磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

女性セブン 2009年8月13日号 三宅一生さん「閃光の記憶」

2009年07月31日 | 読書日記など
女性セブン 2009年8月13日号

三宅一生さん「閃光の記憶」
64年間いえなかった


ニューヨーク・タイムズに掲載された記事。

日本の新聞などでも大きな扱いをうけていましたね。

Index

タイムズの関係者がこう言っていたという。下「」引用。

「実はこの文章はり、三宅さんがオバマ大統領宛に送った手紙です。その内容に感動したホワイトハウスが、“世界中の人に読んでもらいたい”と考え、ニューヨーク・タイムズに連絡したのです」

三宅さんの母は、被爆の影響で3年もたたないうちに亡くなられたとう。

やはり、寂しかったようだ……。

関係者のコメントも書かれてあります。

全3ページ。

三宅一生被爆を語る






index

もくじ





エンタメ@BlogRanking



岩波科学ライブラリー157 猿橋勝子という生き方

2009年07月31日 | 読書日記など
『岩波科学ライブラリー157 猿橋勝子という生き方』
   米沢富美子・著/岩波書店2009年

第五福竜丸事件や、放射能雨のことで貢献された猿橋勝子のことが書かれてあります。
--この人のおかげで、ガンの発生がおさえられて、無事いきている人がいることでしょう……。その人たちは、猿橋の名前すら知らないかもしれないが……。



「執筆までの経緯」 下「」引用。

「本書は、地球化学者・猿橋勝子(一九二○年~二○○七年)の評伝である。
 猿橋は、女性が理系の学問を追求する道が開かれていなかった時代に生きて、地球化学の分野で世界的な業績をあげた。さらに、後進の女性科学者を励ますために、「女性科学者に明るい未来をの会」を創立し、自然科学系の女性科学者を対象に「猿橋賞」を設けて顕彰する事業を、定年後に始めた。-略-
 しかし、その賞を設立した猿橋勝子の、「科学者としての業績」や「人間としての生き方」については、ほとんど知られていないのが現状である。
 そういう状況は残念この上ないので、評伝を書いて猿橋勝子の軌跡を多くの人たちに伝えようと考えたのが、本書執筆を企画した第一の動機である。-略-」

マイトナー「核分裂」実験の成功。下「」引用。

「ドイツのカイザー・ウィルヘルム研究所(現マックス・プランク研究所)の、リーゼ・マイトナー(物理学部門主任)、オットー・ハーン(化学部門主任)、フリッツ・シュトラスマン(マイトナーの助手)のチームが、殊勲者だった。しかし、マイトナーか女性でありユダヤ人であるという事実に、ハーンの功名心も加わって、核分裂発見におけるマイトナーの貢献は消された。-略-
 なお、マイトナーの功績は戦後になって復権された。一九六六年にはアメリカ合衆国原子力委員会のエンリコ・フェルミ賞を、マイトナー、ハーン、シュトラスマンの三人が共同受賞した。「核分裂発見に対する貢献」が受賞理由である。
 さらに、一九八二年には、マイトナーの功績を讚えて、原子番号一○九の元素が「マイトネリウム(Mt)」と名づけられた。」

しかし、倫理ぬきの評価ではないか?
--倫理ぬきの評価は異常でしかないとボク思う。

猿橋はこのような人間ではなかったようだ……。
--卒業生が軍関係のところに就職する時に、猿橋は軍がキライなので、給与のおよ半額の中央気象台に勤務。
老教授などは、猿橋に対して「非国民」といったそうである……。

微量分析の達人・猿橋勝子。 下「」引用。

「第五福竜丸が持ち帰った白い灰は少量したない貴重なもので、分担ごとに少しずつ配分されて、さまざまな検査に使われて、さまざまな検査に使われていた。化学分析に使える白い灰は、たかだが数粒である。
 化学分析を手がける研究者は、そのころも何人もいた。しかし、資料が極微量の場合は分析は困難で、誰にでもできるものではなかった。-略-
 当時この分野に、知る人ぞ知る「微量分析の達人」がいた。-略-」

index

平塚らいてうが派遣する。下「」引用。

「一九五八年六月にウィーンで開催される国際民婦連主催の第四回世界大会に、代表を送るための作業を平塚は始めた。
 まず、その代表にふさわしい人物について、平塚は専門家に諮問する。その結果、候補の一人として気象研究所の猿橋勝子の名があがった。猿橋が、原水爆実験に起因する放射性降下物の研究に携わっており、その業績が外国の専門家の間でも高く評価されていることを、平塚は調査報告書で知る。」







index






エンタメ@BlogRanking



現代の民話・戦争ってなあに4 びんた あめ あられ

2009年07月31日 | 読書日記など
『現代の民話・戦争ってなあに4 びんた あめ あられ』
   水谷章三・文/長尾みのる・絵/国土社1985年

軍隊生活を「いじめ」と書く人は多いです。
--もちろん、「いじめ」ている人たちは、そんなことを思いません……。
今もいっしょですね……。鈍感力の冷血漢たちですね。



内務検査……。下「」引用。

「十日にいちどか半月にいちど、きまって内務検査というのがあってね。つまり、兵隊の持ち物検査だ。きょうは内務検査があるとなると、そりゃあおおさわぎだ。」

命より大切な下着……。下「」引用。

「軍隊での持ち物は、武器はもちろん、軍服から下着、くつした、糸針のはてまでが、すべて天皇陛下がくだしたまわれた物であり、おれたち兵隊の命よりたいせつなんだ。ほんとだよ。」

命令には従わないといけないという。
二人ずつむきあって、ビンタしろという。
これを「いじめ」といわずして何を「いじめ」というのか?

古参兵……。下「」引用。

「おれたちなん人かの二等兵仲間が、とうちゃんとよんで、それとなくたよりにしていた一等兵殿がいた。軍隊生活はもう三年目という、つまり古参兵だった。」

馬のふけをめしに混ぜて、班長はひどい下痢をしたという。
人権や人道が失われた軍隊では、当然このようなことがあったであろう。

中国の前線で、負傷して内地に帰ろうと計画した古参兵。
塹壕から腕をだしたり、手をだしたりしていたが、当たらないので、気が大きくなって、立ち上がったという。下「」引用。

「とたんに、いっぱつ。ひたいのまんなかをぶちぬかれ、とうちゃんのからだはふっとんだ。それっきり、うごかなかったそうだ。」

判こ屋は、芝居をうって軍隊から逃れた。

「あとがき」 下「」引用。

「いじめは、子どもの世界の一手販売ではありません。その立派なお手本が、おとな世界にありました。
 より陰湿な、より残酷なおとな世界のいじめは、教育の手段として暗黙のうちに許されていました。軍隊や入隊してから三か月間の教育が、まさにそれだったのです。ある時期、日本軍が強かったとすれば、それは徹底的にいじめられたことへの怨みの強さと比例したのでしょう。」







もくじ

もくじ





エンタメ@BlogRanking



現代の民話・戦争ってなあに3 火の壁をくぐったヤギ

2009年07月31日 | 読書日記など
『現代の民話・戦争ってなあに3 火の壁をくぐったヤギ』
   岩崎京子・文/田代三善・絵/国土社1985年

日劇で風船爆弾をつくっていたという。
--手製のマヨネーズは、家庭科でならったけど、作るの大変だよね。



■目 次■
火の壁をくぐったヤギ  5
コックリさま  21
赤紙  35
防空壕  47
赤ずきんちゃん  61
密告  75
風船爆弾  91


体のよわい子供のために、ヤギを飼う……。下「」引用。

「ヤギのお乳はくさいんだよ。一度にたててにおいをとばすんだけど、それでもイチロウはいやがって、のまなかった。むりにのますとげりなんかしてさ。でも、そのうちなれてすこしずつイチロウの体重がふえだして、うちじゅうほっとしたもんさ。」

徴用工も、戦場へ。下「」引用。

「徴用工は兵隊にいかなくてもいいそだなんて、おとっつぁんたちは安心してんだどけさ、だんだんそうはいかなくなっちまったのさ。」

そして、ヤギは……。下「」引用。

「とんでもない命令が、軍からでた。
「イヌ、ネコは処分しろ。もし東京が空襲になると、火を見て、動物はあばれる。」
 ずいぶんらんぼうなはなしじゃないか。むだめしをくうイヌや、ネコは殺せてえのが、ほんねだったというからねえ。
 すると、おっかけて今度はニワトリ、アヒル、ヤギを飼ってはいけないと、いってきた。」

index

「密告」--えんこ疎開だと思っていたら、要領がよかった、たえちゃん。
たえちゃんは、手製のマヨネーズをつくり、村のみんなにも教えたという。
しかし、米を隠しもっていることが密告され、よそ者のたえちゃんは、村から追い出される……。

「風船爆弾」--日劇でつくっていたという。下「」引用。

「「風船爆弾は日劇でつくったんですよ。」
「日劇? 有楽町の?」
「そう、あの日劇さ」
「へえ、あたし、日劇ダンシングチームのさ、『秋のおどり』っての見たよ。あの日劇?」
「そうだよ。ほかにあるかよう。」」

index








もくじ

もくじ





エンタメ@BlogRanking



現代の民話・戦争ってなあに2 つばき地ぞう

2009年07月31日 | 読書日記など
『現代の民話・戦争ってなあに2 つばき地ぞう』
   宮川ひろ・文/石倉欣二・絵/国土社1984年

宮川ひろさんは、ずいぶん戦争について書かれていると思います。
--若いころ、読んでいた作家ですが、やはり歳をとると受け方も異なってきます……。



■目 次■
おこうあんねえ  5
絵ひがさ  21
さくら湯  35
つばき地ぞう  47
青い目のメリーちゃん  61
赤い足袋  75
一男さんのこと  89
あとがき  100


戦争の波……。下「」引用。

「何回も、「風っ子祭り」のもちをついて、久三も七郎も、りっぱな若者になったころ、山の村にも戦争の波がよせてきた。」

平和学というものがすすみました……。
平和といわれている時代にも、戦争の準備をする人たちもいます。
戦争をしようとするのは、天災ではなく、戦争は海ではありませんね。
人間がしようとするものですね。
……個人としては、やはり今ももろいものですが……。

鎮守さま……。下「」引用。

「村には、鎮守さまがある。神明さまに天神さまに、十二さまに庚申さま、水神さまにいなりさまに二十三夜さま、道祖神に地ぞうさまも辻つじにまつってあった。すべての神さまにまいってくると、かるく一時間はかかる。」

鎮守さまは、戦争から、われわれを守ってくれることはしないのか、できないのか?
--祈っていれば、それで善という考えはやめていただきたいものです。
それが民主主義の世の中でもあると思う。

年をとらない……。下「」引用。

「生きていれば、
六十八にもなっているはずだが、
二十一で別れたっきり、
年をとらねえ貞兄だ。」

まさにそうですね。
--わたしも、もう母の亡くなった歳をこえそうである……。

「青い目のメリーちゃん」 下「」引用。

「平和の使節だというアメリカの人形が、日本へおくられてきた」

index

「あとがき」 下「」引用。

「現代の民話の語り部になるつもりで、わたしが育ったころの、村のくらしを写していったら、それがそのまま、村の戦争を語ることになりました。」

民主主義の時代の現代の民話であってほしい……。








index



もくじ

もくじ





エンタメ@BlogRanking