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磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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新潮文庫 ヒロシマは昔話か-原水爆の写真と記録-

2008年09月01日 | 読書日記など
『新潮文庫 ヒロシマは昔話か-原水爆の写真と記録-』
   庄野直美・編著/新潮社1984年

写真集といってもいいかと思いますが、説明文も多いです。
いろいろな本からの写真や記事が掲載されています。



黒い雨についても書かれてありました。
また、残留放射能についても……。下「」引用。

「すなちわ、直接被爆者も後日入市した二次被爆者も、次のような残留放射能の影響にされされました。
(1) 広島では爆心地から一キロ以内を、長崎では○・八キロ以内を、爆発後四日間に行動した者は、土の誘導放射能から出るかなりの量のガンマ線を体外から受けた可能性がある。その線量の最高値は、広島で約一二○ラド、長崎で約五○ラド。なお、正確な定量化は困難であるが、これ以外に建築資材に誘導された放射能の影響があった。
(2)広島の降雨地区および長崎の西山地区には、かなりの量の放射性降下物が長い間残留した。それから出るガンマ線を体外から受けた線量の最高値は、爆発後一か月間において、広島で約二○ラド、長崎で約二○○ラド。特に長崎の西山地区では、そこへ爆発一か月後に入った場合でも、約七○ラドまでの線量を体外から受けた可能性がある。
(3) 残留放射能で汚染された水や食物を体内にとり込んだ者、あるいは死体や焼跡の処理作業中に多量のチリを吸入した者は、体内に入った放射能のため、かなりの被害を受けた可能性がある。
 このような科学的知識は、一九五八年頃になってわかったことです(庄野、飯島『放射線と原爆症』。)」

アメリカ政府がいっている0というのと異なりますね。


【NHKスペシャル】見過ごされた被爆~残留放射線 63年目の真実~


1949年、小さな子どもが夜中に、広島駅前でキャンデーを売っている写真が掲載されています。

庶民の生活も他の本からの記事や写真が掲載されていました。
--主に写真は福島菊次郎の撮影したものでした……。

エノラ・ゲイの計器類の写真もありました。下「」引用。

「広島への原爆搭載機エノラ・ゲイの計器類。右下に爆弾倉開閉スイッチと投下スイッチがある。撮影/豊崎博光」




このころも、老人ホームの空き待ちをしていたようです。下「」引用。

「被爆から約40年。被爆者の高齢化は深刻な問題となっている。養護ホームの空き待ちをしている老人も年々増えている。撮影/福島菊次郎」

アインシュタインの言葉。下「」引用。

「原爆の開発をルーズベルト大統領に進言したアインシュタインは、戦後、広島、長崎の地獄を知って後悔にさいなまれ、「生まれ変われるものなら、今度は行商人になりたい」と語り、また「宇宙の根源的な力(原子力)は、時代遅れの狭い国家主義の考え方に合うはずがない」「人類が生き残ろうとするのならば、全く新しい考え方を採らねばならない」というような多くの名言を残しました。」

「解説」は大江健三郎が書いています。






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