どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)73 『ラブレター焚書の一件』

2012-07-11 02:57:09 | 短編小説

     (ラブレター焚書の一件)


 <千年風呂>の経営者である荷車三吉は、朝から青いため息をついていた。
 女房の好恵が昨日とうとう家を出て行ってしまったのだ。
 カラオケで知り合った若い男に夢中になり、いくら諌めても言うことをきかなかった。
「離婚するのはいいが、原因はおまえにあるのだからビタ一文やらんぞ」
 半ば脅して翻意させるつもりであったが、返事はあっさりしたものだった。
「こんな借金まみれの風呂屋なんかに、いまさら未練はありませんよ。ただ働きさせられるだけで何一ついいことなんてないんだから」
 たしかに好恵の言うとおりだった。
 しかも未練があるかないかの対象は<千年風呂>であって、三吉のことなど端から相手にしていないのだ。
 風呂屋の経営に限ってみれば、ここ数年中東紛争の煽りがつづいていて、業者から買い取る重油の値段は上がる一方だった。
 元売りの値を決めるはニューヨーク・マーカンタイル取引所の商品市況次第と聞かされても、すなおに納得できる話ではない。
 誰かに文句を言いたいのだが、ガソリンを筆頭に石油類すべてが上がってしまったのだから、おまえだけが特別じゃないよと言われればそれまでだ。
 万年赤字とか、緩やかな自殺とか、愚痴を言いながら廃業していった仲間も少なくない。
 <千年風呂>だってすでに三年以上赤字がつづいていて、それでなくても客数が減っている現状からは今後も採算がとれる見通しはない。
 離婚は妻自身の浮気が動機とはいえ、それを決意したのは商売の先行きに対する絶望も一因と思われる。
 三吉は、妻が離婚を決断した元々の原因には頬被りし、もっぱら業界の先行き不透明感に理由を押し付けていた。
 (先代には済まないが、このままでは廃業するしかないな・・・・)
 ボイラーの前に坐った三吉は、まだ思い悩んでいた。
 (湯屋が石油に頼らない方法なんて、当分みつからないだろうし・・・・)
 脳の上っ面では銭湯の行く末を考えていたが、底の底では訣別した妻の捨て台詞にグサグサと刺されていたのだ。
「あんたって、駆け落ちもできない女々しい男だったのよ」
 好恵の方はさっさと見切りをつけ、若い男と駆け落ち同然で出ていくのだから堂々としたものだ。
 それが昨日のこと、しかし以前にも同じように詰られて、大量のラブレターを風呂の焚き口に突っ込んだことが甦る。
 そのころはまだ木造家屋の廃材などが持ち込まれていて、煉瓦造りの窯で短く切った柱などを燃やしていたものだ。
「・・・・そんな人妻からの手紙を後生大事に持っていようなんて、人馬鹿にするのもいい加減にしてよ」
 あたしのことを何だと思っているのよ、ただの下働きとしか見てなかったのね。
 えらい剣幕で怒鳴られて、手紙を読みなおす暇もなく火の中へ抛り込んだ。
 駆け落ち寸前まで燃え上がった人妻との最初の恋は、いま思い出しても身を焦がすほど熱いものだった。
 妻の好恵は無口になった三吉に逆上し、そんなに未練があるなら手紙と一緒に燃えちゃいなさいと、夫の頭を焚き口に押し付けた。
「バカ野郎、何しやがるんだ!」
 さすがに腹が立って突き飛ばすと、好恵は土間に転がったまま激しく泣きじゃくった。
 少し落ち着きを取り戻したのは、一時間ほど経ってからだった。
「俺が悪かった。勘弁してくれ・・・・」
 そのような事があってから、もう十年は過ぎたろうか。
 熱のない夫婦生活が過ぎていく間に、銭湯の熱源には変化が生じていた。
 つまり木材を燃やす機会が減り、主力の重油燃焼装置の他に廃油を燃焼させるボイラーも備えることになった。
 そうした変遷を経て経営も夫婦関係もなんとかやってきたのだが、問題の芽は解決されることなく今日まで引きずっていたのだった。
 ラブレターの焚書以来、三吉は好恵に頭の上がらない生活を続けていた。
 番台では愛想がいいが亭主にはろくな返事無し、売り上げは計算もせず銭箱を渡すだけ、飯は出来合いの総菜か店屋もの、深夜の外出にも挨拶なし。
 セックスなし、子供なし。家庭なし。
 銭湯経営の方も、バランスシートの喫水線を上回ることができないままだった。
 主力の重油が値上がりすれば、多少の工夫で増やした利益はあっという間に吹っ飛んだ。
 洗い場の一画にサウナ風呂を設えて、割り増し料金で収入増を図ったが思ったほど伸びなかった。
 自動販売機による飲料売り上げも、種類を増やしたわりには結果がともなわなかった。
 (やっぱり燃料代を抑えるしか方法がないんだな・・・・)
 しかし、昔のように安価に使える廃材は減少するばかり。
 たまに解体業者から連絡があっても、新建材混じりの家屋ごみでは引き受けるわけにはいかない。
 念入りに分別しないと燃やすことができないし、万が一有毒ガスなど発生させたら営業停止の心配までしなければならない。
 地方ならともかく、人口密集地の銭湯経営者にとっては廃材利用は問題が多いのだ。
 分別コストだけでなく、燃やす際には付きっきりの人手がいるのだ。
 妻の好恵がいなくなり、番台には誰かを頼まなければならない。
 あらためて、家族経営でしか成り立たない典型的な職種であることを思い知らされた。
 <千年風呂>の歴史は、昭和二十年代から始まって優に半世紀を超えている。
 三吉の祖父である荷車千吉が創業した当時は、文字通り荷車を引いて木屑を集めたり、目が痛くなる安物の石炭を燃やして湯を沸かしたらしい。
 それでも銭湯に頼るしかない時代だったから、芋の子を洗うような盛況がつづき、けっこう割のいい商売だったと聞く。
 親父の代になると団地やマンション住まいが主流になり、部屋ごとにユニットバスが付くようになって銭湯利用者は急速に数を減らした。
 風呂屋は一定の客数を維持できなければ採算がとれない。
 三吉にバトンタッチされてからも、長期的な燃料費の値上がりがつづいた。
 いつかは元の賑わいを取り戻せるかと希望を抱いた時期もあったが、三吉が廃業を考えるほど先の見通しは暗かった。
 好恵の信頼を遂に得られなかったように、風呂屋の経営も破綻へ向かってますます加速しそうな予感がしていた。


 人生には必ず岐路に立たされる場面があるという。
 三吉にとっては、初めての恋がその岐路とも言えた。
 相手の人妻と駆け落ちを決行するかどうかの分かれ道だったのだ。
「先方の家庭を壊すな」
 親の反対にあって断念したものの、別れた女への未練は何年も続いた。
 そして銭湯経営を引き継ぎ、嫁を貰って順風満帆に見えたが、結局は別れた人妻と交わしたラブレターの秘蔵を好恵にみつかってしまった。
 始末できずに物置に隠して置いたのを、何かの拍子に発見され開けられてしまったのだ
「やっぱり女々しい人だったのね」
 散々罵倒されて、焚き口に頭を突っ込まされそうになった出来事は、いまだに心の傷になっている。
「あんたって、駆け落ちもできない女々しい男だったのよ」
 去り際に浴びせられた捨て台詞が身に堪えた。
 意気揚々と若い男のもとへ走る妻には、後先を考えずに行動する潔さがあった。
 (いずれ捨てられるかもしれないのに・・・・)
 かすかに紛れこんだ自分の思いに気づき、三吉はハッとした。
 好恵の言うとおり、俺という男は卑怯で女々しい人間なのだ。
 できることなら、ラブレターを燃やしたとき一緒に燃えてしまえばよかったのだ。
 盛大に炎をあげて、天高く伸びた煙突の先からパチパチと火の粉をまき散らせばよかったのだ。
 人生一回こっきりのイベントじゃないか。
 夢かうつつか知らんが、花火を打ち上げるようにパアーっとやらんかい。
 そうすりゃどんなに心地よかったか。
 親父の理屈に説得されて、相手の家庭のことなど斟酌した愚かさよ。
 どっちみち家庭なんてものは収拾がつかなかった・・・・。
 恋に身を投じた人妻にも愛想を尽かされ、おのれも遂にこの始末。
 勇気がなかったばっかりに、成就したはずの大舞台はぐるり回って闇舞台。
 密かに巻いた相聞歌さえ、意気地なく火口(ほくち)にくべた意気地なさ。
 ああ情けない、くちおしい。
 ここぞというとき躊躇して、臍をかむのは誰あろう<千年風呂>の三吉だ。
「おっと、社長どうかしましたか」
 裏口から入ってきたのは、小型タンクローリーで燃料を運んできた若い衆だった。
「あっ、そんなに窯に近づいちゃ駄目でしょう、袖に火がつきますよ」
 火力の足しにもならない古雑誌を突っ込んで、ライターで火を点けたらしい。
 三吉は発見されたとき気を失っていたようだ。
 腕にやけどを負っていたから、若い衆に発見されなかったら重度の火傷に見舞われていたかもしれない。
 誰かに連絡をと思ったが、<千年風呂>には一人の後継者もいなかった。
 救急車が呼ばれたが、車中で救急隊員から腕の痛みを問われてあまり明瞭ならぬ答えがあったらしい。
「こんな痛みは、初めの痛みに追いつけないんだよ」
 事情のわからない救急隊員は、紅くなったやけどに応急処置を施し、病院とやり取りする同僚の会話に神経を張りめぐらしていた。


     (おわり)




  


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ポエム02 『逃亡インコ』 | トップ | どうぶつ・ティータイム(1... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
豊富な知識に驚きも (くりたえいじ)
2012-07-12 12:53:31
銭湯家業の内幕や変遷に詳しいこと、驚きです。
その流れに、いちいちうなずくほどでした。

さらに、ご主人の情けなさと、それと反する嫁さん、その対比がこの物語を支えているようです。
どこにでもいそうな中年男と中年女だけに。

同時に、仮に銭湯業としても、いかなる事業も、時代に翻弄されながら苦心惨憺しているであろうことが察せられました。
筆者の豊富な知識も、びっくりでした。
返信する
人生こんなものか・・・ (知恵熱おやじ)
2012-07-12 18:28:49
タイトルも含めてまったく上手いものですね。

嬉しいことも悲しいこともいろいろあって結構永かったような人生も、銭湯の湯を沸す火と人の心を燃やす火の変遷という一点で視るとき、意外に呆気ないほどコンパクトで掌に収まるほどで、何だこんなものだったのかと気抜けするような、でもだからこそかえって愛しくなる様な・・・読むものに不思議な感覚を呼び覚ましてくる。

このテーマを描くのに銭湯はピタリでした。
私は残り少ない東京の銭湯も何軒か取材してみたことがありましたが、銭湯というのは本当に夫婦が力をあわせなければ成り立たない仕事なんですよね。
苦しいながらも何とか上手くいっているところは例外なく、ご夫婦仲がよかったと記憶しています。

味わい深い掌編小説を楽しませていただきました。
返信する
時代と人間模様 (窪庭忠男)
2012-07-13 04:30:13
(くりたえいじ)様、コメントありがとうございました。
他の零細企業を含めて日々の営業を続けていくことが難しい世の中になってしまいました。

多少効率が悪くとも、それぞれの町の商店街が生き残れるような、そして人間の喜怒哀楽がそこここに転がっているような、生活の原型を取り戻したいものです。
返信する
銭湯の取材まで・・・・ (窪庭忠男)
2012-07-13 05:05:59
(知恵熱おやじ)様、東京の銭湯を直に取材してのご感想に共感いたしました。
「上手くいっているところは例外なく夫婦仲よかった・・・・」やっぱりそうなのかと、ずぼらな小生ほっといたしました。

銭湯の湯を沸かす火と人の心を燃やす火の対比、一点から視ると呆気ないほどコンパクト・・・の感慨にあらためて人生を考えさせられました。
ありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

短編小説」カテゴリの最新記事