さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

丹沢の葛葉川本谷で沢登りトレーニングの会山行を行ないました

2023-08-22 13:23:10 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年4月24日(日) 葛葉川本谷

 

葛葉川本谷        

(会山行参加者)L○○(僕の姓)、SLさっちゃん、M田、A立、K島、Y口

今回は初級者の実践トレーニングと銘打っての山行であった。我々のトレーニング的山行にずっと参加してきたK島、A立をメインに、いたるところでザイルを出させ、自然物を利用してのセット、ビレーを行なう。沢の入門コースとしては最適といわれるこの沢での実践トレーニングはやはり時間を要すが仕方がないであろう。

朝方、曇り空だったが、天気も快復し、あたたかい午後となる。雨のO原さん会山行のときのことを思い出す。

K島、A立の両者はそれなりに充実した山行であったことと思う。それにしても、こういうのを見てると、自分は本当にサブリーダーとしての任にあまんじてよいのだろうかと考えさせられる。彼女達と同じ、いや以下かもしれないのでは・・・・。岩を登れる、歩けるだけではどうにもならない。総合的な面で、他人の上(サブリーダーとして)に立つというのは早いのではないだろうか。そのうえ、自分の性格としては向いていない。

何はともあれ、無事に沢終了し、三ノ塔尾根を下る。車道に出て、どこをどう間違えたのか、大秦野ゴルフクラブを通り抜け、横野というバス停に出た(戸川バス停の1つ前)。うまい具合にバスにとびのることができた。

下りはやはりヒザが痛い。

ベテラン参加者のM田、Y口の両者は勝手にやってもらう。

富士型の滝でザイルたらして遊んでたようだ。

T瀬5:27~池袋5:59~新宿6:31

以下、会の月報報告ですが、K島さんの文章です。日記に貼り付けてありました。

 

‟実践トレーニング”レポート        葛葉川本谷 沢登り初級

 参加メンバーは二つに分かれる。ベテラン組は自主トレーニングをエンジョイしながら遡行を先行する。訓練生組は真面目に実践トレーニング、訓練生のA立さんと私がリードとセカンドの役割を交代でとりながら、SL扮する初心者を連れて行くという具合である。横向きの滝、板立の滝、富士型の滝、その他、通常ノーザイルで登るところでもザイルをセットし、実践トレーニングで体験できたいくつかの事柄を報告したいと思う。

セカンドが行なう確保 太い灌木・大きな石等、墜落の衝撃に充分耐えられそうな自然物を捜す。ザイルをセットする。万が一トップが墜落した場合に備えて正しい体勢をとる。なるべくザイルは濡らさない。

中間確保の取り方 トップがルートを読みアンザイレンして登り始める。途中自然物を利用して中間ビレーをとる。細い灌木を五、六本まとめて根元でシュリンゲをダブルプルージックで結ぶとかなり効く。下から上までザイルが一直線に伸びるように左右の中間ビレーをとっていくこと。自然物がない場合、ロックハンマーを使って適当なクラックにハーケンを打込む。クラックが堅く、ハーケンのあごが岩壁につくまでピタリと打ち込めるとは限らない。その場合は、ハーケンのあごの付け根にシュリンゲをタイオフしてビレーとすることもできる。セカンドがそのハーケンを回収する。

トップが行なう確保 太い灌木、ボルト等のビレイポイントを捜す。セルフビレーをとる。ザイルをセットして確保体勢をとり、声で又は身振りでセカンドに合図を送る。声が届かなくてしかも相手の姿が見えない場合、お互いの作業工程をタイミングで、又はザイルを引いた時の指先の感覚で推測する。

 他にも収穫はたくさんあった。

 一連の作業を二度三度と繰り返して行くうちに、すべての作業が安全の為であること、信頼のおけるパートナーの大切さなど改めて痛感した。Lの終始妥協を許さない厳しい指導姿勢が大変有難く思われる。    (K島)

(コースタイム)葛葉川遡行開始地点8:05~8:40ー林道12:15-昼食12:45~13:15-富士型の滝13:35~14:25-遡行終了点14:45~15:20-林道16:10~16:25-横野バス停17:30

※ザイルワークは実際に自分で使ってみないとなかなか身につかない。今後とも参加者には本番でのリードを経験して欲しいし、どしどしやってもらう予定でいる。重いザイルを背負って沢を歩いたり、ツメの急登を登ったりも当然やってもらうつもりだ。その際、基本的には男も女もない。平等である。そして、みんなの力を合わせて、大きな沢にも入りたいものだ。(L)

 

2023.08.22 追記

2ヶ月前の捻挫もまだ完治してなくて、さっちゃんには影響が残っているようですね。そんなこともあってか、さっちゃんが珍しく弱音を吐いている日記です。自分がサブリーダーとしての確かな技量があるかどうか不安な気持ちを書いていますね。

さっちゃんは性格的にリーダータイプではありません。リーダーにはどっしりと構えてもらうだけで、現場を取り仕切るようなタイプのサブリーダーでもありません。僕とさっちゃんのL・SL関係の中では、現場を取り仕切るのは僕で、さっちゃんは補佐的な役割に限定されていたと思います。さっちゃんのSLとしての最重要な役割はLである僕が間違った判断をした際に、それを僕に直言し、修正を促すことでした。

その間違いが単純な間違いであれば指摘することは簡単です。複雑深刻なのは、その間違いがリーダーの情熱というか意気込みのようなところから発生している場合ですね。リーダーは自らが計画した山行を成功させたいと強く願っていますから、場合によっては少なからず無理な判断をするケースがあるのです。そのような状況でリーダーである僕の頭を冷やすような進言をするのがさっちゃんの役割でした。すご~く困難な役割だと思います。比較的慎重な僕ですから、ほとんどそのようなことはないのですが、数年間に一度くらいはあるんですね。さっちゃんはそんなレアケースでしっかり確実に僕へ語り掛けてくれていました。しかも、他メンバーに聞こえないように、僕と二人だけの空間で。僕にとっては最高のサブリーダーでした。

 

月報最後のリーダーの弁の中に「基本的には男も女もない。平等である」と僕が書いています。当時は岩や沢の世界にも男女差別の風潮が残っていたんです。僕と出会う前のさっちゃんは岩登りでリードをしたことが無かったと言います。女性にはリードをさせない、という間違った女性保護意識を持った先輩男性に指導を受けていたからのようです。

さっちゃんとザイルを組むようになって、僕はさっちゃんに言いました。「ザイルパートナーになるのだから、当然リードもしてもらう。僕と同じことが出来ないと困る」と言ったのです。初めて滝谷の登攀に行った時は、まだ僕が全ピッチリードしましたけれど、その後はすべての岩登り本番ではつるべ(交替)で登攀しています。

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水無川本谷の遡行をさっちゃん中心で実践しました

2023-06-02 15:41:51 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年4月17日(日) 水無川本谷

 

水無川本谷        ○○(僕の姓)、M田

少しうすら寒く、降りそうな気もしたが、いつものように沢だから・・・・と言って、3人で出かける。10日ほど前の雪、それに雪解けで、水量多いかなぁと思っていたが、それほどでもない。

のんびり歩く。沖源あたりで呼ばれているような気がして振り向くと、O原、O庭、U野の3人ではないか! (O原さんとO庭さんは僕のお師匠さん) ずっと前(昨年)も偶然出会ったが、なかなか良いものだ。O庭さん、今年は体調悪く、あまり山行はしてないと聞いていたが、元気そうで安心する。今年はじめて逢ったのではないだろうか。彼等は沖源でトレーニングとか。林道(登山道)を歩いて来たらしい。

今日は少し寒いが、歩くと汗びっしょりになる。本谷は特に難しいとは思わないが、長いので体力トレーニングには良い沢だ。

しばらく話をして、我々は先が長いので別れた。上部に行くにつれ、ところどころ雪があるが、たいしたことはない。F8の巻き道はいちだんと荒れ、注意して登る。F9リードしてみようと思ったが、濡れるので今回はやめて巻く。易しいが、樹木を使ってプロテクションを取り、リードの練習。

堰堤を越え、詰めは右へとる。木の植わってあるすれすれのところを上へ上へ、途中上部、笹の中のケモノ道を詰めると、20分程で稜線にでた。こちらの方が良いと思う。

稜線は案の定、が多い。途中、ドロンコ道あり、ツルツル足を滑らせながらも、尻もちすることなく下山。

大倉バス停にはちょうどバスが待っていたので飛び乗ると、またもやO原パーティーと合流。渋沢で寿司屋に入る。値段が高く、山帰りには贅沢。二度と行かないだろう。

今回の沢は、自然を使ってプロテクションの取り方、リード、自分を主体にしてもらった山行であった。F2、F9、さっちゃんリード。(自然を使って、と言うのは樹木等の利用のことだと思う。この日はさっちゃんにリード等任せたのだと思う)

出合10:20ー沖源出合12:10~12:50-F914:05-稜線ー戸沢16:35~16:50-大倉バス停18:05

 

2023.06.02 追記

さっちゃんはゲレンデや岩登り本番など、乾いた岩場は得意でしたが、沢登りでの滝の登攀はあまりしたがりませんでした。ルートを読む力が必要ですし、ピンもあまりないことが多いので。でも、この日は自分の苦手克服の目的だったんでしょうね。

渋沢の馴染みのお店は『いろは』でした。駅前開発される前は、『いろは』は実に狭い店でした。狭いスペースに狭いテーブルが幾つも置かれ、山屋さん達がぎゅうぎゅう詰めで入っていました。ご主人が採って来る山菜料理が美味しいお店でした。

当時は『いろは』の他には寿司屋さんくらいしかなかったと思います。『いろは』が満席で入れなかったので、仕方なく寿司屋さんに入ったのでしょうね。

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4月なのに奥多摩は雪山に変貌! 鋸山を歩いて来ました

2023-05-09 13:51:12 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年4月10日(日) 奥多摩駅~愛宕山~鋸山~大ダワ~神戸岩

 

尾根歩きがどうしても少なく、5月連休のこともあるので、少しは歩いてみようということで出かけた。天気は高曇りで、ハイキングには良い日であった。

登山靴はザックの中。前回の棒の嶺のように一度も足を入れずというわけにはいかず、歩きだしてすぐに道がぬかるんで来だしたが、長い階段を上りきるまで運動靴。上りきった神社のところで登山靴に履き替える。2、3日前、4月としては珍しい大雪が東京を見舞ったが、それの名残だろう、あちこちに雪が見られる。

愛宕山(知らぬ間に通過)を下った鞍部にてトイレタイム。下から車が上って来た(そこまでで行止り)のにはがっくりさせられる。

すぐ、鋸山・大岳山への登山道となるが、登るにつれけっこうな積雪であった。ときどき道を外すと、膝上まで埋まる。単独の登山者が3人くらい追い越して行く。

大岳山への分岐に着く。大岳山へは踏み跡が付いていたが、御前山に行くことにする。大岳山は距離的にも長く、時間がかかりそうである。

御前山に向かう前、大ダワ林道(鋸山林道の大ダワという名の峠)を横切るのであるが、林道へ出るまでの尾根道は誰も人が入っておらず、ラッセルをしなくてはならなかった。トラバース気味の道なので、雪がなければ時間のかかるところではないらしいが、結構時間を要した。

やっと大ダワ林道に出たが、この林道も結構な積雪であった。目の前に御前山に向かう尾根があるが、誰も入っていない。とてもラッセルして登って奥多摩(より正確には檜原村)に降りる(湯久保尾根)のは無理と言うことで、大ダワ林道を下る。(計画では湯久保尾根を下って檜原村へ下山だったようですね)

途中、20人くらいの団体に出会う。時間的にみてもPM1:00を過ぎているし、御前山に行くと言うが、状況を説明した。多分無理だろう。林道を歩き通して奥多摩湖に行くか、引き返してくるかだろうと思う。(先ほどの湯久保尾根の記述もそうですが、大ダワ林道と奥多摩湖の位置関係がさっちゃんは少しズレているようですね)

気温も上がっているため雪がぐしゃぐしゃ。できるだけ締まったところを歩く。林道も10cm~15cmの積雪であった。

長い林道もやっと終わり、靴を履き替え、神戸岩(かのと岩)の側を通るので、岩の側面に回り偵察する。ボルトや古いシュリンゲが残っている。昔は登られたこともあるらしい。バス停、神戸岩入口、あまり待つことなくバスが来た。

今回の山行は東京の大雪で一応装備を完全にして出かけたが、あれほどの積雪を想像していなかった。思わぬところで、雪山を歩けたことは楽しかった。今年初めての雪山を奥多摩で味わおうとは思っていなかった。

やはり自然は何かをもたらしてくれた。その中には危険の方が多いと思うが、今日のような楽しさもたくさんあるものだ。

 

2023.05.09 追記

この年はさっちゃんの捻挫などもあって、雪山には行けてなかったんですね。本格的な雪山は泊りになるでしょうし、ザックも重くなるので、足の状態が万全でないさっちゃんには無理だったのでしょう。

昔は4月の奥多摩で雪山を楽しめることも今よりずっと多かったと思います。里で雪が積もると、すぐの土日にはよく奥多摩を歩きに行ったものです。近郊の山で日帰りの雪山を楽しめるのですから。

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つづら岩での会山行をさっちゃんは無事にまっとうしました

2023-04-28 23:39:37 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年4月3日(日) つづら岩 会山行 晴れ

 

2月21日の膝の捻挫はまだ完治(当分かかるだろう)していないが、会山行には支障がないまでに回復し、ホッとした。

参加者も毎度の顔ぶれであり、主催者側の甘えは許されないが、ザイル1本持つことだけは許してもらう。O原氏(僕のお師匠さん。弟子の邪魔になると思うのか僕の主催会山行には参加しないのが通例)どういう訳か参加。しかし、人数も多いことだし、お目付け役として助かる。

天気も上々だし、それなりのメニューをこなす。終盤には5級クラスを短いがトップロープで遊ぶ。みな熱心で、なかなか空かない。足の痛いのを理由に見学としたが、登りたい気持ちは胸いっぱい。仕方がないが、我慢するのも辛いものであった。

まあ、何事もなく終了してよかった。

立川発7:08 五日市行

五日市~千足  タクシー 2470円 @500円

千足~五日市  バス 380円

千足8:10ー不動ノ滝8:45~8:55ーつづら岩東面9:30

トレーニング 9:50~15:20

下山 15:45-千足バス停 16:55

千足発 17:04

休日バスダイヤ 千足発 17:04 19:31 20:31

経費 5200円

 

以下、会の月報報告ですが、U野K子さんの文章です。日記に貼り付けてありました。

 

運痴に明日はない?        つづら岩 岩・沢初級

 なぜ? こんななんでもない所が登れないのだろう。恐くないのに立てない。立ちたい。立つのだと心が言っても、私の体が ‟よし” と言わない。何度も挑戦してみるけれど、やっぱり立てない。私は岩に向いていないんだ、運痴でバランスが悪くて、根性がなくて、岩登りなんて嫌い、もう止めた。でもどうして登れないのだろう。 ‟えい” フワッと体が浮く、やっぱり落ちたらしい。

 つづら岩までの一時間の急登に、しっかり汗をかいてあとはのんびり見物させてもらおうとなまけものの心で参加した。久し振りの会山行。他の参加者の充実した気力が伝わってくる。皆引き締まってたくましく見える。岩の基部に着くと、休む間もなく、リーダーから今日のメニューの指示が次々と出る。そして率先してザイルを固定してくれている。逡巡している私は、何だ? 「どこを登らせてくれるのだろう、今日はしっかり練習するぞ」と思ってしまった。

 明日はペンが持てるかな? 腕がパンパンになっている。今度来た時は、あそことあそこを登ろうと性懲りもなく思い、確保の仕方、ザイルの流れにも、おさおさおこたるまいぞと心に思う。しかし、今度は無い。今を根性入れてやるしかないはずなのです。    (U野K子)

(参加者)L○○(僕の姓)・SLさっちゃん・A立・U野・O原・K澄・K島・M田・Y井(計10名)

(コースタイム)千足8:10-不動の滝8:45~8:55-つづら岩東面9:30-トレーニング開始9:50-終了15:20-下山開始15:45-千足バス停16:55-五日市駅行バス17:04

 

以下の文章も月報ですが、僕が書いたものです。

☆今日のメニュー(ノルマ?)

・東面(Ⅲ)トップロープ     ・マッターホルン右リッジ(Ⅲ)トップロープ

・南面一般ルート(1PⅢ、2PⅣ、3PⅢ)フォロウ

・マッターホルン右リッジ(Ⅲ)リード&フォロウ     以上

☆今日のサブメニュー

・東面(Ⅳ+)トップロープ    ・南面左ルート下部(Ⅳ+)トップロープ

・オケラルート(1PⅢ+、2PⅡ+)

・南面左下フェース(Ⅴ~Ⅵ)

☆今日のオーダー

★南面一般ルート

◎トップさっちゃん、フォロウM田・A立

◎トップ○○(僕の姓)、フォロウA部・K島

◎トップ○○(僕の姓)、フォロウK澄・U野

★オケラルート

◎トップM田、フォロウK島・U野

☆今日のお手伝いさん

・O原(一本も攀らず)

・Y井(一本だけ攀る) ご苦労様でした。

※岩登りの練習の総仕上げにと、やりたいことはあまりにも多い。常に黙々と手伝って下さるM田さんにまたまたすがるしかないかと思っていた矢先、会の先輩方の思いやりに恵まれて、O原さんの突然の参加。有難いことである。Y井さんには申し込まれた時点から確保のみをお願いして、それでも参加して下さった。一昨年、我々L、SLコンビが初めての会山行をつづら岩西面でもった時、参加者に一日2~3本しか攀ってもらえなかったことを思うと、今日は延10本近く攀ってもらえて、その相違にただ驚くばかり。これもスタッフとして若輩Lの指示に快く従って手伝って下さる方々の協力と、初級者とはいえ、いつも熱心に参加して、ある程度は安心して見ていられるようになったことが理由にあげられるだろう。

 今回、一般ルートを3ピッチに区切って登ってもらって、ザイルワークの大切さに気付いてもらえたと思う。本番では、ザイルワークの不手際が思わぬ時間のロスを生み、事故の原因になる場合もある。手際の悪いザイルワークはリズミカルな登攀を生まず、パートナー間の信頼感をそぎ落とす。

 

さあ ――― 緑燃ゆる山に入ろう!

同じ頂に至るなら、より自然濃く、潤い満ちた沢を登路に!    (L)

 

2023.04.28 追記

僕が当時所属していた山岳会は大人数の山岳会で、ハイキング主体でした。でも、少数ではありますが、沢登りをする人たちもいて、そのための岩登りトレーニングも行なっていました。僕のお師匠さんのO原さんとO庭さんは会の中では唯一のアルパインクライマーで、僕を一ノ倉沢、幽ノ沢、滝谷などの岩登り本番や冬季の赤岳やGWの岳沢の岩稜登攀やアイスクライミングに連れて行ってくれました。

僕を会のリーダーに推薦したのもO原さんです。SLをさっちゃんかM田さんのどちらにするか、選ばなければならなかったのですが、沢登りの総合力ではM田さんが上だったものの、登攀能力に優れていたさっちゃんを僕は選びました。

1986年春に、リーダーとサブリーダーという立場でザイルを組むようになり、一緒に沢へ岩へ行くことが多くなりましたから、お互いをより知るようになったのです。好意も自然と芽生え始めました。

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城ヶ崎の2日目は昼から雨が降りました

2023-04-10 20:52:26 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年3月21日(祝) 城ヶ崎 2日目

 

城ヶ崎  I川、A立、さっちゃん、○○(僕の姓)

2日目

天気も午前中はもちそうなので、9時ごろの電車であかねの浜に向かう。

今日は3級or3級+(下記追記参照)くらいの少し長いルートにトップロープを張り、攀じる。見た目より難しく、身長差ですごく苦しい箇所あり。

ごろ、がポツポツ落ち出したので、終わりにする。

早めの電車で小田原へ(そろそろ混み始めていた)。

思いがけず、城ヶ崎へ行くことが出来た。また機会があれば、行ってみたいと思う。

新宿発7:01~550円~小田原8:30→8:51~620円~伊東9:50→10:09~440円~伊豆高原~300円~片瀬白田

宿泊 1泊2食6000円           経費 13310円

 

2023.04.10 追記

城ヶ崎はこの時が初めてだったと思う。僕たちにとっては少し難しい岩場だが、海が眺められて暖かいので気に入ってしまった。遠いのでなかなか通えない場所だが、その後何度か訪れることとなる。正月休みに宿に泊まって行ったことも2回ほどあったのではないだろうか。

3級~3級+云々、とあるが、そんな易しいルートがあっただろうか? さっちゃんなら身長のハンデがあっても苦しむはずはない。リードだって簡単なはず。おそらく、5.6~5.8ほどのルートではないかと思う。さっちゃんにはトップロープなら易しく感じられるはずだから。

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城ヶ崎で初めてのクライミング。さっちゃんが計画、立案しました

2023-04-09 15:39:43 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年3月20日(日) 城ヶ崎 1日目

 

城ヶ崎  I川、A立、さっちゃん、○○(僕の姓)

1日目

足(ヒザ)もまだ完治しないし、雪山は無理。かと言って、テントしょって重荷の縦走も無理。ではゲレンデということで、前から行ってみようと思っていた城ヶ崎の岩場に行くことになった。民宿は1週間と言うことで、とれないのではないかと心配したが、温泉民宿をみつけた。魚屋兼業という「かねみ荘」。きっと魚の美味しいのが出て来るのを期待して申込む。場所は岩場のある城ヶ崎伊豆高原駅より少し先の片瀬白田駅にて下車、歩いて2~3分である。熱川温泉の領域らしく、伊豆白田温泉。民宿のお風呂はAM7:00~PM11:00まで入れる。料理も良いし、なかなか雰囲気も良かった。

新宿(小田急)を7:00近くの電車に乗り、小田原JRのりかえ、伊東のりかえ。それでも、伊豆高原には10:00少し過ぎに着く。岩場まで歩いて30分くらい。(あかね浜エリア)

我々が選んだ「あかね浜エリア」は初心者や静かなクライミングをしたい人、要するに混まないという点と初めてなので易しい岩場を選んだのである。もちろん5.10などもあるが、およびでない。

ルート図を見ても、よくわからず、トップロープでとりあえず手前から挑戦。長くはないが、結構こまかいホールド、スタンスを要した。そのあたりで3本くらい。他のクライマー(よく通ってるらしい)にルート図ではどれか聞いてみたが、そこは新しいところで、本には出ていないとのこと。

つい、足の痛いのを忘れてしまう。

岩はとてもフリクションが効く。運動靴でもよいくらいだ。

高曇りだが、寒くなく、久し振りに見る海は気持ちが良い。

帰りに人気のファミリークラックエリアに回ってみた。歩いて40分はかかっただろうか。夕方なので人は少なく、檜谷さん(檜谷清:かつての日本のトップクライマー)が客を連れて来ていた。あかねの浜の方が良いように思えた。

伊豆高原駅に戻り、電車で民宿に向かう。一日、気分が良かった。快い筋肉の疲れを温泉でとる。

 

2023.04.09 追記

この日の日記には何枚もの紙がホッチキスで留めてありました。泊まった民宿の領収書(平成1年の暮れに泊まった際の領収書もありました)、城ヶ崎の計画書も宿泊場所や電車時刻など事細かく記されています。計画書のタイトルは「ジャミングに挑戦しよう!」となっていますね。城ヶ崎の各岩場エリアの地図、城ヶ崎の観光パンフレットなどもあります。最後の1枚はどの民宿に泊まるかを決めた際のたくさんの民宿の名前、電話番号、料金や駅からかかる時間などがメモしてありました。この計画の詳細をさっちゃんが決めたのですね。

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捻挫から3週間後、さっちゃんはビッコをひきつつ、鷹取山へ行きました

2023-03-11 23:59:32 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年3月13日(日) 鷹取山

 

鷹取山  I川、A立、K子、A木(K子さん友人)、さっちゃん、○○(僕の姓)

足の捻挫はまだ直らないというのに、少しでもよいかなあと思うと、じっとしていられず、自分では見学と決めて出かけた。みんなには捻挫のことは内緒にしてある。少しビッコをひいているのだが、誰も気づかないようだった。

見学なんて出来るわけがない。目の前に岩があって、ザイルが下がっていて、みんな楽しそうに登っているのだから。結局、全部人と同じように登り、南面フランケダイレクトも登る。前回よりテンションの数も少なくなった。彼(僕のこと)に言わせると、ホールドほってあるのではないか、とも言う。それもあるだろうが、我々も慣れたせいもあるのではないだろうか。

結局、足の捻挫の件、打上げの席で自分が話すまで分からなかった。

 

2023.03.11 追記

つづら岩の帰りで捻挫してから、さっちゃんは2週は大人しくしていたようですね。でも、3週目には我慢できなくなったようです。

南面フランケダイレクトのホールドを持ち易いように掘ってあるのではないかと僕は疑っていたようですね。この件、記憶に残っています。ホールドの奥が指がかかり易くなっていました。チッピングと言われるホールドを岩に刻み込む行為で禁止されています。鷹取山の岩は軟らかい岩なので、容易に出来てしまいます。

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さっちゃんはつづら岩でリードしました。でも、下山中に・・・・

2023-03-07 22:29:49 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年2月21日(日) つづら岩

 

つづら岩            ○○(僕の姓)

会山行(4月5日)下見もかねて、トレーニングに出かけた。

東面3級ルート、南面一般ルート(はじめて)のリードをした。あとはトンネルくぐりのオケラルートのリード。天気もよく、あたたかい。岩場はそれほどの混雑はなかった。

リードもできたし、気分はよかったのに、下りにすってんころりん。またもドジってしまい、ヒザを捻挫してしまい、早く下れるはずなのが、いつもより遅くなり、バスはちょうどきれてない時間帯(5時すぎは6:30までない)にひっかかり、タクシー(次のバス停も始発なし)の営業所まで歩く。なんとか歩けるものの痛い。これが長びくと彼に申訳ない。

とにかく4月5日の会山行が行なえるとよいのだが。

交通費  北○○→五日市   660

     タクシー(五日市→千足バス停) 2390/4  600

         (北秋川→五日市)2000/2     1000

                          ¥2260 

 

2023.03.07 追記

さっちゃんは小柄で骨も細いので、僕と一緒に山に行くようになってからも、よく捻挫や骨折を繰り返していました。この時のこともよく覚えています。暗い山道を下山して、バス停を数個通過したところにあるタクシーの営業所に辿り着きました。営業所のストーブに当たりながらタクシーが来るのを待ったように思います。

つづら岩に行く時に4人でタクシーに乗ったことになっていますね。恐らくは同じ方面へ行く登山者を誘って相乗りしたんだと思います。昔は相乗りするのは普通でしたね。

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1988年初めての尾根歩きを奥多摩で行ないました

2023-02-26 22:58:08 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年2月14日(日) ハイキング 御嶽駅~棒の嶺~白谷沢~有間ダム~河又

 

今年はどういうわけか、ぜんぜん尾根歩きをやっていない。足ならしをしなくてはと、奥多摩のハイキングコースにでかける(5~6時間コース)。

時期的にもたまには雪がでてくるのではと登山靴をザックに、その他はとくにもってゆくものがない。荷が軽いのはよいことだ。

まだ2月だというのに、どこにも雪のユの字もみあたらず、道は乾燥しているくらいであった。気温も高く、汗ばむほどである。

ハイカーも1人位しか逢わず、のんびりと歩く。棒の嶺の頂上はだだっ広い。すこしだけいて、又、戻り、岩茸石の方へ下り、白谷沢沿いに下る。沢にそって登山道がつけられている。上部は沢登りの対象になりそうだな。が、中間はまあまあである。しかし、横を登山道がとおっているのは、いただけない。

有間ダムに出て、しばらく歩くと河又のバス停であった。

立川発7:13~御嶽駅

御嶽8:10~休憩10:25~棒の嶺12:20~12:25~岩茸石12:45~12:50~白谷沢下降点(ベンチあり)13:00~13:30~有間ダム14:25~河又14:40

河又発バス14:40(バスが遅れていたので間にあう)~飯能へ

時間も早いので、竹田でかるく食事をして帰宅

交通費 北○○→ミタケ    850

    河又→飯能(バス) 530

    飯能→北○○    350

            ¥1730

 

2023.02.26 追記

僕が一緒だったかどうか出てきませんが、恐らく一緒だったと思います。さっちゃんはあまり単独での登山はしないタイプでした。僕自身もこのコースを歩いた記憶はありますし。

前年にさっちゃんは僕の住まいの隣り町に引っ越して来て、僕たちは通い同棲のような状況でした。さっちゃんが独りで「竹田」で食事して帰ることは考えられません。僕と一緒に食事しているはずです。

山で小さなメモ帳に時間とかを記録している姿は記憶にあります。いつもではありませんが。でも、普通サイズの日記帳に書いて残しているとは、僕は知りませんでした。

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僕がリーダーでさっちゃんがサブリーダーの岩トレ会山行を日和田で行ないました

2023-02-11 23:05:56 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年2月11日(祝) 日和田山

久しぶりの岩

 今日は久し振りの岩。それも5年ぶりの日和田山。始発でかけつけた男岩には、もうザイルがセットされ、ほとんどLMCのメンバーのみが取り付いていた。常連の4人は男岩南面の右の2本のバンドのあるフェースで二人ずつでリードの練習。偶然にも会ってしまった平日のL二人と、新人の一人は左の上部がややかぶり気味のルートと上部の小さなチムニーをLの指導とSLの確保で、久し振りの日和田で全くホールドもスタンスも忘れてしまって大騒ぎで捜す。途中から確保の練習。その頃には私達の5本のザイルに加えて南面だけでも10本くらいのザイルがさがり、アイゼンの音や「お母さん、頑張って」という子供の声も聞こえるようになる。やっと昼食になったのは1時もかなり過ぎた頃のようだった。

 午後からはL、SL、常連の人たちは南面左のリッジのⅤ級ルートに挑戦。私たちはすぐ右のやさしいルートで交代で下から確保して、攀りとクライムダウンを4時半頃まで時々左のリッジのギャラリーとなりながら繰り返す。

 全く忘れた頃の参加で皆さんにお手数をかけましたが、今日の練習を今後の山行に活かしたいと思います。     (S岡K子)

(参加者)L○○(僕の姓)、SLさっちゃん、A立、A部、U田、K子、K澄、K島、S岡、DN  (計10名)

※岩・沢の基本技術修得に情熱を燃やす常連に平日の凄足トリオを加えて、僕の攀る間などありはしない。SLも最初に一本リードしてザイルセットした以外は、ずうっと確保、確保、確保。ゴクロウサマデシタ。

 常連はザイルパートナーを組み、アンザイレンして、リード、トップの確保、フォロウ、セカンドの確保を繰り返す。残置ピンの確りしたⅢ級ルートまでなら、太鼓判。ついには男岩南面右ルート(4級プラス)までもリードしてしまった。でも、オンサイトではなく、レッドポイントだからネ。もっとハッスルして、4級プラスをオンサイトできるようになって欲しい。そればかりか、5級でも。

 トリオ・ザ・ウィークデイは黙々とトレーニング。あまり手伝えなくてゴメンナサイ。

 春が近づくにつれ、今年の沢登りも、こう、なあ~んか、アカるい感じがしてきたな。テントしょって、深い自然の裡に、渓谷遡行しに行きたいな。   (L)

 

交通費 800   食費(1日分) 2300

バレンタインデーの前なのでチョコレート買ってゆく

 

2023.02.11 追記

さっちゃんの山日記にはこの会山行のルポが掲載された月報が貼られていました。最後の2行だけがさっちゃん自身が書いたものです。

このルポを書いたS岡さんは平日にも休める方で、DNさんやK澄さんとよく平日山行を行なっていました。そのS岡さんとI川さんに、僕は入会2年目のとき誘われて、北鎌尾根へ行ったのが思い出深いですね。小柄で笑顔の可愛らしい女性でしたが、病気で早くに亡くなりました。闘病中も少しでも体調がいいと、僕の計画した沢登りに参加してくれたりしました。体調がいいと言っても、満足に食事も摂れない状態で、山行中も何も食べないのですが、楽しそうにはしゃいでいたのが印象的でした。山のことを本当に愛していた素晴らしい女性です。

書きたがりの僕は自分がリーダーの会山行のルポには、後ろにリーダーからのひと言を付け加えるのが常でした。35年前も今も、僕の考え方には変わりがないですね。

バレンタインデーのチョコレートはさっちゃんから毎年もらい続けることが出来ました。何年からチョコレートをもらえなくなったのか、記憶は定かではありませんけれど、認知症の進展の影響であったことだけは確かです。そういうことも忘れさせてしまう認知症は哀しい病気ですね。

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