磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

岩波ブックレットNO.496 恐怖の臨界事故

2008年06月30日 | 読書日記など
『岩波ブックレットNO.496 恐怖の臨界事故』
   原子力資料情報室・編/岩波書店1999年

--東海村JCO臨界事故
--当時は大きくマスコミにとりあげられていました。
そして、死者もでた事故でした……。



“青い光”と、原子力資料情報室では……。下「」引用。

「一九九九年九月三○日の昼過ぎ-略-「青い光が走った!」の知らせに、これはただごとではないぞと感じ、全員あげての取り組み体制にただちに入りました。」

原子力資料情報室は高木仁三郎さんがいたところですね。

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臨界には2種類あるという。
1. 即発臨界
2. 遅発臨界
--この臨界事故は2。

……2キロ離れた日本原子力研究所の那珂研究所のモニターがはっきりととらえていたという。

根本的な問題……。下「」引用。

「今回の事故では、「常陽」と名付けられた特殊な原子炉用の二○%近い濃縮度のウランが、特別の認識のないままに、三~四%程度の濃縮ウランと同じように取り扱われました。そこに根本的の問題があったわけです。」

JCOは以前は「日本核燃料コンバージョン」であり、1998に社名変更。

--コストカットをせまられて、リストラの結果、直接部門の人員が非常に減っていたという。68名→38名。

--日本国民の九○%の人が原発に不安をもっているという。

柏崎市や刈羽村……。下「」引用。

「新潟県と柏崎市、刈羽村は、いったん受け入れを表明した柏崎刈羽原発でのプルサーマル計画の実施に一年延長を東京電力に公式に要請(一一月八日)、東京電力もそれを受け入れています。」

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index 東海村JCO臨界事故

2008年06月30日 | TOP【もくじ】
index 東海村JCO臨界事故


青山道夫・大原利眞・小村和久「動燃東海事故による放射性セシウムの関東平野への広がり」『科学』(1999年1月号)

バケツが問題ではなかったようだ。「常陽」の核兵器製造能力が公衆の面前に明らかになることを隠蔽したという……。

東海村「臨界」事故

東海村臨界事故への道-払われなかった安全コスト-

告発!サイクル機構の「四〇リットル均一化注文」

徹底解明東海村臨界事故

臨界被曝の衝撃-いまあらためて問う原子力-

岩波新書 新赤版703 原発事故はなぜくりかえすのか

東海村臨界事故の街から- 1999年9月30日事故体験の証言-

あの日、東海村でなにが起こったか

臨界事故隠されてきた深層-揺らぐ「国策」を問いなおす-

原子力の時代は終わった 東海ウラン臨界事故とY2Kの教訓

岩波ブックレットNO.496 恐怖の臨界事故

青い光の警告 原子力は変ったか

原子力防災-原子力リスクすべてと正しく向き合うために-

小学館文庫 臨界19時間の教訓-検証ドキュメント-

臨界事故

被曝治療83日間の記録-東海村臨界事故-

眠らない街-検証・東海村臨界事故-

JCO臨界事故と日本の原子力行政-安全政策への提言-

朽ちていった命-被曝治療83日間の記録-

みえない恐怖をこえて-村上達也東海村長の証言-

原子力とどうつきあうか-JCO臨界事故体験-

原子力村 シリーズ臨界事故のムラから 4

原発天国のホントとウソ

【雑誌】

あごら 255号 臨界事故と私たち

[訴訟]

2011-4-2

【一部のみ】

動燃・核燃・2000年

廃炉時代が始まった

経済の倫理 反経済学からの問い

原発被曝-東海村とチェルノブイリの教訓-

スピンドクター
-“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術-



原爆と峠三吉の詩-原子雲の下よりすべての声は訴える』より


〈大泉昭一さん 診断書〉

原発崩壊-1973年→2011年 樋口健二写真集-

〈今も定期的に検査を受け、身体に異常が発生していないか…〉

日本を滅ぼす原発大災害-完全シミュレーション-

〈PTSDを理解しない判決 『環状島=トラウマの地政学』について〉

原発訴訟 岩波新書 新赤版 1337

【ニュース】

【東海村】放射線計測装置:半数以上使えず、1台4000万円無駄に 2009年

JCO関連記事

JCO臨界事故の風化を懸念:東海村現地で集会 2006年

原子力と地域社会-東海村JCO臨界事故から……

ドキュメント・東海村

ウラン加工工場臨界事故に対する環境測定・線量推定

【大泉昭一・関連】

2 放射能汚染と人体

2011-9-9

【東海村関連】

セラフィールド/ラ・アーグに生きる人びと

【YouTube】

東海村JCO放射線・放射能被爆事故の惨劇!!


かんそいも通信







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川よ とわに美しく-詩集-

2008年06月30日 | 読書日記など
『川よ とわに美しく-詩集-』
   米田栄作・著/第二書房1952年

以前にも紹介したことがある詩です。
この詩は有名な詩でもあると思います。



室生犀星が書いた「序」がありました。下「」引用。

「第一版は広島市長と市会議長の跋文が掲げていて、詩集にしてはまれな社会的なもののような気がしたが、詩業はわきみちにそれず、くいこむところにくいこまれていて、あやまちがなかった。原爆の地から詩集の最初の装いとして社会人の跋文がのっているわけも、すなおにうけ取れた。
 「川よ とわに美しく」その一つの「その色のなかで」に惹かれてたものがあり、その二の夜毎ぶらんこをゆめ見るということにも注意される気付があった。家族その二の章も、「失った肖像が萬緑のいろで臥せていた」というのも、無惨が生きていた。(甦える川)
 集中「三角洲(デルタ)ということばの含むものが、私には妙に印象的であり、この詩はいっそ「三角洲(デルタ)」とか「三角洲の季節」とかいう題名にしたらどうかと、考へるようになった。かくされている作者のくやしさも、あとかたもなく拭き取られているのは、作者の詩への勉強のためだといえるであろう。
   室生犀星」

--詩への勉強……。

詩にもいろいろあるものですね……。

人生勉強なのでしょうね……。

今の詩とはかなり違うような気もします。

芸術とは昇華という言葉を思い出しました。

「祈りのヒロシマ」という感じの詩集でもある……。

作者の「あとがき」……。下「」引用。

「 昭和十二年の三月に小さい詩集を出したあと、私は試作というようなことからほとんど遠ざかっていた。
 昭和二十年八月六日、私の広島は人類初発の原子爆弾の災害をうけて、私もまた身辺の多くのものを喪った。しかし私は生き残った。その九月ごろから私はふたたび詩を書きはじめ、二十六年の四月に『川よ とわに美しく』と題した小詩集を刊行して、当時の被災者の霊へのささやかな贈りものとした。
 こんど、はからずも百田宗治氏の御配慮により、その後の作品を加えてこの詩集が第二書房から刊行される機会をえたことは、望外のよろこびというのほかはない。
 とこにこの刊行のために室生犀星先生の序文をいただくことのできたのは、これまた思いがけない至福であった。
 ただ平和を願って、私はこんごもこの「川」の詩を書きつづける念願である。
  昭和二十七年八月
         米田榮作」


今は地球温暖化で、砂漠化が進んでいるという。

--そうなれば、雨が降っても、すぐに砂に吸われるという……。

川もなくなることがあるのかもしれない……。


この詩集の詩が原作となって、CDも発売されているようです。

視聴もできるようです。

三枝成彰「川よとわに美しく」


広島の詩人たち











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恐怖を作る人々

2008年06月30日 | 読書日記など
『恐怖を作る人々』
   林克也・著/大日本雄弁会講談社1958年

この本は小説のようです。
--むかしのSFといっていいのか?



残り4%がフィクションだという。下「」引用。

「『恐怖を作る人々』の素材の九六パーセントは事実で、残り四パーセントが架空(フィクション)です。」

フィクションといっても、ありえるかも? ということを著者は書いている……。下「」引用。

「筆者が十数年わたつて集めてきた“真実の材料”九六パーセントを足場に、一九五五年一月から、一九五六年十一月までを舞台に、物語ふうに書き上げたものです。残りの四パーセントは架空(フィクション)といいましたが、これとても“完全な虚構”ではありません。-略-」

ナチスドイツとは……。下「」引用。

「ドイツが五カ年の戦争をつづけ、多量の軍需工業生産を記録し得たのは、占領地域における莫大な資源・資材・生産設備、農業生産物を強盗したからであった。」

こんなことを言ったら、日本軍はどうなるのか?
--アメリカ軍は? フランス軍は?
どこも似たようなものですね……。

エーテル砲? というのが書かれてありましたが……。下「」引用。

「“エーテル砲”はロケットの弾道や軌道の正確さを左右する装置だ。鋼鉄の砲身・砲架にとって代った“電子と電波の砲身である。したがって目には見えない電磁波の大砲だ。-略-」

ネットで検索しても、よくわかりません……。

京都と長崎の表現は、わかりやすいですね。下「」引用。

「スチムソン陸軍長官は『京都はまずいから除けろ』と命じた。するとカーチス・ルメーが『代りに長崎を加えてくれ』といった。これがスチムソンの手でOKとなり、トルーマンの署名もとった。」



原爆を投下した理由は、ソ連に脅しをかけることだという。

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--ボクの感想……。
戦後も、ソ連をダシにして恐怖をつくりだし……。
結局は金儲けが正しいような気がしてならない……。

それほど、米英の首脳たちは、ソ連を恐怖していたわけでないように思える……。


……筋をかくとおもしろくないと思うので、省略します。







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座談会「戦争体験を語る」-平和を考える戦争展より-第6回

2008年06月30日 | 読書日記など
『座談会「戦争体験を語る」-平和を考える戦争展より-第6回』
   岸和田「平和を考える戦争展」実行委員会・著/
     岸和田「平和を考える戦争展」実行委員会(年度不明)

岸和田といえば、だんじりを思い出しました……。



岸和田は「核兵器廃絶・平和都市宣言」をしている……。

関連記事(PDF)

毎年開いているという……。下「」引用。

「岸和田の『平和のための戦争展』は、一九八一年に第一回を開催以来、毎年、八月初旬に開いていました。大阪大空襲、広島、長崎の被爆、そして終戦記念日と、七、八月は戦争と平和の問題を考えるのにふさわしい時期だと言えます。」

その前身は原爆展だったという。下「」引用。

「この戦争展の前身として、一九八○年『原爆展』を開催以来、戦争や空襲の現実をリアルに伝えるパネルばかりでなく、多くの市民により提供された戦争中の貴重な写真や遺品日記や手紙、古い教科書など、年々出品されるものも増加し、小中の児童・生徒を中心として見学者もふえ、さまざまな層のあいだに関心が広がってきています。」

「子どもたちを二度とこんな目にあわせてはならない」と……。
--これが大人の責任ですね。

--広島で軍隊にいた人のことが書かれてありました。
救助隊も手の施しようがなく、息のある人を連れて帰るのがせい一ぱいだったという……。

「戦争反対を多くの人々と共に」
--一人では平和はきませんね。
「ローマのための平和」は他国の戦争の種ですね。
今では、「アメリカのための平和」は他国の戦争の種ですね。

「「大本営発表」信じるよりほかなかった。真実を伝えなかった新聞」という文章がありました。
今では、このことは原発でいえることです……。

このような大量虐殺してしまうかもしれないものを、見過ごしておいて、国をよくできるとはボクには思えない……。

弱者いじめをして、正義と思っている教養ある野蛮人が多い!









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