磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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私たちは敵だったのか 在米ヒバクシャの黙示録

2007年06月30日 | 読書日記など
『私たちは敵だったのか 在米ヒバクシャの黙示録』
      袖井林二郎・著/角川文庫s55年

在米ヒバクシャ。
--この方たちもいろいろな方がおられることだろうと予測します。



ジャップとは、ヤンキーのように蔑視した言葉だという。下「」引用。

「真珠湾奇襲に成功した勢いをかって、日本の海軍が太平洋岸に上陸したならば、一○万を越す日系人はすべて日本側について、一せいに破壊活動を行うに違いない、「その前にジャップを片づけろ」--という声は、日本軍がアジアで破竹の進撃を続けるにつれてたかまった。」

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自ら住んでいる国が、祖国の敵国になったとしたら、どんな気持ちがするのだろうか?

あまりいい気分はしないことだろう。
「片づけろ」などとも言われるのですから……。

キャンプの米独の差。下「」引用。

「実さいの収容所生活は、いったんその立場を受け入れてしまえば、生命の危険はなく、最低限度の生活は保証されていた。その意味ではナチス・ドイツのコンセントレーション・キャンプとは決定的に違う。」


このような人たちが、今、北朝鮮の関係者がそうだろうとも思えます。

ボクには知りあいもいませんが……。

アメリカの収容所では拷問はなかったという。
しかし、噂ではそうではなかったようです。

二世の徴兵とは……。下「」引用。

「いわば、二世に対して回復された「民主的権利とは、射(う)たれて死ぬ権利だった」と、ミサ・ウェグリンはいう。」

日本に来ていた日系人たち。
国籍は日本にはいなく、アメリカ人と嫌われていたという。
同じ境遇の二世があつまり「日米百合(ひめゆり)会」をつくる。

また、戦勝国のアメリカでは、アメリカに忠誠を誓わなかった者たちが、日本は戦争に勝ったとボンさんにウソをつかれ、帰国。

収容所生活について二世たちは語りたがらない。それは強姦された女性に似ているという。

谷本牧師がメッセージを伝えたとき、日系の被爆者たちも喜んだという。


私たちは敵だったのか-在米ヒバクシャの黙示録-







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ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸

2007年06月30日 | 読書日記など
『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』
   ベン・シャーン(絵)/
     アーサー・ビナード(構成・文)/集英社2006年

ベン・シャーンが残した絵を、アーサー・ビナードさんが構成して文をつけた絵本です。



NHKテレビで放送されました。

アメリカ人画家の描いた被曝者 ベン・シャーン

ぼくの子供のころ。
核実験がおこなわれていました。

どこそこで、核実験があったから、放射能の雨がふるとニュースされたものでした。

ボクもそのことをテーマにして、短編もかきました。

今では、大ぴらにはされていませんね。

でも、お隣の国の北朝鮮であったとか……。

しかし、日本にまで放射能の雨がふったとは報道されなかったと思います。

アメリカは臨界前核実験などというのもやっています。

アメリカは核保有国としての、優越をもつために、核実験は停止したように思えてなりません。

貧しい国でも買える地雷は、なくした方がアメリカにとって有利と考えたのと似ていますね。

武器などというものは、なくなった方がいいとボクは思いますが……。

決して平和だけで、武器が禁止されるわけでもないと理解してもらいたいです。

そうでないと根本的な間違いをおかすことになるでしょう……。


この構成と文を担当された方もアメリカ人です。

2005年、『日本語ぽこりぽこり』小学館で、講談社エッセイ賞を受賞。

イタリアにもおられたことがあるそうで、イタリア語も話せるそうです。

「石に刻む線」というタイトルで、ベン・シャーンのことも書かれてあります。










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082 洗濯

2007年06月30日 | ライト小説
総理がコジキでコジキがソーリィー

三章、ノー・ファイトバック




082 洗濯


「あいつ、知恵つきやがったなあー。エスケープすることを覚えたみたいじゃん」
「ふん、そうだよなあー」

「ますます、おもしろくなったってわけだよ。今度は生け捕りまで、楽しめるってわけだよ」

「そういうもんですか……、そういうもんですよねえー」
鼻の下を人さし指をこすっている。

これも、また、頭をかくことと同意という人がいる。

もし、今度いじめられるのが自分になったら困るもので、あわせているだけなのだ。

「まあ、今日は明日を楽しみにして、ゲーセン(ゲームセンター)にでも行くか」
「ええ、いっすねえー」
三人は歩き出していく。


沙也加は、公園に来ていた。

ソーリィーたちは公園の水道をつかって、洗濯をしていていた。

「あっ、ソーリィー」

「あっ、いつぞやのお嬢さんですね」
と、気やすく声をかけあった。

「その後は、どうですか」
「どうってことないですよ」

「そんなことはないよ。また、ソーリィーは、自殺しようとした少年を助けたんですよ」
熊谷老人は嬉しそうに話した。

横の道をいく人たち、立派な格好をして、ネクタイをきっちりと締めているけれど、この中で自殺する少年を助けた人もそうはいないだろう。

いや、むしろ、見捨ててしまうのかもしれないなあー、この人たちはと思う。

「自殺しようとした少年?」

「そうだよ、三沢っていう少年だよ」

沙也加は自分の母校の後輩だときいて、さらに深刻な気持ちになった……。







閑話休題

自殺の名所が近所にできたり、

これほどの自殺数になれば、

もはや大手マスコミが伝えずとも、

口コミでも知ります……。

以前、日本では自殺は報道しない。

マインド・ウィルスをふりまくから……。

と政治家。

原爆時のアメリカのプレスコードを、

好都合とした同じ論理ですね。

そして対策はとらなかったと同然でした……。

マスコミも、あんなにセンセーショナルに

伝えるから、後追い自殺が出たとも思います。












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死んだ女の子 元ちとせ

2007年06月30日 | 読書日記など
ヒロシマ

死んだ女の子
元ちとせ


平和の歌、反戦歌、ヒロシマを歌う。

けっこう、直接に歌った曲は少ないかもしれないと思う。

けっこう難しいような気がする。

平和関連の歌をテーマにそって描くということは……。

この歌の歌詞はトルコの社会派詩人が書いたものを、

中本信幸が翻訳したという。

この曲を歌うのはむずかしいと思います。

元ちとせは、すごいね。

歌い込めていますね。

アレンジは坂本龍一。

この歌は高石友也さんも歌っていたという……。













歌詞

8月,広島を想う。元ちとせ「死んだ女の子」

元ちとせ

元ちとせ official website














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【これこそが芸術!】アメリカ人画家の描いた被曝者 ベン・シャーン

2007年06月29日 | 読書日記など
NHK 2007年6月29日
迷宮美術館 アートエンターティンメント

アメリカ人画家の描いた被曝者
福竜丸・久保山愛吉


1954年3月1日、ビキニ環礁、水爆実験。
死の灰をあびた第五福竜丸の船員たち。

1960年、「ラッキードラゴン」を発表。
福竜丸事件を描いた連作。
久保山愛吉さんが死に至るまでを描く。

20世紀を代表するアメリカの画家べン・シャーン(1898-1969)。
常に民衆の側にたち、社会問題を取り扱った画家。

なぜ、アメリカ人の画家が日本の悲劇を描こうとしたのか?
「悲しみ」と「怒り」の名作。

1898年、リトアニアに生まれる。
当時のリトアニアは独裁主義で貧困。
8歳の時移住。
移住してまもなく、家事。
命がけで、家族をすくう。
父は腕と顔にひどい跡を残す。
父は大工として懸命に働くも、貧しく石版工房に13歳で働く。

パリへ。セザンヌに憧れる。
しかし、違和感をもつ。
「フランスの芸術至上主義の絵は似あわない。
私にとって絵とは現実や民衆と切り離せないものなのだ。」

そんな時、新聞のニュース。
罪のない移民が殺された。
1920年、靴工場で殺人、イタリア人二人が逮捕される。
二人は戦争反対を訴えイタリアからの移民ということから、反政府主義者と証拠もないのに罪となる。
世界で助命運動がおこるが、死刑にされた……。

戦争に反対したというだけで、殺されていく。
憤りから、一気に作品をかきあげる。
「サッコとヴァンゼッティの受難」1931-32年。
それは、殉教者をえがくようにかかれた。

1939年第二次世界大戦。
シャーンにとって、許せないことであり、えがく。


【1945年8月原爆投下】
・シャーンは深い絶望にうちのめされる……。
「まるで自分自身が罪を犯したときのような罪悪感を感じる」
自分と同じアメリカ人がおかした罪を感じる……。

【第五福竜丸事件】
・ある事件の挿し絵の仕事が申し込まれる……。
 --それが第五福竜丸事件。
・久保山愛吉さんは、妻や子を残してこの世を去る……。

シャーンは衝撃をうける……。
繰り返させる原水爆の被害。

シャーンは挿し絵、40点をえがく。
依頼された数よりずっと多い。

2年後、シャーンはカメラを手に日本を訪れる。
帰国後、シャーンは再び筆をとり描く。

タイトルは「ラッキードラゴン」シリーズ。
出港前の港のシーン(焼津)からはじまる。
そして、シリーズ・タイトルになった「ラッキードラゴン」。
ベッドにすわる久保山愛吉さん。

「その日から」
久保山愛吉さんと娘を描く。
そこに文章がそえられている。
「お父さんはなんでこんなに黒いの?」
これが久保山さんが家庭にもどっての会話だったという……。

シャーンは語る。
「被爆で死亡した無線長は、あなたや私と同じひとりの人間だった。
彼、個人を描くというよりも私たちみんなを描こうとした。
亡くなる前、幼い娘を抱き上げた久保山さんは、
我が子を抱き上げるすべての父親だ。」

我が子を救うため、火の海にとびこんだベン・シャーンの父の姿でもあったという……。








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