親なら誰しも我が子に「こうなって欲しい」と願うもの。
しかし、その願いに自分らしさを飲み込んでしまう子供もいるのです。
親の思いも、立ち止まる必要があるかも知れません。
英語で「エデュケーション」は「教育」と訳されるが、福沢諭吉は
これに異論を唱え「発育」と訳すべきと。
価値観を上から押し付けることなく、相手の可能性を引き出そうと
真摯に努力する------その姿勢を敏感に感じ子供達は伸びていくのです。
人を教育しようと思うならまず自分を教育する。
相手に変わって欲しいなら、まず自分が変わる。
「発育」にはこういう意味があるのでしょう。
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