電車の中での光景。
活字に目を落とす人が減り携帯端末と”にらめっこ”する人の
なんと多い事。
「すみません」私もその一人でした。
ある調査によると情報摂取量は五十年前の三倍だそうだ。
「有り余るほどの答えを持ち乍ら優れた問いのほとんど
出されない社会」との指摘もある。
「機心」との言葉もあるとか。機械にとらわれる心との意味。
井戸水を手作業で汲む老人は「機械を持てば機械による仕事は出来る。
機械による仕事が出来れば機械にとらわれる心が生じ純白の度が薄くなり
精神が定まらない」と。
便利な情報の道具から離れ人生にとって何が大事かを自身に問う。
知識ではなく知恵なのですから。
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