どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

『悪童狩り』 (6)

2006-01-31 08:55:55 | 短編小説
 相変わらず、芝生のあちこちから歓声が上がっていたが、その声は乾いた風にのって拡散し、青空に吸い込まれていった。  数馬には、公園がその面積を少し狭めたように感じられた。  いつの間にか木々の影が伸びて、走りまわる人も犬も、ときどき光の円を踏み外していく。  折りしも、立ち話に夢中の母親の隙をついて、よちよち歩きの幼児が光と影の境界を越えた。一瞬、目くらましにあったように幼児が消える。はっとして目 . . . 本文を読む
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『悪童狩り』 (5)

2006-01-29 01:51:36 | 短編小説
 美雪が熱を出すたびにハラハラしたが、再びひきつけを起こすことはなかった。やはり幼児期特有の熱性痙攣だったのだろうと、小学校に通い始めた娘を見送りながら安堵したのを覚えている。  それでも、子供ひとりを育てるのは大変なことだった。ひとりっこだから、余計に苦労が多かったということもできる。  中学受験のころから過保護への反発が始まり、入学してからはクルマでの送り迎えを嫌がるようになった。それでもなお . . . 本文を読む
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『悪童狩り』 (4)

2006-01-27 00:00:16 | 短編小説
 このベンチに腰を下ろすと、自分の居場所に戻ってきたように、ほっとする。 目の前には作り付けのテーブルがあり、四枚の板を並べた粗削りの設置物は、雨風に曝されて灰色に変色していた。  木目だけが磨いたように浮き上がり、ほかの部分はわずかだが侵食されている。数馬は、この木の手触りが大好きだ。ベンチに浅く尻をのせて、板に頬を付けるように身を乗り出す。  テーブルの幅は、彼の左右の腕を伸ばしても三十センチ . . . 本文を読む
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『悪童狩り』 (3)

2006-01-25 10:45:58 | 短編小説
 秋から冬へと、季節が泳ぐように空を渡っていく時期だから、家々の花木もひっそりと屋敷に納まって、なりを潜めている。  山茶花が咲くには、もう少しの冷え込みが必要だし、数馬の好きな太郎冠者の蕾も、まだ小さく固いままだった。  道すがら目にする時季遅れのサルビアには、風情というものがまるで感じられなくて、数馬の癇癪を誘発しそうになっていた。 「こんなものを、人さまが通る公道沿いに植えおって・・」  恥 . . . 本文を読む
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『悪童狩り』 (2)

2006-01-23 10:43:35 | 短編小説
 猫が消えたあたりを目で追いながら、数馬は声を掛け損なったことに心残りを感じている。  そして、半年も前に妻が発した言葉が、残響のように耳の奥で振動するのを聞いていた。 「あなた、あの黒猫を可愛がったりしないでくださいね」 「別に悪そうな猫じゃないだろう・・」  そのとき数馬は反論したが、たちまち淑子にねじ伏せられた。 「そう思わせるのが上手なの。一度でも気を許したら大変よ。どんどん家の中に入って . . . 本文を読む
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『悪童狩り』 (1)

2006-01-20 11:00:24 | 短編小説
老人は、ふだん何を考えているのだろう。  若者に対しては、あれこれ不満や批判が語られるが、老人に対して「近頃の老人は・・」と、まとめて取り上げる例はあまり聞いたことがない。  それには理由がある。  老人は、個性的なのだ。そして偏屈でもある。  背負いきれないほどの人生の重みに腰を曲げ、それでも自分を信じて<頑固>を 通そうとする。    相手は、人間でも猫でも同じだ・・ . . . 本文を読む
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どうぶつ・ティータイム(2)

2006-01-18 22:58:54 | ポエム
 前回は、犬のディドを紹介しましたが、いかがでしたか。  これからも、折に触れて<どうぶつ>にかかわる本を取り上げていく予定ですが、急に「詩」を書きたくなってしまいました。 . . . 本文を読む
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どうぶつ・ティータイム(1)

2006-01-16 08:11:40 | 書評
 いきなり10回にわたって、小説『ヘラ鮒釣具店の犬』を投稿しましたが、一応<完>となったので、この辺で一息入れることにしました。  そこで、私がかつて読んだ本の中から、<どうぶつ>にかかわる印象深いシーンや感心した叙述を思い出して、みなさんにお知らせしてみたいと思います。     . . . 本文を読む
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『ヘラ鮒釣具店の犬』(10)

2006-01-13 17:46:37 | 短編小説
 もしかしたら、ラカンは自分の存在を掴みあぐねているのだろうか。幼い時の記憶をたぐり寄せ、己が人間なのか、犬なのか、それとも風のように転げまわり、吹き荒ぶものなのか、見極めきれずに呆然と日を送っているのかもしれない。  そんなことを考え始めると、桂木だって、自分がどんな存在なのか、不安になる。  両親はすでになく、兄弟もいないし、妻との間に子供を授からなかったし、その妻とも離婚している。ある時期 . . . 本文を読む
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『ヘラ鮒釣具店の犬』(9)

2006-01-13 00:24:59 | 短編小説
 <二間半、二尺仕舞い、九本継ぎ>の名品は、下手な洋画などより気品があって、桂木の書斎の壁によく似合った。  友人を呼ぶでもなく、家族が来るでもない桂木一人だけの城は、几帳面な性格そのままに整理が行き届いていて、実に居心地がよかった。  そろそろ初夏の気配が色濃くなっている。風に運ばれてくる緑の匂いに、植物の旺盛な営みが感じられる。  あまりにもあからさまな生命の活動を、桂木は好んでいなかったが、 . . . 本文を読む
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『ヘラ鮒釣具店の犬』(8)

2006-01-10 16:40:35 | 短編小説
 翌日、桂木は郵便局で貯金を下ろして『ヘラ鮒釣具』の店を訪れた。  買取りを約束した以上、一日でも引き延ばすのが嫌なのだ。桂木は、そうした性格にしばしば苦しめられてきたのだが、何歳になっても直るものではなかった。  己に厳しい分、他人に対しても容赦はしない。カルチャースクールの生徒が遅刻して入ってくると、急に場面設定して、遅刻したサラリーマンと上司の役で演技をさせる。シナリオの勉強に来ているのだか . . . 本文を読む
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『ヘラ鮒釣具店の犬』(7)

2006-01-09 00:42:10 | 短編小説
 この家の主人が、また笑った。 「こいつはね、子犬のときはタケチヨと呼ばれていたんですよ。ところが三歳のころ、散歩中急に道路に飛び出して、リードを握っていたわたしの友人を引きずったものだから、運悪くトラックに接触して死んでしまったんです。はずみというのは恐ろしいですな。犬の方はこの通り無傷で、神妙な顔で家に戻ってきたんですが、奥さんが許しませんわな」  しばらくの間、ヒトゴロシと罵って虐待したとい . . . 本文を読む
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『ヘラ鮒釣具店の犬』(6)

2006-01-06 11:24:27 | 短編小説
 桂木は、父親の転勤で三度転校している。  東北を振り出しに、関東、中部と移り住み、東京の大学に合格して初めて親元を離れた。その間、少年期を過ごし、最も心を許せる友人ができたのは、仙台の頃だった。  ずっと官舎暮らしで、父親の姿を見るのは朝だけというような生活だったから、友達と共有する時間が宝物のような価値を持っていた。アベちゃん、タカオ、モトムラ、ヨシキくん、次々と眼裏に浮かぶ同級生の顔が、みな . . . 本文を読む
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『ヘラ鮒釣具店の犬』(5)

2006-01-04 10:50:28 | 短編小説
「どんなご用ですか」  男がめんどうくさそうに言った。 「・・実はヘラ鮒釣具という看板が掛かっていたものですから、どんなものをお作りになっているのかと、ちょっと興味を持ちまして」  犬と主人の双方に気を取られながら、桂木は答えた。  落ち着いた振りをしても、あわてた名残が声に残っていて、桂木を見る男の口辺に微かな笑みが広がった。 「やたら興味を持たれても、どうしたらいいかわかりませんな。お客さんな . . . 本文を読む
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『ヘラ鮒釣具店の犬』(4)

2006-01-03 15:34:15 | 短編小説
 先週の興奮は、体の隅々に痕跡を残していた。  四日ぶりに散歩に出ようとして、内耳のあたりでカサカサと音を立てるものがある。風を受けて左右に揺れる笹の葉が、花大根の風景に重なって視えた。それは、現実感に乏しい、もどかしいような眺めであった。  同じように、あのとき暗い家の奥から桂木を見ていた黒い犬の記憶も、なぜか希薄になっていた。ただ、それぞれの気配だけは残っている。紫の花と笹の葉ずれの音は同調し . . . 本文を読む
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