磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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【Democracy Now! JAPAN】作られるうつ病 現代病の隠れた歴史

2010年06月30日 | 読書日記など
Democracy Now! JAPAN

作られるうつ病
現代病の隠れた歴史


うつ病は作られるのか? 抗うつ剤ができて20年。

悲しみはうつ病で説明されるようになりました。



年間で推定1400万人以上が重度のうつ病。

3千万人が年間100億ドルを抗うつ剤に費やします。



うつ病は医者と製薬会社が薬で治る病気として、つくり上げた部分も大きいと今日のゲストは言います。

--心理療法士のゲイリー・グリーンバーグ氏は、新薬の効果が偽薬と大差ないと新著で論じています。

米国の抗うつ剤革命を科学・医学・歴史・文化的に考察する。

『作られるうつ病 : 現代病の隠れた歴史』です。



偽薬を飲ませて改善があったように見えたという。

--医者に不安を打ち明けるのはちっともかまいません。

でも生化学的な病気だとされると、そのとたん、社会問題から関心がそれてしまいます。

アメリカ精神医学会はこれを徹底しどんな外的要因も認めない方向で、DSMと呼ばれるマニュアルからも排除している。





DSMは精神病の診察項目のリストです。

例えば死別による落ち込みは、2カ月以内ならうつ病と診断されません。

でも新版ではそれさえも例外事項から外すでしょう。

--家族を失えば、誰だってうつになりますが、それは病気といいません。

失業や離婚など他の社会的なストレス因子も同じです。

こうした外的要因と取り組むよりも精神医学会は例外を排除する方針だ。

そうなると医者は訓練されないので患者と話しても、無気力と社会環境の関連を掘り下げられなくなる。

--外的環境に注意を促されれば、人々はもっと積極的に行動を起こし、政治的に取り組むことが問題の解決に必要かもしれないと考え始めます。



--生化学ではなく個人の体験としてうつを語る人も出てくるでしょう。

【この数十年間で、うつ病の定義や処置はどう変わりましたか?】



100年ほど前に登場してから、うつ病の定義は変わり続けましたが、大きく変化したのは1973年以降です。

米国精神医学界を困惑させる一連の事件が起こりました。

例えば同性愛が病気でないと突然わかったことです。

--うつ病の診断はだんだんと他の要因から切り離されました。

フロイト流の精神分析からも、政治意識の高い心理学者が重視するような外部要因からも。

それにぴったりはまるのが、うつ病は生科学的という考えです。

外部環境や幼少年時のトラウマなどが原因でないなら、他に何がある?

原因は頭内のはずだとしてうつ病は脳疾患とされました。

--製薬会社はこの考えを文化のすみずみに広めました。

意気消沈は病気だという考えを1960年頃からまず医者たちに、次いで患者たちに吹き込んだ。

--マーケティングも巧妙でした。













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【絵本】花火の夜に

2010年06月30日 | 読書日記など
『花火の夜に-ARTBOX絵本新人賞-』
   佐々木貴行・絵文/ARTBOXインターナショナル2008年

図書館の説明文。下「」引用。

「今日はまちにまった花火大会の日。夏吉、風太、海ちゃんは、いな山にあるおばあちゃんの家で花火を見ようと計画しますが…。夏休みのワクワク、ドキドキ、忘れられない冒険の思い出がよみがえる楽しい絵本。」



作者のコメント。下「」引用。

「小学校の夏休みといえば、
学校とは違う友達の素顔が見られたり、
少し夜遅くまで起きて大人な気分になったり。
僕にとってはそれは特別で、不思議な時間でした。

この作品で花火を初めて見た時の
美しさ、あの時の感動を伝えようと思いました。-略-」

田舎の子どもが花火大会を楽しんでいる感じです。

子どもたちだけで見に行ったりしたもんですね……。








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【絵本】まほうの夏 のびのび・えほん 12

2010年06月30日 | 読書日記など
『まほうの夏 のびのび・えほん 12』
   藤原一枝、はたこうしろう・作/
     はたこうしろう・絵/岩崎書店2002年

まほうとタイトルにありますが、ファンタジー作品ではありません。



田舎の生活は、都会の子どもにとって、まほうみたいなものかもしれませんね……。

田舎の子はもっとディープだと思うけどなあー。







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みんなは知らない国家売春命令 新版

2010年06月30日 | 読書日記など
『みんなは知らない国家売春命令 新版』
   小林大治郎、村瀬明・著/雄山閣2008年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「終戦から13日後、政府の指導で誕生した
占領軍のための“性の防波堤”R・A・A
その設立から1956年の売春防止法成立まで、知られざる戦後
風俗史をレポートした名著を読みやすい新版として復刊」



--4度目の出版
初版1961年、再版1971年、三度目が1992年。

テレビや映画に……。下「」引用。

「-略-私がフジTV戦後五十年特別企画『女たちの戦争=忘れられた戦後史・進駐軍慰安婦命令』(平成七年八月十八日放送)、NHKTVスペシャル『敗戦、その時日本人は』(平成十年八月十五年)の二番組に取材協力、この著書が参考資料に活用されたり、あるいは日本映画学校藤得ゼミB班によるドキュメント映画『吉原=人間を生かす強い力・欲望の本質に迫る』製作にアドバイス(平成十五年五月十九日)などなど。」

外国にも……。下「」引用。

「さらには、『在日外国特派員協会での講演』(平成七年二月十六日)まで。-略-この講演、NYタイムス・ワシントンタイムス・ロンドンタイムス・AP・UPI通信社などなど、十数社が東京発で打電、紙面を英文で飾った。」

悲惨な運命……。下「」引用。

「当時、国民が敗戦のショックにあえぎ、深刻な食糧難に苦しんでいたとき、彼女たちは颯爽と焼け跡を闊歩したのであった。それが五年たち、十年たったとき、わたしたちの取材網にかかってきた彼女たちは
、ほとんどが悲惨な運命に打ちひしがれていた。実際の年令より十歳以上も老けてみえるものが大部分であった。」

『百億円の売春市場』橋本嘉夫(「国際親善協会」の人事面に関係したという)・著。下「」引用。

「「平和進駐であり、軍規厳正といわれるアメリカ兵であるから、よもや無謀な暴行沙汰は起るまいが、進駐が長期になれば、アメリカ兵のセックスは考えてやらねばならない。それはむしろ禁欲に由来する暴挙を抑えることにもなり、一般婦女子の危険を防ぐことになる」といっている。」

池田主税局長(のちの首相)の一声。下「」引用。

「池田局長は、いかにも大蔵官僚らしく、開口一番「金はいくらぐらいかかる?」と、単刀直入にきいた。そういう応対ぶりには慣れていないR・A・Aの幹部たちは眼を白黒させ、野本氏はテーブルの下から指二本立てて大竹氏の顔色をうかがった。野本氏としては二千万円のつもりだったのが、大竹氏は勘違いして「二百万円もあれば……」と答えた。それでも当時の物価から約千倍とみると、現在の二十億円になるのだが、池田局長は無造作にいった。-略-結局、五千万円ということで、。話がまとまり、三千三百万円が貸付けられたがね。やはり、池田さんは、そのころから大物だったわけだ」と語っている。」

「特攻隊のなぐり込み」 下「」引用。

「特攻隊の生き残りの若い将校が腰に昭和刀をぶら下げて半長靴のカカトを鳴らして踏み込んできた。「こんなことをさせるために仲間は玉砕していったのではないッ」と烈火の如く、怒鳴りあげる。かと思えば、いきなり日本刀の抜身をふりかざして「売国奴的事業をする奴を出せ。天誅を加えてやる」と暴れ回わる連中も一人や二人ではなかった。」

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慰安所第一号の小町園。

「戦争でおちぶれた元外務省高官の娘」

「ふとした夫の過ちから慰安婦になった警官の妻」下「」引用。

「もちろん、夫は内密だった。だが「ジープのよく止っている家」の噂は、たちまち広がった。夫の上司にも知れ、クビになってしまった。そうなると、貸間業に一層本腰を入れるようになり、失業中の夫には、兵隊が置いていったタバコ・石鹸などのヤミ売りをさせていた。-略-」

R・A・Aの卒業生が街娼“パンパン”と呼ばれたという。

メチャメチャな時代……。下「」引用。

「なにしろ、警察署の中でも、交番や警官やその家族が襲われるという特殊な時代であったし、日本は進駐軍に対して断固として処置をとれなかった時代のことで、いかに歯ぎしりしても、どうにもならなかった。四谷署事件の際、われわれにも、あれだけの権限と機動力があったらなア、としみじみと思いました。相手はジープで、こっちはいまにも動かなくなりそうな電車を乗り換え、テクテク歩くんですから、その差は歴然です。とにかくメチャメチャな時代でしたなア……」--警備本部でこの報告書をまとめたS氏の述懐である。」

日本軍用……。下「」引用。

「協会の幹部たちは、ストックしていた品物を持ち寄ってみたものの、それではもちろん足りっこない。弱り果てた業者たちは警視庁に陳情にやってきた。“何とかゴム製品を捜して下さい”というわけだ。奇妙な陳情に驚いたが、私たちはそれも国家の急務であろうと考え、捜索方針を検討した。そこはやっぱり餅屋は餅屋、たちまちゴム統制会がドサクサにまぎれて、多量の陸軍用を隠匿している事実をつきとめた。数えてみると百八万個もあった。-略-」

赤線……。下「」引用。

「警視庁がこの“集団的私娼”地域に、赤線で印しをつけたところから、「赤線地帯」の名前が生まれたのである。」

「売春業者に軍事裁判」 下「」引用。

「オフ・リミッツになったことを知りながら、占領軍の兵隊相手の売春をしていたこと、従来の営業形態をそのまま続けていたことが原因であった。悪質と認められた業者二十八人が軍事裁判の結果、それぞれ懲役一年、罰金二万五千円を言渡された。」

特攻隊員が客としてやってきた……。

おいらん道中……。下「」引用。

「このおいらん道中は、廃墟の中から赤線が復興し、全盛期を迎えつつあった業者たちの鼻息の荒さを示すものとして、記憶に残る出来事であった。」









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娘に語るお父さんの戦記

2010年06月30日 | 読書日記など
『娘に語るお父さんの戦記』
   水木しげる・著/河出書房新社1985年

19歳で赤紙。下「」引用。

「ある日突然、その「赤い紙」がお父さんのところへ舞い込んできた。よくみると、「召集令状」と書いてあった。
 いつかは赤い紙がくるとは思っていたが、きてみると、ばかに早すぎるような気がした。お父さんが満十九歳の時のこだ。-略-本の中には各人各様の意見があるばかりで、死への解決みたいなものはなにも得られないまま、死神レースのスタートに着かせられた感じだった。-略-」



隙間で寝る……。下「」引用。

「夜になると昼間のつかれで、そこらに寝る。明け方、小便に行って帰ると、もう寝る場所がない。わずかのスキ間に寝ていたから、わずかの時間でふさがってしまうのだ。初年兵だから、古兵どのにさわったりしただけで、なぐられるから、次の者が便所に行ったスキに入りこむ。-略-」

「やられたっ」 下「」引用。

「そんなある日、寝ているところへ低空、大きな翼の敵機のマークが木かげに見えたと思ったので、穴の中に入ろうと思ったが、体があまりいうことをきかない。そこへ爆弾。爆風とともに左手にショック、と同時に鈍痛。
「やられたっ」
と思っているうちに、痛みはだんだん大きくなり、ものが言えないぐらいになった。
 -略-もうダメだということになり小隊長が自分の血を輸血してやるといったが、悪いことに、血液型をわすれてしまっていた。「多分O型だったかもしれない」というたよりないことだったので、輸血はとりやめとなり、あくる日、軍医さんが七徳ナイフみたいもので腕を切断したが、その時はモーローとしていて、痛くなかった。」

マラリアの再発。

胃が強い……。下「」引用。

「一本残った手には、かさぶたのようなものができ、みるみる広がって箸をもつこともできなくなった。そこへもってきて、めしの量が少ない。一日に茶碗に二ハイぐらいの分量、お父さんは、なんとか胃を悪くして、空腹の苦しみからのがれようと思ったが、なかなか思うようにはいかない。生まれつき人の三倍も胃がいいのだ。」

ナマレへ。下「」引用。

「そのうち、ナマレという所に、手足のない者が集められることになり、ナマレという所へ行った。そのころは、大分元気になっていた。」

「なんとか更生会」へ。下「」引用。

「みんな傷痍軍人ばかりだった。どこでどう手に入れたものか、会長と称する小男が、カゴをたくさんもらってきた。金もないし、ごはんもないから、毎日、てんであるカゴを一個ずつもって、めし屋に行く。なんにもない時代だったから、不思議と、そのカゴが通貨の役目を果たし、一週間ばかりそれで食べていた。-略-」

美術学校で、一千万円ないと、絵かきになれないといわれたという……。

再び戦地へ。美少年トペトロが、中年のオッサンに変わりっていたという。著者も30年たって、かわっていたという……。






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