磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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「被爆原因で独居」22% 読売新聞本社アンケート

2006年07月31日 | 読書日記など
読売新聞2006年7月31日
1面&30面

「被爆原因で独居」22%
結婚・出産 断念も
本社アンケート


「原爆投下から61年を迎え、被爆者の高齢化が進むなか、読売新聞は、一人暮らしの被爆者を対象に、戦後の生活に被爆が及ぼした影響や今の思いなどについてアンケートを実施した。22%が原爆が独り暮らしの原因と回答。差別や不安から結婚、出産を断念したことを理由にあげる人は少なくなく、一般の高齢者より独居率が高いとされる背景が改めて浮かび上がった。がん(17%)や白内障(47%)などの病気を抱えながらも、75%が「被爆体験を伝えたい」とし、積極的に語り継ごうとする強い意志も明らかになった。−略−」




「一人で生きた」
被爆、堕胎、離婚……
独居高齢者・本社アンケート



遺影の父・時次さんがのこした謡本を
手にする安部さん(東京都狛江市で)


「原爆に負けたくない」。読売新聞社が独り暮らしの高齢被爆者を対象に実施したアンケートは、心身に及ぶ苛酷な負担を強いられながら、賢明に生き抜く人々の姿を浮き彫りにした。差別を受け、放射線の遺伝への影響などにおびえながら、「二度と繰り返してはいけない」と訴える139人の言葉は、原爆投下から61年を迎える今も重い」

このようなデータもなくてはならないと思う。

しかし、この方も負けているだけではありませんね。

これからの社会は、ますます独居老人の社会と
なりうるだろうから、ここから学ぶことも
できるというわけですね。






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ヒロシマの記録 被爆30年写真集』

2006年07月31日 | 読書日記など
『ヒロシマの記録 被爆30年写真集』
    中国新聞社s50年

いろいろなことをレイアウトをこらして、
伝えている写真集です。



原爆に対する福祉で仏教やキリスト教の方は活動されていますが、神道の方は聞かないなあーと思いました。

神社に関する記事と写真がありました。(s20年)下「」引用。

「荒涼として焼け野原の中心部に胡子神社が再建されたのは十一月十八日。十九日、二十日の両日には懐かしいえびす祭りと復興祈願祭がとり行なわれた。破れ太鼓にまん幕、竹は田舎からとり寄せたにわか造営ながら、あまりにも早い復興に市民は「さすが商売の神様」と驚いたりあきれたり、隣の鉄骨の塊は小田政呉服店倉庫の残がい。左は福屋百貨店である。(10月18日・林寿麿氏撮影)」



ヘレン・ケラーの来日の写真と記事がありました(s23年)。



上の写真はs24年のゼノさんの記事にあったものです。下「」引用。

「「坊やいくつ。りこうそうだが学校は…」
「ピカドンで両親もたった一人の弟も死んだよ。ことし十五じゃが学校なんか行かれん」
「いつまでもクツみがきしていては偉くならんよ。しっかり勉強しないと…」
「小学校四年までいったよ。勉強はしたいが、まず食うことからだよ」
「ルンペンはやめておじさんのところへ来なさい。たくさんのお友達もいるし、神様のお恵みも必ずある」
厳寒の夜、長崎からのヒゲの神父が広島へやってきた。
駅頭に店?を出す原爆孤児を一人一人たずねて説得するゼノ・ゼブロフスキー神父。のちゼノ少年牧場(広島県沼隈郡沼隈町)をつくる。(1月8日)」


昭和24年に世界平和を願って断食する日本人女性がおられたようです。


日本ペンクラブ“広島の会”開く(s25年)という記事、宣言も発表されたようです。

日本のゴッホといわれる山下清が昭和31年に広島を訪問。下「」引用。




「放浪の画家、慰霊碑描く
暑い夏、山下清さんが親がわりの式場隆三郎博士(左)とともに原爆慰霊碑を訪れた。「建物はウソをかいはいけないから、どういうものかむずかしいな」「あの中に子どもが入って遊んだらしかられるかな。大人だったらしかられるね」とつぶやきながら慰霊碑を写していく。「何万人ものひとが一つの墓では感じが弱いな、墓はひとりが一つずつとどちらがいいかね。感じが強いからね」。(7月11日)」


一人ずつの墓を、平和公園につくったとした合成写真でも作成したら、敷地では足りないのでは?

でも、それだけのことがおこなわれたと同時に思いました……。

原爆スラムの大火の記事と写真がありました。




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【新聞記事】1年1組が原爆劇熱演 1981年2月26日 

2006年07月31日 | 読書日記など
毎日新聞1981年2月26日

“戦争”を知ろうと
東京・町田市の和光中
1年1組が原爆劇熱演
読書会、文化祭など重ね
“ヒロシマ”を考える姿勢学ぶ


「戦争を知らない子どもたち」が、少しでも戦争を知ろうと“原爆”をテーマに話し合ってきた。読書会、文化祭、そして、その総決算として、この十四日には、被爆した少女と弟を主人公にした劇を上演した。東京・町田市の市立和光学園中学校(丸木政臣校長)一年一組の四十二人。戦争や平和を真剣に考える姿勢、力を合わせることの大事さ……生徒たちは上演までに、さまざまなことを学んだようだ。-略-」


1年1組の生徒は全員で「花火」上演に取り組んだ


それにしても、しぶい学校です。
公害病テーマ一年二組「枯れない葉」(宮階延男・作)
人種差別二年二組「黒い太陽」(林黒土・作)

まあ、指導されている先生方の教育方針というのも、
大きく影響することでしょうね。

僕の小学校の時もそうだった。
僕はだから、政治と関わる人とは、
関わりたくないと強く思っています。
この学校の先生はどうかわからないけど……。

この学校の井原先生のことも書かれてあります。
「アドバイスを続けてきた井原先生は、「子どもたちは一言を与えるだけで、おとなには考えられない根気と情熱で取り組みます。文化祭の“原爆の子の像”の版画作りなど、すごかったですよ」と現代っ子三無主義説に異議をとなえ「ただ、放っておくとつい安易な娯楽だけに流れてしまいやすいので、そこを教師が支えてやらなくてはいけないのではないでしょうか」と語っている。」

今の受験戦争を勝ち抜いてきた学校の先生たちに、
こんな指導はできるのか疑問ですね。

今は、「安易な娯楽に流れてしまう」
これは教師もそうではないかなあ?
まあ、マスコミもそうでしょうね……。

先ほど、ラジオのニュースで、「摂理」という
カルト教団に2000人の東大、筑波大学などの
優秀な学生たちが入っていたという。


どんな教育をされたのでしょうか?
これはオウムの時にも言われたことですね。

人間としての大切なことを
教えていたら、そんなカルト教団に
入るとは思えないです。








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科学大国アメリカは原爆によって生れた

2006年07月31日 | 読書日記など
『科学大国アメリカは原爆によって生れた
    巨大プロジェクトで国を変えた男』
      歌田明弘・著/平凡社2005年

原爆をつくった父はオッペンハイマーといわれてますが、
この本の主人公V・ブッシュは原爆計画をつくった男といわているそうです。
また、「情報科学の父」とも言われている人物だそうです。

  

この本の主人公・ブッシュについて、この本ではこう説明されている。
下引用「」。

「大統領のかたわらにいて、プロジェクトを始動させ、その完成まで上層部で計画を導いた人間がいた。MITの副学長からカーネギー研究所長に転身した科学者ヴァニーヴァー・ブッシュである。」

V・ブッシュ「自由であるためにはアメリカは強くなけければならない。そして強いアメリカであるために科学が必要だ」

このことはクリントン大統領も支持していたという。

V・ブッシュの父は、ユニヴァーサリズムの牧師。
また、コンプトン兄弟の父は長老派の牧師であったという。

エンリコ・フェルミはイタリア人で「適性外国人」という
わけであるが、計画に組み込まれた。

しかし、軍のセキュリティ政策では、
身元調査の行き届かない外国出身者は信用せず、
必要な人間だけを使ったという。

あまりにも莫大な資金をつぎこんだため、
戦後調査を恐れたという。

「原爆はカミカゼ」といった日本政府の高官が
いたというのが信じられないことでした。

メメックス」をV・ブッシュは考案した。
彼はエッセイとして書いたらしい。








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とべ・千羽鶴

2006年07月31日 | 読書日記など
『とべ・千羽鶴』
     中本たか子・著/青磁社1988年

・「厳しい冬」
・「きのこ雲の遺産」
・「春まだ遠く」
・「とべ・千羽鶴」
・「ルポルタージュ 未来はここに」
の短編五作品。



・「厳しい冬」
 原爆乙女が登場します。下「」。

「彼女は顔半分にケロイドがありも、五十歳すぎた今も尚、結婚しないでいる。そして、ミシンの縫製で生活していた。」

原爆の認定された方の数が少ないという、
ニュースがありましたが、この小説では、
認定されなかったことが記載されています。同。

「あや子は昨年(五十八年)七月に再入院したときに、厚生省へ、原爆医療の認定申請をだした。その認定が下りるのを、今日か今日かと待ちつづけて、実に七ヵ月にもなった。そして、ことし(五十九年)二月十日になって、やっと厚生省からの手紙をうけとった。彼女が間借りしていた観音本町の藤田ユキが、病院までもってきてくれたのである。
 -略-封を切った。封書の中からでた一枚の便箋にはいとも簡単に、
「……原子爆弾被爆者医療審議会の本件に係る疾病は認定し難いとの意見に基づき、却下されたので通知する。(理由)申請に係る疾病は原爆放射能に起因する可能性は否定できると考えられる……云々」
 あや子は便箋をみつめていてた眼がくらみ、手がふるえて、ついにその紙片をとりおとした。」

かなり辛かったことだろうと思います。
お国とは官僚とその周辺の人たちのようですね。
今も昔も……。

がんの手術の記載があります。同。

「あや子が麻酔からさめると、医師は、
「悪いところは取り除いたので、よくなります」と言った。
 二ヵ月くらいして、あや子は退院した。彼女はこれでもうっかり治ったと思って、方々に病気快復の通知をだした。
 それが先方に届くかとどかないうちに、彼女の腹部にひどいさしこみがおこり、我慢ならなくなって、再び前の記念病院に入院した。」

僕は父のことを思い出しました。
手術は成功したと、執刀医は喜んでいました。
でも、やはり無茶な手術でした。
がんの手術はその時だけで、
成功とはいえないように思えます。

「きのこ雲の遺産」
原爆小頭症のことが書かれてあります。


「とべ・千羽鶴」
この作品は、佐々木禎子とは関係がありません。
こんな記載がラストにあります。同。

「正面にかざったかおるの写真のそばに、高校生たちからおくられた千羽鶴がかけられた。かおるのそのつぶらな瞳は、千羽鶴たちに呼びかけているようだった。翔べ、核兵器廃絶の希いをもって、全世界に……。」



「ルポルタージュ 未来はここに」
ソ連の平和運動の方のことが書かれてあります。
これでも、イデオロギーの問題ではないと思います。
人道の問題だと思います。命の問題だと思います。同。

「ソ連平和委員会の会員で、科学者でもあるという人がたちました。日本語が達者で、通訳なしで話しました。チェルノブイリ原子力発電所のことについて話しました(この大会では、しばしば、チェルノブイリの原発事故は人々によってとりあげらました)ソ連の平和うんどうは、官製のものでなく、ソ連市民がおこなうもので、ヒロシマ・ナガサキにはつねに思いをよせている。そして、今年は国際平和年であるから、九月一日を平和の日とし、学校で平和授業をすること、それにはヒロシマ・ナガサキをもりこむと話しました。又、ソ連は核兵器実験の一方的停止を約束し、実験のモラトリアム(一時停止)をおこなっている。ソ連は、すべての核兵器廃棄を願っている--と話しました。」




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