磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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もくじ ディープ本(龍馬)など

2010年01月31日 | TOP【もくじ】
もくじ ディープ本(龍馬)など


坂本龍馬-隠された肖像-

坂本龍馬・青春時代

龍馬の金策日記-維新の資金をいかにつくったか-

坂本龍馬知れば知るほど

龍馬を読む愉しさ-再発見の手紙が語ること-

25通の手紙で読む竜馬の肉声

坂本龍馬進化論

史伝坂本龍馬 増補改訂版

坂本龍馬-維新前夜の群像 2-

竜馬追跡

座談会「竜馬・人と時代」

異聞・珍聞竜馬伝

明治維新と坂本龍馬

坂本龍馬の魅力学

坂本龍馬のすべて

坂本龍馬

クロニクル 坂本龍馬の33年

坂本龍馬読本

坂本龍馬事典-虚構と真実-

坂本龍馬大事典 コンパクト版

坂本龍馬 海援隊始末記

【その他】

坂本竜馬の手紙

私説 坂本龍馬

七人の龍馬-坂本龍馬名言集-




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もくじ 岩崎弥太郎

2010年01月31日 | TOP【もくじ】
もくじ 岩崎弥太郎


日本一の「死の商人」といわれる三菱の創業者とは思えない、意外に好人物のめんが多い……。

龍馬の夢を叶えた男岩崎弥太郎

龍馬を継いだ男岩崎弥太郎 アスキー新書 133

龍馬と弥太郎長崎風雲録

岩崎弥太郎不屈の生き方-「三菱」の創業者-

岩崎弥太郎「三菱」の企業論-ニッポン株式会社の原点-

岩崎弥太郎伝-土佐の悪太郎と明治維新-

【小説】

暁の群像-豪商岩崎弥太郎の生涯-上

暁の群像-豪商岩崎弥太郎の生涯-下

龍馬「海援隊」と岩崎弥太郎「三菱商会」

岩崎弥太郎

龍馬と弥太郎

巨人 岩崎弥太郎 上

巨人 岩崎弥太郎 下

岩崎弥太郎 上 人物文庫

岩崎弥太郎 下 人物文庫

【一部のみ】

NHK 歴史への招待 29

政商の誕生-もうひとつの明治維新-

坂本竜馬その偽りと真実-なぜ、暗殺されなければならなかったのか-

天翔る龍 坂本龍馬伝

司馬遼太郎全講演 第2巻

龍馬の金策日記-維新の資金をいかにつくったか-

持丸長者-日本を動かした怪物たち-幕末・維新篇

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坂本竜馬その偽りと真実-なぜ、暗殺されなければならなかったのか-

2010年01月31日 | 読書日記など
『坂本竜馬その偽りと真実-なぜ、暗殺されなければならなかったのか- 静山社文庫 Aほ1-1』
   星亮一・著/静山社2009年

この本で目新しかったのは、龍馬と小松帯刀との関係ですね。
--この二人なら、意見はあうだろうなあーと思いました……。



坂本家は、長男の分家だった……。下「」引用。

「しかも龍馬の生家は、長男が継いだ分家だけに本家と同格だった。龍馬のものおじしない態度は、こうしたこことと無縁ではない。」

龍馬の姉・乙女が来ると、男たちは道をあけた。

息子を遊学させるために山林を売った岩崎弥太郎の父。下「」引用。

「地下浪人にとって息子を江戸に遊学させることは大変だった。父は父祖出来の山林を売却し、これに宛てた。」

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司祭・沢辺琢磨……。下「」引用。

「龍馬は琢磨を逃亡させた。琢磨はなんと蝦夷地まで逃れ、沢辺琢磨を名乗り、ロシア正教のニコライの下でハリストス正教会の設立に加わり、司祭になる。」

板垣退助……。下「」引用。

「板垣の生家は三百石を支給された馬廻約の家柄だった。家老、中老に次ぐ上士である。龍馬や半平太とは家格が違っていた。
 その割には狭量で極端に潔癖な男だった。手を洗う際に手桶一杯の水を使い、旅するときは、箸と茶碗を持参した。
「とてもつきあいかねる」
 龍馬は、好きになれなかった。」

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井筒屋の娘だったお龍。下「」引用。

「お龍は京都西陣有機織物匠・井筒屋の娘で、少女時代に京都の医師で公家の中川宮家侍医(じい)・楢崎将作の屋敷の行儀見習いに上がった。その才気を見込まれて養女になった。
 楢崎は安政の大獄で連座して獄死したため、お龍は養母と義理の妹や弟を抱えて苦労し、働いているときに龍馬と知り合った。」

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小松も西郷と同様……。下「」引用。

「西郷は若い頃、農民をいかに処遇し、国を富ませるかを実地で学んだ人物だったが、小松も同じだった。肝付家や小松家は領主であり、領内には戦国時代から続く家臣や農民がいた。」

「小松も龍馬も反倒幕派」 下「」引用。

「-略-小松の考えは、西郷や大久保とは若干、ニュアンスが異なっていた。
 小松は長州と密約を交わす一方で、一橋慶喜とも昵懇(じっこん)の付き合いをしていた。」

龍馬の暗殺と小松の失脚、関連ありか?

坂本家記念館長・森健志郎館長(元高知新聞)。下「」引用。

「会津が龍馬を殺したと言われていますが、どうも納得できないのです。あの時点では、龍馬も幕府も含めた新生日本を考えていた。その龍馬を会津藩主が殺せと言うのだろうか。どうも納得しにくいのです-略-私は薩摩が龍馬を暗殺したと考えています。黒幕は西郷隆盛、実行犯は中村半次郎でしょう」
 と、森さんの歯切れのいい感想を述べた。」










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誰が坂本龍馬をつくったか

2010年01月31日 | 読書日記など
『誰が坂本龍馬をつくったか』
   河合敦・著/角川SSコミュニケーションズ2009年

裏表紙に書かれてあります。下「」引用。

「土佐の郷士出身の坂本龍馬が、なぜ日本を動かすほどの偉人となりえたのか。-略-勝海舟、河田小龍、横井小楠、松平春嶽といった当代きっての知識人との交流があった。そして彼らは治部の考えや夢を龍馬の語り、龍馬はそれを実現させていった。彼らが坂本龍馬という男をつくつたと同時に、彼らにできないことを龍馬に託したのだった……。」



「はじめに」で書かれてあります。下「」引用。

「-略-はじめから偉大な人間なんて、この世には存在しない。
偉人というものは、人によってつくられるのである。」

そういう意味のつくられたという意味でしょうね……。

「夜空に流れた火の玉」 下「」引用。

「黒船が浦賀沖に停泊していたときの深夜、江戸湾上空ににわかに閃光が走った。真っ赤な楔形(くさびがた)の尾を持った巨大な青色の発光体が、夜空を切り裂いて北東に向かって一直線に飛び、水平線へと消え去ったのである。」

乙女の服を着て歩いた龍馬。下「」引用。

「あるとき龍馬が土佐城下の鏡川に夕涼みに出かけた。すると、すれ違う人がみな、龍馬を見て笑う。気にせずに歩いていると、途中で出会った友人が、「龍馬、おまんの服はなんじゃ」と呆れて言った。-略-しかも、龍馬はその後もその格好のまま散歩を続けたというのだ。」

龍馬には、最高の時が来るまでじっと待つ度量があったという……。

怒る龍馬。下「」引用。

「幕府が文久三(一八六三)年に発令した攘夷決行命令にしたがって、長州藩は下関を通過する外国の艦船が砲撃した。怒ったアメリカとフランスの艦船が仕返しにやってきて、下関の砲台を破壊。フランス軍は下関に上陸して長州藩を震撼させた。この事件のさなか、幕府が下関で被弾した列強の艦船を、江戸で修理してやっているとの噂が流れた。これに龍馬が怒っているのである。
 この噂に関しては、龍馬の師・勝海舟も日記にこう書き残している。
「長州で戦った外国船を横浜で修復させるとともに、負傷者を療養させるなど、外国人に手を貸しているのは、幕府保守派が外国人を利用して薩長両藩を討たせるためだとする専らの風評だ」-略-」

「天下一の大荒くれ先生」=姉・乙女。下「」引用。

「「天下一の大荒くれ先生」とは、自分を見捨てずに育ててくれた乙女本人のことである。ずいぶんな言いようだが、龍馬なりの姉への敬愛の情が込められている。」

河田小龍自身が『藤院略話(とういんりゃくわ)』で龍馬との出会いを書いているという。

饅頭屋の長次郎。下「」引用。

「長次郎の自宅は坂本邸から一五分ほどのところにあったので、暇さえあれば訪ねて行って龍馬と国事を語り合い、坂本家の蔵書の軍書などを読みふけったという。
 やがて龍馬の江戸の土産話に刺激されたのか、長次郎も江戸に出て一流の学問を修めたいと思うようになる。だが一介の饅頭屋では遊学費を出す余裕はない。」

「刀の柄(つか)売って遊歴を続ける」龍馬。下「」引用。

「-略-文久二(一八六二)年六月一一日、大坂に姿をあらわし、翌月、京都に立ち寄っている。ここで江戸からの帰郷途中、病気になって京都滞留を余儀なくされていた同志の大石弥太郎と再会する。
 このとき龍馬の刀には柄頭がなく、白い布でぐるぐる巻いてあったという。大石が不審に思って聞くと、「売った」とこともなげに答えたそうだ。脱藩後、龍馬は金銭的に苦労しながら九州を遊歴していたわけだ。-略-」









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坂本龍馬-日本を近代国家へと導いた桁違いの男- カラー版徹底図解

2010年01月31日 | 読書日記など
『坂本龍馬-日本を近代国家へと導いた桁違いの男- カラー版徹底図解』
   榎本秋・著/新星出版社2009年

学研とかのオールカラーの参考書に似ていると思った……。



挿し絵に劇画がいっぱいあるけど……。

龍馬は劇画にあわないと思える……。

新撰組とか、勝海舟ならあいそうだけど……。

でも、こういう絵の好きな人もいるだろうなあー。

岡田以蔵。下「」引用。

「人々が恐怖した、伝説の人斬り。
 江ノ口村出身の土佐藩士。城下にある武市瑞山の道場で一刀流を修行し、砲術は徳弘孝蔵に学んだ。瑞山に随行して江戸に出ると、桃井春蔵に入門して鏡新明知流を修行する。-略-」

人斬り以蔵も、砲術を習っていたのか……。

「図解1 海外から伝わったもの」
電信機
顕微鏡
六分儀
蒸気機関(大人がかけられる模型 : ペリー、プチャーチンが持ち込む)
が、イラストと説明文があった……。

「◆幕末の四大人斬り」下「」引用。

「しかし、幕末の動乱期にはこれらの剣術が凄惨な悲劇を生んだ。京都を中心に「天誅」の嵐が吹き荒れ、岡田以蔵、田中新兵衛河上彦斎中村半次郎(桐野利秋)などの名だたる人斬りを生んだ。新撰組も人斬り集団としてその名をあげた。彼らは大義のために剣を血で染めたのだろうか。だが、多くの人斬りもまた生を全うできなかった。因果応報というべきか。」

人斬りでは、いい世の中には変えられないだろうなあー。

政情不安のひどい世の中には変えられるだろうが……。





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