マダム”裕子”の日記

マダムバタフライインターナショナルの活動報告です。

自閉症

2014-08-31 20:40:32 | Weblog
 
  自閉症の彼の名前は東田直樹。8年前に心の中の思いを本にして出版した。

 その本がインターネットであるアイルランドで有名な作家の目に止まった。

 氏の名前は”デビット・ミッシェル”

 重度の障害の息子と、どう向き合って良いのか途方にくれていた。

 [どう愛すべきなのかと------]

その時”その本”に出合った。氏の心に涙が流れた。

 道がみつかったからーーーーー。

  氏は東田君に会いに日本にやって来た。

 そして、この本を翻訳し世界20ケ国に本が届いた。

 どれ程多くの人の悩みの答えになった事だろう。

 現代は軽度の自閉症も入れると100人に一人と。

 機械文明の中では人もおかしくなっていくのでしょう。

 東田君は母親手作りのパソコンと同じ紙のキーボードで会話が出来る。

 その言葉が溢れるようにそして優しい。

 東田君の本で世界の人々が幸せになれたらーー東田君に乾杯です。

エミー賞

2014-08-30 20:26:39 | Weblog

  映画界のアカデミー賞に位置するテレビ界の”エミー賞”

 賞に輝いたのは「ブレーキング・バット」6部門の賞を総ざらいしたと。

  どんなテレビなのでしょう。

 末期がんのおじさんのお話です。

 家族の為にお金を残そうと麻薬の製造をするという

 “破れかぶれのおじさん”です。

 普通に考えると”え!!”ですね・

 フォユウーの考え方でいくならば許されるのでしょうが。

 でも私、いけない物はいけないと思うのでがーーーーー。

 テレビを観た方々は全員が大きな感動を得ているのだ相です。

 私はまだ観ていないので何もいえません。

 これからもテレビで放映するそうです。

  そんなに素晴らしい作品ならば観て見たいです。

 皆様もどうぞ、その機会を探して観てください。

 

憎しみと許し

2014-08-30 11:05:12 | Weblog
  
  貴方は目の前で家族を子供を殺した人、国を許す事が出来ますか。

 その不可能とも思える”心の戦い”に勝ち”許し”を与えた人がいるのです。

 その人とは「元フィリッピン大統領 エルピディオ・モリノ氏」です。

 69年前のフィリッピン マニラでの市街戦。そこに巻き込まれたのがモリノ氏の家族だったのです。

  戦争が終結し日本の戦犯の裁判をフィリッピンの新生国家がやらねばならなくなりました。

 戦犯151人。死刑になった人もいます。

 モリノ氏は敬虔なクリスチャン。〝愛”と”憎しみ”の間でどれ程苦しみ抜いた事でしょう。

 そして、第一段階の”恩赦”として日本に帰国させたのです。その時は56人でした。

  日本人もその心に対し庶民の力で7万体の人形を送ったのです。

 その人形の1体をモリノ氏は大切に持っていた相です。

 そして65歳の亡くなる2日前に総ての帰国した日本兵に”恩赦”を与えたのです。

  「許す事無くしてして前には進めない」

  「許す事から多くを学ばねばならない」と。

 深く、難しく、温かさが伝わって来る言葉です。



 

エボラ出血熱

2014-08-29 13:02:45 | Weblog

  西アフリカで感染の続く「エボラ出血熱」

 今後半年間で2万人に広がるだろうとの予想が出ている。

  ベルギ-のブリュセルにある”国境なき医師団”の医師、看護師達の

 命がけの活動が続いている。

 医師団のスタッフにも感染し死に至った人は2人出てしまった。

 防護服を着て暑さの中での治療は想像以上の困難と。

 ”WHO”の発表によると約3000万人の感染者の内1500万人が死亡したと。
  
  ”エボラ出血熱”は40年前に発見された。

 その間、有効な薬の研究には取り組んではいたが途中で支援が打ち切られ

 前に進んでいなかったのが現状。

 これ以上他国に感染したら大変なこと。

  私達、日本人も人事と考えてはいけないと思うのです。同じ地球人ですから-----。

 こういう時にこそ我が国からの支援金を出すべきと思いませんか。

 兎に角、対処できる薬の完成です。

 支援の体制を整える為には日本円で500億円もかかるそうですが---------。

 

 

球団

2014-08-28 11:39:00 | Weblog

  広島カ-プ球団の創設は原爆から4年後の1949年の秋。

 プロ野球チ-ムの誕生は壊滅的な破壊から立ち上がる何よりの”希望”となった。

 しかし、他球団の様な財政の基盤のない市民団体ゆえにその運営は大変だった様だ。

 球場前に「樽募金」も置かれた時代もあると。

 戦力補強もままならない。

  しかし、その無い無い尽くめが今の”力ある球団”を作ったと。

 名選手を鍛え上げる人材育成が球団の伝統となり魅力となった。

 ある時は、帽子とヘルメットを紺から赤に変え「赤ヘル」旋風を起こし

 リ-グ優勝を飾った事も。  戦う色は”赤”

 広島の復興という”不屈の闘魂”が真っ赤に燃えているのでしょう。

  何事も燃え上がる”不屈の心”が大切なのです。

 さぁ!”赤い炎”をあなたの心に燃やし続けてください。
 

お話し

2014-08-27 17:32:16 | Weblog

  そのお婆ちゃまは84歳。

 地方の町興しの一つの活動として童話を語り続けて約30年。

 始めはアンデルセンとかグリム童話を話ししていた。

  ある時から日本の昔話をと-------。

 その時から日本のお話しを語り始めた。

 その人の声はラジヲを通してもとても落ち着いて聞きやすく温かい声。

 「昔々あるところにさ-------じっちゃまと、ばっちゃまがさ---住んでたとさ---」

  聞こえてきますか?

 昔のあの懐かしい日々が------。

  人は幾つになっても人の為に生きる事が出来るものです。

 このおばあちゃまの様に---。

 自分にしか出来ないものが必ず有る筈です。

 ”自分探し”を致しましょう。

 この事も生きる上において大切な事ではないでしょうか。

クラゲの教え

2014-08-26 22:07:57 | Weblog

  山形の加茂水族館は世界一のクラゲの展示数を誇る。

 10年前までは小さなありふれた水族館だった。

 時代の流れで来場者は減り続け閉館寸前に。

  その時危機を救ったのが”サカサクラゲ”

 展示した所好評で経営回復のきっかけとなった。

  同館の館長の言葉。

 「もし設備や人材に恵まれていたら今の加茂水族館は無かっただろう。

 問題点が出る度に知恵を絞りながら前進する事で力をつけて来たんだ」と。

  この事から何を学ぶ事が出来るでしょう。

 それは、クラゲのヒットは偶然ではなく与えられた条件の中で

 最大限の”知恵”と”努力”を振り絞った事。

  私達は学ぶ心があればどんな存在からも学ぶ事が出来るのです。

 ”クラゲ”から教えられたのです。

 そうです。“我の他みな師なり”です。
  
 

 
 

花火

2014-08-25 22:27:22 | Weblog

  花火大会があると”夏も終わり”と思ってしまう。

 家の近くの二子玉川の花火も、夜空に描く絵と音とで

 多くの人達に楽しみを与えていた。

  秋田県の大曲で行われる花火大会の大イベント、

 競技大会として花火師達の腕をきそっている。

 どの花火師の作品も夜空の大スクリーンに物語を語っていた。

  圧巻だったのは、会の主催者側の提供する花火。

 曲はバレエ曲で有名なあの”ボレロ”

 遠くから音楽が静かに始まって花火が一つ二つとーーー。

 そして夜空は音楽の高まりと終わりのない絵画の連続。

  テレビでさえ感動したのだから現場にいたらどんな思いで

 夜空を眺めた事だろう。

  花火はあの一瞬に命をかける。だからその”はかなさ”が

 美しいのでしょう。

  人生も又しかりーーーー”自分の一瞬”に命を懸けましょう。

 ”花火”からも学ぶ事は多いものです。

スピ-ド

2014-08-24 14:18:34 | Weblog

  世の中はどんどんと変化しスピ-ドが早い。

 ”電話””メ-ル ”何かと”機械”に動かされている様。
 
 でも大事なことは”会う事”

 顔を合わせて語り会う時には、まず表情が伝わってきます。

 「会えてうれしい!」「ずっと心配してたの!」「応援しているわよ!」と。

 その心が届くのです。そして”アイコンタクト”

 どんなに時代が変わっても、人は人としての原点が一番居心地が良いのです。

 大切なことは”会う事”なのです。そのぬくもりから”愛”が生まれるじゃありませんか。

 そして、次に”手紙”。字の中から”字の神様"が相手に思いを運んでくれるのです。

 勿論、便利は便利として時代にはついていきましょう。

  でも忘れてならない事、それは”人に会って””手紙を書く”ことです。

 人としての歩みの原点はどんな時代が来ても変わらないと思うのです。

107歳の声楽家

2014-08-23 17:13:57 | Weblog
  
  その方は107歳の声楽家「嘉納愛子女史」

 作曲家、山田耕作氏の数少ない弟子のひとり。

 78歳まで教壇に立っていたそうです。体内年齢31歳と測定されると。

 「50,60は花なら蕾 70,80が花盛り」と。

 美味しいものを食べたい。常に好奇心を持ち「あれもしたい、これもしたい」。

 その欲張りの結果、毎日が楽しくいつの間にか年を重ねてきたと。

  ”川柳”は90歳で初めて5百句が溜まっているのですって。

 ”凄い””凄い””凄い”ですね。

  125歳まで生きられるそうですよ、人間は。

 私も目指せ125歳ですが、周りがシラ-としています。!!!!