磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

影の学問窓の学問

2007年01月31日 | 読書日記など
『影の学問窓の学問』
   C・ダグラス・ラミス(著)/加藤永都子ほか(訳)/晶文社1982年

この本を読んでいて、ジョン・レノンのアルバム『心の壁、愛の橋』を思い出しました。
影の学問というのは、心の壁。窓の学問は愛の橋といっていいかとボクは思います。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「 規律や権威に服従し、自分を押さえつけて勉強するようなとき、学問は抑圧にかわる。プラトンの「洞穴の神話」を思いだそう。壁にうつる影を世界と思いこんだ“影の学問”に、現実の世界を批判する力はない。買物文化、女性学、核と平和、英語教育、近代化論、金芝河裁判などを論じて、厚い壁に穴をうがち開かれた“窓の学問”にいたる道をさぐる。
 私が窓の学問として描いたものこそまさに、市民を、権威に屈せず、責任と自信をもって政治的決断を下す立場におくものである。われわれの社会が、その歴史との関連で(過去への窓)、ほかの社会との関連で(ほかの国々への窓)、われわれが考えうる最上の思想との関連で(ユートピアヘの窓)、どのような位置にあるかを見る助けとなるような種類の学問である。       C・ダグラス・ラミス」


この「影の学問」とは、プラトンが語ったようです。下「」引用。

「この話はプラトンの洞穴の神話を現代に置き換えたものに他ならない。一生を洞穴の中で過ごし、壁に映った影しか見られない人びとのことを想像してみたまえ、とプラトンは言う。そこでは人は、影が「全世界」であると考え、影の学問といったものを発展させ、影の現われ方に示される秩序とかその間の関係といった事柄を語る専門家となるだろう。影から目を引き離して洞穴を見回す人を想像してみたまえ、とプラトンは続ける。まず彼は光の眩しさに目がくらみ、混乱に落ち込むだろうが、やがては状況を把握し、他の人たちが見ているのは影でしかないことや、その影がどうしてできるのかを理解するだろう。洞穴の出口に通じる道を歩み、陽光の中へ足を踏み出すのが、彼にとっていかに苦痛かを想像してみたまえ。最初は彼の目には何ひとつ見えないだろう。そしてだんだんと大地や木々や空や太陽そのものまで見えてくるのだ。彼が洞穴へ戻り、人びとに自分の見たものを説明しようとするとき、彼に何が起きるかも考えてみたまえ、とプラトンはさらに続けて言う。彼の語る言葉は他の人には何の意味も持つまい。あげくのはて影の学問に対する興味だけでなく能力も失い、暗闇でつまずいた愚か者にしか見えなくなるだろう。彼があくまで仲間を旧い知識から解放しようとするなら、結局は殺されてしまうだろうとプラトンは言う。
 言うまでもなくプラトンの師であるソクラテスは、「青年を頽廃に導いた」としてアテネ人によって死を宣告された。」

長い引用になりましたが、実に大切なことを書かれておられると思います。

平和といいながら、影の学問、心の壁をつくりあげようとするイデオロギーの方たちもいます。
相手の立場など考えずに、自らを膨張させていこうともくろんでおられる方たちです。


核アレルギーという言葉はおかしい。
それは、核で生残る人はいないからだという。


この含蓄の深い本は、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。








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イノセント・ボイス

2007年01月31日 | 読書日記など
WOWOW

イノセント・ボイス
12歳の戦場


まったく、12歳で戦場。

兵隊にされるんかいなあ! 

むちゃくちゃや! (`O´)

ゲリラちゅうのは、非人間的やなあー! (`O´)


ところが、テレビを見ていると、ゲリラではなく、政府軍でした。(-_-;)

そして、その小さな子どもを兵隊として鍛え上げるのは、ベトナム帰りの米兵とか!

そして、アメリカ政府は巨額の軍事援助もしているとか……。


政府軍が正しくなかったようです。(-_-;)

強制的に兵士にしているのは政府軍で、ゲリラは子供の意志のようでした。(-_-;)


日本には『勝てば官軍』なんてことをいう人もいますが、そうとは限らないと思います。


こんなひどいことをしているから、米国は南米包囲網といわれる反米をされているわけですね。



第2回「格差からの脱出」


しかし、民間のアメリカ人はこの少年を支援もしたし、この映画の制作も手伝っていますね。

日本では反対の考えの人がいれば、潰されます……。

まだ、アメリカの方がましかもしれませんね……。


今も40か国、30万人以上の子供たちが−−力づくで兵士にされています。と、字幕。













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101PCもできる

2007年01月31日 | ライト小説
アカネさんシリーズ001
恋のタイムマシーン

十、アンパンじいちゃん



101PCもできる


「できない小一郎か! 名文句ね!」

「それもいうなら、できない子ほど、かわいいでしょう!」

と、小一郎はいう。

「おばあさん、一回だけだよ。ぼく、これから授業に行くんだからね」

「わかった、わかった」

学校か、こんな姿で行くこともできないと茜は思う。

事務所にオセロを借りに行く。

事務長はパソコンを昼休みだというのに、叩いている。

「何をしているの」

「ああ、データ・ベースをつくっているのですが、よくわからないんですよ」

「どこが、あの……」

横で二人の会話をみていた小一郎には、何のことか、わからないことを事務長はいう。

それに応えて茜は難しいことをいう。

「つまり、桐というのは、データ・ベース・ソフトですけど、それだけを考えて使っていたら、宝の持ちぐされというわけです。様々に使えるのです。日本管理工学の松というワープロ・ソフトなどとも互換性がよく……」

まるで、茜はインストラクターのようだ。

それにしても、皺がいっぱいのインストラクターだな! と小一郎は思う。

「そうですか。こうすれば、住所録になるというわけで、それにここで、こう設定すると、年齢とか町名を指定できるわけですね」

「そうです」

「それにしても、あなた、わたしより、ご高齢だと思いますのに、よくご存知ですね」

なにが、あなたより、ご高齢よ!

わたしはまだ、二〇歳よ!

華(はな)の二〇歳よ!








閑話休題

10代がつくる平和新聞」が、

はじまったようです。

美保シバさんの記事もあります。

美保シバさんはフランスで、

平和活動をされていますね。

これこそ、美しい日本の心ですね。

日本でも著作物が刊行されています。

折り鶴は世界にはばたいた

「とも子の冒険」

ババロン伝説

番号のいれずみ

392 核実験とフランス人

10代に期待ですね。

長崎の子どもたちだけでなく、

広島の子どもも、関西の子どもも、

日本全国、世界の子どもたちに、

がんばってもらいたい。











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ありがとうございます。




















私の履歴書

2007年01月30日 | 読書日記など
『私の履歴書』
   田中耕太郎・著/春秋社s36年

この著者は最高裁判所長官であり、カトリック教徒であった方です。
この方も永井隆博士の如己堂を訪問されたことがあります。
それが書かれてあるのは、『長崎の花(下)』「実力」、「道具」です。



出身は佐賀県といいます。江藤新平も佐賀県でしたね。

近代日本の最初の法律をつくった方といってもいいのが、江藤新平ではないでしょうか?

しかし、詳しく書かれており、佐賀県は両親の出身地であり、生まれたのは鹿児島県という。

著者の父のことも書かれており、南画をされてもおられたという。下「」引用。

「父は多くの青年の例にならって、「青雲の志」をいだいて郷里を出て、まず福岡の玄洋社、次に京都の草場塾で学んだ。京都では南画をある程度までやったが、眼疾のために漢学に転向した。しかし、漢学は父を満足させることができず、同輩(後年の膳鉦次郎判事)に煽動されて、法律の勉強のために上京し、旧藩主の多久乾一郎男爵の玄関番をしながら速成の司法省法学校に通った。」


そして海外でも生活をされます。

パリでの生活。知人の大沢はロマン・ロランを訪ねて感激していたという。

カトリック改宗されたという。永井博士と同様伴侶がキリスト教徒であられたようです。

「法と宗教と社会生活」という本を出版。下「」引用。

「 この本(※「法と宗教と社会生活」)が当時マルクス主義関係の書物の出版に力を入れていた改造社から出たことは皮肉である。またこの本がマルクス主義を批判しているので、文部省が良書として推薦し、十年ほど経てから、極右からの攻撃によって推薦書のリストから黙って除いてしまったことも皮肉である。蓑田胸喜一派は、この書の中に私が学童の神社団体参拝を憲法の信仰自由に反することを論じているのをとり上げて、非国民としてはげしく攻撃した。」



満洲事変が勃発するや、学問を追求されている方たちにも学問の自由を奪われる時代となりました。

この時代の学者は今の学者よりも、まじな方が多かったように、私には思えます。

そして、今にも通じることを書かれています。下「」引用。

「要するに、裁判批判として許容されるものは、純然たるアカデミックな性質のものに限られるのである。」


今のマスコミはひどいと思いますね。

不二屋も、これだけ苦情があったのなら、記事になっていて当然だったのではないでしょうか。

一度、火がついたら、大変なものですね。

また、フジテレビの「あるある……」も、パッシングが激しく、ラジオをきいている方の投書でも非難されています。

しかし、非難されているテレビ局なども、プルサーマルが危険なことは語られないですね。

納豆やレタスでは人は死なないのではないでしょうか?









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【原爆絵本】こぎゃんことがあってよかとか 1945.8.9 ナガサキのあの時

2007年01月30日 | 読書日記など
『【原爆絵本】こぎゃんことがあってよかとか
   1945.8.9 ナガサキのあの時』
     寺山忠好(絵と文)/ウインかもがわ2005年

絵の下に文章がつけられています。
それだけでなく、【絵の解説】も寺山忠好さんがかかれています。



寺山忠好さんは1930年生まれで、学徒動員で大村の海軍工廠に。

製図の実習中、原爆投下。

夕方7時ごろ、長崎が燃えている。

悲惨な光景を絵にされいてます。

多くの苦しみや悲しみ、
ことばで言い尽くせないことが、
えがかれています。

自慢の井戸も、使用できず。

知人の死、死、死……。

遺骨はひしゃげたバケツに……。

川原に投げ落とされた遺体が山になり焼かれた。


“ああ、焼跡に白い花”


この絵は、2004年11月17日、
大阪地方裁判所で、「原爆症認定集団訴訟」で、
資料として紹介されたようです。
法廷は静まり帰り、裁判官席、原告席はもちろんのこと、
被告席も、あまりの衝撃にことばもない状態。
と、尾藤廣喜(近畿原爆症訴訟弁護団幹事長)が、
文章を寄せられています。

寺山忠好さんは、京都市在住のようで、
『京都原水爆被災者懇談会世話人』を
されているようです。

こんなこと絶対にあってはならない……。






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