磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

ニホンミツバチが日本の農業を救う

2009年09月30日 | 読書日記など
『ニホンミツバチが日本の農業を救う』
   久志富士男・著/高文研2009年

ニホンミツバチには感情があり、表現もあるとか……。
--飼い主もわかるとか……。なかなか、おもしろい本でした。



日本の森林や農業を守ってきたのはニホンミツバチ。下「」引用。

「温室内の花粉媒介であっても、ニホンミツバチを働かせたら生産は継続できる。むしろこのハチのほうが働きが良い。ニホンミツバチは生活力が強い。冬はセイヨウハチミツより低い温度で仕事を始めるし、夏は日没後も働き、暗闇の中を巣箱に帰ってくる。古来、日本の森林や農業を守ってきたのはニホンミツバチである。」

東京にも意外にもニホンミツバチがいるという。下「」引用。

「私は時々東京には結構緑が多い。神社、公園、川の土手、それに人家の庭に緑がある。クスの花や桜の花が咲いたとき、注意して見上げると必ず、小さな羽音を立てて訪花しているニホンミツバチが見つかるはずである。ニホンミツバチはいつも日本人の周りで生きてきた昆虫なのである。いないのは北海道と沖縄諸島だけである。」

北海道にはいないという。下「」引用。

「北海道、沖縄にはこのハチは生息していないが、そのためにそこの樹種は制限され、単純化している。」

西洋と東洋のちがいが書いてあった。

「ニホンミツバチは言葉と感情をもっている」下「」引用。

「冬早朝、巣箱をノックしたら出てきた番兵たち。飼い主だったので攻撃しない。」

仲良くできるニホンミツバチ。下「」引用。

「セイヨウミツバチだと、このように仲良くなることはできないので、作業に取りかかるときは、薫煙器で黙らせることになる。」

呼びかけるとこたえる。下「」引用。

「また、スズメバチと戦いやすいように、巣門前に三○センチ四方ほどの板を置いてやることが、そこに木の葉が落ちたり、巣内から巣屑を出したりして散らかすので、掃除してやろうと刷毛で掃き始めると、ハチたちはみんな巣内に引っ込んでくれる。このとき、「掃除だよ、みんな中に入りなさい」と言うと、人の言葉を理解しているように見える。掃除がすんだら、「もう、みんな出てきていいよ」というとその通りにする。」

今のところ、ニホンミツ養蜂は生業にならないようだ。
……生業にするための手立てはあるという。

養蜂器具は高価であるという。

また別の人ですが……。




週末養蜂家のニホンミツバチのおいしいはちみつ







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挑まれる沖縄戦-「集団自決」・教科書検定問題報道総集-

2009年09月30日 | 読書日記など
『挑まれる沖縄戦-「集団自決」・教科書検定問題報道総集-』
   沖縄タイムス社・編/沖縄タイムス社2008年

生が恐怖だったという。下「」引用。

「生き残ること、すなわち生が恐怖と化したのだ。死が唯一の選択肢だった。従って、集団死の現場では、自発的に死ぬという思いや願望のかけらすらなかった。生き残って鬼畜米英に惨殺されるよりは、自らの手で肉親の命を絶ち、自死することが、絶望の中の慰めだったのである。従って集団死の内実は、自発的死では毛頭なく、追い詰められた悲劇的死だったのである。慶良間諸島での集団死に関する限り、友軍と呼ばれた皇軍との絡みで起こったのである。」



「11万人結集 抗議島ぐるみ「史実守る」」という新聞記事が掲載されている。

「首相参拝訴訟」 下「」引用。

「「小泉首相は『誠を尽くす』なんて言っているけど、戦後六十年、国はまた靖国に近づこうとしている」
 首相の靖国神社参拝で精神的な苦痛を受けたとして、沖縄戦の遺族らが約八十人が慰謝料を求めた沖縄靖国参拝訴訟。-略-」

全国で七件。下「」引用。
「小泉首相の参拝には全国の六カ所で七件の訴訟が起きている。参拝は違憲と明示した福岡地裁以外は、どの裁判所も憲法判断には消極的だ。」

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米、公文書に「軍命」 2006年10月3日朝刊」

「美しい国」と「集団自決」 下「」引用。

「自由主義史観派が求めているのは、座間味や渡嘉敷での「集団自決」を美化することであり、軍隊の本質をもっともはっきりと示しているこの惨劇を、「美しい国」の「清らかな」犠牲の物語に昇華することであった。これは、現在進行中の極東米軍の再編高度化によって、沖縄をはじめとした各地の基地を、アメリカの極東軍事戦略のなかにさらに緊密に、ほとんど縫い目のないかたちで組み入れていくために、沖縄戦の集合的記憶とそれをめぐるひとびとの内省が、ますます邪魔になってきたということなのかもしれない。(二○○六年十月十一日朝刊)」

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「避難壕追い出し」、と靖国神社「殉国死」。下「」引用。

「例えば、日本軍による「避難壕からの追い出し」は、日本軍の作戦・戦闘に協力して「壕を提供」したという書き換えが行なわれてきたのである。つまり、「壕追い出し」にあって、「被弾死」した「補償」が日本軍部隊へ「壕提供」して戦没」したということになり、「積極的戦争参加者」として「準軍属」扱いされ、祭神として靖国神社へ合祀されているのである。親子友人知人同士での殺し合いである忌まわしい体験も「援護法」の適用を受けるにあたっては、集団自決という「積極的戦闘協力」による「殉国死」したと位置づけられていった。したがって、「援護法」適用を受けるための「申立書」は、じつは沖縄戦体験の真実を歪曲(わいきょく)して「靖国思想」にかなったものに仕立てあげなければならなかった。かくて、「沖縄靖国訴訟」原告団の遺族は、肉親の「無念死」を「殉国死」として扱われて、耐え難い苦痛を受けているという心情が迸(ほとばし)ったのである。」

捏造されと書く大城将保。下「」引用。

「今回の「集団自決訴訟」で、岩波書店と大江健三郎氏を訴えている原告側が、私が昔書いた文章から数行を切り取って都合のいいように利用しただけでなく、私の名前をかたってねつ造された新聞記事をも証拠資料として提出しているという。驚き、あきれるほかはない。
 問題の文章というのは、三十数年も前、渡嘉敷島の赤松隊長の擁護説を展開した曽根綾子著『ある神話の背景』を論評したもので、「今のところ曽根説をつくがえすだけにの反証はでていない」というくだりを勝手に引用して、いかにも私が曽根説を積極的に支持しているかのような我田引水の歪曲をほどこしている。私の真意は文章全体を読めば明らかなとおり、当時、慶良間の「集団自決」についてはまだ知られていない部分が多く、私自身の反省をふくめて研究者や行政による総合調査の必要性を指摘したのであった。-略-」

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「幕引き疑念晴れず--比屋根照夫琉球大名誉教授」 下「」引用。

「沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍の「強制」があったとの教科書記述を削除させた今春の検定意見は結局、軍の「関与」レベルへの記述変更で終わった。県民が強く抗議の声を上げなければまかり通っていた歴史の隠ぺい工作に、これで歯止めがかかったと言えるのかどうか。当初の検定意見の過ちを政府が明確に認めないまま幕引きを図ろうとしている今、疑念は晴れない。-略-」









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チビチリガマの集団自決-「神の国」の果てに-

2009年09月30日 | 読書日記など
チビチリガマの集団自決-「神の国」の果てに-』
   下嶋哲朗・著/凱風社2000年

「南風の吹く日」(童心社 1984年刊)の改題改訂。

図書館の説明文。下「」引用。

「日本の敗戦を目前にした1945年4月1日、沖縄の読谷村で82名もの村の人たちが集団で自決した。著者が生きのびた村の人々と行動しながらまとめた戦争の記録。84年童心社刊「南風の吹く日」の改題。」



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「だいじょうぶだよ、アメリカは殺さないよ! と奥の人たちにもいったのに……。出て来なかったよ……。」

裏表紙の裏に……。下「」引用。

「ウソを教えなければ、ほんとうのことを教えていてくれたら、誰も死なずにすんだのに……」

「パイヌカジ まえがきにかえて」下嶋哲朗・著。下「」引用。

「パイとは、南のこと。
カジとは、風のこと。
パイヌカジとは、あたたかな南の風のこと。沖縄の言葉です。-略-」

平和の風パイヌカジは、待っていれば吹いてくる、というものではなかったという……。

一人ひとりが……。下「」引用。

「パイヌカジは待っているものではなく、一人ひとりが、吹かせるものだったのです。一人の風はそよ風でも、大勢で吹かせる風は力強く、明日へ向かって吹く、平和の風となるのです。」

1945年4月3日沖縄に米軍上陸……。
しげると運ばれてきた人たちは担任の具志堅先生に話す。下「」引用。

「「目の見えない平吉(へいきち)がよ、お母に馬乗りのされて、包丁で……。」
「アメリカが入って来て、デテコイ、デテコイ! っていうさあ!」
「アメリカーは、うちらに何もしないね? ほんとうに、うちらを殺さないね?」
「看護婦がよお、毒を注射してえ、死なすさあ……。」
「若い女の人たち、子どもたちがよお、天皇陛下、バンザアイ! バンザアイ! って叫んで……。ああ……、もう横にのたおれてよお、泣いて泣いて-略-」
 話す内容が一人一人異様(いよう)なら、その姿も異様だった。全員、顔も鼻も口も、首もススでまっ黒。目だけが、ギロギロ光る。ある者は全身血だらけになり、ある者は足をひきずり、ある者は死んだ赤ちゃんに、おっぱいを飲ませようとし、またある者は、タンカをかついでいた。-略-」

看護婦(*現在・看護師)が……。下「」引用。

「しかもその中には、積極的に自決への役割を果たした従妹(いとこ)がいた。看護婦のユキ(当時二十五歳)である。ユキは頭の良い、統率力に優れた人間だったらしい。だが、国のため天皇のために死ぬこしとこそ、もっとも誉(ほま)れ高い死なのだという教育が、徹底して行なわれてきた時であった。そういう中で頭が良いとは、統率力とは何を意味するのか。いいかえれば、率先して死んでいく、人々を死へ導くということにほかならないはずだ。-略-」

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平和への願いをこめて19 戦争孤児(東京)編孤児たちの長い時間

2009年09月30日 | 読書日記など
『平和への願いをこめて19
  戦争孤児(東京)編孤児たちの長い時間(とき)』
    創価学会婦人平和委員会・編/第三文明社1990年

表紙に書かれてあります。下「」引用。

「東京大空襲、沖縄戦、原爆そ
そして中国大陸での逃避行
瞬時にして両親、兄弟を失った
子らにとって敗戦はもう一つの
長い戦いの始まりであった」



「“刈り込み”で施設に収容された浮浪児たち。昭和20年、お台場」の写真



いじめられたという。下「」引用。

「伯母に「バカの大食い」とののしられ、いとこには「ノロマめ」とバカにされ、いじめられ、いつも顔のどこかにアザをつくっていました。伯父も姪である私をかばいたい気持ちはあったのでしょうが、伯母の目を恐れて何も言ってはくれませんでした。祖母もお嫁さんへの遠慮からか、正面きってかばってくれることはありませんでした。-略-」

「夢破れた国際結婚」 下「」引用。

「◇学童疎開中(当時九歳)、東京大空襲で浅草に住む家族を失う。敗戦後、江田島の海軍より帰還した兄とともに、各地を転々とする。二十一歳のとき、所沢の米軍キャンプに就職し、そこで知り合った軍属のアメリカ人と結婚したが、次女の誕生後、夫は蒸発。どん底の生活にあえぎながらも女手ひとつで子供たちを育て上げる。」

当時は……。下「」引用。

「当時は、浮浪児や、行き倒れらしき子供の遺体をリヤカーで運んでいるのを、よく見かけたものです。それを思うと、どんな生活でも屋根の下で暮らせる私たちはまだ幸せでした。-略-」

--長崎原爆孤児。
「飛行機の爆音が怖い」長崎県諫早市在住。下「」引用。

「◇長崎市本原街で三歳のときに被爆。父母きょうだいの八人が爆死、祖母と二人となる。以来、叔父たちの家を転々として育つ。十九歳で結婚。八人家族の幸せな家庭を築くが、今も被爆の後遺症は心に重く……。」

学校行けず。下「」引用。

「肉親を亡くしたことを悲しむいとまさえない生活でしたが、私は祖父の深い愛情に包まれて成長してゆきしました。幼いころから七輪でご飯を炊くことを覚えました。城山小学校(長崎市城山町)に籍はありましたが、ほとんど学校へは行きませんでした。鉄クズを拾って帰る途中、家族とともに住んでいた本原町を通り、聖フランシスコ病院の付近で知人と出会い、「おタネさんの娘たい! みぞうけネ(かわいそうに!)」と声を掛けられ、畑仕事から帰る母を待ちかねて飛びついていった日々を思い出し、涙したこともありました。-略-」

おじの家へ行き、学校へ行けることになる。しかし、子守りで行けないこともあったという。

沖縄戦で孤児になった人の文章もありました。

「「愛児の家」神戸澄雄理事長を訪ねて 千人の孤児を育てた「ママ(*石綿さたよさん)」」下「」引用。

「都心から近郊へと走る西武新宿線。その都立家政駅から歩いて三分のところに、社会福祉法人「愛児の家」があります。-略-その後、後を継がれた現理事長の神戸澄雄氏と三女の石綿裕さんにお会いし、種々、当時のお話をうかがうことができました。-略-」








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民主党 10年史

2009年09月30日 | 読書日記など
『民主党 10年史』
   橘民義・編著/第一書林2008年

民主党ができるまでに、いろんな新党がたくさんできたものだ……。
--しかし、国や機関を活力あるものにするのは、民主主義だということを理解している人たちは、賢明であろう……。
--野党がファシストなら、足をひっぱるだけだろうが、もっともらしいことをいうのは得意な人たちだ……。その、もっともらしさで、この国はデタラメにされて、ここまでひどい国になった。これは忘れないでもらたい。



帯に書かれてあります……。下「」引用。

「政権交代という言葉は弱い。
政権は「獲る」ものである。
いよいよ民主党が獲りに出た。
そこに至る10年の辛苦がいま綴られる。
  政治ジャーナリスト 岩見隆夫」

一番評価されるべきこと……。下「」引用。

「一番評価されるべきことは、政権を取った後、国民のために最も有効な政策提言を行い、それをいかに確実に実現するかということだ。」

シンポジウム「政治家の人間力=江田三郎」。下「」引用。

「○七年一○月一二日、東京のグランドプリンスホテル赤坂にら一○○○人以上の政治およびマスコミ関係者などが集まった。「江田三郎 没後三○年・生誕一○○年を記念する集い」が一年がかりで計画が練られて、偶然であるが民主党が大勝した参議院選挙の余韻が残る時期に開催された。-略-」

司馬遼太郎と「社会民主連合」誕生。下「」引用。

「社会党を出た江田三郎は新しい政党を作る用意を即座に始めたが、そのパートナーに菅直人を選んだ。
 江田と行動を共にしていた今泉清という人物が面白い働きをした。今泉は作家・司馬遼太郎のファンということだけで、面識のない司馬に江田三郎の進むべき道を勝手に相談した。司馬の話は明快で、「江田さんは孫のような若い人と手を組んだ方がいい」という答えで今泉は、そのまま江田に伝えた。-略-」

目次

この江田三郎の息子・五月関連のニュースがありましたね。

政治活動でキャバクラ利用 江田議長ら民主5議員団体(共同通信) - goo ニュース

いろいろな新党がありましたね。

たとえば、「民主新党クラブ」海江田万里、石井紘基など。

そして、民主党誕生。

敵失によって大幅議席増、1998年参院選。山一証券どが自主廃業……。

小泉ブームという逆風下、2001年参院選。

「小泉の構造改革には賛成だが、自民党とは対決する」
--改革といえば、何でもいいものではないだろうに……。
内容を吟味してもらいたいものだ。

2003年にすでに「高速道路無料化論」を掲げている。下「」引用。

「民主党は、枝野幸男政調会長を中心にマニフェストを作成し、シンクタンク代表・山崎養世のアイデア「高速道路無料化論」目玉に掲げる。-略-」

偽せメール事件」2006年。

「〈6〉 任期をまっとうできない民主党代表」

--政治スクールをもっているようだ。
「都道府県連ごとに企画・主催されているので、「大学校」「政治スクール」「政治塾」「リーダーズ・スクール」「政治セミナー」等呼称も様々であり、地域ごと特色のある政治スクールとなっている。」


民主党大学東京webサイト

女性が少ないので、女子大もつくらないといけないかもね?








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