どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

心に残る詩人たち〈3〉

2024-09-01 01:56:00 | この一遍

 田村隆一

〈写真はウィキぺデイア〉より

 

前2回と比べると少し長めの作品だが田村隆一詩集の中でもよく知られた『四千の日と夜』から取り上げる。



  『四千の日と夜』


一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ

見よ、
四千の日と夜の空から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜と四千の日の逆光線を
われわれは射殺した

聴け、
雨のふるあらゆる都市、熔鉱炉、
真夏の波止場と炭坑から
たったひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、
四千の日の愛と四千の日の憐みを
われわれは暗殺した

記憶せよ、
われわれの眼に見えざるものを見、
われわれの耳に聴えざるものを聴く
一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、
四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を
われわれは毒殺した

一篇の詩が生むためには、
われわれはいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない

 

いかがだろうか。

終戦後、多くの人がそうであったように詩人も自らを総括し、新たな出発をしなければならなかった。

四千の日と夜・・とは、昭和20年8月の敗戦から約10年間の日数をいう。

価値観の激変に立ち会い、やっと立ち直った田村隆一という」詩人の精神史の一部でもある。

戦地に赴くことはなかったが学徒動員から海軍少尉の位官の身で終戦を迎えた田村隆一にとっては、10年の歳月が必要だったということだ。

そうした過程で鮎川信夫らと立ち上げた詩誌『荒地』は、戦後詩を牽引した。

荒地を通らなければその後の試作品は生まれないだろうと言われるほどの一大潮流をなした。

 

参考=学生時代に鮎川信夫や中桐雅夫を知り詩誌「LE・BAL」などに参加。戦後は、黒田三郎らも加わって、第2次「荒地」を創刊。現代文明への危機意識をこめ、叙情と理知とが絶妙のバランスをなす散文詩を生んだ。処女詩集は『四千の日と夜』(1956年)。『言葉のない世界』(1962年)で高村光太郎賞を受賞。アガサ・クリスティーなどの推理小説の翻訳でも知られる。

 

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