もう1週間前のことになってしまったけれど、大連。
朝から大連港を見に行ったら、どこが海かわからないくらい真っ白。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/05/b10b123176bb9d8c91fecf030fee070f.jpg)
大連港の港湾も建替えが進んでいて、引き上げの方が見た光景からは、
かなり変わってしまっている。
といっても、まず見えないが。
いまわ使われていない線路の跡。満鉄のなごりだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/73/28a96e4095c6875a2ee5ffe029026e82.jpg)
五里霧中とはこのこと。
引き上げの方が最後の日々を過ごした建物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/fb/1a8a100bba9577f4c27125648f823db2.jpg)
正面入り口。いまは、軍の施設となっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/ef/08139d2c568bc0f0c7c8c503647beb1c.jpg)
その後、大連駅へ。往時のまま、ほとんど外観は変わっていないらしい。
上野駅を模して作られたというが、すでに昔の上野駅をあまり覚えていないので、感慨はあまりない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ba/d59af7b17e8fd39ba9f48660797be86c.jpg)
近くまで寄ろうかと思ったが、長距離列車の駅前はどこもカオスなので、やめた。
次に旧ヤマトホテル、いまの大連賓館へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/4c/20393a468a1437a40970674eda070a29.jpg)
室内の見学ができる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/64/f28cb8aa0ada34aa9068fecad7f724fe.jpg)
溥儀が泊まった部屋など、いろいろ見せてもらえた。写真撮影は不可だった。
その後、ヤマトホテルの並びに建っている日本時代の建物を見て、満鉄本社へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/64/9895102d3398a04192828010d190c951.jpg)
いまも鉄道の施設として使われていた。
入り口の扉に、何やら貼り紙がある。
「満鉄連絡電話」これは中国語。
そして電話番号の次に「昼」と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/b8/ff131bc19dea94181cb791e0c289c6aa.jpg)
「昼って、日本語だよね。中国語で使わないよね。ってことは満鉄なんじゃない?」
「でも、旧とか、偽とか入ってないよ。満鉄ってだけ載ってるって、怪しいよ」
などと言いながら、扉の中をのぞいても人気はなく、扉もカギがかかっていて開かない。
とりあえず、怪しいので、まずは近くで腹ごなし。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/cb/22043cbd9fa3c117e00e6e5432737990.jpg)
大連は海鮮が美味しい。
昼食中、一緒に行った友人と話し合って、やはり突撃することにした。
でも、いきなり電話するのも何だし、鉄道の正面玄関から聞いてみよう、ということになった。
正面の入り口から「あの~、満鉄~」と言ったら、
事務所の奥から、昼ドラを見ていたような雰囲気のおじさんが出てきて、
「ああ、満鉄(マンティエ)ね~」と言いながら、
「正面に電話番号が書いてあったろう。あれに電話すればいいのに、ちょっと待って」と言いつつ、
事務所から出てきて、裏道を通って満鉄資料館まで案内してくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/40/51beef0f66ae98f72f39a4ef1025515c.jpg)
すごくすごく、フレンドリーでいいおっさんで、
資料館のカギを開けてくれて「中は撮影禁止ね。ちょっと見てて、また来るから」と。
いろいろと反日的なパネル展示もあったけど、南満洲鉄道株式会社の遍歴がよく理解できた。
部屋の中はすごく美しくて、ちょっと写真を撮りたい気持ちになったけど、
どこかに監視カメラがありそうなので、やめておいた。
そのあと、満鉄の総裁室や金庫室を見て、正面から外へ。
撮っていいと言ってもらった満鉄のロゴ入り時計。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/e6/5677a75ee3ee8ec8c0400141c1a5ee8d.jpg)
本当はここから入るはずだった正面ホール。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/b6/872f157b3570a4ee0bdbe2b15ce7e6b0.jpg)
反日なんて雰囲気がまったくなく、非常に非情にみなさん親切だった。
で、振り返ると満鉄が引いた路面電車。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/86/456a43c232c6c67c8af3d0449edaf62a.jpg)
駅。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/35/80e69afd268ed3c8dd6ef7884957db82.jpg)
やっぱり乗ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/48/432c24a79fbbd22d196a3c2f13b209f1.jpg)
中は混んでいたので、写真を撮らなかった。
もしかしたら反日の人もいるかもしれないし。
社内には、満鉄時代の白黒写真が貼られ、
中国人は外国人と同じ車両に乗れなかったとか、反日感情をあおるような内容だった。
まあ、本当のことなんだろうけど、
ここまで徹底していると、すごいなあ、中共、と思う。
ただ、大連の人は、全体的に日本人にはフレンドリーだと思う。
お店の人も「あ~日本人なのね~、これ食べてってよ~」という感じだ。
きっといろんな日本人を見てきた町だからだと思う。
朝から大連港を見に行ったら、どこが海かわからないくらい真っ白。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/05/b10b123176bb9d8c91fecf030fee070f.jpg)
大連港の港湾も建替えが進んでいて、引き上げの方が見た光景からは、
かなり変わってしまっている。
といっても、まず見えないが。
いまわ使われていない線路の跡。満鉄のなごりだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/73/28a96e4095c6875a2ee5ffe029026e82.jpg)
五里霧中とはこのこと。
引き上げの方が最後の日々を過ごした建物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/fb/1a8a100bba9577f4c27125648f823db2.jpg)
正面入り口。いまは、軍の施設となっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/ef/08139d2c568bc0f0c7c8c503647beb1c.jpg)
その後、大連駅へ。往時のまま、ほとんど外観は変わっていないらしい。
上野駅を模して作られたというが、すでに昔の上野駅をあまり覚えていないので、感慨はあまりない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ba/d59af7b17e8fd39ba9f48660797be86c.jpg)
近くまで寄ろうかと思ったが、長距離列車の駅前はどこもカオスなので、やめた。
次に旧ヤマトホテル、いまの大連賓館へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/4c/20393a468a1437a40970674eda070a29.jpg)
室内の見学ができる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/64/f28cb8aa0ada34aa9068fecad7f724fe.jpg)
溥儀が泊まった部屋など、いろいろ見せてもらえた。写真撮影は不可だった。
その後、ヤマトホテルの並びに建っている日本時代の建物を見て、満鉄本社へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/64/9895102d3398a04192828010d190c951.jpg)
いまも鉄道の施設として使われていた。
入り口の扉に、何やら貼り紙がある。
「満鉄連絡電話」これは中国語。
そして電話番号の次に「昼」と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/b8/ff131bc19dea94181cb791e0c289c6aa.jpg)
「昼って、日本語だよね。中国語で使わないよね。ってことは満鉄なんじゃない?」
「でも、旧とか、偽とか入ってないよ。満鉄ってだけ載ってるって、怪しいよ」
などと言いながら、扉の中をのぞいても人気はなく、扉もカギがかかっていて開かない。
とりあえず、怪しいので、まずは近くで腹ごなし。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/cb/22043cbd9fa3c117e00e6e5432737990.jpg)
大連は海鮮が美味しい。
昼食中、一緒に行った友人と話し合って、やはり突撃することにした。
でも、いきなり電話するのも何だし、鉄道の正面玄関から聞いてみよう、ということになった。
正面の入り口から「あの~、満鉄~」と言ったら、
事務所の奥から、昼ドラを見ていたような雰囲気のおじさんが出てきて、
「ああ、満鉄(マンティエ)ね~」と言いながら、
「正面に電話番号が書いてあったろう。あれに電話すればいいのに、ちょっと待って」と言いつつ、
事務所から出てきて、裏道を通って満鉄資料館まで案内してくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/40/51beef0f66ae98f72f39a4ef1025515c.jpg)
すごくすごく、フレンドリーでいいおっさんで、
資料館のカギを開けてくれて「中は撮影禁止ね。ちょっと見てて、また来るから」と。
いろいろと反日的なパネル展示もあったけど、南満洲鉄道株式会社の遍歴がよく理解できた。
部屋の中はすごく美しくて、ちょっと写真を撮りたい気持ちになったけど、
どこかに監視カメラがありそうなので、やめておいた。
そのあと、満鉄の総裁室や金庫室を見て、正面から外へ。
撮っていいと言ってもらった満鉄のロゴ入り時計。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/e6/5677a75ee3ee8ec8c0400141c1a5ee8d.jpg)
本当はここから入るはずだった正面ホール。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/b6/872f157b3570a4ee0bdbe2b15ce7e6b0.jpg)
反日なんて雰囲気がまったくなく、非常に非情にみなさん親切だった。
で、振り返ると満鉄が引いた路面電車。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/86/456a43c232c6c67c8af3d0449edaf62a.jpg)
駅。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/35/80e69afd268ed3c8dd6ef7884957db82.jpg)
やっぱり乗ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/48/432c24a79fbbd22d196a3c2f13b209f1.jpg)
中は混んでいたので、写真を撮らなかった。
もしかしたら反日の人もいるかもしれないし。
社内には、満鉄時代の白黒写真が貼られ、
中国人は外国人と同じ車両に乗れなかったとか、反日感情をあおるような内容だった。
まあ、本当のことなんだろうけど、
ここまで徹底していると、すごいなあ、中共、と思う。
ただ、大連の人は、全体的に日本人にはフレンドリーだと思う。
お店の人も「あ~日本人なのね~、これ食べてってよ~」という感じだ。
きっといろんな日本人を見てきた町だからだと思う。