磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

Index 劣化ウラン弾

2008年03月31日 | TOP【もくじ】
Index 劣化ウラン弾



ウラン兵器なき世界をめざして-ICBUWの挑戦-

ユーゴ空爆で使われた劣化ウラン弾が人々を苦しめている

放射能兵器劣化ウラン 核の戦場ウラン汚染地帯

真実を聞いてくれ-俺は劣化ウランを見てしまった-

知られざるヒバクシャ-劣化ウラン弾の実態-

ヒバクシャになったイラク帰還兵

マンガ版劣化ウラン弾 人体・環境を破壊する核兵器!

戦火の爪あとに生きる-劣化ウラン弾とイラクの子どもたち-

ぼくは小さな灰になって…。

イラク湾岸戦争の子どもたち-劣化ウラン弾は何をもたらしたか-

小学館文庫 イラクからの報告-戦時下の生活と恐怖-

イラク占領と核汚染

内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-

核軍縮・平和-イアブック 市民と自治体のために-2005

■写真絵本■

私たちはいま、イラクにいます

ムスタファの村-イラク共和国-

〔テレビ〕

~米軍関係者の告発~

【一部のみ】

狂気の核武装大国アメリカ

イラク爆撃と占領の日々

戦争を止めたい-フォトジャーナリストの見る世界-

証言-ヒロシマ・ナガサキの声-第15集(2001)

イラク戦争-元国連大量破壊兵器査察官スコット・リッターの証言 ブッシュ政権が隠したい事実-

証言-ヒロシマ・ナガサキの声-第17集(2003)

核軍縮・平和-イアブック 市民と自治体のために-2008

見えない恐怖-放射線内部被曝-

[「静かなる虐殺」が何万年とつづくことになる]

貧困なる精神-悪口雑言罵詈讒謗集-24集

[劣化ウラン--廃棄物から武器へ]

反核シスター-ロザリー・バーテルの軌跡-

【WHO】

2011-7-15

【ニュース】

イラク人小児科医リカアさん来日

気になる記事……。

【バグダットとフクシマ】

フクシマ元年-原発震災全記録2011-2012-

【YouTube】

イラク劣化ウラン弾被害調査 ~ドイツ人医師13年の足跡~



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【平和と音楽】「少年の目」 歌:舞音(まお)

2008年03月31日 | 読書日記など
平和と音楽

「少年の目」
歌:舞音(まお)


これは、イラクの少年が日本に眼をなおしにきたときにできた歌のようです。

YouTubeの説明。下「」引用。

「イラクの戦争で負傷した目を日本で治療したモハマド君。彼をテーマにしたオリジナル曲 です。岡崎市のタップダンサー舞音さんが、2007年夏の「世界平和コンサート」で歌 った映像。」








関連記事

舞音&響









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広島の記録2 炎の日から20年

2008年03月31日 | 読書日記など
『広島の記録2 炎の日から20年』
  中國新聞社・編/未来社1966年

20年間のさまざまなことが書かれてありました。わりに、あからさまに書いておられるような感じを受けました……。



原爆孤児の問題……。下「」引用。

「八月八日午後二時ごろ、広島市収入役の黒瀬斉氏が自転車を踏んで、焼失を免れた比治山国民学校にやって来た。出迎えた石田正巳校長に、黒瀬氏は汗をふきながら「親に死なれた子供たちがたくさんいる。ぜひこちらで預ってほしい」と切り出すのだった。それから二時間後、黒瀬氏は三、四歳の子供をひとり自転車に乗せて、再び比治山校に現われた。こうして翌日から、肉親を失って焼け野原にほうり出された子供たちがぞくぞくと送りこまれてきた。年齢は乳児から小学校一、二年生くらいまで。四教室を被災児収容のために使い、比治山戦災孤児収容所として石田校長や女子職員たちの不眠不休の活動が始まった。」

さらに、気にしている人たちがいた……。下「」引用。

「このような孤児を救おうと立ち上がった人たちがいた。軍属として九州で敗戦を迎え復員した仏教者の山下義信氏は、原爆孤児救済に乗り出す決意を固め、「佐伯郡五日市町の元農事試験場を払い下げてほしい」と楠瀬知事に陳情していた。
 このころ広島市立第一青年学校長だった秋山豪爾郎氏も、比治山収容所の被災児を何とかしなければならぬと奔走していた。また広島市幟町国民学校訓導の斗枡正氏は、文部省の指令で被災児童たちの教育施設を広島湾の似島に造ろうとしていた。秋山、斗枡両氏は山下氏の計画を聞いて、力を合わせようということになり、三つの流れは一本にまとまった。
 原爆で身寄りを失った子供たちの数は、内務省調査では二千人以上に達したと推定された(市当局のその後の推定では六千五百人)が、親せきや知人に引きとられた者を除くと、一部は比治山国民学校に収容され、一部は疎開先で立ち往生し、残りは浮浪児となって散って行ったようだ。」

この数は後に調べられた本ではもっと数が多くなっている……。


そして、日本人たちの運動もあった……。下「」引用。

「長田教授と相談した結果、広島市在住の教育、文化関係者の協力を求めることになり、二月二十二日に広島子どもを守る会が誕生した。会長森滝市郎氏(広大教授)、副会長山口勇子(主婦)土屋厳郎(医師)両氏という顔ぶれであった。」



この時、「おこりじぞう」の作者は、主婦となっていますね……。

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「折りヅルの願い」と題して、佐々木禎子さんやその友人たちのことが書かれてありました。

もくじ


「丹下構想とドーム」というタイトルの文章がありました。下「」引用。

「当時、広島市のり復興顧問だったジャピー少佐は、記念碑として“五重の塔”のような鐘塔を提案したが、丹下氏は強く反対した。中島町一帯の公園化について、浜井市長から相談を受けた丹下氏は「広島市民の有効に利用しうる中心的なコミュニティーセンターになりうるもの、しかもそれが世界的に何らかの機能的役割りを果たしうるものでなければならない。単なる記念碑では絶対にダメだ」と強調した。」

これは、NHKの番組でも取り上げられていましたね。

後に政治家になる山口淑子さんの名前も出てくる。下「」引用。

「広島復興審議会専門委員からモノいいがついた。「アメリカ人の作った橋を渡るのはともかく、そんなやつの作った碑を拝めるか」というわけだ。しかし、表面の理由は「公園全体を丹下構想で統一する」だった。-略-当時野口夫人だった女優の山口淑子は、ハズの面目まるつぶれにカンカン。浜井市長に英語で語るご主人、イサム氏の語調はわりに穏やかなのだが、淑子通訳を通ると強談判になった。二時間もしゃべりまくられた。「市は直接契約していないのだから…」と逃げを打つほかない。」

中国文化連盟結成……。下「」引用。

「二十年を暮れようとする十二月十六日午後一時から、広島県安佐郡祇園町の山本国民学校で、広島県山県郡に疎開していた作家の細田民樹氏を迎えて、中国文化聯盟結成大会が開かれた。広島在住の文学同行者が手をとり合って、戦後日本の文化を再建しようという趣旨である。-略-発起人は栗原唯一・貞子夫妻、保田勝馬、山本康夫・紀代子夫妻ら十氏。」

正田篠枝のことも、あちらこちらで書かれてありました。下「」引用。

「「生きのこったことをよろこんだ広島の人たちは、実は死刑の宣告が少し長びいただけのことだったように、次々と発病し、次々に死んで行かなければならないのでありました」
 原水禁広島母の会機関誌『ひろしまの河』にこう書いた正田篠枝さんは、四十年六月十五日、原爆放射能による乳ガンでなくなった。」

原爆ドームについても……。下「」引用。

「正田さんは、四十年春、死の床で「私にはね、死んだあのころの町で、産業奨励館のドームだけが、怒っているようにも、泣いているようにも見えたのよ。いっぱい焼けたビルがあったのにね」と語っていた。」

占領下で、深川宗俊氏を中心とする短歌の有志、『反戦詩歌集1』を七百部発行。

『ひろしまの河』について書かれてありました。下「」引用。

「三十六年六月、原水禁広島母の会(事務局長、前田とみ子さん)の機関誌『ひろしまの河』が市民の前に姿を現わした。母の会は三十四年に広島で開かれた第五回原水禁世界大会の安保をめぐる討議に触発されてできた組織、原水禁運動を年一回の大会行事だけに終わらせず、日常的な学習や活動を行なおうというのが目標である。安保のときには市内の八婦人団体に呼びかけて、母親の立ち場からビラをくばり勇気を出してデモ行進に参加した。
 『ひろしまの河』はこうした母親たちの平和活動のなかから生まれてきた。」

この表現はおかしいと思う……。下「」引用。

「「原爆症なんて病気はありませんよ」ということもできる。」

原爆【病】という病気はありませんよなら理解できる……。
原爆による症状のことを原爆症というと思う……。病気のことではない。

原田東岷を委員長に。下「」引用。

「放射線とガンの関係を重視した広島市医師会は三十二年一月に総会を開き、シュヨウ(腫瘍)患者の登録制度を設置、同年五月一日から開始した。登録業務は医師会内に設置された統計委員会がやり、研究は国立予研広島支局とABCCがすることになった。これは日本で初めての登録制度で委員長に原田東岷氏(広島市、開業医)が選ばれてスタートした。」

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もちろん、広島市名誉市民のバーバラのことも、書かれてありました。

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日本の原爆記録10







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核戦争3分前

2008年03月31日 | 読書日記など
『核戦争3分前』
   森瀧市郎・監修/池山重朗・編/日本評論社1984年

実際はどうなのか? しかし、破局へ向かうというのに、実際はどうなのか? ばかり言っててもナンセンスな気もする……。読んでいこう……。



「まえがき」で2つのことがあるという。下「」引用。

「私はよく若い人たちから質問される。原水禁運動をするのに、どんなことを勉強したらよいかと。私は答える。それは二つのことがあると。
 一つは広島・長崎の原爆被害がどんものであるかを学ぶこと。もう一つは広島・長崎以後核兵器がどんなものになってきたか、そして今の核戦争の危機がどんなものであるかを学習するこ。学習すれば行動とならずにはいないこと。
 広島・長崎の原爆はほんとうにひどいものであった。この世の終りをかいまみた体験であった。こんなことがまたとふたたびあってはならないと訴え叫ぶのが、つまりノーモア・ヒロシマが、原水禁運動の基調をなしてきた。」

ボクはこれだけでは足りないと思う。
--ヒロシマ・ナガサキを中心に世界が動くのなら、これでいいかもしれないが……。
それはありえないことだろう……。

だから、ボクは、世界システムというのも理解しないといけないと思う。
--それから、平和学というのも、学んだほうがいいと思う。
平和といいながら、戦争をするのはブッシュとヒトラーだけではない。

水爆にはウラン235が使用される理由。下「」引用。

「また、水爆の起爆剤となる原爆は、ウラン235現場が使用され、プルトニウム原爆はほとんど使用されない。それは、水爆の起爆用原爆がきわめて精巧であることを必要とされており、この部分に誤差が生じると、次の「核融合」、さらに最後の「核分裂」の反応全体を大きく狂わせてしまうからである。この点で、不純物の入り込みやすいプルトニウム爆弾は、どうしても精巧なものにならず、水爆用の原爆に適さないのである。
 アメリカがいち早くプルトニウム生産を止めてしまったのは、このためである。フランスが現在なお、水爆の開発で遅れをとっているひとつの理由は、この国が最初から「ウラン濃縮」に力を入れず、「プルトニウム」方式に固執したためだと思われる。」

ノーチラス号のことも書かれてありました。下「」引用。

「ノーチラス号は、一九五八年八月には世界で初めて潜行したまま北極点を通過し(九六時間、一万四○○○キロメートル)、その姉妹艦シーウルフ号は、同年連続六○日間の長期潜航に成功してる。いまや、原子力潜水艦は、アメリカ海軍の最新鋭兵器としての地位を確保しつつあったし、水上艦隊にとって代わって海軍の主力としての役割を与えられようとしていた。」


サブロック(SUBROC)というのもあるようです。下「」引用。




SLBMのことも書かれてありました。下「」引用。

「潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)は、いまや米ソ核戦略の三本柱(トライアド)の一つであり、その中でも最も重要な核兵器となりつつある。」

人殺しをすることばかりで、恐ろしい話ばかりです。
といっても、原水禁なら、必要な知識でしょうね……。








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ヒロシマ発チェルノブイリ 僕のチェルノブイリ旅行

2008年03月31日 | 読書日記など
『ヒロシマ発チェルノブイリ 僕のチェルノブイリ旅行』
   木原省治・著/七つ森書館1997年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「…被爆2世である木原省治が事故10年目にしてようやくチェルノブイリを訪れた。一見したところ気軽な旅行記だが最後にはやっぱそうはいかない。
…「出発したときより荷が重くなった」“省ちゃん”の心に突き刺さるのは「ヒロシマの今をどう生きるか」という問いだ。日本の今をどう生きるべきかを考えるすべての人に、本書を薦めたい。
     原子力資料情報室代表 高木仁三郎



女性ネットワークによるものだったという。下「」引用。

「女性ネットワークは、一九九○年一○月に一○○名を超す女性たちの呼びかけで設立された草の根のNGOで、全国の方々にカンパに支えられ、チェルノブイリ汚染地の病院や研究所を訪れ、医療機器・医薬品の援助を行なっている。また、被災者の救援活動と同時に世代を越える被害を女性の視点で調査し、毒物汚染を生み出すような技術文明そのものへの問いかけも発し、そのために環境シンポジウムなども開き問題提起を続けている。今回が五回目の調査団になると聞かされていた。」

被爆二世ということで招かれたが、そのことに困惑する著者。下「」引用。

「これからチェルノブイリの被害者にでるであろう症状を予言者のように語って何になるのだろうか?
 写真展では、主催者から、
「両親の被爆体験や自分の経験を話して」
 と軽い感じでお願いされたが、僕が被爆二世だということだけで、こんな話をする資格があるのだろうか、その頼まれかたにも抵抗感を持った。」

どこの人でも、闇教育の人たち以外はこういうと思う。下「」引用。

「中年の女性が、原爆で焼け焦げた子どもの写真を指差して、
「このような幼い子どもまでも犠牲にする兵器は、どんな理由にせよ許せないと思うわ」
 と答え、みんなもウンウンとうなずいていた。」

もちろん、我が国もエリートは闇教育を受けている人がほとんどである……。
--もちろん、大衆にもそのような人がいる……。

笹川良一の名前が出てきました。下「」引用。

「この二週間の旅行で一番多く聞いた、日本で一番頼りになる団体は「ササガワさん」。
「この団体はね、日本のモーターボートというギャンブルで稼いだお金で……。もう笹川さんは死んだけど、戦後の黒幕といわれた人で……」
 と言おうと思ったが、
「だから何がいけないの。あなたは何をしてくれたの……」
 と答が返ってきそうで、何も言えなかった。」

今では、その後をカトリック信徒の曽野綾子・作家がされています。
--カトリックって、バクチよかったんでしょうか……。
--まあ、カトリック信徒でもないボクが心配してもしょうがないですね……。


--チェルノブイリ原発をやめて、キエフで働きたいが、チェルノブイリを辞めた人は、なかなかキエフでは雇ってくれないという。

重松逸造のことが書かれてありました。
彼の論文は『Journal of American Medical Association 』に掲載されたという。

チェルノブイリから広島へ










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