が覚めましたが、まだ頭が痛い。
お腹も、遅い昼だったせいなのか、ほとんど空いていません。
「ま、いいや」と、この日の夕食は抜き。
翌日の木曜日には山へ行くことも前日までは考えていたのですが、到底無理な話。
木曜日は何も予定がなくなりましたから、何も考えずに、ただただ眠ることが出来ます。

木曜日にはまだ少し頭痛が残っていましたが、金曜日には消えてなくなっていました。
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意思伝達が上手くいかなくて、さっちゃんは凄く怒ってしまいました

2019-09-26 23:45:44 | トイレ・排泄
これでトイレカテゴリーが4日連続ですね。
このネタを意識的に選んでるわけではないのですが、大切でもあり大変でもあることなので、・・・・

昨日は言語リハビリの日だったのですが、その前に脳神経外科での診療がありました。
さらに当日検査として、頸動脈の超音波検査をしてからの診療だったのです。
ですから、脳外自体は10時からなんですが、9時半には病院へ来ていた方がいいと言われていました。
ですから、9時ちょっと過ぎには着くように家を出たのです。

そんな昨日の朝、駅へ急いでいた時のことでした。
ちょうど家と駅との中間地点あたりで、さっちゃんが何やらムズムズし始めました。
これはおしっこだなと、僕は頭を急回転させて、対応を考え始めます。
さっちゃんの様子からは、あまり猶予はなさそうに見えます。

ラッキーなことにすぐそばに宅地造成中の現場があって、そこに作業員用のトイレが設置してあります。
まだ朝早いので、作業員の方は2名しか来ていません。
「すいません。おトイレ貸していただけますか」とお願いすると、「いいよ」との返答。
さっちゃんをそのトイレへ連れて行きました。

狭いトイレにさっちゃんと僕が入り、さっちゃんがズボンとパンツを脱ぐのを僕が手伝います。
でも、さっちゃん、なかなか脱いでくれません。
狭くて清潔感が乏しくて(実際は綺麗でしたよ)和式なことに抵抗感があったのでしょうか?
それでも何とか脱いではくれましたが、今度はしゃがんでくれません。
さっちゃんは右膝骨折の後遺症でMAXでも130度くらいしか曲がりません。
ですから、和式トイレは苦手ではあるのですが、そんなこと言ってられないはずなのに・・・・

どうしてもさっちゃんがしゃがんでくれないので、僕も諦めるしかありません。
さっちゃんは臍を曲げてしまって、「もう帰る」のようなことを言ってます。
自分のザックも持たずに、家の方へ歩き始めます。
僕もさっちゃんの剣幕に押されて、何もすることが出来ません。

ただ、僕にはひとつアイデアがありました。
少し家の方へ戻った付近の公園に多機能トイレがあるんです。
そこへ連れて行くことが出来れば・・・・

公園の入り口まで連れて行くことは出来ました。
さっちゃんの手を取って、そのトイレまで連れて行こうとします。
でも、さっちゃんは僕の手を激しく振り払います。
2度3度、そんな行動が繰り返されます。

さっちゃんの手を強く握って引っ張ったりするのは逆効果ですから、簡単に振り払える程度にしか掴みません。
それでも、さっちゃんの怒りはたぎってくるようで、僕の体を両手で掴んで押し返そうとします。
さらに大声を上げて、周囲に何かを(まあ僕に酷いことをされてるということかな?)訴えます。
僕はもうこれ以上、関与しないことにしました。

さっちゃんは一度も歩いたことのない知らない道をどんどん進んでいきます。
僕はさっちゃんの10mくらい後方から、さっちゃんのザックも持って付いて行きます。
時々さっちゃんが僕の方へ振り向くので、そんな時には僕は物陰に隠れたりします。
腹を立ててるのはさっちゃんだけではありませんからね、僕だって少しは仕返ししたいですし。

そこを右へ曲がれば駅に近づくのになぁ、そんな箇所が2、3回ありましたが、直進したり、左へ行ったり。
結局、家の近くの大通りまで来てしまいました。
僕がさっちゃんに追いつき、手をつなごうとしましたが、振り払われてしまいます。
さっちゃんの怒りは続いているようですが、少し心細くもなってきたようです。
僕がさっちゃんの少し前を歩き、さっちゃんは僕に付いて来ます。
駅のそばまで来て、再び手をつなごうとすると、また振り払われてしまいます。
「トイレは行かないの?」と聞きますが、怒った様子で「行かない」のような返事。
いったいおしっこはどうなってしまったんでしょう?
階段を上る際に、また手をつなごうとしましたが、やっぱり拒否。

結局、家を出てから1時間近く歩いていました。
最初に予定していた電車の次、30分ほど後の電車に間に合いました。
降りた電車のホームからさっちゃんと手をつなぐことが出来ました。
病院に着いたのは9時40分ころ。

病院でもいろいろとありましたが、それはそれとして。
結局、さっちゃんはすべてが終了した1時過ぎに、やっとその日初めてのおしっこをしました。
パンツも少しも濡れていませんでした。
あの時の、今にもおしっこが漏れそうだという動作は何だったんでしょう?
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隣りの駅まで歩いて行ったんですが、往きに漏らし、帰りにも漏らして、パンツとズボンはグッチョグチョ

2019-09-24 23:50:54 | トイレ・排泄
3日連続でトイレカテゴリーになってしまいました。

今日の4時過ぎ、暑さも和らぎ涼しくも感じるようになって、所用も兼ねてちょっと長めの散歩することにしました。
隣りのA駅まで行って、銀行のATMでお金を降ろし、
インネパ料理店で夕食を食べ、帰り道で買い物をする、そんな予定でした。

A駅までは徒歩40~45分くらいなんですが、電車に乗っても家からなら30分はかかります。
地域の循環バスもあるのですが、あちこち回るので、結局家からの時間は同じくらいかかってしまうんです。
だから僕とさっちゃんはいつも歩いてしまいますね。

家を出る際に、さっちゃんには「おしっこは出ないの?」と聞きます。
「出ない」のような返事なので、そのまま出発。

駅まで後7、8分に迫ったころ、さっちゃんがもぞもぞし始めました。
「おしっこ?」「出るの?」「あと5分我慢してね」
そんな言葉を掛けるしかない僕。
公共のトイレはなさそうですし、さっちゃんが身を隠せる場所もありません。
ちょっと先に時々入ったことのある書店があるので、そこならトイレを使わせてもらえるはず。
そう思った矢先、さっちゃんの様子が変わりました。
漏らしたみたいです。

どのくらい漏らしたのか、分かりませんから、ともかく書店へ入って、「おトイレ使わせていただけませんか?」と。
店の奥の事務室のような部屋に入ると、年配の女性が机に腰かけ仕事中です。
彼女がトイレの場所を教えてくれ、さっちゃんと二人で入りました。
さっちゃんはその年配の女性が気になるのか、僕に対して非協力的。
何とかズボンとパンツは脱いでくれましたが、その和式トイレに腰を下ろしてくれません。
僕が背中を押すように腰を下ろさせようとしますが、どうも変です。
さっちゃんに「もう出ないの?」と聞くと、「出ない」のような返事。

さっちゃんはすぐにでもパンツとズボンを上げようとしますが、僕はそれを制して、
トレペで何度もパンツの濡れを吸い取りました。

トイレから出ると、年配の女性にさっちゃんも僕も「有難うございました」。
僕からは「認知症なので・・・・」とのコメントも。
レジの若い女性にも挨拶をして、書店を出ました。

駅まで5分もない場所なので、ともかくメインの用事だった銀行のATMへ。
出金して、パン屋さんに寄って、もともとの予定ではインネパ料理店で今日の夕食にする予定だったのですが、
それどころではありませんから、夕食のインネパ料理は中止にして、帰ることにしました。

途中にある鮮魚店&スーパーで今晩の夕食用にお寿司を買いました。
家まで25分くらいの場所に来た時、さっちゃんの様子が急変!
下腹部を押さえて、何やら呻いています。
「おしっこ?」と聞くや否や、「あ~」だか「う~」だか、さっちゃんの小さな呻き声。
またまた、漏らしてしまった模様。


さっちゃんはどこかトイレへ、のようなことを喋ってるみたいなんですが、
「大丈夫だよ。家へ帰ろうね。帰ったらシャワーを浴びようね」と僕。
さっちゃんはTシャツの裾どおしに下腹部を押さえているのですが、そのTシャツの裾が丸く濡れています。
たくさん漏らしてしまったようですね。
やっぱりさっきの書店のトイレで、さっちゃんは我慢してまだ残っていたんでしょうか?

日も沈んで、薄暮の中、家に到着。
さっちゃんと僕はシャワーを浴びました。
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さっちゃんも寝起きだったからでしょうか? 用足しの意思が伝えられず、僕もさっぱり分からず・・・・

2019-09-23 22:27:24 | トイレ・排泄
今朝のことです。
さっちゃんが珍しく僕よりも早く、しかも日の出時刻ころに起き出しました。
僕もすぐに目が覚めはしたんですが、前夜久し振りに遅くまで起きていて(1時半くらいまで)、眠い!

さっちゃんは布団から出ると、スリッパを履いて、食堂やら隣りの部屋やら玄関方面やら、ペタペタと歩いています。
さっちゃんはよくこうやってあちこちを歩き回るので、僕は布団の中で耳をそばだてて傾注してました。
二度目くらいに玄関の方へ向かった際に、スウィッチがパチンと音がして、静かになりました。

「あれっ? ひょっとして?」
さっちゃんがトイレに入ったのかもしれません。
僕は急いで起き上がり、トイレへ向かいました。
トイレの電灯は点いていましたが、さっちゃんはトイレには入っていませんでした。
「おしっこするの?」と僕はさっちゃんにたずねます。
どうやらトイレには用がないみたいです。

さっちゃんの手を引いて、もう一度布団の中へ。
「まだ朝早いから寝ようね」と。
僕はまだまだ眠いので、もうひと眠りもふた眠りもしたいんです。

でも、さっちゃんは再び布団から出て、部屋を歩き回ります。
また僕は布団の中で耳をそばだてて、じっとさっちゃんの動きを捉え続けています。
しばらく音がしなくなったらちょっと緊張します。
でも、また再びスリッパの音がして、まだ何でもなかったことを告げてくれます。
そんなことも2度3度あって、さっちゃんの音が本当に長く(と言っても20~30秒くらいでしょうが)しなくなりました。

また僕はトイレの方へ行ってみます。
すると今回はさっちゃんがトイレの便器に座っていました。
ズボンとパンツもきちんと脱いでいます。

おしっこもほぼ出し終わったようです。
パンツを見ると、ほんの小さな濡れたシミがありましたが、これはトレペで吸い取ればOK。
どうせ寝巻きを着替える際、パンツも新しいのに穿き替えますからね。

今朝のこの出来事は、2つの点でこれまでになかった出来事でした。
まずひとつ、これほど早い時刻(5:30ころだったでしょうか)に起きて、その後トイレへ行ったこと。
ふたつ目は、トイレには行かない、おしっこはしないと言ったのに、すぐにおしっこをしたこと。
尿意があったからあんなに早い時間帯に目が覚めたと思うんですが、さっちゃんは尿意を自覚できなかったんでしょうか?
最近、さっちゃんの尿意の表現が分かり難くなってきています。
分からないので、とりあえずトイレに連れて行くと、尿意がないのに便器に座ったりします。
僕が思うのは、ただ出来うる限り長く“おむつ”をせずに暮らせるよう、手助けしてあげることだけですね。
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今日、さっちゃんは2回パンツを穿き替え、2回シャワーを浴びました

2019-09-22 23:09:25 | トイレ・排泄
今朝のことです。
僕がトイレに入って用を足していました。
大の方です。

しばらくすると、ドアの外でさっちゃんの声が聞こえてきます。
さっちゃんはよく、僕が見えなくなると探しに来ます。
トイレのドアのカギを掛けてないと、ドアを開けっ放しにしてずうっと僕を見ていますから、
最近僕は必ずトイレのドアにはカギを掛けておきます。

いつものことかなと思っていると、今朝はちょっと雰囲気が違ってました。
「ここに居るからね。待っててね」と僕が中から声をかけても、
さっちゃんの声は何やら焦ってる感じ、切羽詰まってる感じなんです。
僕は「もしや?」と思い、慌てて急ぎ自分の始末をして、水を流して、パンツも穿かずに外へ出ました。

さっちゃんの様子を目にすると、状況は一目瞭然。
さっちゃんを便器の前に立たせ、ズボン、パンツと脱がせます。
パンツはぐっしょり濡れてます、ズボンも少し濡れてます。
そのままパンツもズボンも脱がせました。

残りのおしっこを出したさっちゃんをトレペで拭いて、上着も脱がせて、隣りのお風呂場へ直行。
僕も全部脱いで、一緒にお風呂へ。
二人でシャワーを浴びました。
そして、さっちゃんは新しいパンツと新しい部屋着のズボン。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

今度は今日のお昼過ぎたころでした。
さっちゃんがもじもじしています。
「これはトイレだな?」とすぐに思いましたが、ちょっと変。
どうやらすでに漏らしてしまっているようです。
どうであるにせよ、ともかくトイレへ連れて行きます。

「もう出ちゃったの?」と聞くと、「出ちゃった」のような返事。
先ほど着替えたばかりの部屋着の紺のジャージとパンツを脱がせました。
パンツはビショビショ、ジャージも触ってみると、湿っています。
ふたつともバケツの水の中へ。

またしても、お風呂場へ。
今回はさっちゃんも下半身だけ、僕は服は着たまま。
さっちゃんの下半身だけをシャワーを浴びせて綺麗にしました。

「おしっこが出る前に分かんなかったの?」と聞いたのですが、
どうやら全然分からなかったようです。
おしっこが出てしまって、初めて気づいたみたい。
多分、その瞬間我慢して止めたんでしょうね。
トイレでもおしっこがまだ出ていました。

さっちゃんは「ご免なさいね」と僕に謝ります。
こんな時、さっちゃんはやけに神妙に正しい言葉で語ります。
「謝らなくてもいいんだよ。でも、本当におしっこが出てしまうまで気が付かなかったの?」と僕。
どうやら尿意なく突然漏らしてしまったみたいですね。

尿意なく漏らしてしまったのはこれで2回目ですね。
尿意を感じたりコントロールしたりする脳の部位が委縮し始めてるんでしょうか?
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今年最後で3回目の沢歩きは矢沢中流域。山仲間も参加してくれ、さっちゃんも頑張りました

2019-09-21 23:57:44 | 沢歩き
8月12日の沢歩きですから、もう一ヶ月以上前のことですね。
なかなかブログに載せることが出来ませんでした。
写真を選んだりしなければなりませんし・・・・

沢歩きに選んだ場所は2週間ほど前に行った矢沢の続き。
沢登りにも慣れているS上さんも参加してくれました。
有難いことです。
沢登りを楽しむ人にとっては、滝を登ることもない沢歩き、
しかも超ゆっくりなさっちゃんペースですから、退屈なことでしょう。


▲前回の矢沢で登らずにそこから引き返した小滝の下から入渓しようかとも思いましたが、最初からさっちゃんに小滝を登らせる無理をさせてもいけないので、その上流からスタート。この写真のスペースで朝食を食べ、沢装備を整えました。さっちゃんは「少し寒い」と言うので、雨具を着ました。


▲100mほど進むと、この堰堤が。これは右も左も越えられそうにありません。スタート地点まで戻るしかありませんね。


▲林道に上がり、林道から越えられなかった堰堤を見ます。林道と沢との位置関係はだいたいこんな感じです。さっちゃんにはこういう安全性が担保された中で楽しんでもらっています。


▲沢に戻るとこんな感じでした。林道のすぐ横とはいえ、こんな豊かな水の景色があるので十分楽しめます。


▲さっちゃんもS上さんとは何度か一緒に山へ行っていますから、心穏やかなようですね。


▲いつものことですが、時々さっちゃんに前を歩いてもらって写真を撮ります。手前と奥との水の流れの違いが美しいですね。


▲沢屋の感覚からすれば、小滝と呼べるほどの滝でもありませんが、ナメの下が釜になっています。さっちゃんは濡れるのを嫌がりますから、左を巻くことにしました。


▲2mもない段差なんですが、用心のためにさっちゃんにはザイルを付けました。僕が上で確保し、S上さんが下でさっちゃんを見てくれます。足の置き場とかを教えたくれています。S上さんがいてくれるので安心してさっちゃんを登らせることが出来ました。当のS上さんは釜からナメを登っていましたね。


▲さっちゃんもS上さんを頼りにしています。足元が不安定な場所では彼女に支えてもらってました。


▲またしても堰堤出現。今度は右から登れるみたいです。でも、実際に登ってみると、泥壁でとってもよく滑ります。さっちゃんは手で掴む枝を決めたり、足を置く場所を見つけたりするのが困難になっています。それは僕が指示を出すのですが、さっちゃんは僕の指示の内容が理解できません。直にさっちゃんの手を取って枝を掴ませるのが確実なんですが、僕だって不安定な状況ですから、けっこう難しい。下ではS上さんがさっちゃんの足を支えてくれています。結局、さっちゃんの手を取って引き上げるようにして、堰堤の高巻き終了。S上さんも途中で1回ズルッと落ちかけたような・・・・


▲さっきの堰堤を越えてすぐに、この日の沢歩きを終了させました。林道に上がって、沢装備のまま帰途につきます。


▲河原に降りやすいところまで行って、渓流シューズを洗いたいと思っていたのですが、結局、矢沢の最下流部まで来てしまいました。そしてそこには、石の芸術ロックバランシングの作品がありました。昔、盆堀川上流でも見たことがあります。作品としてはまだまだ入門的なものなんでしょうが、実際に見るとこれでも衝撃的ですよね。


▲これは3個の石でできた作品。上級作品になると、数十個もの石のバランスで作られるのもあるそうです。対岸ではS上さんとさっちゃんが装備を解除しています。まあ、さっちゃんの場合は僕が解除の介助をするんですけど。


▲無事にバス停に到着。S上さんはこのまま帰宅しなければなりませんでしたから、下山後の打ち上げは無し。僕たちも家で食事することにしました。

さっちゃんも続けて3回、沢歩きしましたから、今日は慣れた感じでした。
1回目は「何でこんな変な場所に連れて来るんだ!」といった感じで怒ってましたからね。
2回目、3回目はさっちゃんなりに楽しめていたようです。
何より、山仲間が一緒だったり、小さな子供さんがいたりするのは楽しいんでしょうね。
S上さんには感謝しかありませんね。
ありがとう!
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今日のさっちゃんは機嫌が悪く、気分も落ち込み気味でした

2019-09-18 22:14:43 | 言語リハビリ
今日水曜日は言語リハビリの日。
ここのところデイサービスの日もですが、朝の出発の準備などはあまり順調には進んでいません。
今日も同じような調子で、まあ何とか時間通りに家を出ることが出来ました。
駅まで20分ほど歩き、10分ほど電車に乗り、病院まで15分ほど歩きます。

その病院までの歩きの途中で、何が気に食わなかったのか、さっちゃんが僕の手をはたいて離しました。
ほとんど、僕とさっちゃんは歩く際には手を繋いでいるのです。
僕を拒絶するような意思がこもった手の離し方でしたから、僕だってちょっとカチンときます。
さっちゃんの前を僕にとっての普通の速さ、さっちゃんにとってはちょっと速い、で歩きます。
後ろも振り向かずに(実際は少し首を横に回して後方を見てるんですが)、プイッてな感じでどんどん進みます。

病院に着いて、僕は中からガラス越しにさっちゃんを見ていました。
さっちゃん、入り口を通り越して裏側の自転車置き場の方へ行っちゃいます。
僕はさっちゃんを追いかけて、連れ戻します。
それからはまた、同じように前を歩く僕。

リハビリスペースがある3階の廊下で、さっちゃんと手を繋ごうとしましたが、やっぱり拒絶。
リハビリの待合コーナーの椅子に座ろうとしても、大きな声で僕に何やら文句を言いつのってます。
僕がさっちゃんのザックを背中から下ろしてあげようとしたことが気に食わなかったんでしょうか?

いつもしばらくしたら、血圧計で血圧を測るんですが、そこへ連れて行っても腕を機械の中に入れてくれません。
「もういい」と、僕はすぐに諦めて、椅子に戻りました。

STの先生が来られて、部屋に入ります。
先生とさっちゃん、1対1で1時間、僕は横に腰かけて、言語リハビリを行います。
先週、警察のお世話になったことなども報告してありますから、その後の様子など聞かれました。
部屋の中でもさっちゃんの僕に対する態度が険悪なので、
先生に「喧嘩中なんですよ」と言います。

しばらく、最近の日常を報告しましたが、その後さっちゃんが先生に延々と話し始めます。
20分以上は話し続けたと思います。
その内容はもちろん全然分からないのですが、感情部分は何となく伝わってきます。
僕に対する不満や不平だったり、自分に対する無力感や諦めだったり、
最後の方では涙声になっていました。

さっちゃんは僕以外の人に対しては比較的明るくしっかりと対応します。
あまりネガティブな自分の内面を晒すことはありません。
僕に対する文句もケアマネさんの前で喋ったりすることもありますが、暗い感情は見せずに語ります。
でも、今日はSTの先生に対して、僕に話すときと同じように喋っていました。
陰気で、辛くて、哀しくて、嫌で、諦めて、どうしようもなくて、・・・・
そんな気持ちをそのまま込めて話しているようでした。

結局この日は、いつも最初に行う、絵と名札を使った言語訓練は出来ませんでした。
第九の最後の合唱部分の映像を見ながら、いつもならさっちゃんは口ずさむんですが、
今日は口ずさむことはなく、やっぱり時々先生に話していましたね。
最後に「富士の山」を一緒に歌ったんですが、さっちゃんもやっと声を出して歌ってました。
笑顔も少し出ていました。

帰るときも、雨が降って傘を差してることもあったので、手を繋ぐこともなく、やっぱり気まずい雰囲気。
家での昼食時も同様。
夕方だったでしょうか、やっと普段の僕とさっちゃんに戻ることが出来ました。
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2015年の忘事録/常識や当たり前のこと、ひとつひとつ消え、無くなりかけていた頃です

2019-09-17 22:44:35 | 2015年の忘事録
忘事録とは忘れた事の記録です
また思い出すこともあるでしょうが
忘れるよりも もっと
新しい思い出を
作ればいいのです


(この忘事録カテゴリーの文章はほぼその日付当時メモした文章のままこのブログに載せています)

2015年10月19日

今日のことではないが、最近のこと。
刺身をワサビじょうゆで食べることを忘れたり、料理関連のことでちょっとしたことを忘れることがある。
ジーンズのズボンをはいて、登山に出かけた。
●2泊3日で玉原高原に出かけた2泊目の夜、ヘッドランプを頭にまきつけたままなのが嫌なのは理解できるが、ヘッドランプを外し「なぜ、これは光らないの? どこか悪いの?」と云う。最初は何のことを云っているのかわからなかったのだが、どうやらメガネがヘッドランプのように光るはずと思っているようだ。「これは光らないよ」と云うしかないが、しばらくは不思議そうにしていた。
 
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