磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

【NHKスペシャル】見過ごされた被爆~残留放射線 63年目の真実~

2008年08月20日 | 読書日記など
NHK総合 2008年8月6日
NHKスペシャル

見過ごされた被爆
~残留放射線 63年目の真実~


Oさん、いわゆる入市被爆。

13日後、被爆者の救援のために、爆心地に入る。

仲間はガンや白血病でなくなっているという。

早く認定して欲しい。と、語られている。

入った人は11万人で、申請しても放射線の影響はないと却下してきたという。

国の判断が変わってきたという。

--残留放射線の影響……。

■広島大学名誉教授・鎌田七男■



入市被爆者がかなりの線量を浴びているとは想定していなかった。
--びっくりしましたね。と鎌田。

裁判で残留放射線を認める判断があいつぐ。

国は事実上認め、認定は10倍に増えるみこみだという。

◆◆◆なぜ見過ごされてきたか?◆◆◆

Oさん、女性。

短距離走の選手で病気とは無縁の活発の少女。

広島に原爆投下された時には、Oさんは三次市にいて、被害は何もなかったという。

8月19日、広島駅へ。
広島駅から徒歩で、本川国民学校へ。
--人骨を踏んで歩いていったという。

運び込まれた重傷者はどんどん亡くなっていったという。
--1週間看護していたという。地獄だと思っていた……。


患者たちは放射線による急性症状がでていたという。

1週間後、家にかえったOさんは、同じ症状が出たという。
--髪が抜けたという……。
放射線のせいだとは考えなかったという。
37年後ガンになった時も考えなかったという。
52歳に胃ガンに、……卵巣ガンに……。
転移ではなく、被爆者特有の重複ガンだという……。

認定申請したとき、国はOさんのあびた放射線量は0とした。

■その原因は科学者たちが、残留放射線はないとしてきたからだという。■

マンハッタン計画に参加した一人を訪問した。
--テッド・ロックウェル博士。



博士は残留放射能が発生しないように計算したという。

原爆の火の玉が地表にいかないように、計算。←火の玉に残留放射能?

アメリカ調査団はヒロシマを測定して、人体に影響を及ぼすほどの放射線は発見されなかったという。

もはや、放射線の影響は残っていないと発表。

--これが、アメリカの公式見解。
それがずっと続いていた……。


ABCC アメリカ原爆傷害調査委員会(現・放射線影響研究所)



当時、唯一の機関だったという。

入市被爆者を一度調べられたことが去年わかった。
--アンケート調査491人中314人に疑いがもたれた……。
著しい紫斑、脱毛、……死亡など放射線の影響があったという……。

元ABCC研究員・玉垣秀也さんは、入市被爆の影響だと考えていたという。



残留放射線の急性症状だと玉垣さんは考えていたという。

5例は急性の放射線障害とまったく同じだったという。
そのうち2人か3人はそのまま亡くなられた……。


残留放射線はなぜ発見されたなかったのか?
九月始めの台風で土砂が流されたから、わずかしか計測できなかった。

しかし、突然、調査は中止。
--白血病が頻発していたのが理由だという……。

■元ABCC研究部長 ウィリアム・シャル博士■



残留放射線がないのだから、原因ではないとした。

チフスで脱毛したという。←まさか? そんなにチフスは流行っていないのでは?

紫斑はノミにかまれた跡にみえる。←まさか?


元ABCC研究員・玉垣秀也さんも否定する。
--放射線の影響。チフスや赤痢なんて当時それほどはやっていなかった……。

もちろん、他の症状でも違いはあるだろう……。


Sさん。
--ABCCの方から積極的に、自動車で迎えにきた。
放射線の影響だとは言われなかったという。
--調査が終わっても体調不良は続く……。

日本の科学者にもそのまま受け入れられたという……。

■鎌田もABCCを信じていたという■

当時は入市被爆者を研究しようとは思っていなかった。
--被爆線量はないといわれていたので……。←患者がいるのに?

国も認めていたという。
■1957年 原爆医療法■
--元厚生省技官・浦田純一さん



1954年3月にビキニ実験・第五福竜丸事件。

入市被爆者を疑っていた……。
独断で、救済すべきだと考えていたという。

被爆者の身体をみて判断しようとしたという。
--当時、被爆者は認定しようとしなった……。

Sさんは、赤痢だと思っていたという。自分でつけたという。
医者の診断ではなかった……。
体調不良があっても、原爆のせいだとは思っていなかった……。

Oさんは、思い出したくもなかったという。
--みじめで、口に出したくないことだった……。
原爆のせいだとは思っていなかったという。
--50年を過ぎたころ。
被爆者に多くみられる重複ガンにおそわれたからだという。

親友もガンで亡くなったという……。

1996年認定を申請する。
--原爆のせいだと認めてほしい……。

■厚生省は基準をかえる■

DS86による推定値



1時間後には急速に残留放射線は0.06グレイに減ると考えていた。

3日後の残留放射線は0グレイになる。

--この番組ではないが、核実験場の砂漠でも、かなり残留放射能があったというジャーナリストの本がある。

現代史の瞬間-真珠湾攻撃からケネディ暗殺まで-

【追加】残留放射能について。
新潮文庫 ヒロシマは昔話か


そしてDS86により、Oさんなどはまったく被爆していないという。

DS86を作成した、ジョージ・カー博士。



そもそも残留放射線を重視していなかった。
--アメリカ政府の公式見解によって推定していたという。

DS86は被爆者のデータを、原子力産業にいかそうとしたものであったという。
このころ被爆者10万人のデータがまとまっていたという。
これによって、安全基準を作ろうとした……。

残留放射線は、細かな発生は無視していたという。
--移動していたので、そもそも計算をするのが無理……。


■鎌田は考えを裁判で変えたという■

鎌田は一人一人の体に残留放射線の影響はないか調査。
--染色体を調べた。
その結果は驚くものであった。
通常2本のものが3本になったりしていた……。

入市被爆者の径路を細かく調べたという。
--爆発後すぐに入った人ほど白血病になりやすい……。

■DS86■
土からだけの残留放射線を測る。
--それは砂漠の実験を基本としている。
広島には鍋や釜などがあった……。
人が住んでいたのだ。

むきだしの鉄筋などから、残留放射線が……。

一人一人を無視したことがDS86の間違いだという。

■元厚生省技官・橋爪章■



橋爪は認定基準内規を作成。

当時最新だったDS86を基準にした。

被曝量0では認定できない。←言い訳にしか聞こえない。人が基本では?

■今年3月国は基準を変更した■

Sさん。
--ABCCのカルテには赤痢ではなく、放射線による急性症状と書かれてあったという。
原爆投下後、63年たってはじめて知らされた事実!

Oさん。
認定されていない。
入市したのが遅く、期間が短かったとの判定。←染色体は?

■入市もせず遠くにいた患者■
重複ガンで入院中。
黒い雨がふったところに住んでいたという。

国はまだ本格的な調査を行っていないという……。



【磯野鱧男の感想】

わりきれない部分が多々あった……。

ご用学者というのがいるという……。

↓ 原潜の放射能漏れでも捏造があった……。

核兵器と核戦争

そして、ヒロシマの学者がくるというのでチェルノブイリ原発事故の被害者たちは喜んだ……。

↓ しかし、何も影響はないという判断を下した。

チェルノブイリから広島へ

その判断をくだしたのは、ABCCのあとを引き継いだ放射線影響研究所の学者。

被爆者たちは、こんな学者のことも知っていたのに、鎌田は知らなかったというのだろうか?

チェルノブイリ事故の現地の医師たち、特に女性医師たちは、患者第一に考えていた。

いくら、上からの命令があっても、医師として働いた……。

もちろん、ノイローゼとまちがった診断をした御用学者のような医師もいたことだろう……。

この根底には、『原爆神話』があると思う。

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そして、ヒロシマの医師たちにも、患者思いの民間人の医師がおり、努力されていたのも歴史ですね。

また、今もこのようなことが続いている……。

たとえば、劣化ウラン弾はアメリカ政府は無害といっている……。

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原発は戦争システムを平時にも導入したものだという人たちもいる……。

その「安全神話」のためにも、被爆者は利用され、被害を受けておられるのだと思いました……。

いつものことを許さない社会システムをつくらなければ、平和はつくられないとボクは強く思います。

















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目 次





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index 日本の核保有論

2008年08月20日 | TOP【もくじ】
index 日本の核保有論



隠して核武装する日本

“核”を求めた日本-被爆国の知られざる真実-

ニュースの視点

ニッポン核武装再論

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「北朝鮮核実験」に続くもの-核拡散は止まらない-

核武装なき「改憲」は国を滅ぼす

日本よ国家たれ 核の選択

PHP研究所

中国の「核」が世界を制す

「日本核武装」の論点-国家存立の危機を生き抜く道-

日本は原子爆弾をつくれるのか

原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-

【一部のみ】

帝国と核兵器 Empire and the bomb

【石原慎太郎】〈マスコミ市民双書〉核とマスコミ

核兵器と核戦争

原子力と政治

新・核戦略批判

狂気の核武装大国アメリカ

大量破壊兵器の軍縮論

〈つくる会〉分裂と歴史偽造の深層-正念場の歴史教科書問題-

岩波新書 新赤版897 安心のファシズム-支配されたがる人びと-

コイズミという時代-政権と世相の研究-

・田中角栄

総理の放言・失言-一億総ざんげから不沈空母-

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・倉石農相

戦後日本の歴史-1945~1970-下

・多母神

「村山談話」とは何か

・橋下徹

2012-9-15

[アメリカ]

軍国主義と日本経済-四次防=軍事大国への道-

■サイト記事■

「中川、麻生両氏の核保有論議」夕刊フジ連載 剛腕コラム


【テレビ】

スクープドキュメント“核”を求めた日本 ~被爆国の知られざる真実~

核武装論は1960年代に本当に存在した

【YouTube】

独裁者と核シェルター

■日本の核武装への警戒、高まる国際的圧力■

脱原子力社会の選択-新エネルギー革命の時代-増補版






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科学全書1 核兵器と核戦争

2008年08月20日 | 読書日記など
『科学全書1 核兵器と核戦争』
   服部学・著/日本科学者会議・編/大月書店1982年

いろいろなことが書かれてありますし、意味あることが書かれてあります。
どれを紹介すればいいか、悩むほどです。



第二次大戦中、ドイツは動力として原子力を研究していたという。
--ヘッヒンゲン村に、小型の原子炉をつくろうとしていた……。

オット・ハーンは語る。下「」引用。

「私は一度も原子兵器について仕事をしたことはないし、私は何の関係もありません」
と語り、平和利用に対しての栄誉も受けなかったという。

フレデリック・ジョリオ・キュリー(1900-1958)のことも書かれてありました。

--原潜と核兵器。
原潜に初のミサイル搭載は、アメリカのハリバット号。
レギュラスII型ミサイル五基を装備。
このミサイルは戦術用小型核弾頭をつけることが可能。

--1968年5月2日、米原潜ソードフィッシュ号佐世保で放射能事件でデータ捏造。下「」引用。

「ところが六月以降の発表値は急に減衰がとまってしまった。三宅泰雄博士や猿橋勝子博士は日本学術会議での検討会や『科学朝日』(一九六八年九月号)でこの問題をとりあげ「まったく、ふしぎな異常海水というほかない」と指摘していた。
 この日本分析化学研究所が、その後も原子力潜水艦の放射能調査でデータをねつ造し、偽造したガンマ線スペトログラフや分析結果を科学技術庁に提出していた事件が、一九七七年一月二七日の衆議院予算委員会で、不破哲三議員の質問によって明らかとなった。」

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佐藤栄作は「原則」から「政策」へ。下「」引用。

「一九六七年の第五七臨時国会では、核兵器を「つくらず」「持たず」「持ちこませず」のいわゆる非核三原則を、はっきり原則して述べている。しかし六八年の第五八通常国会では、これが「政策」であると表現を変えて後退し、歴代内閣もその表現を受けついできている。
 しかし非核三原則はなにも佐藤栄作氏が考えついたものではない。広島・長崎・ビキニと、三たび核兵器の被害を受けた日本の国民の、日本の国内に核兵器があってはならないという意志こそが、非核三原則の基礎となるものである。」

--1971年7月、米国防総省の顧問していたエルズバーグ博士
1961年ごろに、岩国基地沖に水爆をつんだ米海軍揚陸艦(LST)が長期停泊を明らかにする。
--1981年5月22日ワシントン、記者会見。下「」引用。

「一、日本の多くの基地が、全面核戦争のさいには、アメリカの核攻撃の基地になることになっていた。
一、全面核戦争のさいは、在日米軍は、事前協議によって日本政府から証人を得て沖縄から核兵器を運びこむ原則になっていた。
一、しかし日本政府の承諾が得られず、安保条約に違反することがわかっていても、緊急事態にはそのまま運びこむという危険を冒す用意があった。
一、沖縄から日本全土へ核兵器を持ちこむという原則の例外は、岩国基地の沖合二○○メートルに係留されていた米海軍揚陸艦につみこまれた核兵器だ。
一、岩国沖にあった核兵器は、艦上攻撃機用の一・一メガトンの戦術核爆弾(水爆)で数十発あったはずだ。
一、日本の限られた政治家たちは、米空母が核兵器をつんだまま日本に入港していることを知らされていた。
 岩国沖にいたLSTはサン・ホアキン・カウンティ号という名前だったことまで、その後判明した。
 こうして非核三原則のうちの「持ちこませず」の原則はふみにじられてきた。」

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岸、福田、大平首相は核保持論を展開。それを批評! 下「」引用。

「「自衛のための最小必要限度の核兵器」などというものがあるとすれば、世界の核軍拡競争がとどまるところを知らずにすすめられるというようなことにはならなくてすんだはずである。」

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歌集 原爆回顧(相武アララギ叢書 第2編)

2008年08月20日 | 読書日記など
『歌集 原爆回顧(相武アララギ叢書 第2編)』
   竹内一作・著/相武アララギ発行所1985年

著者は被爆者運動のリーダーだという。下「」引用。

「この本に収録されただけでも一七○○首余り、すばらしくたくましい創作力に驚嘆する。後健康に留意され、山口県の被爆者運動のリーダーとして頑張られながら、これからも多くの歌を生み出されることを心から期待したい。」



第一部と第二部があり、第一部に原爆関連の歌があります。

神の摂理という言葉も出てきます。下「」引用。

「命生きて被爆者吾は老いてゆく大いなる神の摂理にありて」

あるイデオロギーの人たちのように、天罰としてはおられないと思う。

僧侶も人間ですね……。下「」引用。

「念仏もとなえずただに死体焼く僧形の一人遺族の中に」

亡くなられた母子を歌う。下「」引用。

「息絶えし子を負う女も発狂しやがて死にたりこの分院に(大芝分院)」

大芝分院というのは何でしょうね?

「山口ヒロシマデイー(山口市)」というタイトルで数首ある。一例。下「」引用。

「思想超え献花はつづく山口ヒロシマデー風なき会場に時早く過ぐ」

韓国の被爆者救援 四首。下「」引用。

「被爆者の救護は救援は平和運動につらなるものを怠るべしや」
「日本にて被爆し韓国に苦しむを救わず何の平和と言わん」

そして最後の方で書かれています。下「」引用。

「この度はこの拙い歌集の発行に当り、山口大学教授安部一成先生より身に余る推奨の辞をいただき、心から厚くお礼を申し上げます。
 また筑波大学教授伊藤鈞せんせいり表紙のカットとし、世界平和を表現する鳩の飛翔図を賜り、さらに本書の刊行に当りご高配をいただいた横浜市在住の態澤正一先生、題字をご揮毫いただいた日本書芸院無鑑査会員河野志仙先生、格別のご支援を賜った山口市ゆだ苑理事長永松初馬氏、および先輩各位、さらに社会福祉法人コロニー印刷所長山下昇氏、その他関係者に対し、厚く感謝申しあげる次第である。」









もくじ

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化石

2008年08月20日 | 読書日記など
『化石』
 奥村徹行・著/新日本出版社1984年

短編集です。
--「化石」という作品が原爆関連です。
父母がヒロシマで被爆、被爆二世が主人公。




■目 次■
化石  5
溺れ達のわかれ  33
かさね生く日  55
光への記憶  77
影を踏む  99
地平への予感  149
風、翻る--  171
風にのうたう歌

主人公は法律関係者。
--元原発労働者の所へ。下「」引用。

「四十をすぎた男はわらうような柔和な目もとをしていたが、年齢のわりに皺が多く、そして深かった。髪が抜ける。歯がぼろぼろと欠けると訴え、原子力発電所に出稼ぎに行ってのちに生れた長女の白血病に似た症状を悩んでいた。長女の異常出地に、死んでも死にきれないと目を伏せた。
 仕事上でペアを組んでいる神矢弁護士と大月がかれの話を聞いたのは一年前だった。
 出稼ぎで原子力発電所に働いたのは、稲の取り入れが尾をってからの二ヵ月間。日当は土光の約二倍。原子炉の機構、放射能の危険性についての教育は一切なし。作業内容は清掃。おもにこぼれた冷却水を濡れ雑巾でぬぐう。作業場所は清掃会社の指示による。立入禁止と書かれた区域を指示どおりに出ると、胸にさしていた万年筆の形をした放射能被曝量をはかるポケット線量計の針がとんでいた。」

電力会社などは……。下「」引用。

「電力会社と清掃会社にあたった。電力会社の担当者は、被曝量そのものが国の特定許容量以下だったのだからいまになって放射能障害が出ることは考えられないと冷ややかだった。人間に害を与えるものに許容量などなない、とおもわず大月がいうと、かれは、アメリカでは黒人が被曝線量など全く無関心に裸で働いていますが別状ないですよといい、日本人は放射能に敏感すぎて困るといいたげだった。清掃会社のほうは電力会社のいうとおりにしただけだと逃げた。」

少しでも放射線は浴びないほうがいいといわれている……。

原発での事故のとき、清掃作業員は……。下「」引用。

「原子力発電所では日常的に大小の事故が発生する。技術者が修理、交換するのだが、事故が発生した所は放射能汚染されている。そこで先に汚染を除去しておく必要がある。そのために清掃作業員が求められる。清掃作業院は確実に被曝する。被曝を社会問題化させないように短期雇用して、使いすてのように回転させている-略-」

--パネル写真。南の島、30年以上もの戦争で死んだ日本兵の白骨。それを見て、女は「カセキ」といったという……。

ドラマ缶に入れられていたヒロシマ……。下「」引用。

「放射能被曝した原告がもし人間でなかったら、まさに放射能汚染の拡散を防ぐためにドラム罐につめられ完全密封されたかもしれない。人間であったためにドラム罐につめこまなかった。しかし、広島、長崎では、何万、何十万という人間をドラム罐につめこんだのではなかったか。とてつもなく巨大なドラム罐に。その町をおおいつくすほどの。そして、そこを偶然に生きのびた人間は遺伝という形で、時間をこえて放射能汚染を拡散していくのではないか。大月は訴状を打つ手に力をこめた。」

カセキ……。
--ある種の人たちにとっては、貧困も、孤老や、差別される人たち……、そして、このような被害者もカセキなのかもしれない……。
しかし、本当の人間は後者だろう……。



--著者の説明。
奥村徹行(おおむらてつゆき)
1947年広島生まれ
日本民主主義文学同盟員







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