ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

大衆

2013-07-22 00:30:17 | Weblog
先日、中国の飛行機に乗って、機内で流されるビデオをボーッと見ていたら、
すごく美しい飛行機の編隊の映像が、ほんの少しだけ流れた。
古い白黒の映像だった。

「どこの飛行機だろう。すごく規律が取れていて、きれいだ」と思った。
そのあとに続く映像で、支那事変のころの零戦を、地上からとらえた写真か映像だとわかった。
一瞬だったからよく覚えていないけど、魚鱗または鋒矢に近い陣形だったと思う。
日本には残っていない歴史の1コマだ。
そもそも、零戦が大編隊で飛んでくるのなんて、
日本国内では経験することなかったことだし。訓練場の下ならまだしも。

当時の中国の人たちは、古代に自分たちの祖先が編み出した戦陣が
空中に展開されている様を見て、どれだけ驚き、恐れただろうと思った。
当時の日本人は、そうした視覚効果も狙っていたのかもしれない。
私は小さい頃、東京を絨毯爆撃しに来たB29の映像を見て、
すごく怖かった印象があるのだけど、それとは全然違う姿だった。

日本の右傾化を危惧する声は、常に世界からあがるけれど、
いくら参院選の2年に1回、しかも議員の半分しか変わらない選挙とはいえ、
投票率が有権者の3分の1程度なのに、
これで全国民が「右傾化」しているように言われては、たまらない。
言うなれば、日本人の3分の2が、もう日本の将来に希望を持っていないばかりか、
日本という国に責任を持たなくなっている、という多数決なんだと思う。
右傾化じゃない、無気力化だ。
でも、世界には、結果しか伝わらない。
結果から「右傾化」と判断されても、反論する術はない。

そんな今日、読んだ本。
『大衆の反逆』(オルテガ・イ・ガセット著、神吉敬三訳、ちくま学芸文庫)

1930年刊行の大衆社会論の本。
第一次大戦後のヨーロッパの姿は、いまの日本の姿によく似ている。
こういう本を高校の夏休みの課題図書にすればいいのに、と思う。
自虐史観を植え付けるよりも、よっぽどアジアと共生するうえでの基礎になる。

ナショナリズムが国民国家形成の原理に逆行する衝動であることも納得がいくし、
そもそも国家とは、未来を共有する人が、
一緒に作り上げる努力をしていくもので、生まれながらに与えられる遺産ではない。
言語や血縁関係なんて、自分をしばるだけで、もう十分にある。それこそ遺産だ。
うちにこもる必要なんてそもそもない。

また、工業が発達していなかった当時の中国で、
なんでマルクス主義が政権をとったのかというのは、非常に摩訶不思議な話だけど、
工業が発達したいまの中国では、いよいよ共産主義が本当の試練を迎えている。
毛沢東の肖像画を掲げてデモをする中国人の工員たちの真意が、
なんとなく理解できるような気がするし、
ああ、反日というのは口実なんだなあ、と改めて思ったりもする。
これから改憲への動きが加速したら、日中関係はどうなるかなあ。

とりあえず、この本を読んで、
私はどうしようもない大衆の一員だということを自覚したので、
せめて私なりのモラルをもって、自分を律する努力はしていきたいと思う。