りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その27-③ 岡部宿~

2017-07-17 07:48:00 | 旧東海道散歩
「炭水化物」+「炭水化物」rarmen・・・重くなったお腹で再スタート。

松並木が続きます。


「これより岡部宿」の石碑。

nikoこの辺りが岡部宿の西木戸(西側入口)でした。

国道一号線(藤枝バイパス)の下を通り、脇道に入ると「従是西巌村領 横内」の傍示杭がありました。

横内村は、江戸時代初期は岡部領でしたが、その後田中藩領となり、1735年(享保20年)からは、美濃国岩村藩領となりました。
駿河国(静岡県)に美濃国(岐阜県)の領土(飛領)があったとは・・・不思議な感じです。

横内村には職人が多く住んでいたそうで、街道沿いの家の前に掲げられている屋号札は、往時の仕事を示しているそうです。


橋の手前にあった「あげんだい」


巨大なな松明(たいまつ)・・・のような形をしています。
「夏祭り川原供養祭、盆の送り火法要あげんだい」では、この「あげんだい」を何本も立て、上部のかごに燃えやすい松葉や麦わらなどを入れて、その中へ松明を投げ入れるそうです。


nikoここまで歩いて来た町並みです。

朝比奈川に架かる「横内橋」

niko江戸時代は、人足による徒歩渡しが行われていたそうです。

「従是東巌村領 横内」の傍示杭。

ここまでが横内村ということですね。

国道1号線「仮宿」交差点の歩道橋を渡り・・・


脇道へ入ると「従是西田中領」の傍示杭

かつての美濃国(岐阜県)から駿河国(静岡県)に入ります。


niko道沿いに「つくし」を発見!子供の頃、苦くて嫌いだったつくしの煮物・・・今や都会では「つくし」は貴重な存在です。

「廣幡尋常小学校跡」


江戸より49番目の「鬼島一里塚跡」

アパートの前に道標があるのですが・・・その道標の前に車が駐車していたのでこのような写真になってしまいました。ギリギリhekomi

葉梨川に架かる「八幡橋」を渡り・・・


土手で休憩しました。

niko春は桜できれいでしょうね。

この場所は、御成街道との追分。「東海(道)」「御成街(道)」と記された小さな道標がありました。


宿場と宿場の間にあるお休み処「鬼島の立場跡」


「須賀神社」

樹齢500年のクスノキ。根廻り15m、樹高23mの巨木です。

道の突き当りにある「カーマホームセンター」で休憩しました。
この辺り一帯は、かつて葉梨川の淵で、その形が馬具の鐙に似ていたことから鐙ヶ淵(あぶみがふち)と呼ばれたそうです。

十辺舎一九「東海道中膝栗毛」の狂歌では
「ここもとは鞍のあぶみが渕なれば 踏んまたがれて通られもせず」
と詠まれています。

現在は土地区画整理中とのことで、、道路や広場も工事中でした。


国道1号線を渡り、住宅街の中を進み、藤枝市街に入ります。


(つづく)
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