中原中也
〈写真はウィキぺデイア〉より
中原中也の「汚れちまった悲しみに・・」も知らない人がいないぐらい有名である。
一部分だけが印象付けられているが、せっかくだから全文を読んでみたい。
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
なすところもなく日は暮れる……
感覚が素晴らしい。
人の心を引き付ける天性の才を持っていたのだろう。
中原中也は1907年4月29日、山口県(現在の山口市湯田温泉)の中原医院で生まれた。両親は結婚後6年あまり子供に恵まれなかったが、長男の誕生をおおいに喜び、中原家では三日間にわたって誕生祝いを行った。
当時、父の謙助は軍医として旅順にいたが、手紙で「中也」と名づけるよう送ってきた。10月、生後6ヶ月で母と祖母に連れられ関東州旅順に渡る。中也を手元で育てたいという謙助の希望によるものだった。
翌年の夏、謙助は山口に任ぜられ、一家は山口の中原家に戻った。その後広島や金沢に異動。
中也は北陸女学校附属第一幼稚園(現・北陸学院の第一幼稚園)に通う。
その後転校もあったがどこでも成績優秀で、戦闘的でありながらひょうきんなところがありクラスの人気者だったという。
中也は県立山口中学校に入学。しかし読書にふけり、成績は80番にまで下降、教師が家に注意したので、小遣いがもらえなくなり、立ち読みをしたり、図書館を利用するようになった。2学期の成績は50番まで持ち直したが、2年生ではどん底の120番まで落ちる。このころ、中也は両親に隠れて、防長新聞の短歌会「末黒野の会」に出席していた。この会で知り合った吉田緒佐夢、宇佐川紅萩と歌集「末黒野(すぐろの)」を1922年5月ごろ刊行。中也は「温泉集」と題した28首を収めた。飲酒や喫煙を覚えた「不良少年」となっており、成績はさらに下降した。
参考=落第したことで中也が山口中学にいたくないという意思を示し、父親の謙助も世間体が悪いということで転校させることになった。1923年4月、京都の立命館中学校3年に編入、中也は一人で下宿生活を送ることになった。秋、高橋新吉の『ダダイスト新吉の詩』を読んで衝撃を受け、ダダイズムに傾倒、詩作を始める。3歳年上の女優長谷川康子と知り合い、翌年から同棲する。泰子はマキノ・プロダクションの大部屋女優として月給をもらっていたが、解雇されてからは中也の居候となってしまう。帰省した中也が痩せているのを案じた中原家は仕送りの額を増やしている。
1924年短期間京都に滞在した6歳年上の詩人、富永太郎と親交を結ぶ。富永太郎は連日中原の下宿を訪ねて語り合った。富永太郎が頼ってきたのは京都帝国大学国文科在学中で立命館中学の非常勤講師を務めていた冨倉徳次郎だった。作文の時間、詩を書いてきた中也は冨倉の家に呼ばれるようになり、やがて大学生グループと展覧会を見に行ったり酒を飲んだりするようになる。中也は「ダダさん」の愛称で呼ばれた。12月初旬、富永太郎は東京に戻る。喀血したことを医師に診断してもらうためである。
いろいろ見てきたがダダさんこと中原中也は硬派の詩人である。
弱弱しい軟派な青年かと思ったら大間違い。
家柄を特別視し近所の子供とは遊ばせず、予習復習を母親がつきっきりで監視し、父親が体罰を行うという蒙昧さ。
幼い時期からの教育熱心が裏目に出た。
天才中原中也の本領発揮である。
30歳で夭折するまでに約50篇の詩を残している。
「サーカス」「山羊の歌」などいずれも優れた作品だ。
世間体が悪かろうが、同棲していた年上女優に捨てられようが、中也が残した詩作品は輝き続ける。
以て瞑すべし。
ファンが絶えない点では太宰治と似ているのではないだろうか。
若い時に、大金をはたいて、中原中也の全巻を揃えました。
そして、全巻を何度も読み直しました。
詩は、理屈ではなくて、生まれつきの100%感性だと思います。
同様に、絵も、絵画理論ではなくて感性だと思います。
私の一番好きな画家はマチスで、あの他人は真似できない色彩感覚は、生まれつきの100%感性だと思います。
中原中也の全集までそろえているとはすごいですね。
それに詩は感性とおっしゃるのもその通りだと思います。
中原中也は天賦の才に恵まれていたんですね。
サーカスの空中ブランコを表現するところなんかにも片りんが見られますよね。
絵のマチスは僕も好きです。
絵具選びからマチスの感性が発揮されています。
マンガニーズ・ブルーという色を小説に書いたことがあります。
中原中也もマチスも透明なまなざしの先に感性が揺れているようなイメージが湧いてきました。
いつもありがとうございます。
中也、いいですよね。
心に沁みます。
「人の心を引き付ける天性の才」…ほんとうにそうですね。
『春の日の夕暮』『汚れつちまつた悲しみに……』「朝の歌』『サーカス』…
彼の詩は、つい、声に出して口ずさんでしまうわたしです。
やはり、中原中也お好きでしたか。
今回いろんな詩人を取り上げてきましたが、定型詩の良さを残した作品は<声に出して口ずさめる>という点で印象付けられますよね。
中也の詩はいつまでも心に残りますね。
ありがとうございました。